本日の日誌

昨夜は、「そういえば古代の中国では、蛙のことも蛇の一種だと思っていて、蛙と蛇の区別がついていなかったんだよ。」って言われたわけで。で、要するに蛇の姿の時は月の神サマで、蛙の姿の時は太陽の神サマってこと?? って思うわけで@@。で、日本語で、蛇のことは「へび」って言うでしょ、その子音は「KB」でしょ。それは本来は蛙黽のことで蛙のことなんだけど、古い時代にはどちらも同じモノだと思っていたから、どちらも「KB」の子音で呼んでいたわけで、日本語っていうのは非常に古い時代の中国語の発音を残していることがままあるので、どちらも「KB」の子音で呼ばわるのはそのせい、って言われるわけで。だから、縄文系の人達に、大姥サマは、蛙なのか蛇なのかって聞くと、どっちでも同じで、どっちでもいい、って言われるわけで。でも、多神教なのか? って聞くと、大姥サマは大姥サマって言われるわけで、しかも彼らの魂は、目がたくさんあって、蛇の気も、蛙の気も使うし、両者が入り交じった気も使うから、本当に信じる神が一神教なのか、多神教なのか分からないところがあってねえ、って言われるわけで@@。で、だいたいそういう一神教とか多神教という概念こそがそもそも「邪道」っていうことらしくて。で、彼らの神サマは、蛙の神サマでもあるから、縄文系の人々は蛙さん達ともけっこう仲がいいんだよ、って言われるわけで。で、寒い盛りに蛙を生贄に捧げるのは、蛇の神サマ相手には餌を与えて元気をつけて貰うためだし、蛙の神サマ相手には同じ蛙語を話す使者を立てて、「春になったらちゃんと帰ってきてね」って言わないと、帰ってきてくれなかった困るでしょうが、って言い張られるから、それは止められなかったんです、って言われるわけで@@。なんか、それは太陽の神サマの元気がなくなったら困るから、っていう理由で犠牲をじゃんじゃん捧げ続けたマヤやインカに似た思想なのでは?? と思ったわけで。そうすると、「そうなんだよ、彼らはそういう考え方で繋がっていて、人の生贄を立てようが立てまいが、自分達の神サマこそが世界で一番古くて正統な神サマ」って言い張るし、それがまた事実だからねえ、って言われるわけで@@。でも、西方ではそれが、時代が下ると全部蛇の神サマになってしまって、「蛙」の名前を持っていてもそれは名前だけの蛇神サマってことになっていて、例外的なのは蛇の尻尾を持つ蛙女神のヘケトくらいだけれども、本来は半分太陽(蛙)、半分月(蛇)で、全宇宙を網羅する女神こそが、世界創造の太母だったんだ? と思うわけで。日本語の「へび」という言葉の中には、元々「蛙」という意味もあったし、それが本来の信仰で有り、思想であった、ということで。

で、朝方、夢を見て、なんだかまだ学生で知らない人達と遠足に行くことになって、で、集合場所が分からない、というか自由時間? みたいな感じであって、ふらふらとしていたら、松本君とすれ違って、お互いに何を言うでもなく、なんとなくすたすたとすれ違ってしまった、という感じであって。言いたいことがあれば、言ってくるだろうし? みたいな感じの夢だったわけで。

で、午前中にとある集金が来て、たまたま細かいものの持ち合わせがなかったので、おつりを貰いましたら、丁度八千円であって。で、なんというか割と集金している人が高飛車な感じであって、「ん? 何かあるのかな?」とは思っていたのですが。午後近くになってから、某所からお中元が来たわけで。で、夏らしいといえば、夏らしいのですが、水菓子で、蓋が青くて×十字が一杯入っている箱に入っていて、しかも包装紙の表紙が楓だったわけで。見ていて、どうにも「これはねえ」という感じであったので、後で片付けようと思って部屋に置いておいたのですが。そうしておいて、昼寝して目が覚めたら、従兄弟が「床の構造用合板を厚くしろ」って言ってくる気がするわけで。それって長らく聞いていなかったのに、久々に聞いた気がするよ@@、ということで。「家の中に余計な気を送り込まれないようにしてるから、「お中元」で押し込んで来たね。」って言われるわけで。これは早々に片付けないといけませんねえ、というか、こういう敵が送りつけてきたものをうかつに食べると敵の言うことを聞きたくなっちゃうんだ?@@ って思ったわけで。だから、食べちゃいけなんだ? と思うわけで。どうしても食べなきゃいけない、って言うのであれば、自分で買って食べた方がまだマシだよ、って言われるわけですが。でも、この水菓子もけっこう食べたがっていた人とかいたので、きっともうそこからして「食べろ、食べろ」って言われるんだろうな、と思うわけで。で、うるさいことを言われるのは嫌なので、とっとと片付けてしまったわけですが。で、昨日から福山君の夏のスタジアムツアーが始まって、ともかく暑いらしくて、Twitterを見ていると「熱中症に注意」っていっぱい書いてあるわけで。で、会場で新しいシングルを予約すると、予約特典でツアーグッズの水が貰えるって書いてあって。暑いので、ある意味その場で非常にお役立ちになりそうな特典だなあ、と思うのですが、そうやってお水を配っているところの写真とか載っていたので、「これってこれから水関連の工事をやるわけですし、それに注意ってことですかねえ?」って思ったら、「それは予約特典だから、それもあるけど『タダで貰って、口に入るモノには注意』ってことでしょ。」って言われるわけで。で、例によって、ライブのある日は、動画とかを見る時間に注意、ということで、5時を過ぎてゴロゴロしていたら、なんというか、誰かがお尻を触りたがっているような気がするわけで。7番目の子に「テンションが上がると、そういうことをしたくなる人がいるんじゃないの?」って言われるわけで@@。なんとなく、セットリストを調べてみれば、って言われる気がするわけで。だいたい1曲目には良い曲がくることが多いんだけれど?? と思いながら検索をかけてみたら「HELLO」でした、ということで。ええと、まあ、それは余談に入るわけですが(て書くと「余談」って言葉に逃げたね? って突っ込みがあちこちから来る気がするわけですが;。だって、誰が私のお尻に触りたがってるのか??? とか書きたくないじゃんーー;;、と思うわけでーー;)。

で、そんなことをやっていたら、「今がチャーーンス」とかって言われて、4番目の子が降臨してきて、蛙の子の髪型をポニーテールにして、ピンクの水玉のリボンとかつけるわけで。ポニーテールは馬信仰の象徴だし、水玉模様も縁起良くないよねえ? と思うわけで。で、動画が見れないので、ニュースサイトを見ていたら、安倍首相が国立西洋美術館を訪れたとかで、大きな絵画の前で話をしている写真が掲載されていたのですが、その絵にライオンが描かれている気がして、何だか意味深だー、と思って、ちょっと調べてみたわけです。で、現在国立西洋美術館では、「ボルドー展」という企画展をやっていて、写真に載っていたのはドラクロアの「ライオン狩り」という絵であることがわかって。で、この絵も意味深で、騎馬に乗っている人達が、雄と雌のライオンを狩ろうとしているわけですが、逆に逆襲を食らって襲われている、という感じの図であって。騎馬民族を襲っている雄と雌のライオンって誰と誰のことなんです? と思うわけですが。で、同じ企画展に25000年前の「角をもつヴィーナス」というタイトルの女神像も展示されているわけで。要するに、農業が始まって以降は、蛙さん達の神は農業の穏やかな豊穣の神に特化されるようになっていったけれども、それ以前から神サマは信仰していたし、ご多分に漏れず他の人達と同様に狩猟採集の生活をしていたんですよねえ? と思うわけで。で、「ヴィーナス」って言ったって、25000年前にそう呼ばれていたはずはないわけですが、豊穣の象徴である月型の角を持ち、頭がのっぺらぼうで、体が豊満でふくよか、というのは西洋の太古の太母の一大特徴、ということで。で、なんで頭がのっぺらぼうなの? って思いましたら、それは頭が蛇だからでしょ、って言われるわけで。で、体は非常に豊満なわけですが、なんで? って思いましたら、それは「頭が蛇で、体が蛙なんだよ」って言われるわけで@@。縄文系の皆サマからは「豊穣の角」が邪魔だけれども、それが大姥サマの姿、って言われるわけで、やっと自分自身を見つけ出したね、って言われるわけで@@。で、琥珀信仰が始まるのも20000年よりもちょっと前くらいからということで、金蛙王の目を持つ豊穣の女神、というものの起源は本当に25000~20000年くらい前に遡ると言うことで。蛙さん達は、先祖返りするならするで、どのくらい前の先祖に遡る目を持っているのか知らなければならない、っていうことらしいのですが、それは旧石器時代にまで遡るんだ?@@ って思うわけで。金属器なんかない時代の神サマだから、それで金属を支配する力が弱かったのかねえ? って言われるわけで@@。で、この「角をもつヴィーナス」が、時代が下るとボルドー周辺っていったら、トラキアのベンディースとかケルトのエポナになっていくんですよねえ? とは思うわけですが、当時の名前はなんて言ったのでしょうねえ? って思ったら、ただ蛙と蛇を内包する意味での「へび」でしょ、って言われたわけでーー;。恐るべし、日本語、と思うわけですが。で、キリスト教の聖母マリアの処女懐胎に代表されるように、西洋の神話世界観には「処女懐胎」という独特の概念があるわけで、で、この古い神サマにも夫はいたの? それともいなかったの? って思いましたら、「それはいてもいなくてもいいんだよ。男なんて、通ってきたり、来なかったりするもんなんだから。」って言われたわけで@@。「なんか、もうね、泣きたいでしょ?」って言われるわけですが、宗教的に神秘感を高めるエピソードとして使われる感の強い「処女懐胎」って元はそういうことなんだね? って思うわけで;。だから、今では誰もが科学的には、蛙と蛇は違うモノって知っているんだけれども、信仰と神々の世界では、未だ区別もついていないし、つけるべきでもない、と思っている人は多い、ということのようで。私の魂の姿が、ヘケトみたいな「蛇の尻尾を持った蛙」ということで、縄文系の人々は「大姥サマが帰ってきた」って言うし、西方世界の人々は、「そういう神サマって本当にいたんだ?」って珍しがるという、そういうことのようなのですが??? で、じゃあ「首を狩る」という意味は? と思いましたら、ただ「頭はいらないんだよ。男系の思想では、子供を産む下半身が欲しいだけだから。」ってのたまわれたわけで@@。でも、実際に女の人の首を狩っちゃったら、子供を産む下半身まで死んじゃうから、それは「女性の頭なんか「無い」も同然にしておけ」っていう呪いでもあるんだ? って思うわけで。人類は、そういうことを5万年近くも続けてきてるんだよ、って言われる気がするわけですが@@。

で、そんなこんながあったということで、蛙の子はけっこう7番目の子になついて勝手に「師匠」って呼んでいるようなのですが@@。でも、彼も独特で、「お釈迦サマの後継者」とかって言って、蛙の子に袈裟を着た坊主の格好をさせたりするわけで。改めて、口に入るモノには気をつけねば、と思った一日だったのでした。