2022年6月の投稿[25件]
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 88-89p
高山市丹生川地区、乗鞍岳の伝説。
仁徳天皇の頃、飛騨に両面宿儺という鬼神が住んでいて、武振熊命に討たれた。その一方、両面宿儺は仏教寺院の開基や、乗鞍信仰を確立し、地元では英雄であった、という物語。
両面宿儺とは、どちらかといえば政治的に創作された人物だと思うし、だからこそ古代からの神のように見えて、仏教との関わりが深いのだと思う(仏教は古代日本では比較的新しい宗教概念なので。)。長野県側と比較するならば、八面大王とも、泉小太郎とも関連すると考える。中央と対立した神という点では八面大王と類似している。また、乗鞍の女神であると共に水と日輪の女神でもある乗鞍岳そのものを女神との何らかの潜在的な関わりで「祭祀者」となっている点、女神を押しのけて自らが主人公になっている点は泉小太郎的といえる。
参照:両面宿儺
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #女神 #太陽 #池 #怪物退治
by admin. ⌚ 2022年06月21日(火) 15:16:28 伝説,神話,英雄名,多エピソード保有人名 <424文字> 編集
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 85-87p
高山市朝日地区・美女峠、辻の池(美女ヶ池)の伝説。
美女峠に美しい比丘尼が住んでいて、美女ヶ池の大蛇の化身とも言われていた、とのこと。子供を生んで、人間の女性に乳母を頼んだ、という伝説がある。また比丘尼は「よもぎ餅」や「きなこ餅」を作って旅人に売っており、評判だったとのこと。
山口町では水不足の年には「雨乞い平」というところで雨乞いの儀式を行っていた、とのことである。
八百比丘尼は水や池、雨乞いに関わる存在であると供に、稲の豊穣に関する女神の変化したものといえる。彼女が作る餅は、女神自身の化身(一部)ともいえる。竜蛇の化身、という伝承があること、子供を生んでも父親の存在が明らかでない点、穀物とその豊穣の女神である点から、縄文の母系の豊穣の女神の性質を強く残した伝承であり、縄文の女神の有り様を良くうかがい知れると考える。子供の父親の存在がはっきりしないのは、母系社会では通い婚が通常で「父」とか「夫」というものが社会的に存在しないからである。
美女ヶ池では今でも女神になぞらえて「美女餅」というおみやげ品を売っているそうである。
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #蛇 #女神 #乳母 #餅 #池 #雨乞い
by admin. ⌚ 2022年06月21日(火) 06:15:20 伝説,神話,神名,固有地名 <546文字> 編集
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 71p
高山市の加茂神社の伝説。
神様が盗人を助けてくれた、という物語。楽しい物語というよりは、個人的にはこれぞ「The 加茂」という気がして笑えない-;。
「盗み取る」から、「農家は五穀を取る」、「受験生は点数を取る」、「政治家は票を取る」という「何かを得る」ことに通じる信仰がある、とのことである。正当な努力の結果、何かを得ることは正しいことといえようが、それが誰かから「盗み取る」となるとどうなのだろうか。
よそ八は女神から生き血を盗み取る、須佐之男は大宜津比売を殺して蚕と五穀を盗み取る、泉小太郎は母女神を殺して女神が開拓した土地を盗み取る、と。これは、弥生の人々が縄文の母系の人々から、女神信仰の文化と農地と財産を盗み取った思想の正当化そのものではないだろうか。西部開拓時代のアメリカみたいな思想だー、と正直思う。このような思想が「加茂」の名の下にあることが非常に興味深いと思う。
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #盗賊 #泥棒
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 57p
宇津江川の滝に関する伝説。滝の由来譚。
新旧会わせた2つの思想が入り交じった興味深い物語である。
導入部に、沼や川(主に滝)には(竜)蛇体の女神がその化身である、という古い思想が見られる。女神には人を病気にする能力も、癒やす能力もあるようである。主人公が病に陥るのは、禁域に踏み込んで「見てはいけない神の正体を見たこと(禁忌を破ったこと)」の祟りかもしれない、と受け取れるが「祟り」の部分は明確にそうとは語られない。
中盤は女神が自らの身を削って主人公を助ける、というエピソードになる。これは「自己犠牲」といえる。禁忌を破ったものに対する罰(主人公の病気)を神が助けなければならない理由の方が、本来は「ない」と思われる。疫神が自ら実を削って人々を助ける、という思想は、原始キリスト教到来以後(私の私感としては)、あるいはおそくとも仏教到来以後の思想と思われるので、起源としてはせいぜい1世紀よりも後の思想と思われる。女神が「修行をする」という発想も仏教(修験道)的な考え方と思われる。
主人公の「願掛け」が女神を救うことになるので、この点も修験道的と思う。また主人公は女神(蛇)に劣らず水を操る力(通力とか法力と呼ばれるもの)を有していたと思われるので、自然界に働きかける特別な能力を持っていた、という点では主人公も「八卦」の伏羲に繋がるようなシャーマン的な性質の持ち主であったことを示している。名前にも「八」がつくし。この場合、主人公には「母なる水等の神」の特別な恩寵があり、女神と特別な関係だった、ともいえるし、その「特別性」が主人公を他の人々に対して、一段上の特別な人間にもしている、と思う。
主人公が川の女神と特別な関係にあって、人々の中でも特殊な地位にある、という物語は長野県の「泉小太郎」の物語にも似る。物語の起源としては近いのではないだろうか。
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #蛇 #川 #沼 #疫神 #修験道 #シャーマン #伏羲 #八卦 #女神
by admin. ⌚ 2022年06月20日(月) 06:23:13 伝説,神話,起源・由来,固有地名 <871文字> 編集
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 32p
宮川村の人身御供伝説。
前半は八岐大蛇的な若い娘の生贄を求める大蛇の話。
後半は娘自身が大蛇を倒す話。蛇が金物(特に針)を嫌う点は三輪山伝説に類似している。蛇(化け物)退治の英雄は登場しない。
村の水田の開墾由来譚であり、お寺での断食供養の由来譚でもある。
女性の力が開墾(村全体の収入や生活の安定の元となる事業)を可能にしたり、悪者の存在を解決する点は、岩見の乙子狭姫 の伝承と似る。かつては女神が直接農作物の豊穣をもたらす、という伝承があり、それが崩れたものか。飛騨地方の縄文時代の信仰を知る上での資料となり得るような古い時代に起源のある物語なのでは、と思う。(生きているままの女神に対する信仰の片鱗が残っているから。)
お寺での断食供養はやや「犠牲的」な祭りといえるが、若い女性が女神(水や豊穣の神)の代理人あるいは祭祀者として神を祀っていた縄文時代の祭祀の名残かもしれないと思う。
宮川村は縄文時代のイノシシ、クマ、蛇などの動物をかたどった動物意匠紋土器が岐阜県で初めて出土した地とのこと。石棒も出土しているようである。(石棒を「金精様」と呼ぶのは岐阜県の習慣だろうか?)
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #蛇 #こんにゃく #針 #怪物退治 #開墾
by admin. ⌚ 2022年06月19日(日) 14:51:28 伝説,神話,起源・由来,固有地名 <573文字> 編集
「シルクロードの民話 パミール高原」 316-319p
言うべき言葉を段階的に忘れてしまう愚か話。
#民話 #タジキスタン #愚か話 #忘れ話 #転倒 #名前 #忘れた言葉 #「何て言うべきだったの(何をすべきだったの)?」 #司祭の客と盗み食いされた鶏
by admin. ⌚ 2022年06月16日(木) 06:18:06 民話 <161文字> 編集
by admin. ⌚ 2022年06月09日(木) 00:15:52 民話 <93文字> 編集
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 244-251p
前半は狡猾な男が天狗から姿の消える、いわば「魔法のアイテム」をだまし取る話。西欧では姿の消える魔法のアイテムは「ドワーフの宝」と考えられるが日本では「天狗のアイテム」のようである。男は北欧神話のロキにも似る。「怪物退治」が崩れた物語といえようか。
後半は中途半端に透明人間になった主人公が妻の叡智に救われる話。「姿が消える」ということは神話や伝承的には「死」も暗喩するといえるので、妻は夫を再生させるイシスのような女神的存在といえようか。
ただ、全体としては神話の崩れ、というよりは庶民的な面白い話、だと思うので、物語として確立したのは近世以降であり、修験道のプロパガンダとしての要素が強い物語だと感じる。
#昔話 #長野県 #中信 #天狗 #姿消える #魔法のアイテム #かくしみの #かくれがさ #ぼたもち #怪物退治 #叡智 #天狗 #修験道 #足
by admin. ⌚ 2022年06月06日(月) 13:42:10 昔話 <420文字> 編集
by admin. ⌚ 2022年06月03日(金) 00:02:03 民話 <92文字> 編集
「読んで 遊んで とっぴんぱらたからぎけのり 新長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 70-80p
「新長野のむかし話」編について。これは元の話からかなり改変がされている、と感じるが私が知る限り最悪の改変だと思う。
1.伝説にまつわる地名が記載されていない点(犀川、松本平など)
2.犀竜が悪いことをして罰を受けて竜にされてしまっている点
3.罰を受けた原因は、犀竜自身というよりも社会的な問題なのだが、なんでそれを弱者である犀竜が一番泥を被って犠牲にならなければならないのだろうか。現代的に、弱者を搾取することを正当化する思想に繋がらないだろうか。
4.小太郎が自らの出自に引け目を感じている点。読者である子供に、出自等で他人と違うことは「それだけで悪いことである」と思わせることにならないだろうか。現代的な教育という観点から多様性の尊重と平等や公平という精神を損なう物語とならないだろうか。
何より、犀竜自身は祀られている神社を持たない、といえども、かつての水内郡(現在の長野市)の犀川流域から広い範囲で九頭竜女神が水神として祀られていることを併せ考えれば、犀竜とは九頭竜女神のことである、と容易に気がつけるはず。そんなことも分からない奴がこの物語に手を出すんじゃねーよ、水内郡の伝統と文化に対する侮辱だ! と正直思います。(ま、元の話も竜蛇女神に自己犠牲を求める話で、個人的には好きではないのですが。)
同じ「日本標準」出版でも「長野の伝説」に収録されている方が原話に近いと思うので、いつか紹介できれば、と思います。犀川には他に安曇族の神の開拓神話もあるのですが。開拓神をないがしろにしてどうなってるのか、という「現実の歴史」もいつか紹介できれば、と思います。
#昔話 #長野県 #北信 #竜 #開拓神 #女神