殉教者の島

要するに「殉教」っていうのは、形を変えた「人身御供」ってことなんだよ、って言われるわけで。誰かを生贄にして神に捧げたら、それは「人身御供」だけど、自分自身の命を捧げたら、それが「殉教」ってことだよねえ? と思うわけで。だいたい、その意味は頭では理解できるわけですが、そういうことをしようと思う人の気持ちは、やはり生まれや育ちのせいかあまり理解できないわけで。私が神サマであって、自分を信仰している人達がいるというのであれば、その人達が外敵に脅かされて「改宗しなければ殺す」って言われているなら、改宗しちゃっていいよ、命あってのモノダネだから、って言うと思うので。なんで、人は自分の命を100%守ってくれない「神」というものに義理立てして死なねばならないのかが、良く分からない、とそういうしかないわけで;。

で、「沖縄というのは殉教者の島だ」って言われる気がするわけで。第二次世界大戦中に、20万人弱の民間人の犠牲を出した沖縄では、「民間人も自決すべし」というような思想の元にこういうことになったわけですが、結局、その原因を見つけるべき、と言われる気がするわけで。それに、いわゆる「戦前の日本は軍国主義で良くなかった」という文言があるわけですが、でも別に軍部は独裁体制を敷いていたわけでもないし、国会も官僚機構も天皇制も立派に揃っていたのに、何故軍部が独裁していた、みたいに言われるのか、ということも個人的には疑問であって。で、一般的には、陸軍が開戦派であって、海軍は反対派であった、という感じで言われていたわけですが。

そもそも、戦争への民間人動員の根拠となっているのは、1938年(昭和13年)に第1次近衛内閣の元で成立した「国家総動員法」であって、翌年、近衛の後を受けた平沼内閣の時に「国民徴用令」が成立し、更に1941年(昭和16年)の東條内閣の時に「国民勤労報国協力令」が成立して、民間人動員を正統化しているわけです。でもって、これらの法律が制定された当時は、衆議院と貴族院という立派な「議会」が存在し、満25歳以上の成人男子のほぼ全員に選挙権があったということで。当時の教育等の普及率を想像すれば、こういうことを言うのは酷なわけですが、これらの法律を制定した議員を選んだのは「どの独裁者か?」と言わざるを得ず。それは「愚衆」という独裁者であった、と国際的にはそう言うしかないわけです。っていうか、それを誰もが私に言って欲しがっている気がするわけで、ヒットラーだって最初は選挙で勝ったんだよ、ってそう言うしか無いわけで;。免責の余地があるとすれば、首相は天皇が指名した、ってそのくらいのことなわけで。

そして、東條は首相になる以前の、1941年(昭和16年)の年頭(第2次近衛内閣)に陸軍で「戦陣訓」という訓令を発しているわけで、ここに悪名高い「生きて虜囚の辱めを受けず」という文言が出てくるわけです。そして、2週間後に、内閣情報局はこれを「国民の心とすべき」と発表して、事実上軍人だけではなく、全国民に適応されるものとしてしまったわけです。内閣情報局とは、国民に対するプロパガンダ的な思想の統括をする部署であって、開戦まではここがいわゆる「大本営発表」を行っていたわけです。でも、戦争が始まると、陸軍と海軍の報道部が報道に関する権限を握ることになって、文字通りの「大本営発表」がメディアの中心になってしまうわけで。

で、当時の近衛は天皇の最側近ともいえる木戸幸一と親しく、また陸軍の軍人であった東條英機とも親しかったわけです。1936年(昭和11年)におきた二・二六事件では、木戸や東條らが連携して事件の処理を行っており、この件の功績で昭和天皇に認められて、東條は政界に進出するようになるわけで。で、戦争に備えて「国民勤労報国協力令」が制定された後、表向きは「日米衝突が回避できそうも無い」という理由で、近衛内閣は退陣し、その後、木戸孝一の推薦を受け、昭和天皇の承認を得て首相に就任したのが、開戦派の東條英機だった、ということで。近衛が「戦争を始めた責任者」と言われるのが嫌で投げ出した内閣を、鶴の一声で手に入れたのが東條だったわけです。(木戸がなんで東條を推薦したのか? ということは割と後の時代まで謎とされていたようですが、ご当人は「東條は天皇一途の人だから、逆に開戦しないと思った。」とか、それこそ謎なことを言っていたらしいのですがーー;。)

で、一応陸軍の代表者である東條と、対立する関係にあったのが海軍の岡田啓介であったわけで。で、戦中は一応東條と対立する地位にはあったわけですが、天皇には割と重用されており、特に戦争反対、と言ったからと言って逮捕も拷問も処刑もされなかったわけで。で、昭和16年以降は「重臣会議」のメンバーでもあって。そして、戦局が危うくなってくると、東條と親しかった近衛、平沼、天皇側近の木戸は逆に岡田と組んで、東條を下ろし、戦争終結を画策し始めるわけです。で、そういう動きは昭和18年頃にはすでにあったわけで。で、翌昭和19年7月末に東條に代わって陸軍の小磯國昭が首相となったわけです。で、海軍からはおそらく岡田の息のかかった米内光政を指名して、両名共同の連立内閣ということにしたわけで。しかし、政界では戦争終結への道筋がこうやって敷かれつつあったはずなのに、9月に岡田は「一億玉砕して国体を護る決心と覚悟がいる」と主張して、これが広く流布され、民間人である国民が戦争に動員され、かつ死ぬまでその任務に励め、そして捕まりそうになったら死ね、という「悪習」が確立されたわけです。1年後には終戦になるっていう時だったのに。しかも、岡田は翌年の昭和20年2月には、天皇の諮問に対して「終戦を考えなければならない段階である」と答えていたわけで。国民に対してと、天皇に対してでは、完全に「2枚舌」を使っているように見えるのは私だけ? と思うわけですが;。

で、こういうやりとりがあったにも関わらず、すぐに戦争を終わらせる、ということもしなかったので、昭和20年3月26日にアメリカ軍は沖縄に上陸を始め、沖縄戦は6月末まで続けられて、まさに「一億玉砕」という言葉通りの惨状が繰り広げられて、20万人弱の民間人が亡くなった、ということで。戦争はもうやめる予定で話が進んでいる段階で、これらの死者の数は積み上げられていっていたわけです。で、6月の頭には、政府内ではもはや「和平派」が主流となっており、末にはソ連に講話の仲介を働きかけることが決定し、それが上手くいかないでいる内に、7月末にポツダム宣言が出され、8月15日に終戦、となるわけで。「一億玉砕」という言葉は、戦争を終わらせるまでに一人でも多くの国民を死に追いやるために使われた方便なんだあ、でも実際に適用されたのはほぼ沖縄ってことだったんだけど、って言われる気がするわけで。強い目の力を持った「プロパガンダ」に巻き込まれて盲目になると、人は踊らされるばっかりになっちゃうんだあ。でも、ドイツ方面に展開したアメリカ兵は、強制収容所でのあまりの惨状を目の辺りにして、近隣住民を連れてきて後の整理を手伝わせた、ということで。近隣住民は、「収容所で何が行われていたか知らなかった」って言っても「そんなはずはないだろう」ということで、許さなかった、ということで。

でもって、日本では「一億玉砕」を叫んだ岡田は、戦後「開戦に反対して、戦前日本を代表する平和主義者」とされてアメリカに厚遇された、ということで。すごい「平和主義者」がいたものだ、とも思うわけですが。しかし、戦前から日本には、陸軍と海軍という2頭の番犬がいて、その2つを巧みに操って、政治家まで巻き込んで戦争を起こしたり、終わらせたりしていた人物がいる、って言われる気がするわけで。それは誰のこと? 天皇側近であった木戸幸一であったら、その人のこと知ってたかも? って言うしか無いわけで。宮廷政治ってすごいね、それって桓武天皇の時代からのお家芸? って思うわけで@@。

しかし、戦前の日本というのは、一応議会のあった国であるので、厳密で厳格な国際法という観点からいえば、ドイツの強制収容所の例の如く国民が「何も知らなかった」って言ったって、「そんなはずはないだろう」ということにしかならない。議会制民主主義の制度の下にあっては、「知らない」と述べることすら「有罪」の根拠である、って言われるわけで。もしかして、最後には国民全員に責任をなすり付けるつもりで、独裁制を取らずに議会制を維持してたりした? と思うわけで。メディアとかでですねえ、「何も知らされていなかった」とか「上の言うことを聞くしかなかった」なんて当たり前のように流すこと自体も、そうとう倫理観を問われる問題だけれども、何もかも計算され尽くした上での戦争だったんじゃないの? って言われる気がするわけで@@。そこまでは流石に気が付かなかったよ、「イエス・キリスト」の目を持つ家系の力ってそういうものなんだ? って思うわけで。

普遍的でグローバルな神サマといえども、一応私も日本人なので、誰も私を責めたり、責任取れみたいなことは言ってこないわけですが。でも、真実を知って欲しいとは願われるし、「きっと、自分では「耳」が聞こえないと思っていても、自分で思っているよりも助けを求めている人の声は良く届いているんだよ。」って言われる気がするわけで。例の戦争に関しては、元々希薄な愛国心が更に冷淡なレベルになってしまうのは、そういうせいでもあるのだろうか、とも思うわけで。

で、こういう「重い」話とは別に、木曜日ですので、朝目が覚めると、誰かさんから例によって「今日はお手紙が届く日」って言われるわけで。今回は、30日の件について「楽しみにしてるから頑張ってね」って書いてくれたら、もっと頑張れる気がするから書いて、って言われたのでそうしたわけですが。で、蛙の子の方は、力の強い7番目の子のことを勝手に「○一兄ちゃん」って呼んでいるらしくて。「『名探偵コナン』みたいやね。」って言われるわけで。「・・・もしかして、『それって新一でしょ』って返すべき?」っていうか、ノリツッコミの練習もさせられてる?? というか、やっぱり関西人だあ、と思ったわけで。ごめん、私は頭の堅い東国人なんで、そういう方面の才能はあんまり無いかも、と思うわけですが@@。ちょっとびっくりしたわけで。

で、お昼頃には例によって誰かさんが喜んでいたわけで。で、夕方頃には「今日はけっこうヘビーなこと書かせちゃったね。でも、これで人を踊らせる目の力ってどういうものだか分かったでしょ。結局、ただ一人の人に全部が踊らされてただけなんだよ。」って言われる気がするわけで。で、某所には「週末までに回復する」みたいなことが書いてあって、「ん? どこか具合が悪かったの?」ってふと思ったわけですが、7番目の子は「30日のことがばれて相当ショックだったみたいやね。」って言って笑っているわけで@@。昨日の書き込みも1行しかなかったしね;、っていうか、7番目の子は、彼は彼でけっこう「いけず」ですねえ、って思うわけですが。ヘビーな情報を送り込んで来る力も半端ないですねえ、ということで。で、今日は「広島原爆の日」なわけです。