本日の日誌

今日は、いろいろなことがあった一日だったわけですが。一昨日くらいから、「君が代」のことが、ふっと頭に浮かぶわけで。「君が代」というのは、表面的には「天皇の世がいつまでも続くように」という歌ではないのか、と思うわけで。私に関係があるのかなあ? と思う。誰かが、私のために、その歌を歌ってくれることなんかあるだろうか? と思う。今日、あーやちゃんのHPを見たら、福岡でプロ野球のオープン戦で、あーやちゃんが「君が代」を歌って、それがテレビ中継されるってあったので、「虫の知らせ」とはこのことかーー、と思って見て。生放送だし、彼女は私のために、この歌を歌ってくれたのだと思う。

で、本日はMステの3時間スペシャルだったわけで。7番目の兄さんには、倉木さんの新曲の「きみと恋のままで終われない いつも夢のままじゃいられない」について、書いて欲しい、と言われる気がするわけで。倉木さんの「京都シリーズ」のお歌は、今のところ全部7番目の兄さんのお歌なんじゃん? と思うわけですが、衣装もウエディングドレスを思わせる白いドレスであったし、さすがに「お膳立て感」がすごい、というか、「いいの?」と思うわけで。7番目の兄さんは、二人で京都に行って、兄さんの知っているいろんなところを案内してあげたい、と言ってくれる気がするわけですが。でも、飛鳥の都は、自分にとっては悲しい思い出が多すぎて行きたくないから、蛇の兄さんと行っておいで、と言われる気がするわけで。京都は、京都諏訪神社にいずれは行かねばならない気がするわけで。7番目の兄さんにとって、京都の町は、「死体があちこちに転がっていて、生きている人はみな陰謀を企んでいるような町だけれども、あの猥雑な町が自分には性に合ってた気がする」と言われる気がするわけで。戦国時代の京都なんて、よくよく汚くて死体だらけの町だったんじゃん?? と思うわけですが。その人の見てる「世界」もけっこう特殊だー、と思うわけですが。

だいたい、京都には「諏訪神社」に関連する神社がいくつかあるわけで。古くは坂上田村麻呂が建立したものがあり、中世には諏訪出身の小坂円忠が持ち込んだものがあり、ということで。で、そういうものはだいた「上社」から分社したもの、ということで。本来、信濃国の諏訪大社は、関八州と東北を治めるためのものであって、諏訪神は東国を治める神でもあったわけですが、時代が下るにつれて、都から直接東国支配のための軍隊が差し向けられるようになるわけで、坂上田村麻呂も征夷大将軍として名前をはせた人物なわけです。

そして、そもそも京都の都そのものも、高野山、比叡山に囲まれた特殊な結界に囲まれた都であって。そういう結界は、都を外敵から守るために、桓武天皇が最澄や空海に命じて作らせたもの、と言われているけれども、それは本当は、「都の中に様々な怨霊を閉じ込めておくもの」と言われる気がするわけで@@。蛙の王家は、そこに閉じ込めてある怨霊を使役して、京都の諏訪神社を支配させ、そこを通して関東と東国を支配し、搾取している。だから、信濃の諏訪大社はその機能を抑えられて、東国と東北を支配する本来の機能を発揮できない状態にある。それは、まず京の都が作られて、段階を経て「諏訪大社」の機能が京都に持ち込まれたことによるもの、と言われる気がするわけで@@。

怨霊なんて本当にあるの? と思うわけですが、「飯綱の呪法は、何千年、何万年もかけて人が作り出したもので、それをけっして「迷信」と呼んで一蹴しないように」と言われる気がするわけで@@。「飯綱の呪法」というのは、あれだ、犬を虐待して、飢えさせて非業のうちに殺せば、より強力な「犬神」となって、術者が使役できるってそういうやつだよねえ? と思う。

蛙の王家は「天照大神」や「建御雷神」の御魂を近戸皇太宮に閉じ込めて、入り口をお墓(お寺)で塞いで封印している。諏訪大社の真の「御魂」は京都の都に封印されて、その機能は蛙の王家が支配している怨霊達に押さえ込まれ、あやつられている。私自身も、お墓に囲まれた汚いところに閉じ込められていたわけですが、なんとかそこから逃げだそうとしている、ということで。

でもって、「清水寺」とか「清涼寺」とか「石清水八幡宮」とか、「清」という字がつくところは、王城の結界の重要なポイントのあるところ、と言われる気がするわけで。ともかく、私がそういうところに行くと、うまくいけば私の「目の力」が強まるようになるらしい。私の「目の力」が強くなったときに、私が蛙の王家の味方をすれば、それは蛙の王家の役に立つけれども、味方をしないとなると、単なる「邪魔者」になるらしくてー;。「清水寺」には中学の修学旅行で行ったし、「清涼寺」には高校の修学旅行で行ったわけで。それで、京都の諏訪神社を押さえ込んでいる王城の結界にやや変化が生じている。私の「言霊」が関八州と東国の運命をある程度左右し得るのは、私がその2箇所に結縁して、諏訪神社を押さえ込んでいる京都の都の「力」に直接干渉し得るせい、と言われる気がするわけで@@。でも、その力を得るために支払ったものが「医学部」と「実子を産む可能性」であったなら、それがどれだけ高くて危険な代償だったか分かるでしょ? と言われる気がするわけで。

でも、外に出れば出たで、蛙の王家の「怨霊大量生産の呪法」を破るために、あちこちに出かけて働かなきゃならないんじゃないの?? と思うわけで。7番目の兄さんは、「そういう采配は直接自分が振るう。富の王家や大名家が繰り返してきた失敗を繰り返す気はないし、そのためには、その地位を維持するために、どうしても大名家に依存してしまう6番目の子は邪魔だ。」と言う気がするわけで@@。そういうところで、7番目の兄さんは、蛇の兄さんとか、まっすーの協力をもう取り付けているのですねえ?? と思うわけで。なんだか、「京の都」というのは、一筋縄ではいかないところらしいです。でも、倉木さんもその町には「強い」方であるし、そこを何とかしなきゃいけない、と思っている人達は7番目の兄さんを頼る気持ちが強いんだなあ、と思ったのでした。

本日の日誌

今日は、いろいろなことがあった一日だったわけですが。一昨日くらいから、「君が代」のことが、ふっと頭に浮かぶわけで。「君が代」というのは、表面的には「天皇の世がいつまでも続くように」という歌ではないのか、と思うわけで。私に関係があるのかなあ? と思う。誰かが、私のために、その歌を歌ってくれることなんかあるだろうか? と思う。今日、あーやちゃんのHPを見たら、福岡でプロ野球のオープン戦で、あーやちゃんが「君が代」を歌って、それがテレビ中継されるってあったので、「虫の知らせ」とはこのことかーー、と思って見て。生放送だし、彼女は私のために、この歌を歌ってくれたのだと思う。

で、本日はMステの3時間スペシャルだったわけで。7番目の兄さんには、倉木さんの新曲の「きみと恋のままで終われない いつも夢のままじゃいられない」について、書いて欲しい、と言われる気がするわけで。倉木さんの「京都シリーズ」のお歌は、今のところ全部7番目の兄さんのお歌なんじゃん? と思うわけですが、衣装もウエディングドレスを思わせる白いドレスであったし、さすがに「お膳立て感」がすごい、というか、「いいの?」と思うわけで。7番目の兄さんは、二人で京都に行って、兄さんの知っているいろんなところを案内してあげたい、と言ってくれる気がするわけですが。でも、飛鳥の都は、自分にとっては悲しい思い出が多すぎて行きたくないから、蛇の兄さんと行っておいで、と言われる気がするわけで。京都は、京都諏訪神社にいずれは行かねばならない気がするわけで。7番目の兄さんにとって、京都の町は、「死体があちこちに転がっていて、生きている人はみな陰謀を企んでいるような町だけれども、あの猥雑な町が自分には性に合ってた気がする」と言われる気がするわけで。戦国時代の京都なんて、よくよく汚くて死体だらけの町だったんじゃん?? と思うわけですが。その人の見てる「世界」もけっこう特殊だー、と思うわけですが。

だいたい、京都には「諏訪神社」に関連する神社がいくつかあるわけで。古くは坂上田村麻呂が建立したものがあり、中世には諏訪出身の小坂円忠が持ち込んだものがあり、ということで。で、そういうものはだいた「上社」から分社したもの、ということで。本来、信濃国の諏訪大社は、関八州と東北を治めるためのものであって、諏訪神は東国を治める神でもあったわけですが、時代が下るにつれて、都から直接東国支配のための軍隊が差し向けられるようになるわけで、坂上田村麻呂も征夷大将軍として名前をはせた人物なわけです。

そして、そもそも京都の都そのものも、高野山、比叡山に囲まれた特殊な結界に囲まれた都であって。そういう結界は、都を外敵から守るために、桓武天皇が最澄や空海に命じて作らせたもの、と言われているけれども、それは本当は、「都の中に様々な怨霊を閉じ込めておくもの」と言われる気がするわけで@@。蛙の王家は、そこに閉じ込めてある怨霊を使役して、京都の諏訪神社を支配させ、そこを通して関東と東国を支配し、搾取している。だから、信濃の諏訪大社はその機能を抑えられて、東国と東北を支配する本来の機能を発揮できない状態にある。それは、まず京の都が作られて、段階を経て「諏訪大社」の機能が京都に持ち込まれたことによるもの、と言われる気がするわけで@@。

怨霊なんて本当にあるの? と思うわけですが、「飯綱の呪法は、何千年、何万年もかけて人が作り出したもので、それをけっして「迷信」と呼んで一蹴しないように」と言われる気がするわけで@@。「飯綱の呪法」というのは、あれだ、犬を虐待して、飢えさせて非業のうちに殺せば、より強力な「犬神」となって、術者が使役できるってそういうやつだよねえ? と思う。

蛙の王家は「天照大神」や「建御雷神」の御魂を近戸皇太宮に閉じ込めて、入り口をお墓(お寺)で塞いで封印している。諏訪大社の真の「御魂」は京都の都に封印されて、その機能は蛙の王家が支配している怨霊達に押さえ込まれ、あやつられている。私自身も、お墓に囲まれた汚いところに閉じ込められていたわけですが、なんとかそこから逃げだそうとしている、ということで。

でもって、「清水寺」とか「清涼寺」とか「石清水八幡宮」とか、「清」という字がつくところは、王城の結界の重要なポイントのあるところ、と言われる気がするわけで。ともかく、私がそういうところに行くと、うまくいけば私の「目の力」が強まるようになるらしい。私の「目の力」が強くなったときに、私が蛙の王家の味方をすれば、それは蛙の王家の役に立つけれども、味方をしないとなると、単なる「邪魔者」になるらしくてー;。「清水寺」には中学の修学旅行で行ったし、「清涼寺」には高校の修学旅行で行ったわけで。それで、京都の諏訪神社を押さえ込んでいる王城の結界にやや変化が生じている。私の「言霊」が関八州と東国の運命をある程度左右し得るのは、私がその2箇所に結縁して、諏訪神社を押さえ込んでいる京都の都の「力」に直接干渉し得るせい、と言われる気がするわけで@@。でも、その力を得るために支払ったものが「医学部」と「実子を産む可能性」であったなら、それがどれだけ高くて危険な代償だったか分かるでしょ? と言われる気がするわけで。

でも、外に出れば出たで、蛙の王家の「怨霊大量生産の呪法」を破るために、あちこちに出かけて働かなきゃならないんじゃないの?? と思うわけで。7番目の兄さんは、「そういう采配は直接自分が振るう。富の王家や大名家が繰り返してきた失敗を繰り返す気はないし、そのためには、その地位を維持するために、どうしても大名家に依存してしまう6番目の子は邪魔だ。」と言う気がするわけで@@。そういうところで、7番目の兄さんは、蛇の兄さんとか、まっすーの協力をもう取り付けているのですねえ?? と思うわけで。なんだか、「京の都」というのは、一筋縄ではいかないところらしいです。でも、倉木さんもその町には「強い」方であるし、そこを何とかしなきゃいけない、と思っている人達は7番目の兄さんを頼る気持ちが強いんだなあ、と思ったのでした。

本日の日誌

ここ3日くらい、色々と用事があって出かけていたので、とても疲れました。仕様書とかを大量印刷したので、インクが終わったので、それも補充したし、またしばらくは書類書きに専念できそうです。でもって、だいたいの金勘定も終わったわけで。普通は、訴訟を起こすときに、こういうことも済ませてから起こすんだなあ、と思うわけですが。まあ、準備が整っていれば、そもそも「共同訴訟の訴えの取り下げ」はしていないわけで。高裁に話が移ることがあれば、訴額の変更とかもうちょっとやる可能性はありますが、地裁ではこれ以上変える気がないし、和解を目指すのであれば、ある程度融通も効くだろうな、ということで。

泌尿器の方は,看護婦にまでしらじらしく「完治した」みたいなこと言わせて、証拠を残してどうするのか、ってそれはむしろ、主治医自身が「どうするのか?」と思うわけで。まあ、必要な追い込みはするけれども、じいさんの年齢とかいろいろな状況を考えると、追い込みすぎるのもどうかねえ? もう90だし、普通でもその年で寿命がつきる人は一杯いるからねえ? と思うわけで-;。これが10年前なら、「まだ若すぎる」ってことでもうちょっと頑張る気にはなったわけですが。7番目の兄さんには、「10年生存率は維持できたのだし、治療の初動が良かったし、あなたも見立ての確かないいお医者さんでしょ。」と言われる気がするわけで。誰かに褒めて貰うのは嬉しいことだなあ、と思ったわけですが。

あとは、お出かけの時とかも「KinKi-Kids」のCDとかばっかり聴いているわけで。7番目の兄さんも一時期の落ち込みからは、けっこう回復してきているらしいです。でも、嵐の歌とかテレビで見ていると、7番目の兄さんがふっと介入してきて、なんだか大野君の歌が妙に下手くそに聞こえたりして、「えっ」と思うわけで。7番目の兄さんが、私を好きな理由は「自分に似ているから」だと思う、と書いたら、兄さんにふっと「過去の自分は、もっと享楽的な人間だった気がする。あなたは、お堅い家庭で育って、ごくごく真面目に育ったよね。」と言われる気がするわけで。ともかく、身の回りに「変な男の人しかいない」という不幸も重なって、男女関係では、これ以上ないくらいに、枯山水みたいに生きてきた気がするわけですがー;。曹操とか、高師直って言ったら、人妻に堂々と横恋慕するような女好きだし? とか思うわけで。とても、いろんなことが不思議な気がするわけです。

本日の日誌

ここ3日くらい、色々と用事があって出かけていたので、とても疲れました。仕様書とかを大量印刷したので、インクが終わったので、それも補充したし、またしばらくは書類書きに専念できそうです。でもって、だいたいの金勘定も終わったわけで。普通は、訴訟を起こすときに、こういうことも済ませてから起こすんだなあ、と思うわけですが。まあ、準備が整っていれば、そもそも「共同訴訟の訴えの取り下げ」はしていないわけで。高裁に話が移ることがあれば、訴額の変更とかもうちょっとやる可能性はありますが、地裁ではこれ以上変える気がないし、和解を目指すのであれば、ある程度融通も効くだろうな、ということで。

泌尿器の方は,看護婦にまでしらじらしく「完治した」みたいなこと言わせて、証拠を残してどうするのか、ってそれはむしろ、主治医自身が「どうするのか?」と思うわけで。まあ、必要な追い込みはするけれども、じいさんの年齢とかいろいろな状況を考えると、追い込みすぎるのもどうかねえ? もう90だし、普通でもその年で寿命がつきる人は一杯いるからねえ? と思うわけで-;。これが10年前なら、「まだ若すぎる」ってことでもうちょっと頑張る気にはなったわけですが。7番目の兄さんには、「10年生存率は維持できたのだし、治療の初動が良かったし、あなたも見立ての確かないいお医者さんでしょ。」と言われる気がするわけで。誰かに褒めて貰うのは嬉しいことだなあ、と思ったわけですが。

あとは、お出かけの時とかも「KinKi-Kids」のCDとかばっかり聴いているわけで。7番目の兄さんも一時期の落ち込みからは、けっこう回復してきているらしいです。でも、嵐の歌とかテレビで見ていると、7番目の兄さんがふっと介入してきて、なんだか大野君の歌が妙に下手くそに聞こえたりして、「えっ」と思うわけで。7番目の兄さんが、私を好きな理由は「自分に似ているから」だと思う、と書いたら、兄さんにふっと「過去の自分は、もっと享楽的な人間だった気がする。あなたは、お堅い家庭で育って、ごくごく真面目に育ったよね。」と言われる気がするわけで。ともかく、身の回りに「変な男の人しかいない」という不幸も重なって、男女関係では、これ以上ないくらいに、枯山水みたいに生きてきた気がするわけですがー;。曹操とか、高師直って言ったら、人妻に堂々と横恋慕するような女好きだし? とか思うわけで。とても、いろんなことが不思議な気がするわけです。

本日の日誌

さて、なんだか今日も色々とあって。

どうも、家人が医者に行ってきて、妙なことを言われて帰ってきて。だいたい、月曜日頃から「騙されないように」とは言われていたわけで、「裁判のことかな?」と思ったら、こっちのことだった、ということで。

どうも、出鱈目な医者が、「癌は完治したから、薬を止める。で、市井の病院を紹介できるけれども、どうか。」みたいなことを言ったらしい。というか、たぶん、次に行けば、その旨の録音が記録できるから、そのまんま医療訴訟を起こされたいかい? とかって思うわけですが。

だいたい、だれがどう聞いたって、思うと思うわけですが、「病気が治ったのなら、市井の病院だろうが、どこだろうが、紹介して貰う必要なんかないじゃん。」ということで。何も分からなくても、この程度の突っ込みをするのは当たり前だと思う。で、なんだか母親とも喧嘩みたいになるわけで。親は「自分は何も分からないから、医者の言いなりになるしかない。」とかって言うわけで。「あたしの言ってることは『医者の言ってること』じゃないんかい!」ってそうなるわけで。

だいたい、こういう騒ぎになるのが嫌だから、あれほど強く「玉を取ってしまうように」と言ったのに、それを言うと「誰もそれを勧めなかった」とかって今更言うわけで。「あたしが勧めたことは、『なかったことかい!』、そのおかげで人にさんざん苦労させたくせに!!!」とこちらも腹が立つわけで。おとなしく取っておけば、私が苦労する必要は何もなかったのに、何言ってやがる、とかって思うわけで。ときどき、何かにつけて、母親は、私が「父親の命を救った」みたいに言うわけですが、そもそも私が「玉を取ってしまうように」と強く勧めた時に、取っておけば私にも苦労かけずに済んだんです、ふざけんな! というくらいにしか思えない。

でも、蛇の兄さんとかには「80で去勢は早すぎる」とかって言われる気がするわけで@@。あんたも、いくつまでセックスする気でいるの! と思うわけですが-;。ともかく、いろいろと資料を調べて思うことですが、まあ、しばらくは定期的に必要な検査を行うことが順当であると思う。兄さん達に、「思うところを書いて欲しい、こういう点ではあなたが一番の専門家だから」と言われる気がするわけで。

前立腺癌というのは、男性ホルモンに反応して増えるので、要は玉を取ってしまえば、たぶんそれ以上は増えません。(もっとも副腎皮質からも多少の男性ホルモンは出るので、そのためにカソデックスを飲むともいう。)で、高齢の場合で、長期の薬物療法が奏功している患者は、薬物の投与を中断しても、男性ホルモンが回復してこない例が、まあ割とあるのだと思う。(でも、統計的な資料はない。なぜなら、過剰医療大好きな日本社会では、薬物の投与の中断はほとんど行われないから。)だから、中断するとしても、「まあ、ちょっと中断して様子を見てみましょう。定期的な血液検査のみにしてみましょう。」というのが、医者としては正しい説明であると思う。「完治した」って言うようなら、はっきり言って「殴っていい」と思う(苦笑)。

でもまあ、言いたいことはたぶん間違っていないとは思うので、私だったら、治療方針の確認を行った上で、市井の病院で血液検査をしてフォロー、というのが、はっきりと言って「まともで妥当」な路線だと思うわけですが、親がそれを非常に嫌がるし、だいたい我が家を取り巻く環境が全部「まとも」ではないので。主治医には、「やるべき検査をやれ」と言うしかないし、それでやってくれなければ、自分で民間の会社に依頼してやるしかないんじゃないの? 3ヶ月に2万円の検査が安いか高いかは分からんけれども、他の病院で調べたくない、というのであれば、家から直接検査会社に出すしかないんじゃん?? という気がするわけでー;。ともかく、なんかあったときに、「経時的な血液検査の結果」さえあれば、最悪なんとでもなる、というところはあるわけですが、それすらもないのは一番困る、と思うわけで。

まあ、でも「薬を止める」=「治療方針を変える」ということなので。どういう状態を「完治」というのかは、まあそれぞれの解釈によるわけですが。たとえ、癌が残っていても、男性ホルモンが回復しなければ、増えないから問題はない、とも言える。回復しないかどうかは、薬を止めてみないと分からないので、2~3年の経過観察でも「回復しない」ことが確認できて、「症状は安定している」と言えれば、まあまあ「完治したとみなせる」といえる状態であると私は思う。でも、癌というものはなくなるものではないので、「癌がなくなった」わけではなくて、単に「癌が増えないでいるだけ」ということなわけです。増えない癌は、癌でないも同然であって。勝手に増えて、全身に広がって悪さをするのが「癌」なわけだから。

で、どうも母親を話していて、いつも「困ったな」と思うのは、「医者も治せなかった糖尿病を、自分が食事療法で治した」みたいに言うところであって。私から見ると、それは「全然違う話」なわけ。原則としては、「予防医療」も含めて「医療」全体が「医者の仕事」かもしれないけれども、「治療をして報酬を貰う」というのが、現代の「医療業界の大原則」である以上、「薬物投与などの治療を要しないこと」は「医者の仕事ではない」というのが、現代の業界の常識であると思う。だから、「食事療法」というのは、自分とか家族とかで気をつけてやるものであって、そもそも「医者の仕事」の内ではない。でも、糖尿病とか慢性的な代謝性の病気は、食事療法が重要だから、病院で指導とかもしているわけで。医者が直接扱うべきは、「食事療法ではどうにもならない人」なわけ。だから、それでどうにかなる人は、医者の取扱範囲外だし、原則としては「自分でなんとかする」ものだから。そもそも、それは「治る病気」ではない。医者は、「自分ではどうにもならない人」に薬を処方するか、網膜を焼くか、週に3回透析をするか、ってそれだけのことであるので。医者と家族とでは、その病気に対して果たす役割が「全く違う」とそれだけのことなわけです。しかも、代謝性疾患と癌は、また全然違うものであるわけだから。

結論から述べれば、「間欠療法」そのものは「持続療法」に比べて、別に効果が「優位でない」というだけで退ける原因にはならない、と思う。老人に対するオーバードーズは私も好むところではない。で、「間欠療法」の結果が良好であれば、死ぬまで「間欠」したままでも構わないと思う。だいたい、もう老い先もそんなに長くない年齢だし。でも、それを「完治した」って言い張って、治療はともかく検査もやらない、となると、「それは問題でしょ」と言うしかない。「前立腺治療ガイドライン」と各種論文を揃えて持って行ったら、主治医はなんて言うかねえ?? と思うわけで。まあ、調べられるものは、調べて貰おうと思います。しばらくは、そちらの世話も私が直接焼くしかないな、と思うわけです。というか、既に電話での問い合わせから逃げまくっている気がするわけですが???