本日の日誌

火曜日に、月曜日の「SMAP×SMAP」を見て。で、20周年のシャッフルビストロで、香取君がビストロスマップのゲストの回であって。私服のブランドモノの服でびしっと決めて登場した香取君が、進行役の草彅君とトークを繰り広げていたのですが。その中でけっこう真面目な顔をして「結婚しますよ」とか言っていて。流石に誰も「誰と?」とか「どんな人と?」とかとは聞かなくて、中居君とかは「(性格的に)無理でしょ」って冗談っぽく言っていたわけですが。火曜日は、なんとなく寝る前に「SMAP×SMAP」を見なければ、っていう気分になって見てから寝たので、なんとなく、これを見て欲しがった人がいたのかな、と思って。そして、最近の香取君は鍛えているというだけあって、けっこう痩せて格好いいな、と思うのですが。

それから、芸能ニュースに井上真央ちゃんが、最近彼氏と上手くいっていないかも? みたいなニュースが載っていて。で、彼女が付き合っている相手というのは、嵐の松本君だという噂なのですが。こういうニュースを見る度に、なんとなく「いいんだろうか?」というか、微妙にそんな気分になるわけですがーー;。で、そういえば8月30日は、福山君のライブの中継の日でもあるけれども、6番目の子の誕生日でもあるな、と思い出して。だいたい、彼はいくつになるんだろう? と思って計算してみましたら、32歳になるらしい、というか、「今31歳なんだ?@@」って急に今気が付いたような気分になるわけで。なんか、えらく「若い」気がするんですけど?; とか思うわけですが。蛇の兄さんなんかは、「30過ぎてる一人前の男なんだし、子供扱いする必要もないでしょ。」と言うわけですが、そうかもしれませんけれどもねえ? ってやはり微妙な気はするわけでーー;。なんか、自分が若い人をたぶらかしている年増に思える、というか、そんないいものですらない、という気がするわけで-;。

しかし、工務店さんは、何やかやと言っては、設計図を早めによこさなかったりして、工事を送らせようとしてる? みたいな感じを受けますのに、こちらには「早くチェックしてくれないと、工事が進まない」みたいなことを言うわけで。毎日、車も多く出ますし、大変な気がします;。

で、昨夜は夜中に「約束の丘」で目が覚めたりして。そして、なんだか自分がまだ学生時代で、なんだか山奥の寮みたいなところに住んでいて、で、友達と町へお買い物兼ご飯を食べに出かけたのですが、食べて良いモノがなかなかなくて。で、何故か途中で松本君と合流したのですが、彼がお酒を飲んで酔っ払っていて。で、また友達と帰ることになったのですが、途中で大きなトラックにはねられそうになって、走って逃げた、という夢を見たのでした。

で、今日は朝から水回りの設計図を見ていて。こちらが困る数字がところどころに入っていて、こちらが頼んだ通りの正確な図面にもなっていないし、お湯のパイプと水のパイプの位置が逆だったり、ジョイント部分の長さとかがはっきりしないので、きっちりとした正確な長さまでは出せない、とかありましたが、ともかくできるだけのことはできたかも? と思うわけで。まだ渡す日まで日にちがありますので、見直してみたいと思うのですが。なにせ、こちらが一番やって欲しい、と思っている部分が意図的に変更した図で描かれていたりして、悪意と敵意を感じるわけで。西側から、2本の水道管を入れる、という件は、口頭で打ち合わせしている時には、いつも「やる」と言うくせに、できあがってくる図面を見ると、こちらの原案を渡してあって、口頭でもきちんと言ってあるにもかかわらず、必ず異なる図を描いてくるという徹底ぶりであってーー;。

で、午後1時くらいに、なんとなくお手紙が届いたのかな、という気がして。そして、今日は飛行機もヘリも消防も出ず、静かではあったのですが、交通事故っぽいものがあって道路が渋滞したりとか、敵意も強かった気がします。

そして、動画の整理とかしていろいろと見るべきモノも整理したわけで。で、諏訪大社のこととかもちょこちょこと調べていたのですが、守矢氏の神は、地元では鹿乙(しかおつ)明神とか鹿音(しかおと)明神とか言われているらしくて。これはおそらく、千鹿頭(ちかとう)の神と同じモノで、縄文時代の人々の大姥サマとは、鹿の頭を持つ鹿の神サマでもあったと思うのです。で、自分が生み出した鹿を獲物として人々に分け与えてくれるから、人の親神でもあるし、鹿の親神でもあるということで。で、人々も獲物の鹿の一部を大姥サマに捧げるわけで、そして大姥サマはそれだけでなくて、太陽も月も生み出すような神であったわけで。縄文古来の狩猟民の信仰はこんな感じで、シンプルで分かりやすいものだったと思うわけです。でも、大陸では狩りをする動物である犬や猫を家畜化するようになって、狩りに必要な犬(狼)や、狩りをする猫(猫化の動物)を神格化するようになり、むしろ「狩猟民の神」というと、そちらが重要となるわけです。で、鹿はともかく草食性の牛や羊を家畜化するようになりますので、そういうものがかつての「狩りの獲物そのものを神格化した神」を引き継ぎますから、「狼と羊」とか「獅子と牛」とか、狩りをする動物と、される側の動物をセットにして神とすることも多くなるわけで。で、古代エジプトなんかだと、独特の習合形態として、獅子が親神で、子神が牛とか、そういう自然ではあり得ない形の「親子神」も現れるようになっていて。で、生と死を司るとされた女神イシスは、狼の女神であって、子供のホルスや夫のオシリスは牛の形で現されることもあって、時代が下ると「母」の姿を強調する際には、イシスも牛の姿で現されたりするようになるのですが。その本来の性質は、あくまでも太陽神である獲物を肥え太らせて、その後を追いかけ回す狼のこと、って言われるわけで。盛夏に一番力の強くなる「太陽」は狼女神の獲物であって、彼女が太陽に追いつく盛夏に、追いついた女神は太陽を弱らせて交尾した後に食べ始めるわけで、食べられて弱った太陽が冬至の太陽となるわけです。でも、交尾の結果新しい太陽が生まれるので、それが翌年の狼女神の獲物兼夫となり、ということで。西方の母系の狩猟民の「循環神話」はこうやって成り立っているわけですが、日本に家畜としての犬が入ってきたのは弥生時代、猫が入ってきたのは平安時代、ということで、野生の狼は元からいたかも知れませんが、狩猟民の信仰の対象になるには至らなかった、ということで。縄文系の人々の太母は、今でも獲物である鹿を生み出す鹿頭の女神なわけです。でも、原始キリスト教が入ってくると、縄文系の人々は人々で、彼らなりにこの新興の「宗教」を研究して、おおいぬ座のシリウスが、彼らが言うところの「大姥サマ」といっしょくたにして信仰されていることに気が付き、それでところどころに、山の神と狛天白神の祠を並べて祀ったり、鹿頭の女神に獲物を捧げる祭祀を、敵の鹿頭を狩り倒すという祭祀にすり替えたりしてる、って言われるわけで。そうやって、彼らは彼らで、敵の神を自分達の中に取り込んで、自分達なりに習合させて、利用しようと努めてきたわけで。縄文系の古い狩猟民の信仰を維持しながら、ワールドワイドな神サマの形の「流行」にも常に目を光らせてきたんだな、と思うわけですが。あの、まるで忘れ去られていたかのような狛天白社には、そうやって「敵に支配されたままでは終わらない」という強い願いが込められていたんだな、と思うわけです。