本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。朝は、何台ものトラックに追い越しをかけられて、ずいぶんと嫌がらせが激しかった気がする。今日は、昨日崩した土を片付けて、出てきた木の枝を出した。崩した土は1日、そのままおいておくと、ずいぶんと湿気る気がする。木の枝を掘り出して、その周囲を綺麗にしていたら、その奥にまだ木の枝が入っていたので、それも掘らなければいけない、と思う。2017/11/30で今月も終わりだけれども、今月の前半は大崩落した土を片付け、後半は出現した大きな石を掘り出す作業をしていた1ヶ月だった。

昼寝をしている時に夢を見て。なんだか光一君や大野君が出てきて、何かチクチクした棒のようなものに刺されて病気になる、というような夢で。目が覚めて、「埋められている木の枝をしっかり掘るように」ということなんだろうな、と思った。

昨夜は日テレの音楽特番で、ろくに見ていなかった部分を見て。この番組にはジャニーズの兄さん達が大勢出ていたのですが、Sexy Zoneの新曲はかわいらしい感じの曲だし、Hey!ay!JUMPは、若い兄さん達がじゃれっている姿がかわいい感じであった、と思う。というか、女の人が見て「かわいい」と思いそうなことが演出で工夫されていたように思う。なんだか、ずいぶんとその点で気を遣われている気がする。

それから福山君の新曲「トモエ学園」のMVを見る。これは、黒柳徹子の若かりし頃をドラマ化したドラマの主題歌で、「トモエ学園」とはトットちゃんの出た小学校の名前である。だから、我が家にとってはあんまり良い曲とはいえない気がする。でもって、MVの方は長崎の稲佐小学校(福山君の母校)を福山君が尋ねて、子供達と交流した様子を撮ったもので、割と地味な良い映像だと思う。というか、小学校2年生くらいの女の子達に、「蛇の兄さんは、養子の子が気に入らなくてたまらないけれども、大好きな妻神のために我慢しようとしてる、って誰でも知ってる。男の人とはそういうもの。」と言われて、開いた口が塞がらなくなる@@。そして、男の子達は、蛇の兄さんに同情的な子が多かった気がする。「どこの神様も地元では人気だ-。」と思う。兄さんには「子供に取りなして貰わなくても、自分でちゃんとがんばれるもん。」と言われる-;。福山君は、どことなく寂しそうな顔をしている。どうにも、私が思うに、福山君が好きな人は、蛙の目をした女の子で、何かあると大口を開けて笑い転げるような明るい性格の女の子なのだと思う。でも、あーやちゃんのケースと同様、その「好きな人」というのは前世で好きな人だったので、現実の世界では存在しない人な気がする-;。こう言うと、兄さんは「そんなことない。妻が身が一番好き。」と言ってくれるわけですが。たぶん、兄さんは一生、無事に妻神と結婚できても、どこか寂しいままなんじゃないか、という気がするのです。

そして、いろんな人から、7番目の兄さんの前世は「高師直」という人だと言われる。その人は、歴史的評価は割とヒール(悪役)では@@、と思う。7番目の兄さん自身は、「前世なんてあんまり覚えていないし、覚えていても他人事。」と言うわけですが、周囲の人は、「その人はそんなこと言っているけど、うわべで言っている以上に、前世のことは良く覚えている人。」と言う。ともかく、そういう人なので(「高師直」とは足利尊氏の家政を取り仕切った御内人。)、外交的な交渉ごとは、やろうと思えばできるけれども、内向きのことを取り仕切るのが得意な人だ、と言われる。ご当人も、そうやって生きるつもりが大きいのではないの、と思う。6番目の子とは、あまり仲が良くなくても、良いコンビだと思うのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は、昨日の続きで南側に延びた木の枝を掘り出す。結局、一度埋め戻した土まで掘り込んで、埋め戻したぎりぎりまで掘って、やっと果てが分かる。壁を掘ると、まだまだ大きめの石がどんどん出てくる。

昨夜は日テレの音楽の特番を見る。今年は目玉になるような大ヒットはなかった年のようなのですが、でも華やかで無難にまとまって見やすい番組であったと思う。亀の子はふわっと、私がウェディングドレスを見た図とかを送ってくれたのですが、一緒にいる山下君は亀の子にウェディングドレスを着せた図を送ってくる-;。涼ちゃんは相変わらず、筆頭をライバル視している気がする。筆頭には、「須坂へはやらない」ということと、「愛してる」とでかい声で言われる。

2番目の子のことは、自分では今は、特に嫌いではない気がするわけですが、でも、一緒に暮らすとなると、やはりいろいろとあっただけに、まずはいろいろと話し合いが必要な気がする。でも、「話し合いが必要だ、と感じて無条件に好きだ、と思えないということは、それだけ相手に不信感を持っている、ということだし、それだけ相手を「好きではない」と思っている、ということでしょ。6番目の子は、いくら焼き餅焼きでも、彼から秋波を送られると無条件に嬉しそうにしてるでしょ。恋愛は理屈でするものではないので、理屈で「話し合いが必要」と思う時点で、もう嫌い、ということ。」と7番目の兄さんに言われる。そして、私も滅多に相手をえり好みをする性格ではないので、「そうやって、特に「好きではない」と感じている相手と一緒に暮らしても幸せにはなれない。自分は、蛙の王家の機嫌も、富の王家の機嫌も特に取るつもりはないし、妻を不幸にして自分だけ利益を得れば良いとは思わない。過去に何があったかは問題ではない。だから、須坂へはやらない。」と言われる。7番目の兄さんと、6番目の子と蛇の兄さんがこんな調子なので、蛙の人達とぎくしゃくしているらしいのですが。蛇の目の人達は、だいたい自分たちの方へ太陽女神を引き出すつもり。ウェスタやディアーヌの人達も基本的にはそれを指示するつもり、ということらしくて。珍しくウェスタの源ちゃんとか、ディアーヌの姉さん達が4番目の子に対して非難がましい「目の力」を使っていた気がする。山下君や手越君もかなり強力な「目の力」を使っていた気がする。そして、6番目の子は、富の王家のおっちゃんに向かって、「お前は自分の言うことに黙って従っていればいいんだ。」とがなってた気がする@@。それは、臣下が王様に言う文言? という気もするわけですが、少なくとも4番目の子に蛙の王家に対して、そういう物言いをしろって言っても無理な気がする、と思う@@。4番目の子には、「(余計なしがらみのない)まっすーの立場がうらやましい」と言われる;。昨夜はだいたいそんな感じだったわけですー;。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、大きな石の後ろ側にあった木の枝を掘り出そうとして80cmほど掘り出したのですが、まだ先が見えず、どこまで続いているのか分からない状態だ。中くらいの石はかなり掘り出しており、自分の掘り進んでいる南側からは4個くらい、親の掘っている北側からは6個くらい掘り出した。北側を再びかなり掘り崩して、ゴミもそこそこ出した。

昨夜は以前の「ニノさん」と「おじゃmap」を少し見る。そして、深夜に「NEWS ZERO」も見る。最近の角界では、力士同士の暴行事件が問題になっているが、それだけに留まらず親方同士の権力闘争も絡んでごたごたしているらしい。で、暴行の現場に横綱がいた、とかで「横綱の品格」という言葉が良く飛び交っているらしい。そして、そもそも「横綱」とはなんぞや、と言うと、土俵の境界を示すために張る縄で、土俵の上は神聖な場所なので、「神の領域」を示すもので、江戸時代に最強の力士にそれを身に纏わせたことから、最強の力士を「横綱」と呼ぶようになったとのことだ。だから、横綱とは「神も同然の神聖な存在」なので、ただ強いだけでなく品位がなければならない、ということで「横綱の品格」という言葉があるらしい。で、昔は家を建てるときの地鎮祭に横綱を招いてしこを踏んで、土中の邪気を払って貰う、という習慣があったらしい。と、こういうことを翔君が説明していて。そして、冬場所で優勝した横綱が、暴行事件について言及して、更に来年の角界の発展を祈って、異例なことに「万歳三唱」の音頭をとった、というニュースを流していた。暴行事件に関する相撲協会の処分は、場所が終わったこれから下されるわけですが、横綱のこの行動もある程度問題視されているらしい、とのことである。だから、何、と言われても困るのですが、どうも最近の「相撲の神様」は夫婦揃って、一家を上げて「土中の邪気」を払うことしかしていない気がするので。白鳳関の「万歳三唱」は、相撲が神に捧げる神聖なものである以上、「相撲の神様」をたたえて、その発展を願ってくれたものだったのかな、と思う。というか、そのことを書いてあげると彼が喜ぶよ、と言われる。邪気を払うのもけっこう大変なことなわけです。

で、今日は久しぶりに音楽の生放送の特番、ということで。朝から、6番目の子に「一年のうち、数えるほどしか生放送で顔を合わせられなくてつまらない。」と言って嘆かれる-;。そして、今日発売の週刊誌に、来年の「SHOCK」の制作発表の記事が少し載っていたのですが、光一君が満面の笑みで写真に写っていたので、まあまあな現状なのかな、と思う。でも、たいていの兄さん達は楽しみにしてくれている気がします。

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昨夜はなんだか夢を見て。光一君が出てくる夢で、鬼ごっこをするような夢で。で、「宇宙旅行に行く」とかで、宇宙船に乗って、出発、というときに、どうしてもトイレに行きたくなって、トイレに行っている間に船が出発して、気持ち悪くなって目が回ってしまう、という夢で。目が覚めて、鬼ごっこをするあたり、やはり、「余計なものを片付けろ」ということなのかな、と思った。

作業の方は、大きな石を掘り出したので、その周囲を綺麗にする作業に入る。まだまだ周囲の土中に石が詰まっているし、直系2cmほどの木の枝も埋まっている。木の枝を掘っていたら、潰れた空き缶の残骸とビニールフィルムのなれの果てのようなものが出てきた。茶碗やガラスの欠片が出てくるのは、いつもの通りである。

そろそろ石が溜まってきたので、昨夜、石を持っていくように業者にFAXを送った。そのせいか、今日は作業中に、周囲が騒がしく、土手には不審な車が2台ほど停まっていた。

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で、「天理教」のことを少し調べてみたわけですが、天理教とは「天理王命」を主祭神とする一神教であることくらいは元々知っていました。で、彼らはこの神様のことを世界創造の神として「親神」とか「月日親神」と言っている。「月日親神」とは何ですか? 月の神様なのですか? それとも、太陽の神様なのですか? と問うと、「それは外宮の豊受大神と同じ思想だから。」と言われる@@。「どういうこと?」と思うわけです。

丹後半島を中心にしている豊受信仰は、民間伝承的には「天女」が空から舞い降りてきて、人々に農耕や養蚕を教えてくれた、というものです。だから、彼女が月の女神であるのか、太陽女神であるのかははっきりしていません。でも、羌族の神話を見れば、そういうことを教えてくれたのは太陽女神である、とされています。で、丹後半島には、浦島太郎伝説が残されているとおり、そこに古くから住んでいる人達は、太平洋の島々に点在している海洋民族の一派でした。そもそも、古代日本の「縄文系の人々」というのは、大きく分けて2種類あって、主に東国から北海道にかけて住んでいたのはアイヌの人々に象徴されるような熊神信仰の人たちです。彼らはシベリアや北欧に住む人々と共通の信仰基盤を持っています。彼らの「熊神」も天空での所属ははっきりしません。それは部族によって、太陽神であったり月神であったり、大熊座に代表される星座であったりします。それは何故かというと、熊が「現実の食料源」として何よりも重要であったからで、天空での地位は人々にとって二の次であったからです。だから、部族によって「何が天空で一番の存在であるのか」という考えが違うので、それによって最上位の熊神の地位も変わる。弥生時代に入って、水稲耕作と太陽女神信仰が入ってくると、東国では太陽女神と熊神(要するに「山姥」のこと)は習合して「同じもの」と見なされるようになりました。

一方、西国の縄文系の人々は、太平洋中心の海洋民族が主でした。海の潮の満ち引きとか、海洋生物の産卵には「月の満ち欠け」が大きく関係しますので、海洋民族の「母神」とは、明確に「月の女神」となります。そこに農耕文化が入ってくると、穀物や芋類は「月の女神」の体の一部である、といういわゆる「ハイヌウェレ型神話」が形成されます。今でも西国では山陰地方を中心に、神様に捧げる稲の種籾を三日月の形に蒔いて、苗を育てる「月の輪田」の風習が残されているところがあり、穀物の豊穣が月の神によってもたらされる、という思想がかつて強かったことが覗えます。でも、水稲耕作を持ち込んできた人達の神様は太陽女神であったので、政策の一環として、折衷的な「天の女神」が意図的に作られたのです。それが豊受大神だから、この女神は海洋系の先住民からみれば「月の女神」と解釈できるし、弥生系の人々からみれば「太陽女神」と解釈できるのです。要するに、「月の女神と太陽女神は異なるものだと心得ているけれども、同盟の証として同じ神として祀っている」ということで、そこが東国における古代の信仰と異なるのです。西国では月の女神に対する信仰が強固であったので、太陽女神に対する信仰を、そのままの形で広めることができなかったのです。だから、豊受大神は月の女神でもあるし、太陽女神でもあるけれども、そのどちらでもない、ということになる。天理教も西国の宗教なので、その思想を受け継いでいる。と、そのように言われる。

太陽女神は東国生まれの東国育ちなので、西国的な「習合主義」の神様は一見すると理解しにくいかも、と言われるわけです。ウェスタとディアーヌも「太陽」と「月」ということだけれども、一つの時代に敵が勝手に決めた神様ではなくて、真に「神」と呼ばれる人材が2人揃うことは珍しいことなので、どちらかが欠けてもお互いに補えるように、そこの人達は共同して動くことが多い。でも、普通は家族単位の小さい集団で動くことが多くて、大きな組織を公然と作ることは希だ、と言われる。そして、私が便宜的にウェスタの名前を貰っていたとしても、基本的には彼らは「同族外」の人達だから同盟相手だし、普通はよほどのことが無い限り、お互いの内政には干渉しあわないもの、と言われる。

で、結局多くの人々の意見としては、私は「目の力」は強いけれども、自分では見ることも聞くこともろくにできなくて、直接いろんなことの采配を振るうには向かない。そうすると、対外交渉を受け持っていて、筆頭である6番目の子が、事実上、妻神の代理として采配を振るうことになる。つまり、部族外の人達と強力な同盟を結んで、彼らの支持が厚くなればなるほど、6番目の子の権力が増す。そうなると、敵も面白くないけれども、太陽女神の独占を画策する蛙の王家や富の王家も面白くない、とそうなるとのことで-;。だいたい、いつもその辺りで揉めるのかーーー、と思うわけですが-;。

でもって、昨夜は「ニノさん」を見て。「審B眼」とかいうのをやっていたわけですが、バカリズムが「女の人は2つのものがあったら、必ずどちらかかわいいのか言えるし、その理由も言える。」と言っていて。しまいには、黒沢かず子が二宮君の「寝癖風」の髪型を「かわいい」と言っていて、二宮君も「うれしいー」と言っていたのですが。そのネタはどう見ても、妻神に「かわいいと言われたい病」にかかっている6番目の子が仕込んだものでしょ? と思う。安室ちゃんのインタビューを聞いていて、親ですら「『誰にも相談できない』と言うけれども、ああいう人達は周りにいろんな人がいて仕事をしているものでしょ?」と妙に感じることを指摘できる。だいたい、そもそも5年前に引退を考えていたのなら、ライジングからの独立騒動の時に引退してしまっても良かったのに、って誰も突っ込まないけど私はそう思う-;。そして、あーやちゃんの「アウト&デラックス」もそうですけれども、彼女はミッキーマウスと、マイケル・ジャクソンと、デラックス・マツコが好みのタイプ、と言っていて、マツコに「好きなのはフィクションのミッキーと、亡くなった人と、オカマの私」と言って苦笑いされていたわけですが、それは要するに「現実に好きな男性はいない」ということを、トーク番組向けに何とか面白く再編しただけのものな気がする。しかも、ミッキーというのは神話的に意味のあるアイコンであって、それはギリシャ神話の太陽神アポローンのトーテムであるわけです。要するに、ギリシャ神話の雄々しい太陽神アポローンみたいな人が彼女の「理想の男性」だし、彼女は好きな人のことをアポローンのような存在だと考えている、とそういうことなのだと思う。でも、それ以外のマツコネタとかは、とってつけたようなおまけだと思うわけで-;。そういう「とってつけた」ような話を聞く度に、6番目の子の言葉の使い方を思い出すし、誰が考えた文言なのかは一目瞭然、ということで。そういう言葉の一つ一つが、6番目の子から私への恋文のようなものに感じる。

でもって、「ニノさん」では、SNSのアイコンにどういう画像を使うかで、その人の人となりの悪口を言う、というのをやっていたわけですが。中に「ペットの写真を使う」というのがあって、「つまんない女」だけど、バカリズムとかが「僕はそういう人が好き」みたいなことを言っていて。そういうことを、わざわざバカリズムに言わせる? というか、私のdeviantARTのアイコンは、昔飼っていたペットの猫の写真なんだけど、と思うわけで(苦笑)。6番目の子の影はあちこちで感じるわけです。