本日の日誌

どこから書くべき? ということが毎日続くわけですが、1週間くらい前に蛙さん達が、蛇の兄さんと6番目の子と7番目の子に無断で私の力を試すようなことをした、ということで、蛇の人達はけっこうお怒りだったわけで。で、人の「気」というのは、その人の死後もけっこう残るもので、力の強い人の気だと、まるで当人がまだ生きているかのようにふるまうこともあるんだよ、って言われるわけで。だから、事故とかいわゆる「非業の死」と言われるような死に方をした人は、よくない気を残して、周辺の人々に悪夢を見せたりするので、そういうのを「穢れ」っていう、ということのようで。だから、亡くなった人のものを整理したり、形見として一部を残しておいたりするのは、そういう気を「自分を守る気」に変えて使ってるんだよ、って言われるわけで。で、人は動物でも植物でも生きているものを食べて生きているので、誰でも自分が生きていける程度には「穢れ」を払う力を持っているのだけれども、戦争とかで一度に大勢の人が亡くなったりすると、土地神でも払いきれないような穢れが残ってしまうし、そうすると人々は地縁とか血縁で固まって、互いに気を使いあって悪夢を見ないようにして、息を潜めるようにして生きていくしかなくなる、って言われるわけで。で、要するに神サマっていうのは、そういう穢れを払う力が強い人のことを言う、って言われるような気がするわけです。で、特にデーヴァの人達は穢れに強くて、そういうものを操る力にも優れているので、そういうものを使って力の弱い人達を押さえつけることに長けている、ということのようで。

で、月曜日に「NEWS ZERO」を見ていたら、戦争に関するプロパガンダ的な思想に私が巻き込まれてはいけない、ということで守護についている7番目の子が4番目の子のお父さんを召喚した、ということで、なんだか二人でいろいろと言ってくるわけで@@。動揺して「人が仕事してる最中に出てくるんじゃねえ」って言っている人がいた気がするわけですが。そういう口のきき方も始めて聞いた、って思ったわけで、プロパガンダも何も無いという感じであったわけですが。

で、次の日の朝目が覚めたら、私の分身の「蛙の子」が、「うわー、蟹が一杯いるよ。」って言うわけで。何事? と思うのですが、蛙の子の周りに蟹がたくさんいるわけで。で、「蟹」というのは死んだ人の魂なんだよ、って言われるわけで。そして、7番目の子が蛙の子に蟹の足を食べさせて、蟹味噌を食べさせているわけで。で、そうしたら蛙の子は、残った蟹を折り紙に変えて、鶴を折って空に放しているわけで、そうすると鶴は空高く飛んで行って消えてしまうわけで。で、鶴を折り終わったら、「気が余った」って言って蛙の子が大きいお餅を吐き出しているわけで。で、そうやって穢れを食べて、無害な力に変えて放出してしまうことを「浄化」、他の人でも使える力に変えることを「昇華」って言うんだよ、って言われるわけですが@@。どうやら、私は元々そういう力を持っているらしいのですが、自分で自分の力を意識して使えないので、無意識に勝手に気を使っていたのでは効率が悪すぎる、って言われるわけで。気が使えなくても、自分が今何をやっているのか、ということぐらい分かることができるようになっていた方がいい、ということのようで。で、昨夜パプア・ニューギニアと結縁したので、現地の人がもてあましているような穢れを送り込んで来られたね? って言われるわけで@@。こんなこと始めて、というか4番目の子も、こういうことになるとは思っていなかった、って言う気がするわけで。でも、こうやって穢れを払うことこそが、「終わり」の名前を持つ太母のお仕事、ということで、結局そうやってそこに吹き溜まっている「死の穢れ」を払える限り払わないと、戦争って言うのは終わったことにならないんですよねえ? と思うわけで。

で、昨日は「いのちのうた」を見て、「教科書で学べない戦争」を見たわけですが。「いのちのうた」では、ふいに「やっぱりかわいいね」って言われたりした気がするわけで。でも、稲佐山公園とかが映ると、きゃーきゃー言って、「今その名前を見るとトラウマになりそう」って言う人もいる気がするわけでーー;。ともかく、相手が私一人なら「静かに見ててね」って言っておけば良いけれども、下手なことをしたら7番目の子になんて突っ込まれるやら、って言われるわけで。いろんな経過から見るに、彼はけっこうな毒舌家ですよねえ? と思うわけで。「お仕事」の最中に横槍を入れられるようなことをされるのが嫌なのは、4番目の子だけではない、ということのようで。で、「いのちのうた」の最後の方で、歌を聴いていたら蛙の子の髪が伸びる気がするわけで。7番目の子が「自分で喰えるだけの穢れを喰って、直接送り込んで来てるね。」って言われるわけで。そういうことができるんだ? というか、こういうことは生放送を見ていて始めてな気がするのですけれども、と思うわけで。で、蛙の子も、7番目の子が送り込んで来る気は「食べやすくておいしい」って言っているわけで@@。7番目の子は、もしかしたら関係者の中で「気」の相性が一番いいのは自分かも、って言って喜んでいた気がするわけです。で、最後に某社長さんが降臨して、「これでYOUにも、なんで彼が一番お勧めの夫なのか分かったでしょ。」って言われるわけで。7番目の子は、「自分は誰かと違って、仕事中に保護者が降臨しても動揺しない。」ってトドメを指すようなことを言っていた気がするのですが@@。でも、4番目の子と、蛇の兄さんを黙らせちゃうだけの力を持っているというのはすごいことなのでは、と思うわけで。

で、「教科書で学べない戦争」の方は、なんというか全体は軽めな感じで、最後まで無理なく見られる構成にはなっていたと思うのですが、なんというか「のどごしは軽く、後味は悪く」っていうそういう感じであって。しかも、流れている過去の映像に映っているのは、ほぼ全員死んでいる人達だし、普通の死に方をしている人達ではないし、「穢れ」もてんこ盛りということで。番組が終わって、部屋に戻ると、蛇の兄さんから「ああいうものを見ると本気で人格が変わっちゃうでしょ。」って言われるわけで。本当にねえ、まさに「怒れる軍神」としての私はああいう時に目を覚ます、ということで、ごくごく冷酷非道な思考回路になってしまうわけですが。ともかく、「気の乱れを直す必要があるから、自分の動画を見るように。」って言われてしばらく見ていたわけで。いろいろと心配はされているんだな、と思ったわけですが。

だいたい、自分よりも力の強い「上」の命令に逆らって、言うこと聞くしかないし、ある意味「人を合法的に殺してこい」みたいなこと言われたとしても、誰も逆らえないのは現代社会もご同様なんだけど? って思うわけで。「上の者の言うことだから仕方がなかった」って、あなたはアウシュビッツ収容所の所長のヘスですか? ってなってしまうので、それを言うのは無責任に過ぎるでしょ、とそういう言葉しか出て来ない。どんな時代でも、人はそう生きるしかないのだから、そんな中で人としてどう生きるのか、そしてどう生きたのか、一人一人が個人でできる限りの範囲で、たとえそれがどんなささいな事であっても、何をしてきたのか、と。当代のユースティティアの大法廷では、「それ」しか問題にしない、ってそういう点で、ものすごく私は冷酷なんだあ、って思うわけで。別に教育のせい、とかそういうこと全くないわけですよ。何もかもが「教育」だけのせいで、戦後の教育がそんなに良いものであったとするのであれば、私が職場や裁判所であったような目にあう「はず」は無いので。祖父は、自分の小さな娘が修身の時間に「神サマは耳や目から生まれた」って教わってきたって聞いて、「そんなことはない」って笑ったそうだけれども、そう言って、例え学校や社会で何をどう教わっても「あり得ないことはあり得ないこと」なのだと自分で考えて分かる人間にならなきゃいけない、って彼が持っている力で、彼なりに教えてくれていた気がするわけですが。それが彼にできる精一杯であっても、代が下れば強い敵の力の前になし崩しにされてしまうほどの強さしかもたないものであったとしても、そういうことこそがちゃんと子々孫々まで伝えていかなければならないこと、なのではないの? と思うわけで。

で、ともかく「日付を調べて見るように」と言われるわけで。確か、番組中では真珠湾攻撃のあった12月8日と、終戦の日の8月15日が出て来ていましたよねえ? と思うわけで。で、調べて見ましたら、12月8日というのは、カトリック教会が聖母マリアの「無原罪のお宿り」を正式な教義とした日。8月15日というのは、「聖母の被昇天」の祝日、ということで。しかも、盧溝橋事件とサイパン島の玉砕は7月7日であって、七夕の日ですよねえ、それ? って思うわけで。七夕というのは、かつては織り姫星に関わる祭祀の日であったと思われるわけですが、現在では竹の木にくす玉を吊したりして、クリスマス・ツリー? っていうような様相を示していますのでね、って病院の入り口でそういうものを見かけて苦笑いするような目にあったばかりであるものですから。しかも、現在ではお盆の行事の一環ということで、「薬師の神サマの頭を捧げて、使者を呼び戻そう」っていう祭祀だよねえ、それ? というか、病院って「いい所」だよねえ、って改めて思ったわけでーー;。そして、そういう穢れた呪いをぶつけられると、やっぱり髪が伸びてしまう蛙の子がいる気がするわけで。

ともかく、始まった日は、「聖母マリアこそが唯一絶対の無垢な処女神として生まれた存在」とされる日であって、終わった日は「聖母マリアが生きたまま昇天した」とされる日であって。太平洋戦争とは、白百合に象徴される「死せる太母」に数多の穢れた犠牲を捧げる祭祀であったのだ、と。それを知って欲しくて、ああいう阿呆な事に4番目の子は頑張って関わったんだね? って思うわけですが。ともかく、蟹の件については割と誰にとっても「想定外」ということで。蛇の兄さんも「遺骨を掘り返したりして、その場の気を動かしたから、取り憑かれてきたね?」って言っていた気がするわけで。7番目の子は、「いくら『その目を信じている』って言っても、最終的に自分一人の力で始末できないようなモノを持ち込んで来たら、『力が弱い』って言われても仕方がないでしょうが。」って説教してた気がするのですが@@。

蛇の兄さんは、現段階ではともかく、私の手に余るような穢れが押し込まれてきて、私自身が悪夢を見ることをものすごく心配しているような気がするわけで。けっこうそういうモノを「喰う」作業は、自分でもとても疲れる気がするわけです。でも、やがていずれは長崎からも広島からも、その目の力を求めて召喚がかかるだろう、って7番目の子からは言われるわけで。しかも、アウシュビッツの資料を調べていたら、現在の関係者の写真も掲載されていて、そこから「あの目はいずれここへ来て、せっかくため込んでおいた穢れを払ってしまうだろう。」って言われるわけで@@。別に、旅費とか、旅行の手続きとか、そういうものを全て負担してくれて、かつ守ってくれる人がいればどこへでも行きますけれども? とは思うわけですが。でも、広島と長崎の一番恐ろしくて特殊な点は、爆心地に自分が死んだことが分かっていない人達の気が多数強固に残されていること、って言われるわけで@@。しかも、アウシュビッツに関しては、トラキアのお使者から、ポーランドは西欧と東欧の境にある重要な交通の要所なのに、穢れが強くて迷惑至極、って言われるわけで。そして、ともかく死者の数が穢れの強さに比例する、ということで、「死者の数だけ調べておくように」って言われたわけですが。だいたい、私的な大雑把な把握で、広島が20万人強、長崎が10万人弱、アウシュビッツが400万ってことで良い? と思うわけで。トラキアのお使者からは、「その数字を甘く見ないように」って言われるわけですが、そもそもそんな上野公園ですらあんまり行きたいとは思わない私なのに? と思うわけで;。出てこれるようになったら、その辺りの気から喰ってく練習をするしかないねえ、って言われるわけですが。しかし、ともかく誰かさんは「自分も一人の人間なんで。アウシュビッツからの召喚がかかってるって言われても、今は30日のことで頭がいっぱいで戦々恐々としてるんだけど。」って言われるわけで。とりあえず、当面は対外的なことは6番目の子が、内側の守りは7番目の子が受け持つ、ということでいろいろな状況が固まりつつあるようなのですが。蛇の兄さんもまだまだ「再生」の途中で全力を使えるような状態でもない、ということで。そうなっているようです。

無原罪の御宿り

今日もいろいろなことがあった上に、もう遅いのであありたくさんは書きたくないわけですが。なんというか、ポイントとしては、人が非業の死にあったりすると、「穢れた死」と言われたりするわけで、そういうものはその人が死ぬ際に感じた恐怖の狂気とか、断末魔の苦しみの中で発せられた「気」が死後まで残って、周囲に住んでいたりする人に「悪夢」を見させることを言う、って言われる気がするわけで。そういうのを、いわゆる「幽霊」と呼ぶかどうかは別として、けっこう人の「気」というのは死後も残るので、そういう「悪夢」を見せちゃうようなものを「祟り」とかそういう呼び方をするんだ? と思うわけで。

で、タイトルの説明から言うと、「無原罪の御宿り」というのは、キリスト教の概念で、「女は生まれながらにして罪深いもので、それを「原罪」というのだけれども、キリストを生んだ聖母マリアだけは例外で原罪が無い」っていうことらしいのですが。要するに罪の無い人だから、キリストみたいな立派な人を生めた、という自画自賛的なご主張? な気が個人的にはするわけですが。それは、姑だけは特別扱いして威張らせて、嫁は虐める男系の思想そのもの、って言われる気もするわけで。で、聖母マリアの象徴が「白い百合」なわけです。「百合」というものが、シリウス星であるイシスの象徴とすれば、死を意味する「白」の色の百合は、「太母を殺せ」っていう意味そのもの、って言われる気がするわけで。それって、嫁は虐めるし、母親は殺して表向きだけ立派なお墓を造る、みたいなそういうこと? と思うわけですが。これは、たまたま今日いろんなことを調べてみて知ったことなわけで。

で、ショア (映画)というのは、ほぼ「ユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)に関わった人々へのインタビュー集」ということで、10時間近くもある映画であって、思い出したくもないことを「記録を残すため」という名目で、悲痛な面持ちで延々としゃべらされている人達が次々と登場するわけで。で、「そもそもショアを全編見て、穢れを散々浴びせかけられて、悪夢を見ずにいるっていうのが普通じゃないんだよ。」って言われる気がするわけですが。というわけで、4のつく日に相応しく、穢れが一杯ありそうな番組を2つも見たわけですが。特に2つめが凄かったな、と思うわけで。ともかく、

その1。南方からの輸送船に護衛艦をつけない、ということが、「あり得ない」お思うことの1点。しかも、「アメリカにも同じ事をやり返せなかったのか?」というやりとりに関しては、「戦争肯定の発言ですか?」って突っ込まずにはいられないわけで。

その2。義烈特攻隊、について。飛行機に乗り込んだ人の映像の中に、白い百合の花を手にしている人がいて、ぎょっ、としたわけで。しかも、「特効に出る予定の内は、おいしいモノを食べさせて貰っていたけれども、作戦が中止になった途端に「まだ生きているのか」みたいな扱いを受けた。」的な証言があって、死ぬまでおいしいモノを食べられればそれでよし、というのはデーヴァ信仰の思想でしょ? ということで。

実際に大勢の人が死んでいることに関することが、何から何までオカルトまみれ、ということに非常に不条理を感じるわけで。で、インタビューに応じている人の中に一人、泣きそうになっている人がいて、その人だけは、「誰かこの苦しみと悪夢から救って助け出して欲しい。」って言っていた気がするわけですが、まあ、それ以外は??? みたいな印象を受けた気がするわけで。

ということで、結果的に言うと、「あんただったら、短期に決着をつけて、敵に足元を救われて負けるような戦争をするなって絶対言うよねえ。根っからの軍神の上に、対象が同じ日本人だからと言って同情する気が一欠片もナシ。」っていろんなところから全面的に突っ込まれた気がするわけですがーー;。言っておくけど、私だって戦争は嫌いだし、平和主義者だし、9条とかだって私になりに大事だと思ってるよ? と思うわけですが。でも、やるんだったら、わざと大勢の人を殺して挙げ句に負けるような戦争を「わざと」することないじゃんねえ? って言うしか無いわけで。その点に最大の理不尽さと、許せなさを感じる「軍神」がいるんでしょうね、きっと、と思うわけですが。(というか、その性格に薫陶を受けたのがどっかの国の今の大統領でしょ? ってことも言われる気がするわけですがーー;。)でもね、戦後の日本で「なんのせい」で人々が一番「恩恵」を受けて生活がマシになったかっていうと、それは「民主主義」のおかげじゃなくて、朝鮮戦争とベトナム戦争で多くの人の命が奪われた「おかげ」でしょ、でなきゃ日本の国は未だに戦後の混乱期の日本のように貧しいまま、ということで。制度とはあんまり関係ないんじゃないの、それ? って思うわけですが。だからねえ、表向き自分達だけが「平和」で「豊かさ」を享受できるために、どのような制度が「正しい」のかと問われれば、9条を盾にとって、自らの手を汚さずに、いつまでも「死の商人」のままに肥え太るのが一番なんじゃないの? と、私の中のデーヴァの悪魔はそう言う気がするわけですが。でも、そんなこと「良し」としちゃいけないんだあ、ってそれだけは思うわけで。私たちは今でも人食いの文化の中で、踊ったり踊らされたりして生きてるのだけれど、でも、せめてそのことを忘れないでいなければいけないし、「人間らしい」っていうこともどういうことなのかできるだけ忘れてはいけないんだ、って理想論であってもそう思うだけなわけです。それに、家の中であり得ない「マッチ棒の燃えさし」とか見つけてしまったので。こういうことが「脅し」なんだな、と思うわけで。いろんなことがあった一日だったわけです。

いろいろと

あるわけで。何から書くべき? と思うわけですが。まあ、順番に書くなら、先週のMステから、ということで。平井堅君が新曲の「君の鼓動は君にしか鳴らせない」を歌っていたわけで。歌詞にやたらと「ヒーロー」が出てくるのも特徴なわけですが、そもそもPVで、堅君がオレンジ色の服を着た白髪のおばあさんと踊っているわけで、オレンジは太陽の象徴の色ですし、「お婆さん」っていうのは、要するに「大姥サマ」の象徴だからねえ? ということで。ヒキガエルの太陽女神とダンスを踊る白黒の人っていったら一人しかいない気がするわけですが、意外にも親がすぐに分からなくてびっくり、という感じであって。

「ヒーロー(hero)」という言葉は、割とあちこちに出てくる言葉であって、福山君の「少年」の歌詞に出てくるし、倉木さんの「STAND BY YOU」にも出てくるし、GLAYの「HEROES」にも出てくるので、意味するところはなんとなく分かっていると思っていたわけですが、それもすぐに分かって貰えなくてちょっとびっくりみたいな感じであって。(しかも、「SEKAI NO OWARI」の曲が「ANTI-HERO」というある意味非常に親切?な構成だったので、すぐに分かるかと自分では思ってたわけですがーー;。なんとなく「hero」っていう言葉の意味も分かっているのかどうかだんだん自信がなくなってきたかも、と思うわけでーー;。この程度の英語力しかない家庭環境で、よく大学に受かったよね、自分、ってさすがに思ったわけですが(苦笑)。)

で、「牡牛トーテム」の意味も分かっていないようなので、「ミーノータウロスって知ってる?」って聞いてみましたら、やっぱり良く分かっていなくて。基本的なことが分かっていないんだ、そもそも? と思うわけですが。で、どんな神話かというと、ミーノータウロスはクレーテー島のミーノース王の妻パーシパエーが雄牛と交わって生まれた子供とされていて、頭が雄牛で体が人間の男性の怪物なわけです。で、長じると乱暴者になって手が付けられなくなったため、地下に迷宮を造って閉じ込め、食料としてアテーナイから9年毎に7人の少年、7人の少女を送らせることとした、ということで。クレーテー島は地中海の島で、古代史的にはエジプトと、ギリシャの中間的な文化を持つところ、というそういうイメージを持っているわけで。ミーノータウロス(Minotaur)というのは、「Min+Taur」という言葉に分解されるわけです。Minというのは、古代エジプトの「豊穣の月の神」のことですし、タウロスというのは、ギリシャ語で雄牛のことなので、それは併せると「月の雄牛」ということで。子供(弱者)を食い散らかして利用し、搾取する「人喰い雄牛」の象徴、ということでギリシャ・ローマを中心とした文化では、ミーノータウロス(Minotaur)は当然のように「人食いの神サマの象徴」なのだと思うのですが。しかも、「Taur」というのは「DV」という意味で、デーヴァに通じる言葉なので、ギリシャ・ローマでデーヴァって言ったらタウロス(雄牛)のことなんじゃんねえ? ということで。で、これが英語の悪魔を意味するデビル(devil)、ペルシャ語の悪魔を意味するダエーワ(daeva)の語源となるわけなのですが。これらは全部「人喰いの雄牛」ということで。で、これがローマへ行くとユーピテル(Jupiter)という名前になるのですが、なにせ「子音の変化」が分からない人にこれを説明するのが至難の業、ということでーー;。向こうのアルファベットの「D,J,T」というのは、全部同じ「D」音から派生したもの。「B,O,P,U,V,W」は、「B」音から派生したモノだから、「JU」という言葉も「DV」という子音も「意味は同じ」ってそれだけのことなのですが。

要するに、グルメを気取って食べられるものは何でもガツガツと無制限に食べてしまう「神サマ」が「雄牛」のユーピテルということで。雄牛の骸骨が飾られていた「ANTI-HERO」も、雄牛の兜を被っていた「グループ魂」の方も、暗に言いたいことは「ユーピテル信仰の徒」ということなんでないの? と思うわけですが。

で、8月と言うことで、テレビでも何かと戦争ネタが多いわけです。で「NEWS ZERO」で、翔君がわざわざパプア・ニューギニアまで取材に行って、日本軍の基地の残骸を紹介していたわけで。で、後で調べてみたら、たぶんそれはラバウルの要塞のことだと思うわけで。ニューギニアでは、日本軍は20万名以上が戦いに参加したが、そのうち生きて内地の土を踏んだ者は2万名に過ぎなかった、とwikipediaにあるわけで、多くの人はマラリアを始めとした熱帯性の感染症と飢えで亡くなっていたわけで。でも、その一方ラバウルの要塞のように守りを固めて、自給自足の体制を整えたところは、抵抗が激しいことを鑑みて連合軍が敢えて攻撃を仕掛けず、いわゆる「飛び石作戦」ということで終戦まで残されたので、後には戦後までジャングルに立てこもって投降しない日本兵の一因にもなっていたようなのですが。で、そこの要塞では地下に洞窟がたくさん掘ってあって、海岸端から奥にある基地まで移動できるようになっていたらしいのですが、今では中にコウモリが住んでたりする、ということで、戦争ネタには割と感動というか、感慨の薄い私は、むしろ「そこのコウモリは狂犬病のウイルスとか持ってないよね?」ってそういうことが気になるわけでーー;。で、松代大本営とか、日本軍はなんで地下に洞穴ばっかり掘るのが好きだったんだろう? とかって思ってしまうわけで。

で、今日ミーノータウロスのことについて改めて調べていたわけですが、そうしたら「地下に迷宮を掘るのがタウロス信仰の者の証でしょ。」って言われたわけで@@。テレビで、軽くそして面白おかしく歌でも唄っている分には、それは面白くて笑えるもの、と見えるかもしれない、でも、負けると分かっている戦争で、多くの人の命を奪ってまで、無駄な洞穴を信仰のためだけに掘り続けることは、それはそんなに面白くて笑えるものなのか? と尋ねられるわけで。人の命を食らい続けながら、自らが隠れる迷宮だけを掘り続けるのが彼らの信条なの? って思うわけですが。

そして、いろんな人達が「犠牲となって苦労したんだから立派な人達だった」みたいな思想には巻き込まれてはいけない。弱者が犠牲となったことを褒め称えるということは、それを正統化する思想に繋がるし、それこそが「敵の文言」だから、って言われるわけで。要するに、敵は自分のやったことを誤魔化すために、「死んだ人達は立派な人達だった」って詭弁を弄するってことですよねえ? ということで。使者はただ、正しく弔えばそれで良いもの、であってそうやって政治利用されるような文言に巻き込まれてはいけない、ということのようで。まあ、私もそういう精神に乏しい人のような気はするのですが、今夜は戦争ネタがいくつか続きますのでねえ? 予防的措置ですか? と思うわけですが。まあ、あんまり日本人が、戦争を追悼するみたいな番組は今まであんまり見るのが好きではなくて、それほど見たことはなくて。代わりに見たことがあるのは、「戦場のピアニスト」とか「シンドラーのリスト」とか「ショア」とか、ホロコーストに関するモノばっかりだよ、そういえば@@。ということで。

で、ふと「ヒーロー(hero)」という言葉も、子音は「HO」から成っていて、「A,H,I,K」は「K」音から派生した音、「B,O,P,U,V,W」は「B」音から派生した音だから、それは「KB」ということになりますし、H音を優先的に取れば「HB」となって、「へび」ってことですよねえ、それ? と思うわけで。印欧語においてはヒーロー(hero)が男性形で、ヒロイン(heroine)が女性形になるので、ヒーローと言わずにヒロインと言ってはダメなの? と思いましたら、「イン」は「イナンナ女神のイン」であって、その名前を取ると、貰える神サマの名前が限定されてしまうからダメって言われるわけで。だから、二人でその名前を共有すれば、って言われるわけで。それがまさに伝統的な最古の「神の名」ということになるようなのですが。

で、要するに大祝家というのは、文字通り純粋に「神の代理人」ということだ、って言われるわけで。結局、建御名方富神の本質は八束水臣津奴命であって、諏訪だけに限定される神サマということではなくて、出雲族全体の祖神なので、それに相応しい人は、各地に散らばった出雲神族の中から選ばれる、ということで、必ずしも大祝家から出るのではないわけで。で、かつては各地に、「富部」と呼ばれる小共同体があったわけで、それぞれにそこの首長がいて、「神の代理人」がそこを治めていたわけだから、大祝家も直系に近いけど、そういう家柄の一つ、みたいな感じなんですよねえ? と思うわけで。だから、大祝家に力の強い神サマが生まれれば、その子が文字通りの建御名方富神になる可能性もある、ということのようなのですが。

朝からヘンな日

ええと、昨夜寝る前にいろいろと動画を見ていたわけで。で、「音楽の日」にSMAPが「世界に一つだけの花」を歌っている部分が見たくて見ていて。そして、ちょっと前に、某所に白黒の横縞なTシャツを着て、黒いカレーを食べている人の写真がアップされていて、それって私が食べていけないものだよねえ? とは思っていたわけですが、竹墨が入っているような食べ物は家では食べないし? って思っていたわけで。そうしたら、その写真は「敵から送られてきたもので、黒いモノを食べちゃいけない、ってことでしょ。」ってふっと浮かぶわけで。で、「そうやっていつでも心配してるんだよ。」って言われる気がするわけで。SMAPの兄さん達は、蛇の兄さんに関しては、やっぱり伝える力が強いですねえ、と思うわけですが。でも、もめ事の原因になるって分かっていて、水菓子をわざわざ送ってくるなんて、まさに「エリスのリンゴ」だよねえ、って思うわけで。敵はそうやって、家の中を揉めさせることしか考えていない、ということで。いろんな動画を見ていると、よろしくない目の人達からは、「どうせ何食っても堪えないくせに。」って嫌そうに言われるわけですが、お味方からは「お姉さんは動じなくても、お家の人は違うからねえ。」って言われるわけで。私も部屋に入れただけで、従兄弟の声が聞こえてくるようなシロモノは食べたくないわけですが。それ以上に家人が食べたら、みんな目の色を変えて怒りまくること請け合いな気がするわけで。そういう騒ぎは嫌だよねえ、と思うわけですがーー;。

で、「へび」という言葉の語源を調べていましたら、昔は「へみ」とも言った、ということで、でも、全国的にどちらの名前でもひろまっているので、起源がどちらなのかは良く分からない、みたいなこともあって。どちらが古いの? と思いましたら、「へび」の方が古いんだよ、沖縄では「はぶ」っていう毒蛇がいるけど、それも同じ子音だから、って言われるわけで。そうなのかなあ、って思う。で、「へみ」って言ったら、それは「KM」という子音になるから、それはイナンナとかアンに繋がる言葉ですよねえ? と思うわけで。日本語というのは、本当に古い時代の神サマの名前に通じる言葉が残っているモノということのようで。で、5万年前くらいまでは、「KB」という名前の蛙+蛇の合成女神が、世界のどこを旅しても、共通の唯一絶対のどこへ行っても通用する神サマだったんだよ、って言われるわけで。まさか、その頃から世界中どこへ行っても日本人がいるっていうようなことはなかったよねえ? って思わずつまらない突っ込みをしたくなるわけですがーー;。で、ともかく神職が、神サマの代理人であり、取り次ぎであり、夫でもあった、ということで、「神職が、自らを「神」だと言い張って、神サマに捧げる捧げ物を横取りして食べるようになったのが、そもそもの間違いの始まり。」って言われるわけで。要するに、狩りの獲物は神サマが下されたものだから、その一部を神サマにお返しするのが正しい「犠牲の祭祀」のはずなのに、それを神職が横取りしてしまって、神サマに「自分だけが犠牲になって飢え死にしろ」って言ったのが、ヨコシマな男系中心の文化の始まり、ということのようで。神サマの餌になって、神サマの一部になるはずの捧げ物を神職が横取りして食べちゃうから、「神喰い」って言われるんですよねえ? と思うわけで。そうやって妻を食べてしまう夫の代表格を西方では「サタン(セツ・サートゥルヌス)」と言うのだと思うわけで。現在に至るまで、彼らは「神の代理人」を名乗るけど、真に女神となるに相応しい人材は見つけ出すと殺してしまうんだよ、って言われるわけで。まあ、だいたい起源的にはそんなことだろう、と思うわけですが、でも念のため確認しますけど、そうやって横取りされた「捧げ物」とは、お米とか大根とかそういう可愛らしいモノではなくて、そもそもは「生きた人」でしょ? と思うわけで。どちらが食べようが、それは今となっては神サマが食べてはいけないものでございますの、ということがまず第一にあるわけですが。要するに、お祭りをやって、いろんなモノを神前に供えて、それを神職が食べちゃったり、その場にいる人達で分けて食べちゃったりするのが「神喰い」ということで、それは本来神サマのもの、ということで。そもそもそういう「祭り」に関わっちゃいけないんだ? と思うわけで。神職が何割取るのか、っていう分配がきちんと定まっているのはまだマシな方で、総取りするのが最悪、ということらしいのですが。

で、夜は特に夢も見ず、朝になってから、毎日の恒例ということでいろんな動画を見ていたわけで。神田沙也加ちゃんの動画を見ていたら、なんとなくネットでものすごく検索をしたくなって。で、検索をしていたら、今の福山君のツアーって、WOWOWで中継するんだ? って気が付いて。よくよく見て見れば、公式HPにもそのことは書いてあるわけですが、大々的に宣伝もしていなくて、今まで気が付かなかったわけで。で、沙也加ちゃんは「大成功!」って言って喜んでくれた気がするわけですが、約1名「きゃー、きゃー、見つかっちゃった。どうしよう。」って言っている人がいるわけで@@。「今更、見ちゃダメって言えないし、どうしよう。」って言ってる気がするわけで。で、どうしましょうかね? って思ったわけですが、6番目の子の目が光って「見るべき」って言うわけですし、7番目の子も「料金を払っても見るべき」って言うわけですし。5番目の子も「もっと往生際が良ければいいのに」って言うわけで。しまいには、「今朝は朝から世界中が敵に回った気分。」って言う蛇の男の子が蛙の女の子に抱きついて、しくしく泣く図を送ってこられる気がするわけで。そんなに私に生放送で見られるのがイヤなんだ? と思いましたら、流石にそれは止まったわけですがーー;。昨日、寝る前にセットリストを見た時に、「Squall」とか「幸福論」とかあったので、見て見たいな、とは思ったわけです。で、私も見たがっているし、地元の方からも「目」と結縁したい、という要請が強いということで、蛇の兄さん以外の関係者で、一晩かけて話を決めたらしいのですが。なんだか、見ないと私の方が怒られそうな気がするんですけど? ということでーー;。頑張って見て見ようと思うのですが。そして、誰かさんは「やだやだやだ、地元でのライブだから、客席から勝手に「うちの子をよろしく」って言ってくる人が出てくるぞ」って呟く気がするわけで。まあ、誰でも地元では割と愛されるよね? と思うわけですが。なんだか、4番目の子のお父さんもこの間、雑誌に写真が載っていた気がするわけで、まあ、ネタとしては分かるけど写真まで載せる? とは思ったわけで。最近なんだか、こんな感じのネタがチラホラしてる気がするわけですが。(これに関しては、「他の関係者の親は遠慮して出過ぎないようにしてるのに、あそこんちは同じ蛙の同祖同族ということで、特別扱いされてる。」って言われるわけで。そして、「そこんちは、息子よりも父親の方がよっぽどお茶目で面白い人なんだけど。誰がどう見ても、息子の方が頭が堅い小姑タイプ。」って言われた気がするわけですが@@。)で、「当日は忙しいから、愛想が悪くても気にしないでね。」って言われた気がするわけですが、別に「お仕事」なんだから、そんなことは最初から気にしてはいないわけで。そして、7番目の子が、「『頑張って「お仕事」してね。私はお客さんとおしゃべりしてるから』って言ったら身悶えそうだな。」って突っ込んでたわけですが@@。最近、ちょっとは「耳」が聞こえるようになった気がするわけですが、それでもそんな器用なことはできませんよう、と思うわけで。

で、なんとなく諏訪大社のことを調べていたら、諏訪の人は大社の主祭神を「諏訪明神」と呼ぶけれども、建御名方富神とは呼ばない、という記述があったわけで。「まあ、それはそう言うだろうねえ。行けば分かることだけれども、本宮の主祭神は神体山である守屋山なんで、あそこの真の主祭神は今でも、漏矢の神であり、ミサクチの神であり、要するに「大姥サマ」っていうことだから。」って言われるわけで。おかげで、1500年経っても、主祭神は事実上の門外客人で、余所者ということになっているらしいのですが。しかし、この大姥サマこそが、古代中国で一番最初に発生した神サマに非常に近い神サマ、ということで、どこへ行っても「自分の名前は何か?」と聞かれたら「へび」って答えるといいよ、それがどこでも通用する名前だから、って言われるわけで。

 

ということで、そんなこんなな一日だったのですが。

本日の日誌

昨夜は、「そういえば古代の中国では、蛙のことも蛇の一種だと思っていて、蛙と蛇の区別がついていなかったんだよ。」って言われたわけで。で、要するに蛇の姿の時は月の神サマで、蛙の姿の時は太陽の神サマってこと?? って思うわけで@@。で、日本語で、蛇のことは「へび」って言うでしょ、その子音は「KB」でしょ。それは本来は蛙黽のことで蛙のことなんだけど、古い時代にはどちらも同じモノだと思っていたから、どちらも「KB」の子音で呼んでいたわけで、日本語っていうのは非常に古い時代の中国語の発音を残していることがままあるので、どちらも「KB」の子音で呼ばわるのはそのせい、って言われるわけで。だから、縄文系の人達に、大姥サマは、蛙なのか蛇なのかって聞くと、どっちでも同じで、どっちでもいい、って言われるわけで。でも、多神教なのか? って聞くと、大姥サマは大姥サマって言われるわけで、しかも彼らの魂は、目がたくさんあって、蛇の気も、蛙の気も使うし、両者が入り交じった気も使うから、本当に信じる神が一神教なのか、多神教なのか分からないところがあってねえ、って言われるわけで@@。で、だいたいそういう一神教とか多神教という概念こそがそもそも「邪道」っていうことらしくて。で、彼らの神サマは、蛙の神サマでもあるから、縄文系の人々は蛙さん達ともけっこう仲がいいんだよ、って言われるわけで。で、寒い盛りに蛙を生贄に捧げるのは、蛇の神サマ相手には餌を与えて元気をつけて貰うためだし、蛙の神サマ相手には同じ蛙語を話す使者を立てて、「春になったらちゃんと帰ってきてね」って言わないと、帰ってきてくれなかった困るでしょうが、って言い張られるから、それは止められなかったんです、って言われるわけで@@。なんか、それは太陽の神サマの元気がなくなったら困るから、っていう理由で犠牲をじゃんじゃん捧げ続けたマヤやインカに似た思想なのでは?? と思ったわけで。そうすると、「そうなんだよ、彼らはそういう考え方で繋がっていて、人の生贄を立てようが立てまいが、自分達の神サマこそが世界で一番古くて正統な神サマ」って言い張るし、それがまた事実だからねえ、って言われるわけで@@。でも、西方ではそれが、時代が下ると全部蛇の神サマになってしまって、「蛙」の名前を持っていてもそれは名前だけの蛇神サマってことになっていて、例外的なのは蛇の尻尾を持つ蛙女神のヘケトくらいだけれども、本来は半分太陽(蛙)、半分月(蛇)で、全宇宙を網羅する女神こそが、世界創造の太母だったんだ? と思うわけで。日本語の「へび」という言葉の中には、元々「蛙」という意味もあったし、それが本来の信仰で有り、思想であった、ということで。

で、朝方、夢を見て、なんだかまだ学生で知らない人達と遠足に行くことになって、で、集合場所が分からない、というか自由時間? みたいな感じであって、ふらふらとしていたら、松本君とすれ違って、お互いに何を言うでもなく、なんとなくすたすたとすれ違ってしまった、という感じであって。言いたいことがあれば、言ってくるだろうし? みたいな感じの夢だったわけで。

で、午前中にとある集金が来て、たまたま細かいものの持ち合わせがなかったので、おつりを貰いましたら、丁度八千円であって。で、なんというか割と集金している人が高飛車な感じであって、「ん? 何かあるのかな?」とは思っていたのですが。午後近くになってから、某所からお中元が来たわけで。で、夏らしいといえば、夏らしいのですが、水菓子で、蓋が青くて×十字が一杯入っている箱に入っていて、しかも包装紙の表紙が楓だったわけで。見ていて、どうにも「これはねえ」という感じであったので、後で片付けようと思って部屋に置いておいたのですが。そうしておいて、昼寝して目が覚めたら、従兄弟が「床の構造用合板を厚くしろ」って言ってくる気がするわけで。それって長らく聞いていなかったのに、久々に聞いた気がするよ@@、ということで。「家の中に余計な気を送り込まれないようにしてるから、「お中元」で押し込んで来たね。」って言われるわけで。これは早々に片付けないといけませんねえ、というか、こういう敵が送りつけてきたものをうかつに食べると敵の言うことを聞きたくなっちゃうんだ?@@ って思ったわけで。だから、食べちゃいけなんだ? と思うわけで。どうしても食べなきゃいけない、って言うのであれば、自分で買って食べた方がまだマシだよ、って言われるわけですが。でも、この水菓子もけっこう食べたがっていた人とかいたので、きっともうそこからして「食べろ、食べろ」って言われるんだろうな、と思うわけで。で、うるさいことを言われるのは嫌なので、とっとと片付けてしまったわけですが。で、昨日から福山君の夏のスタジアムツアーが始まって、ともかく暑いらしくて、Twitterを見ていると「熱中症に注意」っていっぱい書いてあるわけで。で、会場で新しいシングルを予約すると、予約特典でツアーグッズの水が貰えるって書いてあって。暑いので、ある意味その場で非常にお役立ちになりそうな特典だなあ、と思うのですが、そうやってお水を配っているところの写真とか載っていたので、「これってこれから水関連の工事をやるわけですし、それに注意ってことですかねえ?」って思ったら、「それは予約特典だから、それもあるけど『タダで貰って、口に入るモノには注意』ってことでしょ。」って言われるわけで。で、例によって、ライブのある日は、動画とかを見る時間に注意、ということで、5時を過ぎてゴロゴロしていたら、なんというか、誰かがお尻を触りたがっているような気がするわけで。7番目の子に「テンションが上がると、そういうことをしたくなる人がいるんじゃないの?」って言われるわけで@@。なんとなく、セットリストを調べてみれば、って言われる気がするわけで。だいたい1曲目には良い曲がくることが多いんだけれど?? と思いながら検索をかけてみたら「HELLO」でした、ということで。ええと、まあ、それは余談に入るわけですが(て書くと「余談」って言葉に逃げたね? って突っ込みがあちこちから来る気がするわけですが;。だって、誰が私のお尻に触りたがってるのか??? とか書きたくないじゃんーー;;、と思うわけでーー;)。

で、そんなことをやっていたら、「今がチャーーンス」とかって言われて、4番目の子が降臨してきて、蛙の子の髪型をポニーテールにして、ピンクの水玉のリボンとかつけるわけで。ポニーテールは馬信仰の象徴だし、水玉模様も縁起良くないよねえ? と思うわけで。で、動画が見れないので、ニュースサイトを見ていたら、安倍首相が国立西洋美術館を訪れたとかで、大きな絵画の前で話をしている写真が掲載されていたのですが、その絵にライオンが描かれている気がして、何だか意味深だー、と思って、ちょっと調べてみたわけです。で、現在国立西洋美術館では、「ボルドー展」という企画展をやっていて、写真に載っていたのはドラクロアの「ライオン狩り」という絵であることがわかって。で、この絵も意味深で、騎馬に乗っている人達が、雄と雌のライオンを狩ろうとしているわけですが、逆に逆襲を食らって襲われている、という感じの図であって。騎馬民族を襲っている雄と雌のライオンって誰と誰のことなんです? と思うわけですが。で、同じ企画展に25000年前の「角をもつヴィーナス」というタイトルの女神像も展示されているわけで。要するに、農業が始まって以降は、蛙さん達の神は農業の穏やかな豊穣の神に特化されるようになっていったけれども、それ以前から神サマは信仰していたし、ご多分に漏れず他の人達と同様に狩猟採集の生活をしていたんですよねえ? と思うわけで。で、「ヴィーナス」って言ったって、25000年前にそう呼ばれていたはずはないわけですが、豊穣の象徴である月型の角を持ち、頭がのっぺらぼうで、体が豊満でふくよか、というのは西洋の太古の太母の一大特徴、ということで。で、なんで頭がのっぺらぼうなの? って思いましたら、それは頭が蛇だからでしょ、って言われるわけで。で、体は非常に豊満なわけですが、なんで? って思いましたら、それは「頭が蛇で、体が蛙なんだよ」って言われるわけで@@。縄文系の皆サマからは「豊穣の角」が邪魔だけれども、それが大姥サマの姿、って言われるわけで、やっと自分自身を見つけ出したね、って言われるわけで@@。で、琥珀信仰が始まるのも20000年よりもちょっと前くらいからということで、金蛙王の目を持つ豊穣の女神、というものの起源は本当に25000~20000年くらい前に遡ると言うことで。蛙さん達は、先祖返りするならするで、どのくらい前の先祖に遡る目を持っているのか知らなければならない、っていうことらしいのですが、それは旧石器時代にまで遡るんだ?@@ って思うわけで。金属器なんかない時代の神サマだから、それで金属を支配する力が弱かったのかねえ? って言われるわけで@@。で、この「角をもつヴィーナス」が、時代が下るとボルドー周辺っていったら、トラキアのベンディースとかケルトのエポナになっていくんですよねえ? とは思うわけですが、当時の名前はなんて言ったのでしょうねえ? って思ったら、ただ蛙と蛇を内包する意味での「へび」でしょ、って言われたわけでーー;。恐るべし、日本語、と思うわけですが。で、キリスト教の聖母マリアの処女懐胎に代表されるように、西洋の神話世界観には「処女懐胎」という独特の概念があるわけで、で、この古い神サマにも夫はいたの? それともいなかったの? って思いましたら、「それはいてもいなくてもいいんだよ。男なんて、通ってきたり、来なかったりするもんなんだから。」って言われたわけで@@。「なんか、もうね、泣きたいでしょ?」って言われるわけですが、宗教的に神秘感を高めるエピソードとして使われる感の強い「処女懐胎」って元はそういうことなんだね? って思うわけで;。だから、今では誰もが科学的には、蛙と蛇は違うモノって知っているんだけれども、信仰と神々の世界では、未だ区別もついていないし、つけるべきでもない、と思っている人は多い、ということのようで。私の魂の姿が、ヘケトみたいな「蛇の尻尾を持った蛙」ということで、縄文系の人々は「大姥サマが帰ってきた」って言うし、西方世界の人々は、「そういう神サマって本当にいたんだ?」って珍しがるという、そういうことのようなのですが??? で、じゃあ「首を狩る」という意味は? と思いましたら、ただ「頭はいらないんだよ。男系の思想では、子供を産む下半身が欲しいだけだから。」ってのたまわれたわけで@@。でも、実際に女の人の首を狩っちゃったら、子供を産む下半身まで死んじゃうから、それは「女性の頭なんか「無い」も同然にしておけ」っていう呪いでもあるんだ? って思うわけで。人類は、そういうことを5万年近くも続けてきてるんだよ、って言われる気がするわけですが@@。

で、そんなこんながあったということで、蛙の子はけっこう7番目の子になついて勝手に「師匠」って呼んでいるようなのですが@@。でも、彼も独特で、「お釈迦サマの後継者」とかって言って、蛙の子に袈裟を着た坊主の格好をさせたりするわけで。改めて、口に入るモノには気をつけねば、と思った一日だったのでした。