本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。今日は、またまた雨模様で、作業がなかなか進まない。

そして、そういえば、古代中国というのは、「首狩り」ということが、非常に意味があることだったなあ、と思い出して。現代的まで残っていた「首狩り」の文化を持っていた人達は、今ではキリスト教に改宗して、首狩りはやっていません。でも、彼らの古老は、まだそういうことをやったことがある人達であって。彼らの本来の宗教がなんであったのかははっきりしません。でも、水牛を犠牲に捧げたり、水牛の角で装飾品を作ったりしていますから、水牛が関連していたことと思われます。そして、彼らの宗教的シンボルと思われるものには、虎と水牛の絵が描かれていますから、やはり本来は「虎と水牛」をあがめていた人達だと思います。でも、その信仰の概念が、どこまで具体的に残されていたのかは、資料だけでは良く分かりません。それは、ともかく、伝統文化によれば、彼らは「首を狩る」だけで、人肉を食べるのではない、と言っているそうです。で、若者(男性)が成人すると、余所の部族の首を狩りに出かけ、それを見事に果たすと成人の仲間入り、ということになったのだそうです。

それに対して、古代中国では、人肉食はけっこう行われていました。それに、首狩りをする人々の本来のトーテムが虎であれば、虎は、当然獲物を「食べる」ために狩るわけですから、本当の大昔には「首狩りをする人々」は人肉食も行っていたのだろう、と思われます。でも、時代が下ると、食べるのはもう一つのトーテムである水牛の肉等(水牛は彼らの「兄弟」でもありますから、水牛の肉は思想的には人肉も同然、ということになります。)ということに変わったのでしょう。そして、首狩りをする人々の文化の大きな特徴は「首を狩る」ということに大きな意味を見いだしている、ということです。首、というのは、人間の中心、というか思考や魂の中心と考えられていました。そして、何故か「狩った頭」は、狩人のお守りになると信じられていました、だから、ドゥルガー女神は、自分が狩った敵の頭を身につけていますし、首を狩る人々は狩った頭を家に飾ったりするのです。こういう文化は、ヨーロッパの古い文化にも伝播していて、聖なる木(クリスマスツリー)に飾る首、というのは、木の実を模したものでもありますし、その木を所有する人々を守護して豊穣をもたらすもの、とも考えられていた、と思います。

古代中国でも、「狩った首」というものは護符のような役割を果たしていました。例えば「道」という漢字は、道路に首を埋めて清めたことから、そういう漢字になったとのことです。現代風にいえば、人の首は、地鎮祭に捧げる供物のようなものと考えられていたのでしょう。でも、なんで、自分が殺した人の首が自分を守るものになるのでしょう? そんなものを身につけていたら、逆に恨まれてたたられそう、と現代の人なら思いそうです。おそらく、こういうことなのだと思います。虎は狩った獲物を食べます。食べられた動物は虎と同化すると考えられます。食べられたものが、虎に生まれ変わる、と神話的にはそう言うかもしれません。それと同じように、首を狩る、ということは、狩られた相手は魂ごと、狩った相手に同化する、と考えられました。すなわち、多くの人を殺す、ということは、神話的には多くの人の魂を、食べて自分に同化させる、ということになります。獲物の数が多ければ多いほど、自分自身は強くなります。要するに多くの魂(すなわち首)を身につけている人ほど、強い人、ということになるのです。身につけている首は、虎である自分が食べた獲物の数と同じ事、という意味なのでしょう。狩った首を道に埋める、というのは、狩った首は「自分に同化させた魂」すなわち「自分自身」でもありますから、自分がそこにいて、道を見張っている、すなわち「その道は自分のものである」ということなのだと思います。

古代中国では、川の神に人の頭を生け贄に捧げていました。それは自分の一部を川の神に捧げて、その代わりに川の流れを順当に保ってもらいたい、という意味があったのでしょう。「順」という文字には、そのような意味があったのだと思われます。そして、古代中国の文化は、それぞれの部族がそれぞれの祖神を持つ、というのではなくて、それぞれの部族が互いに似通った祖神を持って、覇を競う、というものでしたから、祭祀の内容はどこも似たり寄ったりであったと思われます。そして、彼らは身につける装飾品にもこだわりがありました。例えば、神に飾る櫛は、その人の魂でもある、と考えられていました。耳に飾ったりする勾玉も、やはり魂の象徴です。勾玉はネックレスとしても使用されましたが、そもそも首に飾るのは自分が狩った獲物の首でした。要するに、身につける装飾品というのは、その人の財産であり、その人そのもの、とも言えますが、その人が狩って自分に同化させた獲物の魂そのものであった、ともいえます。こういう「魂を身にまとう」という思想は、彼らが人肉を食べなくなっても、生首をむやみやたらに狩って歩かなくなっても、続きました。

古代の日本でも、頭に飾る櫛には、特別な霊力が宿る、とされました。貴族の女の子が成人する時には、頭に櫛を差して、成人の証としました。これは、古代の日本では子供は半人前の存在、と考えられていましたから、「櫛を差す」=「ちゃんと魂の宿った大人の女性になる」と、そういう意味があったのだと思います。また、斎宮が伊勢に出立する際の儀式では、天皇が直接斎宮の頭に櫛を差す、ということになっていました。これは、「櫛」=「天皇の魂の一部」ということで、天皇は斎宮と一体化して、伊勢で一緒に神を祀る、とか、斎宮は天皇の代理である、とかそういう意味があるのでしょう。そして、水牛トーテムの人は、水牛の骨でかんざしを作ったりしますので、彼らが頭に身につけるものは、彼らが獲物にした水牛の霊力を、餌として取り込んで「身につける」ということになります。

ギリシアに「アンドロメダーペルセウス型神話」の原型である、アンドロメダとペルセウスの神話があります。ある国の王女であったアンドロメダが海の神の生け贄に捧げられようとしたところを、英雄ペルセウスが助けて、妻とした、という神話です。この神話の原型は、古代バビロニアの神話であるマルドゥクのティアマト殺しであると考えられます。海の太母であったティアマトは、多くの神々を生み出しましたが、しまいに自分が生み出した子供達が煩わしくなって、彼らを滅ぼすことを画策します。しかし、軍神であるマルドゥク神と戦った結果、母神は殺されて世界の礎にされてしまいました。ティアマトの名前は「アナト」という名前の最初に「t」の子音をつけたものです。地中海周辺の神々の名前のルールは女神を示す「t」は、名前の前につける地域と、後につける地域がありました。アンドロメダの名前は「アナト」+「メダ(メヒト)」ということになりますから、その意味は「獅子であるアナト女神」ということになります。要するに、生け贄にされるアンドロメダと、殺される太母であるティアマトは、元々同じものと考えられていました。生け贄を捧げられる海の女神と、彼女に捧げられる生け贄の娘は一体化して、同じものと考えられていたのです。だから、「アンドロメダーペルセウス」の神話の意味するところは、生け贄を捧げるよりも人命の尊重を優先すること、太母の神としての権威を否定すること、あるいはその双方を目指したもの、と考えられます。ともかく、その結末は結婚であって、めでたしめでたし、となります。

日本の国には、長野県の光善寺に「早太郎伝説」があります。これは、「昔、信濃の光前寺の床下で山犬が子犬を産んだ。光前寺の和尚は親子の山犬を手厚く世話してやった。やがて母犬は子犬達を連れて山に戻ったが、子犬のうちの1匹を寺に残していった。この子犬は早太郎というたいへん強い山犬となり光前寺で飼われた。ある時、光前寺の近くで怪物が現れて子供をさらおうとしたが、早太郎が駆け付けたため、怪物は逃げて行った。さて、その頃、信濃の南隣、遠江の見附村には、毎年、どこからともなく放たれた白羽の矢が立った家の娘を人身御供として神様に差し出差ねばならぬ恐ろしい仕来りがあった。これを破ると田畑が荒らされ、村が困窮しきるため、村人は泣く泣く矢奈比売神社の祭りの夜に娘を棺に入れて差出し、これを鎮めていたのだ。
延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと祭りの夜にその正体を確かめようと神社に向かうと、現れた怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていった。僧侶は、信濃へ行き、方々を探しまわった末、光前寺の早太郎を見つけ出し、和尚から借受けた。そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって棺に潜み、現れた怪物と一夜にわたって激しく戦い、見事退治した。怪物の正体は老いた猿の化生狒々であった。
戦いで深い傷を負った早太郎は、光前寺までたどり着くと和尚にひと吠えして息をひきとったと言われている。 早太郎を借り受けた僧侶は、早太郎の供養のために大般若経を光前寺に奉納した。これは寺宝として経蔵に保管されている。また、本堂の横に早太郎の墓がまつられている。(Wikipediaより) 」というものです。「アンドロメダーペルセウス型」の伝説の一つといえますが、早太郎はそもそも犬ですので、助けた娘と結婚することはありません。そして、猿の神と戦って、相打ちになって死んでしまいます。その結果、娘の命は助かり、村はその後生け贄を立てる必要がなくなったことになります。この伝説では、早太郎は自分の命と引き換えに村と娘を救います。そして、結婚という見返りも求めません。「自らの命と引き換えに世界を救って、見返りを求めない(少なくとも死んだご当人は見返りを求めない)」という思想は、ローマ式原始キリスト教の思想ですので、早太郎伝説は、ローマ式原始キリスト教の影響がみられる伝説といえると思います。見返りを求めずに死ぬ早太郎の姿に、イエス・キリストを重ね合わせているのです。それにしても、現代的には「犬」とは「戌年生まれの誰か」の象徴ともいえる気がします。いったい誰に「何の見返りも求めずに死ね」と言っているのですかね? と思う。光善寺は駒ヶ根市にあって、駒ヶ根市もかつては金刺氏の本拠地の一つでした。金刺氏が「死んで欲しい」と思ってる「戌年生まれの誰か」、ローマ式原始キリスト教徒が「死んでいてくれなきゃ困る」と考えている「生まれ変わったイエス・キリスト」とは誰なのか。その二つが一致しているから、蛙の総本家とローマ式原始キリスト教徒は一致して手を組んでいるわけです。なんで、彼らはその人に「死んで欲しい」と思っているのでしょう? それは、その人が、富の王家と同じく「人間の生け贄とは廃止すべきである」と考えている人だからです。そうすると、蛙の王家とローマ人の思想、すなわち「他人を生きた生け贄にして利用する」ということ、彼らの文化と思想と、やっていることの全てが、全否定されてしまうからです。自ら、生け贄になって死んで、蛙の王家とローマ式原始キリスト教の思想を「肯定しろ」と言われてるわけだ。そういうことを言われた方は、たいがい「大きなお世話だ」と思うんじゃないのですかね、普通のところ、と思うわけです。

もう一つ、有名な「アンドロメダーペルセウス型神話」として「奇稲田姫と須佐之男」の神話があります。須佐之男は、母親の住んでいる「根の国」に行く途中で、「ヤマタノオロチという怪物に毎年娘を食われているアシナヅチ・テナヅチの夫婦と、その娘のクシナダヒメに出会った。彼らの話によると、もうじき最後に残った末娘のクシナダヒメも食われてしまう時期なのだという。哀れに思うと同時に、美しいクシナダヒメが愛しくなったスサノオは、クシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチの退治を申し出た。スサノオの素性を知らないアシナヅチとテナヅチは訝しむが、彼がアマテラスの弟と知ると喜んでこれを承諾し、クシナダヒメをスサノオに差し出した。
スサノオとの結婚が決まると、クシナダヒメはすぐにスサノオの神通力によって変形させられ、小さな櫛に変えられた。そして櫛としてスサノオの髪に挿しこまれ、ヤマタノオロチ退治が終わるまでその状態である。ヤマタノオロチ退治の準備はスサノオの指示で、アシナヅチとテナヅチが行った(Wikipediaより)。 」とあります。早太郎の伝説と比較すると、須佐之男は、八岐大蛇との戦いで死ぬことはありません。ただし、彼は「根の国」へ行く途中であって、後の大国主命の妻問い神話では「根の国」に住んでいます。すなわち、いずれ「死ぬ予定」の存在と言えます。そして、スサノオは奇稲田姫を「櫛」の姿に変えて、身に飾り、戦います。「櫛」とは奇稲田姫の神霊そのものの象徴です。でも、「首狩り」の文化を持つ人からみれば、身を飾る「櫛」とは、そもそも「獲物の首」そのものであるとすぐに分かるはずです。要するに、須佐之男命は、奇稲田姫の生首を身に飾って戦ったのと同じ事になります。そして奇稲田姫は、通常は死ななければ須佐之男命の魂と一体化して、守護する存在となり得ません。言い換えれば、本当に須佐之男命に食い殺されなければ、彼と一体化することはできないのです。要するに、須佐之男命は、八岐大蛇ではなく、自分に奇稲田姫を生け贄に差し出すように要求したことになります。男性が女性を妻にする、ということは古代ローマでは、女性は男性の財産とか道具とみなされましたから、古代ローマ式の思想に従うとすれば、須佐之男命は奇稲田姫を、自分の霊力を高めるための道具として差し出せ、と述べたことになります。両親には、もう次の年に八岐大蛇に差し出す娘が残っていませんでした。だから、奇稲田姫を生け贄にしたとしても、翌年には八岐大蛇の怒りに触れて、村全体が破滅するようなことになることは目に見えていたのです。でも、奇稲田姫を須佐之男命の生け贄に差し出せば、八岐大蛇は退治されて、翌年から生け贄を捧げる必要はなくなります。そのため、親は後者を選んだ、といえます。だから、この神話は村を救ってもらった親と、黄泉の国への道連れを探していた須佐之男命にとっては、「めでたしめでたし」の話ですが、奇稲田姫にとっては、全くめでたい話ではない、となります。ここでも、「親や村のために犠牲になって無償で死ぬように」という、ローマ式原始キリスト教の思想が垣間見えます。そして、こういう意味は「首狩り」の文化を知っている人でなければ、理解できませんから、「首狩り」の文化を知っている人が関わってる話でもある、といえます。そして、早太郎と異なるところは、生け贄の文化を否定しない、ということ。そして、生け贄に代わって「自己犠牲を求める」という精神も垣間見えること、です。でも、「自己犠牲の精神」というのは、形を変えた「生け贄」のことなのではないでしょうか? 「自分から生け贄になれ」と言っているのと同じことです。ですから、自己犠牲を求められることが正当化されるのであれば、生け贄ということを否定しても意味がないことになります。古代ローマでは、生け贄そのものは、嫌悪されることとされましたが、完全に否定されてはいませんでした。そして、キリスト教が公然のものとされてからは、どこでも「自己犠牲」のオンパレードの世界になります。要するに、「自己犠牲の精神」が尊いろされ、かつ生け贄も否定されない、という思想は、非常に古代ローマ的なのです。ただし、「首狩り族」の思想からいえば、生け贄(勝者の餌)となったものは、勝者の道具となることは当然のこととされますから、生け贄そのものを否定するもしないも、そんなレベルではない段階、といえます。そういうローマ式の特殊な「自己犠牲と生け贄」の精神と、古来よりの「敗者は餌になるのが当然」という思想が組み合わさったものが、奇稲田姫の神話といえます。

神話の古い順としては、古代メソポタミア、ギリシャ、日本神話となりますので、時代的には現代に近くなるほど、「生け贄の禁止」という傾向が強くなるべき、と思われますが、日本の神話では、一見して「人の生け贄」を否定しているように見えながら、それが「自己犠牲」という形で、正当化されているのが、大きな特徴といえるのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。今日は、またまた雨模様で、作業がなかなか進まない。

そして、そういえば、古代中国というのは、「首狩り」ということが、非常に意味があることだったなあ、と思い出して。現代的まで残っていた「首狩り」の文化を持っていた人達は、今ではキリスト教に改宗して、首狩りはやっていません。でも、彼らの古老は、まだそういうことをやったことがある人達であって。彼らの本来の宗教がなんであったのかははっきりしません。でも、水牛を犠牲に捧げたり、水牛の角で装飾品を作ったりしていますから、水牛が関連していたことと思われます。そして、彼らの宗教的シンボルと思われるものには、虎と水牛の絵が描かれていますから、やはり本来は「虎と水牛」をあがめていた人達だと思います。でも、その信仰の概念が、どこまで具体的に残されていたのかは、資料だけでは良く分かりません。それは、ともかく、伝統文化によれば、彼らは「首を狩る」だけで、人肉を食べるのではない、と言っているそうです。で、若者(男性)が成人すると、余所の部族の首を狩りに出かけ、それを見事に果たすと成人の仲間入り、ということになったのだそうです。

それに対して、古代中国では、人肉食はけっこう行われていました。それに、首狩りをする人々の本来のトーテムが虎であれば、虎は、当然獲物を「食べる」ために狩るわけですから、本当の大昔には「首狩りをする人々」は人肉食も行っていたのだろう、と思われます。でも、時代が下ると、食べるのはもう一つのトーテムである水牛の肉等(水牛は彼らの「兄弟」でもありますから、水牛の肉は思想的には人肉も同然、ということになります。)ということに変わったのでしょう。そして、首狩りをする人々の文化の大きな特徴は「首を狩る」ということに大きな意味を見いだしている、ということです。首、というのは、人間の中心、というか思考や魂の中心と考えられていました。そして、何故か「狩った頭」は、狩人のお守りになると信じられていました、だから、ドゥルガー女神は、自分が狩った敵の頭を身につけていますし、首を狩る人々は狩った頭を家に飾ったりするのです。こういう文化は、ヨーロッパの古い文化にも伝播していて、聖なる木(クリスマスツリー)に飾る首、というのは、木の実を模したものでもありますし、その木を所有する人々を守護して豊穣をもたらすもの、とも考えられていた、と思います。

古代中国でも、「狩った首」というものは護符のような役割を果たしていました。例えば「道」という漢字は、道路に首を埋めて清めたことから、そういう漢字になったとのことです。現代風にいえば、人の首は、地鎮祭に捧げる供物のようなものと考えられていたのでしょう。でも、なんで、自分が殺した人の首が自分を守るものになるのでしょう? そんなものを身につけていたら、逆に恨まれてたたられそう、と現代の人なら思いそうです。おそらく、こういうことなのだと思います。虎は狩った獲物を食べます。食べられた動物は虎と同化すると考えられます。食べられたものが、虎に生まれ変わる、と神話的にはそう言うかもしれません。それと同じように、首を狩る、ということは、狩られた相手は魂ごと、狩った相手に同化する、と考えられました。すなわち、多くの人を殺す、ということは、神話的には多くの人の魂を、食べて自分に同化させる、ということになります。獲物の数が多ければ多いほど、自分自身は強くなります。要するに多くの魂(すなわち首)を身につけている人ほど、強い人、ということになるのです。身につけている首は、虎である自分が食べた獲物の数と同じ事、という意味なのでしょう。狩った首を道に埋める、というのは、狩った首は「自分に同化させた魂」すなわち「自分自身」でもありますから、自分がそこにいて、道を見張っている、すなわち「その道は自分のものである」ということなのだと思います。

古代中国では、川の神に人の頭を生け贄に捧げていました。それは自分の一部を川の神に捧げて、その代わりに川の流れを順当に保ってもらいたい、という意味があったのでしょう。「順」という文字には、そのような意味があったのだと思われます。そして、古代中国の文化は、それぞれの部族がそれぞれの祖神を持つ、というのではなくて、それぞれの部族が互いに似通った祖神を持って、覇を競う、というものでしたから、祭祀の内容はどこも似たり寄ったりであったと思われます。そして、彼らは身につける装飾品にもこだわりがありました。例えば、神に飾る櫛は、その人の魂でもある、と考えられていました。耳に飾ったりする勾玉も、やはり魂の象徴です。勾玉はネックレスとしても使用されましたが、そもそも首に飾るのは自分が狩った獲物の首でした。要するに、身につける装飾品というのは、その人の財産であり、その人そのもの、とも言えますが、その人が狩って自分に同化させた獲物の魂そのものであった、ともいえます。こういう「魂を身にまとう」という思想は、彼らが人肉を食べなくなっても、生首をむやみやたらに狩って歩かなくなっても、続きました。

古代の日本でも、頭に飾る櫛には、特別な霊力が宿る、とされました。貴族の女の子が成人する時には、頭に櫛を差して、成人の証としました。これは、古代の日本では子供は半人前の存在、と考えられていましたから、「櫛を差す」=「ちゃんと魂の宿った大人の女性になる」と、そういう意味があったのだと思います。また、斎宮が伊勢に出立する際の儀式では、天皇が直接斎宮の頭に櫛を差す、ということになっていました。これは、「櫛」=「天皇の魂の一部」ということで、天皇は斎宮と一体化して、伊勢で一緒に神を祀る、とか、斎宮は天皇の代理である、とかそういう意味があるのでしょう。そして、水牛トーテムの人は、水牛の骨でかんざしを作ったりしますので、彼らが頭に身につけるものは、彼らが獲物にした水牛の霊力を、餌として取り込んで「身につける」ということになります。

ギリシアに「アンドロメダーペルセウス型神話」の原型である、アンドロメダとペルセウスの神話があります。ある国の王女であったアンドロメダが海の神の生け贄に捧げられようとしたところを、英雄ペルセウスが助けて、妻とした、という神話です。この神話の原型は、古代バビロニアの神話であるマルドゥクのティアマト殺しであると考えられます。海の太母であったティアマトは、多くの神々を生み出しましたが、しまいに自分が生み出した子供達が煩わしくなって、彼らを滅ぼすことを画策します。しかし、軍神であるマルドゥク神と戦った結果、母神は殺されて世界の礎にされてしまいました。ティアマトの名前は「アナト」という名前の最初に「t」の子音をつけたものです。地中海周辺の神々の名前のルールは女神を示す「t」は、名前の前につける地域と、後につける地域がありました。アンドロメダの名前は「アナト」+「メダ(メヒト)」ということになりますから、その意味は「獅子であるアナト女神」ということになります。要するに、生け贄にされるアンドロメダと、殺される太母であるティアマトは、元々同じものと考えられていました。生け贄を捧げられる海の女神と、彼女に捧げられる生け贄の娘は一体化して、同じものと考えられていたのです。だから、「アンドロメダーペルセウス」の神話の意味するところは、生け贄を捧げるよりも人命の尊重を優先すること、太母の神としての権威を否定すること、あるいはその双方を目指したもの、と考えられます。ともかく、その結末は結婚であって、めでたしめでたし、となります。

日本の国には、長野県の光善寺に「早太郎伝説」があります。これは、「昔、信濃の光前寺の床下で山犬が子犬を産んだ。光前寺の和尚は親子の山犬を手厚く世話してやった。やがて母犬は子犬達を連れて山に戻ったが、子犬のうちの1匹を寺に残していった。この子犬は早太郎というたいへん強い山犬となり光前寺で飼われた。ある時、光前寺の近くで怪物が現れて子供をさらおうとしたが、早太郎が駆け付けたため、怪物は逃げて行った。さて、その頃、信濃の南隣、遠江の見附村には、毎年、どこからともなく放たれた白羽の矢が立った家の娘を人身御供として神様に差し出差ねばならぬ恐ろしい仕来りがあった。これを破ると田畑が荒らされ、村が困窮しきるため、村人は泣く泣く矢奈比売神社の祭りの夜に娘を棺に入れて差出し、これを鎮めていたのだ。
延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと祭りの夜にその正体を確かめようと神社に向かうと、現れた怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていった。僧侶は、信濃へ行き、方々を探しまわった末、光前寺の早太郎を見つけ出し、和尚から借受けた。そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって棺に潜み、現れた怪物と一夜にわたって激しく戦い、見事退治した。怪物の正体は老いた猿の化生狒々であった。
戦いで深い傷を負った早太郎は、光前寺までたどり着くと和尚にひと吠えして息をひきとったと言われている。 早太郎を借り受けた僧侶は、早太郎の供養のために大般若経を光前寺に奉納した。これは寺宝として経蔵に保管されている。また、本堂の横に早太郎の墓がまつられている。(Wikipediaより) 」というものです。「アンドロメダーペルセウス型」の伝説の一つといえますが、早太郎はそもそも犬ですので、助けた娘と結婚することはありません。そして、猿の神と戦って、相打ちになって死んでしまいます。その結果、娘の命は助かり、村はその後生け贄を立てる必要がなくなったことになります。この伝説では、早太郎は自分の命と引き換えに村と娘を救います。そして、結婚という見返りも求めません。「自らの命と引き換えに世界を救って、見返りを求めない(少なくとも死んだご当人は見返りを求めない)」という思想は、ローマ式原始キリスト教の思想ですので、早太郎伝説は、ローマ式原始キリスト教の影響がみられる伝説といえると思います。見返りを求めずに死ぬ早太郎の姿に、イエス・キリストを重ね合わせているのです。それにしても、現代的には「犬」とは「戌年生まれの誰か」の象徴ともいえる気がします。いったい誰に「何の見返りも求めずに死ね」と言っているのですかね? と思う。光善寺は駒ヶ根市にあって、駒ヶ根市もかつては金刺氏の本拠地の一つでした。金刺氏が「死んで欲しい」と思ってる「戌年生まれの誰か」、ローマ式原始キリスト教徒が「死んでいてくれなきゃ困る」と考えている「生まれ変わったイエス・キリスト」とは誰なのか。その二つが一致しているから、蛙の総本家とローマ式原始キリスト教徒は一致して手を組んでいるわけです。なんで、彼らはその人に「死んで欲しい」と思っているのでしょう? それは、その人が、富の王家と同じく「人間の生け贄とは廃止すべきである」と考えている人だからです。そうすると、蛙の王家とローマ人の思想、すなわち「他人を生きた生け贄にして利用する」ということ、彼らの文化と思想と、やっていることの全てが、全否定されてしまうからです。自ら、生け贄になって死んで、蛙の王家とローマ式原始キリスト教の思想を「肯定しろ」と言われてるわけだ。そういうことを言われた方は、たいがい「大きなお世話だ」と思うんじゃないのですかね、普通のところ、と思うわけです。

もう一つ、有名な「アンドロメダーペルセウス型神話」として「奇稲田姫と須佐之男」の神話があります。須佐之男は、母親の住んでいる「根の国」に行く途中で、「ヤマタノオロチという怪物に毎年娘を食われているアシナヅチ・テナヅチの夫婦と、その娘のクシナダヒメに出会った。彼らの話によると、もうじき最後に残った末娘のクシナダヒメも食われてしまう時期なのだという。哀れに思うと同時に、美しいクシナダヒメが愛しくなったスサノオは、クシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチの退治を申し出た。スサノオの素性を知らないアシナヅチとテナヅチは訝しむが、彼がアマテラスの弟と知ると喜んでこれを承諾し、クシナダヒメをスサノオに差し出した。
スサノオとの結婚が決まると、クシナダヒメはすぐにスサノオの神通力によって変形させられ、小さな櫛に変えられた。そして櫛としてスサノオの髪に挿しこまれ、ヤマタノオロチ退治が終わるまでその状態である。ヤマタノオロチ退治の準備はスサノオの指示で、アシナヅチとテナヅチが行った(Wikipediaより)。 」とあります。早太郎の伝説と比較すると、須佐之男は、八岐大蛇との戦いで死ぬことはありません。ただし、彼は「根の国」へ行く途中であって、後の大国主命の妻問い神話では「根の国」に住んでいます。すなわち、いずれ「死ぬ予定」の存在と言えます。そして、スサノオは奇稲田姫を「櫛」の姿に変えて、身に飾り、戦います。「櫛」とは奇稲田姫の神霊そのものの象徴です。でも、「首狩り」の文化を持つ人からみれば、身を飾る「櫛」とは、そもそも「獲物の首」そのものであるとすぐに分かるはずです。要するに、須佐之男命は、奇稲田姫の生首を身に飾って戦ったのと同じ事になります。そして奇稲田姫は、通常は死ななければ須佐之男命の魂と一体化して、守護する存在となり得ません。言い換えれば、本当に須佐之男命に食い殺されなければ、彼と一体化することはできないのです。要するに、須佐之男命は、八岐大蛇ではなく、自分に奇稲田姫を生け贄に差し出すように要求したことになります。男性が女性を妻にする、ということは古代ローマでは、女性は男性の財産とか道具とみなされましたから、古代ローマ式の思想に従うとすれば、須佐之男命は奇稲田姫を、自分の霊力を高めるための道具として差し出せ、と述べたことになります。両親には、もう次の年に八岐大蛇に差し出す娘が残っていませんでした。だから、奇稲田姫を生け贄にしたとしても、翌年には八岐大蛇の怒りに触れて、村全体が破滅するようなことになることは目に見えていたのです。でも、奇稲田姫を須佐之男命の生け贄に差し出せば、八岐大蛇は退治されて、翌年から生け贄を捧げる必要はなくなります。そのため、親は後者を選んだ、といえます。だから、この神話は村を救ってもらった親と、黄泉の国への道連れを探していた須佐之男命にとっては、「めでたしめでたし」の話ですが、奇稲田姫にとっては、全くめでたい話ではない、となります。ここでも、「親や村のために犠牲になって無償で死ぬように」という、ローマ式原始キリスト教の思想が垣間見えます。そして、こういう意味は「首狩り」の文化を知っている人でなければ、理解できませんから、「首狩り」の文化を知っている人が関わってる話でもある、といえます。そして、早太郎と異なるところは、生け贄の文化を否定しない、ということ。そして、生け贄に代わって「自己犠牲を求める」という精神も垣間見えること、です。でも、「自己犠牲の精神」というのは、形を変えた「生け贄」のことなのではないでしょうか? 「自分から生け贄になれ」と言っているのと同じことです。ですから、自己犠牲を求められることが正当化されるのであれば、生け贄ということを否定しても意味がないことになります。古代ローマでは、生け贄そのものは、嫌悪されることとされましたが、完全に否定されてはいませんでした。そして、キリスト教が公然のものとされてからは、どこでも「自己犠牲」のオンパレードの世界になります。要するに、「自己犠牲の精神」が尊いろされ、かつ生け贄も否定されない、という思想は、非常に古代ローマ的なのです。ただし、「首狩り族」の思想からいえば、生け贄(勝者の餌)となったものは、勝者の道具となることは当然のこととされますから、生け贄そのものを否定するもしないも、そんなレベルではない段階、といえます。そういうローマ式の特殊な「自己犠牲と生け贄」の精神と、古来よりの「敗者は餌になるのが当然」という思想が組み合わさったものが、奇稲田姫の神話といえます。

神話の古い順としては、古代メソポタミア、ギリシャ、日本神話となりますので、時代的には現代に近くなるほど、「生け贄の禁止」という傾向が強くなるべき、と思われますが、日本の神話では、一見して「人の生け贄」を否定しているように見えながら、それが「自己犠牲」という形で、正当化されているのが、大きな特徴といえるのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。今日は朝から晴れていたわけですが、石やゴミが多いところを掘ったので、作業はなかなか進まなくて。アスファルトの塊も相変わらず出てくるのです。っそいて、石が多い砂質だから、崩れやすくて-;。

それにしても、良く分からないのは、例えば西方では、王は若々しさや猛々しさ、豊穣性の象徴でなければならないので、老いると死なねばならない、とか凶作の年にはその責任を取って死なねばならない、という文化がありました。それと共に、戦争などがあると、敗者は当然、殺されたり、奴隷にされたことと思います。奴隷には言論の自由もなく、好きに生きることもできませんから、彼らのことを「生きた死人」と呼ぶのは分かります。人が自由に生きるものであるならば、奴隷とは「人として自由に生きている」とは言えないからです。でも、では何故全体から見ると、奴隷も王も死なねばならないのかが分からないのです。王というものが、「権力」を持つ者であれば、凶作の時にも、その権力で誰よりも長く生きられるのではないの? とそんな気もするからです。

それに、「死人を使役する」という意味も良く分からない。例えば、イエス・キリストは系統だった自分の「教え」とか「書物」を残して亡くなったわけではないので、彼の死後、弟子達は「イエスがああ言った」とか「こう言った」というような書物を残しました。でも、そういうものは、本当にイエスがい言ったことかどうかは分からない。弟子が、自分が言いたいことを、イエスの言ったことにして書物に書いている、ということはあると思います。そうやって、イエスを利用していることはあると思う。でも、それは間接的に「イエスの言ったこと」を利用しているだけであって、イエスを直接働かせているわけではありません。死者は生きている奴隷とは違いますから、直接働かせることはできないわけです。でも、神話や民話的には、誰かが黄泉の国へ行って、ああした、とかこうした、とかいう話はいくらでも出てきますし、そこからまた生きて戻ってくる、という話もいくらでもあります。その人は、黄泉の国へ行く、ということは「死んでいる」ということですから、それ以上に働こうにも、楽しようにも、何もやりようがないのでは? と思うのですが、神話や民話ではそうではありません。

そして、「女神信仰」という観点から見れば、例えば古代エジプトのネイト、テフヌト、セクメトといった獅子の女神達は、その最盛期においては、その属性の多くは、夜の女神であったり、月の女神であったりしました。でも、エジプト文明のごく初期の紀元前3100年頃まで遡ると、獅子の女神は、太陽光線(蛙の手)を持つ太陽女神として現されます。要するに彼らは、3000年の間に、太陽神から月神へと作り替えられ、元々持っていた太陽光線(蛙の手)は、軍神としての弓矢に変換されました。それでも、古代エジプトでは本来の女神信仰の形が良く保持され、女神が「天」、男神が「地」である、という構図も一部に残されました。彼らの本来の姿は、猛獣である獅子が女神であり、妻であり、太陽であり、天そのものです。その一方、夫は牛であり、女神の獲物であり、食料であり、月であり、大地とされます。彼らが1対となって、世界は構成されるのです。

こういうことがある中で、外へ出たら、太陽女神のままではいけない。西欧の多くの「天の女神達」のように、月の中に隠れて、月の女神のようにならなければいけない、と言われる気がするわけで。だから、ユーノーの名前を取るように、と言われる気がするわけです。ユーノーはローマの主神であるユーピテルの妻とされる女神です。天の女神ですが、月の女神でもあります。でも、そういえば、月は天上に存在するものなのに、なんで「月の神」が「地母神」でもあるのだろう? と思う。そして、ユーノー女神は、「月の女神」ですが、「天の女神」ともされていますので、やや性質が一致しないゆがんだ女神、といえます。でも、ともかく名前というものにも、「魔力」というものは宿るものであるので、私は名前が同じその女神の名前はもらえる、と言われる気がするわけで。でも、そもそもユーノー女神とは何者? と思うのです。他に、あまり類似した女神を見ない気がしていたわけで。

そうしたら、「それはもう勉強したでしょ。ユーノーはローマの対岸のカルタゴの女神であるタニトと同じものでしょ?」と言われる気がするわけで。そういえばそうだ、というか、それではユーノー女神は、タニト、ネイトと同じ神で、隠されたトーテムは獅子であって、「初子を自分の生け贄に捧げよ」と述べてガツガツ焼いて食べていた女神ですよねえ? と思う。要するに捧げられた犠牲は、ライオンの餌で、ユーノー女神もまた「太陽を隠した月の女神」ですよねえ? と思う。そうすると、それだけではない。古代エジプトにおけるネイトは、母性の象徴でもあって。ネイトは定まった夫を持たずに母親となる、典型的な「母系社会の女神」です。母性の強いライオンの性質が、ユーノー女神の「出産と家庭生活を守る女性のための女神」という性質に投影されているわけです。そして、エジプトにおける古い時代のキリスト教、すなわち現在のコプト教の「十字」とは、その初期の頃は「タニトの印」とほぼ同じものが使用されていましたし、現在でも矢を模したかのような「十字」がそこでは使われています。そして、コプト教では母性を象徴する聖母信仰もとても強いのです。要するに、コプトの人々が、キリスト教の中に隠している神とは何ですか? それは、ローマではユーピテル、ギリシャではゼウス・サバジオス、ロシアではペールーンと言われる気がするのですが? と思うと、コプトの人々が隠しているのは、その十字に象徴されるネイトでしょ、と言われる気がするわけで@@。

でも、母系の女神の元が、猛獣であるのなら、羌族の神である西王母は何なのだろう? と思うわけです。彼らは鹿の太陽女神は、「食べ物」くらいにしか思っていません。だいたい、草食動物は肉食動物に「食べられるもの」だから、草食動物のトーテムでは「永遠の神」は表現できないわけです。西欧の太母は、キュベレーのように、若い男を夫、すなわち餌にしては、それを食らって自分だけは永遠に生きる猛獣の神でした。では、自分のとこの神様は本来何なのだろう? と思うのです。そうすると、西王母の使いは白虎なんだから、彼女は虎の女神でしょ、と言われる気がするわけで。言われてみればそうだと思う。でも、それだけでは漠然としている気がするわけです。で、羌族は、ともかくチベット系の民族ですので、チベットにおける虎の位置づけを調べてみました。そうしたら、虎は人々に活力を与える聖なる動物、と考えられていて、僧は虎の皮の敷物の上で瞑想したりしている、とありました。虎が特に聖別される動物であることは分かる。そして、西王母が女神である、ということは、チベットで古くから信仰されていた女神が虎である、ということになるはずです。今のチベットは仏教圏ですが、チベット密教は他の地位の仏教とはやや異なる特殊なものでもあります。それで、チベット仏教で、母性や女性性が強調されるものを調べてみましたら、多羅菩薩(ターラー菩薩)というものがありました。この神は地元ではドゥーマと言われています。ドゥーマとは、子音から見ればユーノーと同じ神と言えます。要するに、西欧のユーノーは猛獣でありライオンですが、東洋の多羅菩薩は猛獣であり虎であり、その起源は名前からみて、ほぼ同じもの、といえます。そして、チベットはインドに近い地域ですから、インドにも多羅菩薩に相当する女神はいるはず、と思って調べてみました。そうしたら、「虎に乗るドゥルガー」という女神が出てきたわけで@@。

ドゥルガーとは、ヒンドゥーでは、シヴァの妃の軍神としての相であって、元はベンガル地方の神で、水牛の悪魔を倒した女神、と言われています。要するに、女神は虎で、その獲物は水牛ということになります。それがけっこう問題であって、ヒンドゥーでは、「牛」は聖なる動物、とされますが、「水牛」は悪魔に属するもの、とされて牛とは区別されるのです。そして、水牛をトーテム、すなわち水牛を犠牲とする人々は、インドよりも東のアジアに住んでおり、祭祀の際には今でもものすごい勢いで水牛を犠牲に捧げるのです。そして、「ライオンと牛」という組み合わせは、西欧では印欧語族の間に広く浸透していて、特に「天の父なる牡牛信仰」は印欧語族の共通した信仰であって、ローマのユーピテルも、ギリシャのゼウス・サバジオスも「牛」なのです。印欧語族はインド方面にも展開していますから、牛を聖なるものと考えるヒンドゥーの思想は、印欧語族由来のもの、といえます。でも、「水牛」をトーテムとする人々は、インド方面に侵入した印欧語族から見れば、先住民族ですので、「虎と水牛」を信仰している人達は、元々印欧語族ではない人達、ということになります。ドゥルガーが水牛の悪魔を倒した、という神話は、印欧語族中心のヒンドゥー化の中で作られたもので、本来はドゥルガーと水牛の神は夫婦であったことは疑いもありません。でも、ドゥルガーはやばいでしょ。血に飢えた彼女は、今でも大量の水牛を生け贄として要求する女神です。ということは、かつて大量の人の生け贄を求めた神でもある、ということになります。というか、ドゥルガーは自分が狩った敵の生首を腰飾りにして身につけるような「首狩り」の女神なので。彼女を信仰している人達は、人食い虎であり、首狩り族ということになります@@。要するに、その発生起源は中国とインドの間の山岳地帯から生じた、典型的な「首狩り族」です。だいたい、ベンガル地方と言えば、20世紀初頭まで実際に人の首を狩ってる「首狩り族」が生活していたところでもあるわけで。彼らも今では首狩りの儀式は行いませんが、水牛の供犠はやはり続けているわけです。要はその人達と、ごくごく遠い親戚ってことじゃん、と思う@@。

というわけで、そもそも「羌族」という言葉が欺瞞的だ、と思う。その人達の草食動物としての本当のトーテムは「水牛」であって「羊」ではないじゃん。「羊」は、彼らの「虎+水牛」の神の単なる餌に過ぎない、といえます。しかも、稲作を始めると、羊に変えていたトーテムを更に、鹿とか蛙に変更しているわけです。そして、あげくの果てに、その王族は、虎も水牛も存在しない日本にやってきているわけだから、日本人に紛れ込んで、日本人のふりをしていたら、彼らの隠されたトーテムが「虎と水牛」であることは、それこそ誰にも知りようがありません。だいたい、周りの日本人は、虎も水牛もどんなものなのか知らないわけですし。

というわけで、総本家がひた隠しにしている、彼らの「起源」ともいえる正体がようやく分かったのでした。だから、私がユーノーの名前を取ることは、ドゥーマ(多羅菩薩)とドゥルガーの名前を取ること、となります。でも、それが私が本来「なるべきもの」でもあったはず。そして、多羅菩薩に関連する神々の分布は広く、エトルリアのティニア、ケルトのタラニス、と続きますので。ユーノー女神の同類項は、印欧語族である、ない、の枠を超えて、非常に広く分布しているんだ、とようやく気がつけたわけなのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。今日は朝から晴れていたわけですが、石やゴミが多いところを掘ったので、作業はなかなか進まなくて。アスファルトの塊も相変わらず出てくるのです。っそいて、石が多い砂質だから、崩れやすくて-;。

それにしても、良く分からないのは、例えば西方では、王は若々しさや猛々しさ、豊穣性の象徴でなければならないので、老いると死なねばならない、とか凶作の年にはその責任を取って死なねばならない、という文化がありました。それと共に、戦争などがあると、敗者は当然、殺されたり、奴隷にされたことと思います。奴隷には言論の自由もなく、好きに生きることもできませんから、彼らのことを「生きた死人」と呼ぶのは分かります。人が自由に生きるものであるならば、奴隷とは「人として自由に生きている」とは言えないからです。でも、では何故全体から見ると、奴隷も王も死なねばならないのかが分からないのです。王というものが、「権力」を持つ者であれば、凶作の時にも、その権力で誰よりも長く生きられるのではないの? とそんな気もするからです。

それに、「死人を使役する」という意味も良く分からない。例えば、イエス・キリストは系統だった自分の「教え」とか「書物」を残して亡くなったわけではないので、彼の死後、弟子達は「イエスがああ言った」とか「こう言った」というような書物を残しました。でも、そういうものは、本当にイエスがい言ったことかどうかは分からない。弟子が、自分が言いたいことを、イエスの言ったことにして書物に書いている、ということはあると思います。そうやって、イエスを利用していることはあると思う。でも、それは間接的に「イエスの言ったこと」を利用しているだけであって、イエスを直接働かせているわけではありません。死者は生きている奴隷とは違いますから、直接働かせることはできないわけです。でも、神話や民話的には、誰かが黄泉の国へ行って、ああした、とかこうした、とかいう話はいくらでも出てきますし、そこからまた生きて戻ってくる、という話もいくらでもあります。その人は、黄泉の国へ行く、ということは「死んでいる」ということですから、それ以上に働こうにも、楽しようにも、何もやりようがないのでは? と思うのですが、神話や民話ではそうではありません。

そして、「女神信仰」という観点から見れば、例えば古代エジプトのネイト、テフヌト、セクメトといった獅子の女神達は、その最盛期においては、その属性の多くは、夜の女神であったり、月の女神であったりしました。でも、エジプト文明のごく初期の紀元前3100年頃まで遡ると、獅子の女神は、太陽光線(蛙の手)を持つ太陽女神として現されます。要するに彼らは、3000年の間に、太陽神から月神へと作り替えられ、元々持っていた太陽光線(蛙の手)は、軍神としての弓矢に変換されました。それでも、古代エジプトでは本来の女神信仰の形が良く保持され、女神が「天」、男神が「地」である、という構図も一部に残されました。彼らの本来の姿は、猛獣である獅子が女神であり、妻であり、太陽であり、天そのものです。その一方、夫は牛であり、女神の獲物であり、食料であり、月であり、大地とされます。彼らが1対となって、世界は構成されるのです。

こういうことがある中で、外へ出たら、太陽女神のままではいけない。西欧の多くの「天の女神達」のように、月の中に隠れて、月の女神のようにならなければいけない、と言われる気がするわけで。だから、ユーノーの名前を取るように、と言われる気がするわけです。ユーノーはローマの主神であるユーピテルの妻とされる女神です。天の女神ですが、月の女神でもあります。でも、そういえば、月は天上に存在するものなのに、なんで「月の神」が「地母神」でもあるのだろう? と思う。そして、ユーノー女神は、「月の女神」ですが、「天の女神」ともされていますので、やや性質が一致しないゆがんだ女神、といえます。でも、ともかく名前というものにも、「魔力」というものは宿るものであるので、私は名前が同じその女神の名前はもらえる、と言われる気がするわけで。でも、そもそもユーノー女神とは何者? と思うのです。他に、あまり類似した女神を見ない気がしていたわけで。

そうしたら、「それはもう勉強したでしょ。ユーノーはローマの対岸のカルタゴの女神であるタニトと同じものでしょ?」と言われる気がするわけで。そういえばそうだ、というか、それではユーノー女神は、タニト、ネイトと同じ神で、隠されたトーテムは獅子であって、「初子を自分の生け贄に捧げよ」と述べてガツガツ焼いて食べていた女神ですよねえ? と思う。要するに捧げられた犠牲は、ライオンの餌で、ユーノー女神もまた「太陽を隠した月の女神」ですよねえ? と思う。そうすると、それだけではない。古代エジプトにおけるネイトは、母性の象徴でもあって。ネイトは定まった夫を持たずに母親となる、典型的な「母系社会の女神」です。母性の強いライオンの性質が、ユーノー女神の「出産と家庭生活を守る女性のための女神」という性質に投影されているわけです。そして、エジプトにおける古い時代のキリスト教、すなわち現在のコプト教の「十字」とは、その初期の頃は「タニトの印」とほぼ同じものが使用されていましたし、現在でも矢を模したかのような「十字」がそこでは使われています。そして、コプト教では母性を象徴する聖母信仰もとても強いのです。要するに、コプトの人々が、キリスト教の中に隠している神とは何ですか? それは、ローマではユーピテル、ギリシャではゼウス・サバジオス、ロシアではペールーンと言われる気がするのですが? と思うと、コプトの人々が隠しているのは、その十字に象徴されるネイトでしょ、と言われる気がするわけで@@。

でも、母系の女神の元が、猛獣であるのなら、羌族の神である西王母は何なのだろう? と思うわけです。彼らは鹿の太陽女神は、「食べ物」くらいにしか思っていません。だいたい、草食動物は肉食動物に「食べられるもの」だから、草食動物のトーテムでは「永遠の神」は表現できないわけです。西欧の太母は、キュベレーのように、若い男を夫、すなわち餌にしては、それを食らって自分だけは永遠に生きる猛獣の神でした。では、自分のとこの神様は本来何なのだろう? と思うのです。そうすると、西王母の使いは白虎なんだから、彼女は虎の女神でしょ、と言われる気がするわけで。言われてみればそうだと思う。でも、それだけでは漠然としている気がするわけです。で、羌族は、ともかくチベット系の民族ですので、チベットにおける虎の位置づけを調べてみました。そうしたら、虎は人々に活力を与える聖なる動物、と考えられていて、僧は虎の皮の敷物の上で瞑想したりしている、とありました。虎が特に聖別される動物であることは分かる。そして、西王母が女神である、ということは、チベットで古くから信仰されていた女神が虎である、ということになるはずです。今のチベットは仏教圏ですが、チベット密教は他の地位の仏教とはやや異なる特殊なものでもあります。それで、チベット仏教で、母性や女性性が強調されるものを調べてみましたら、多羅菩薩(ターラー菩薩)というものがありました。この神は地元ではドゥーマと言われています。ドゥーマとは、子音から見ればユーノーと同じ神と言えます。要するに、西欧のユーノーは猛獣でありライオンですが、東洋の多羅菩薩は猛獣であり虎であり、その起源は名前からみて、ほぼ同じもの、といえます。そして、チベットはインドに近い地域ですから、インドにも多羅菩薩に相当する女神はいるはず、と思って調べてみました。そうしたら、「虎に乗るドゥルガー」という女神が出てきたわけで@@。

ドゥルガーとは、ヒンドゥーでは、シヴァの妃の軍神としての相であって、元はベンガル地方の神で、水牛の悪魔を倒した女神、と言われています。要するに、女神は虎で、その獲物は水牛ということになります。それがけっこう問題であって、ヒンドゥーでは、「牛」は聖なる動物、とされますが、「水牛」は悪魔に属するもの、とされて牛とは区別されるのです。そして、水牛をトーテム、すなわち水牛を犠牲とする人々は、インドよりも東のアジアに住んでおり、祭祀の際には今でもものすごい勢いで水牛を犠牲に捧げるのです。そして、「ライオンと牛」という組み合わせは、西欧では印欧語族の間に広く浸透していて、特に「天の父なる牡牛信仰」は印欧語族の共通した信仰であって、ローマのユーピテルも、ギリシャのゼウス・サバジオスも「牛」なのです。印欧語族はインド方面にも展開していますから、牛を聖なるものと考えるヒンドゥーの思想は、印欧語族由来のもの、といえます。でも、「水牛」をトーテムとする人々は、インド方面に侵入した印欧語族から見れば、先住民族ですので、「虎と水牛」を信仰している人達は、元々印欧語族ではない人達、ということになります。ドゥルガーが水牛の悪魔を倒した、という神話は、印欧語族中心のヒンドゥー化の中で作られたもので、本来はドゥルガーと水牛の神は夫婦であったことは疑いもありません。でも、ドゥルガーはやばいでしょ。血に飢えた彼女は、今でも大量の水牛を生け贄として要求する女神です。ということは、かつて大量の人の生け贄を求めた神でもある、ということになります。というか、ドゥルガーは自分が狩った敵の生首を腰飾りにして身につけるような「首狩り」の女神なので。彼女を信仰している人達は、人食い虎であり、首狩り族ということになります@@。要するに、その発生起源は中国とインドの間の山岳地帯から生じた、典型的な「首狩り族」です。だいたい、ベンガル地方と言えば、20世紀初頭まで実際に人の首を狩ってる「首狩り族」が生活していたところでもあるわけで。彼らも今では首狩りの儀式は行いませんが、水牛の供犠はやはり続けているわけです。要はその人達と、ごくごく遠い親戚ってことじゃん、と思う@@。

というわけで、そもそも「羌族」という言葉が欺瞞的だ、と思う。その人達の草食動物としての本当のトーテムは「水牛」であって「羊」ではないじゃん。「羊」は、彼らの「虎+水牛」の神の単なる餌に過ぎない、といえます。しかも、稲作を始めると、羊に変えていたトーテムを更に、鹿とか蛙に変更しているわけです。そして、あげくの果てに、その王族は、虎も水牛も存在しない日本にやってきているわけだから、日本人に紛れ込んで、日本人のふりをしていたら、彼らの隠されたトーテムが「虎と水牛」であることは、それこそ誰にも知りようがありません。だいたい、周りの日本人は、虎も水牛もどんなものなのか知らないわけですし。

というわけで、総本家がひた隠しにしている、彼らの「起源」ともいえる正体がようやく分かったのでした。だから、私がユーノーの名前を取ることは、ドゥーマ(多羅菩薩)とドゥルガーの名前を取ること、となります。でも、それが私が本来「なるべきもの」でもあったはず。そして、多羅菩薩に関連する神々の分布は広く、エトルリアのティニア、ケルトのタラニス、と続きますので。ユーノー女神の同類項は、印欧語族である、ない、の枠を超えて、非常に広く分布しているんだ、とようやく気がつけたわけなのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。深夜過ぎから雨が降って、9時頃まで降り続いていたので、午前中の作業はお休みして、部屋の掃除をする、というか、親にしてもらうー;。自分では、どうにも整理整頓できない性格なのでー;。この半年くらい、作業と、裁判だのなんだののゴタゴタで、身の回りの整理整頓とか全然できていなかったので、部屋がだいぶすっきりする。

そして、神様の話に戻るわけですが、農耕民の思想には、必ず「神が死ぬ」という話がつきまとう、と言われる気がするわけです。それは、肥料というものがない昔は、枯れた植物を肥料にする、とか、生きたものを殺して肥料にする、とか、そうすることで収穫が増えて安定する、ということを昔の人でも経験で知っていたので、ハイヌウェレ型神話のように、祭祀で生きている人を切り刻んで埋めるということになる。殺された人の命は、収穫された植物と一体化されるわけで、収穫されたものは「神からもたらされたもの」とされますから、殺された人が神と同じもの、となります。そして、人々が自分の部族の中だけで生きて生活しているうちは良いのですけれども、異なる部族と接触して、共に暮らすようになると、部族同士の力関係が生じて、だいたい上位の部族の人々が、下位の部族の人々の「神」を、それこそ「死んで人々の役に立て」と言って、犠牲にしてしまう、ということが生じます。要するに、下位の部族の指導者になり得るような優れた人を選択的に殺して、反乱を抑えようとするようになる。そうすると、殺された神は、たいてい神々しい太陽神とか、天空の神、とか言われる代わりに、「冥界神」として、祟り神とか、穢れた神という扱いを受けるようになります。そして、死んだ神に対して、同じ部族のものから、更に「神と同一のものとなれ」という理屈で犠牲が立てられることになる。そうすると、下位の部族はますます弱体化が進むことになります。

古代中国の殷は、最初は多くの部族の寄り合い国家でしたが、後に一つの家系が台頭し、家長が専制君主となって君臨しました。中国には、ゲイ神話という神話があり、これはある日、天空に10の太陽が現れたので、地上は暑すぎて困ってしまった。そこで、ゲイという弓の名手が9つの太陽を射落として、地上に平安を取り戻した、という神話です。この神話は、それぞれに太陽神を頂く複数の部族が、国家の主導権を争った結果、特定の一つの部族が勝ち残ったことを示唆する神話だし、殷の歴史と相関関係があると思われます。そして、殷の王は黄帝(太陽神)の子孫である祭祀者として、祭祀も行っていました。多くの中国の人々は、黄帝を祖神と考えていましたから、彼らの頂点に君臨する皇帝とは、「生きた黄帝」であり、その祭祀者でもある、といえます。それは、日本の天皇が天照大神の子孫であり、かつ天照大神の祭祀者であるのと相関関係にあります。要するに、太陽神の子孫が、先祖の太陽神を祀る、という思想は古代中国からもたらされた、といえます。

ライバルの部族の太陽神を蹴落として、唯一絶対の黄帝の子孫となった殷の王家は、時代が下ると鬼神信仰が盛んになり、祭祀の際に大量の人間の生け贄を捧げるようになりました。特に羌族から多くの生け贄が立てられたのです。それにしても、「鬼神」とは何なのでしょう? ということになります。「鬼」とは「死者」のことですので、「死んだ神」とは、例えば太陽神をそれぞれにあがめる部族が10あったとしたら、殺されて負けてしまった残りの「9つの死んだ太陽」のこと、となります。そうすると、皇帝は敗北した部族の神の祭祀権までもを奪い、かつ、「死んだ神」を冥界神として、「自分たちの神の元へ行け」と述べて、敗北した部族をどんどん生け贄にしたわけです。それが、殷の末期の姿でした。しかし、「死んだ神」も元は太陽神なわけですから、支配し、祭祀権を奪うためには、本来の名前を奪い「黄帝と同じもの」として習合させてしまうわけです。そうすると、「黄帝は生と死を司る神」とされて、医薬神としての性質も持つことになる。でも、死者に関わることは「穢れ」ですから、「太陽神に習合させた多くの死んだ神」の性質の方に引きずられて、黄帝はしまいには、本来の太陽神としての性質をほとんど失ってしまうことになりました。黄帝のこのような性質は、日本の天照大神の性質に大きく投影されている、といえます。複合的な太陽女神である天照大神は、天上世界にあるときは唯一絶対の太陽女神ですが、姿と名前を変えると、時に焼け死ぬイザナミ、斬り殺されるカグツチ、同じく斬り殺される保食神、そして斬り殺される早乙女(鹿の神)となります。多くの殺される女神群は、蛙の王家が実際に征服し支配してきた部族の神々であり、それを古代中国式に蛙の王家の太陽女神と習合させたものを、また飛鳥から奈良時代の国史編纂に併せて、再分離したもの、といえます。だから、今でもこの思想の日本における震源地である場所では、殺される「鹿の太陽女神」と「神々しい天照大神」を一緒にして祀っている、といえます。それが「近戸皇大神社」といえます。その祭り方は、神様を祀るのではなくて、鬼神を祀るやり方といえるのではないか、と思います。だいたい、出入り口を「死者の巣窟」であるお寺が封印しているわけですし。古代の殷では、王は神界(冥界)と人界を行き来できる存在、と考えられていました。あの山奥の神社が「冥界」であるとすると、そこを祀っている張本人も、人界と冥界を行き来する人々、ということになるのかもしれませんが、だいたい日本の国の神話では、死んだ神が下された穀物を死んだ神が育てて、それをみんなで食べて死者のままでいる、ということになっていますから、そこを祀っている人々も「死者」なわけです。王様は、「生者」なので、死者の祭りには参加しません。そこが、古代殷とは、違うところなわけです。王様は「死者」に神様を祀らせて、管理させている。その「死者」がこの国では、ローマ式原始キリスト教と、と言えるわけです。どうも、今のところ、死者の祟りを追い払うには、「訴えてやる」と脅すのが現代流の「お祓い」らしいですー;。まあ、向こうからアクションを起こせば、いくらでもお相手するんだけどさあ? ということでー;。

一方、西欧の神々はどうかと言いますと、農業系の神々の変遷は古代中国と似通っていました。古代エジプトの蛙の女神であるヘケトは、太陽女神の姿を失い、「生と死を司る魔術の女神」とされました。ヘケトのギリシャ寄りの女神であるヘカテーは、蛙の女神としてのトーテムを失い、冥界の女神とされています。ただし、西欧の女神達は、古い時代にはニンフルサグのように「生と死の境界の神」とされたり、時代が新しくなると「デーメーテールとペルセポネー」のように、対になって生と死を繰り返すことで、農耕に必要な季節のサイクルを表現する意味を強く持つようになりました。中にはメドゥーサのように「殺されて利用される女神」も出てきますが、多くの女神は主神としての地位を失う代わりに、主神の家族の地位を占めて、完全に「黄泉の国」のもの、とされたものは少なかったように思います。なぜかといえば、古代中国では、農耕民同士が覇権を競った結果、どの部族の「太陽神」が一番強いのか、ということになったのですが、西欧では遊牧民(狩猟民)が支配者として、農耕民を征服することが多かったため、双方が共存する上で、それぞれの「太陽神」が習合する際に、「殺される神」の性質の方向に神々が引きずれらなかった、ということがあったと思います。遊牧民(狩猟民)の神は、猛獣であり、北方では熊が多く、南の方では獅子や豹のようなネコ科の動物がトーテムとされました。農耕民は生け贄を捧げて、それを肥料として使用するわけですから、結局はその結果実った穀物を食べてしまうわけです。要するに、結局死者の化身を食べてしまうことになります。一方、狩猟民にとっては、熊と言った猛獣は食料でもありますが、他の動物を襲って食べて生きる逞しさや獰猛さが、生命力、活力の象徴ともされて尊ばれたわけです。特に狩猟民の軍事化が進むと、「神のように勇猛になりたい」という思想が生まれる。そして、生きた動物はどんな猛獣であっても、いずれは老いて衰え、他の動物に食べられたりすることになりますから、神の化身である王は「老いてはならない」「いつまでも若く猛々しく人々を導く存在でなければならない」という思想が生まれて、王は尊重されるけれども、老いると殺されてしまう、という思想が生まれました。古く老いた王は死なねばならず、そうして新しく活気にあふれた王が即位しなければならないのです。農耕に併せた行事とは関係なく、「冬至に弱った太陽神に犠牲を捧げて再生させる」という祭祀は、遊牧民(狩猟民)的な祭祀といえます。そうすることで、神は老いと若返りを繰り返し、永遠に生きて人々の上に君臨する存在となるのです。そういう文化では、王は神の化身かもしれませんが、老いたる王を若く再生させる、ために祭祀を行う「神官」の存在が重要となります。古代中国のように、勝者となった神の子孫である王が、敗者の側の神々(穀霊)を好き勝手に使用する(食べる)、という発想はそこにはありません。敗者は、新しい王に食べられて、新しい王の中で、新しい命を得、永遠の者となるからです。そして、猛獣は夜狩りをすること、遊牧民の神である動物はたいてい「有角獣」であることから、彼らの神の性質は「太陽」というよりは「月」に近くなります。そういう遊牧民と農耕民の神々が習合している文化が西欧ですので、神のトーテムの姿は複雑になるのです。神は農耕の豊穣を司るときは蛙であり、牧畜の豊穣を司るときは雌牛であり、軍神であるときは雌獅子であって、そのいずれもが神のトーテムで同じものである、という風になるのです。そして、多くの場合女神は「月の女神」とされますが、その中に「太陽神」としての性質が混ざることも多々あるのです。西欧の男性神は女神を変化させたものが多いので、男性神も似たり寄ったりの性質になります。こういう事情から、西欧では軍神が冥界神も兼ねることが多いのですが、古代中国と違って、「冥界神=鬼神(死者)」ということにはなりませんでした。西欧の冥界神は猛獣であり、人々に死をもたらして、自らは永遠に生きる神ですから、穢れていても、生きている神であって、「死んでいる神」ではないのです。だから、彼らは、完全な「黄泉の国の住人」となることはまれで、「生と死の境界を司る」ことが多くなったのです。