輪廻転生

てことは、要するに人が「死んで天国に行った方がマシ」みたいに考える「殉教」の思想というのは、プロパガンダとか、目の力の強い人に巻き込まれてそう思い込まされている結果? と思うわけで。そして、そういう願望の強い人を、例えば紛争地帯とかに送り込んで宣教させれば、自分からそうしようと思わなくても、何かのはずみに「殉教」してしまうかもしれないし、もしそうなっても当人も信仰心が篤くてそうなった、ということで文句を言う人もあまりいないから、ということで。

でも、そういえば初期のキリスト教、例えばイエスの直弟子達とかは殉教している人達が多いわけで、そういう人達は師匠が死んだ後も、場合によっては無謀な状況で布教を続けて殺されたりしているわけで。そういう人達は、自発的にそういう生き方を選んでいる気がするのですけれども、何故? と思うわけで。そうすると、だって、そうやって犠牲を捧げて、祖神の「死に神」をこの世に呼び戻そう、というのが本来の「犠牲」の意味でしょ? イエス・キリストも「自分は戻ってくる」って言って死んだんでしょ? って言われる気がするわけで。でも、死んだ人が生き返るわけはないし、「犠牲」を捧げて復活する、というのはむしろ「生まれ変わる」という意味に近くて、それは要するに「輪廻転生」ってことですよねえ? と思うわけで。でも、魂とか前世とか生まれ代わりなんて、無いんですよねえ? って思ったら、「お前が言ってどうする?」みたいな目で見られる気がするわけで@@。そういえば、アジア的な「活仏」とか「生き神」っていうのは、「生まれ代わる」ものでしたねえ? って思い出したわけで。そして、「だいたい力の強い人は前世のことも、けっこう良く覚えている人が多いんだけれども、お姉さんはほとんど全く覚えてないよね?」って言われる気がするわけで@@。ちょっと待って下さい? というか、なにその、まるで私の方が変わりモノみたいな物言いは? って思うわけで@@。だいたい、人工とか増える傾向があるわけで、誰にでも前世があったらヘンじゃないの? とか思うわけですが、だから前世っていうのはある人と、ない人がいて、ない人っていうのは、それこそ遺伝子とか育った環境だけで、魂とか性格が形成されるんだけど、でも力の弱い人は前世なんてあっても全然覚えていないことが多いし、性別も変わったりするし、育った環境も異なったりすれば、前世なんてあってもなくても同じ、っていう人は一杯居る、って言われるわけで@@。だから、神サマっていうのは、力の強い人がなるものだし、そういう人は前世の経験も覚えていることが多いから、それで人生経験も豊富? ということもあって、特別扱いされるんだよ、って言われる気がするわけで。じゃあさ、関係者の中で「前世」ってものを覚えている人っているんだ? って思うわけで。そうすると、2番目の子は結構覚えている人だし、蛇の兄さんも良く覚えている人、って言われるわけで@@。で、纏めると1番目の子は力が弱くて全然覚えていない、4番目の子はともかく同じ蛙さんで、私のことが好きで好きでたまらなかったことだけ覚えてる、5番目の子は古い家系の出だからどこかで会ったことはあるはずだけどやはり力が弱くてほとんど覚えていない、6番目の子は前世がない、7番目の子は「自分の前世はあった気がするんだけど、全然覚えてないし、どうせ6番目の子と自分は庶民の出なんで、例え前世があったとしても会ったことがあるはずがない。」って言われる気がするわけで@@。で、会ったこともないのに、よく「もう一度会いたい」とか「取り戻したい」って言われるでしょ、それは言っている方は昔に会ったことを覚えていて、その気分が抜けないから、って言われるわけで@@。でも、蛙の子の方は全然覚えていなくて、ヘンだと思うから「変な人」って言ってしまう、と言われる気がするのですが。でも、向こうはちゃんと覚えているし、だから「水商売をやっている所を見られたくない」とかってなって、他の人と違うリアクションになっちゃうんだけど、ご当人はずっと昔のことを思い出して欲しいと思っていたし、そう思い続けていた切ない気持ちを分かって欲しいと思ってる人もけっこういるんだよ、倉○さんとか、って言われるわけで@@。っていうか、「昔会ったことがある」っていうのは、1500年くらい昔のことだと思うわけですが、それじゃ卑弥呼って私みたいな人だったんだ? と思うわけで。そうしたら、「そんなことはない。卑弥呼は穢れにも弱くて、蛇の尻尾も生えてなくて、普通に蛙の女の子だったし、性格は似ても似つかないなら。」って言われるわけで@@。だいたい、目の力っていうのは体に備わっている力だし、性格っていうのはそちらに引きずられるから、魂だけ同じだからって同じ性格になるわけではないし、同じ生き方をするとも限らないし、性格も違って前世のことも何も覚えていなかったら、前世なんてあっても無意味、ということで、「だから、生まれ代わり、とか輪廻転生って考え方は嫌い。」って誰かさんは言っているわけですが。でも、そんなこんなで、こっちの方は前世のことなんか、思い出しそうもない、ということで「初対面の相手だと思って、機会をせっせと掴んで目の力で、女心を捕まえる努力をするべき。」って言ってくる人が多いらしいのですが。でも、その方が好きになって貰える機会も前世からのしがらみがなくて「平等」ということで、6番目の子と7番目の子は、内心自分達はラッキーだったと思っているらしいのですが@@。だから、思い出しそうもなければ、「変な人」で流しちゃっていいから、って言われるわけでーー;。で、要するにはっきりしている限りでは、前世は卑弥呼であり、その前はイエス・キリストであり、その前はダビデ王だって言われるわけで@@。

イエス・キリストという人は、本当にダビデの子孫で生まれ代わりであって、前世の記憶もあった人なんだよ、って言われるわけで@@。でも、デーヴァの人で、目を一つしか持っていなくて、そういう人は考えが偏ることが多くて、しかも前世の記憶が強くて、前世は王様だったけれども、現実は貧しい大工の息子なわけだから、フラストレーションが強くて、元の地位を取り戻そうとして暴挙に走った挙げ句にローマに捕まって殺されてしまった人、って言われるわけで@@。要するに弟子達はそれを知っていて、自分の命をかけても呼び戻そうとしてたんだ? と思うわけですが。でも、結果的にはキリスト教はローマに取り込まれてしまって、現在に至るまで、イエス・キリストの名は利用されっぱなし、ということで。

で、当代の太陽女神の中で、女王卑弥呼に近い思考回路は分割統治主義ではなくて、平等主義であることくらい。イエス・キリストらしいところは、最後の病院を去るときに、「必ずここに戻ってきて復讐してやる」と思ったことで、まさにそれが、その有名なご先祖サマが死ぬ間際に非常に怒り狂いながら思っていたこと、ということらしくて@@。でも、私自身は、理想も持っているけれども、どちらかといえば、「戦争と平和」という点に関してはパワーバランスを重視する現実主義者で、そして理想とか関係なく、実際に必要があると感じれば勝つためにギリシャ・ローマ式の手法を採ることにためらいのない性格であり、しかもけっこう冷静な人、ということで、為政者でもないのに、そういう思考回路だけが徹底してるっていうのは、結局ダビデの記憶が一番強いんじゃないの? って言われるわけで@@。だいたい、ギリシャ哲学とかにも全然興味がなくて、勉強したこともないくせに、なんでその手法の実践だけ得意なのさ? って言われる気がするわけで@@。

で、要するに敵が一番出て来て欲しくないのがダビデの王の記憶、そして火付け強盗の女神マグダラのマリアの性格、って言われる気がするわけで@@。向こうの人は、良くも悪くも結果を出すだけの「力」のある人しか評価しないので、搾取と独裁の王であるダビデは、十支族の人達には評判が悪いのですが、ともかくその治世中はイスラエルは繁栄していたということで、政治的手腕はそれなりにあった人だし、マリアが出した「結果」というのは目も当てられないような大惨事だけど、「結果」は「結果」なので。でも、イエス・キリストというのは、最終的に殺されてしまった人なので、実のところその人に対する評価は低い、ということで。ダビデっていう人は、小国の王であって、生前どうやって周辺諸国とパワーバランスを保っていくかっていうことばっかり考えていたし、実際に戦う時には負けるような戦争はしなかった、ということで。そういうところはしっかりしてた人だったんだ? と思うわけですが。しかも、かつての為政者としての記憶は、「国民の一人一人が主権者であるべき」という思想に上手くすり替わって、ストレスも感じず、現実に適応してそれなりに無茶なことをせずに生きてるし、そういう点では器用なタイプって言われるわけで@@。(まあ、でも体も弱いし、自分で自分の力の使い方も良く分かってないし、喰っちゃ寝の生活が好きなタイプだし、お姉さんみたいなデーヴァの目を持つ女の子は、そのくらいで丁度いいよ、って言われるわけですがーー;。そして、とあるお味方のデーヴァの女の子からは、「その目があれば充分で、前世なんか必要ない。私たちが生きているのは今なんだから。」って言って貰ったわけですが。)

そして、キリスト教を始めた人達は、古代ユダヤ人であったのでヘブライニストと言って、必ずしもギリシャ語が話せた人達ではなかったのだけれど、新訳聖書というのはギリシャ語で書かれているから、注意が必要、って言われるわけで。要するに、それはギリシャ・ローマ的なプロパガンダ思想の書物なんですねえ? 実際にあり得そうもないことも一杯書いてあるし、と思うわけで。

ということで、微妙に誰かさんが好きだった人と「似ても似つかない性格」とか言われてしまって、「離婚危機?」とかって思わず思いましたら、「そんなこと絶対にしない。そんなことしたら4番目の子に取られちゃう。」って言われる気がするわけで@@。なんで、その人だけ特に出てくるの? と思ったら、「そいつは女王のお世話係の男で、一番寵愛を受けてたの!」って言われる気がするわけで@@。昔も今も世話焼き小姑役? というか、当人も覚えていないようなことをちゃんと覚えてるんだ? っていうか、昔から面白くなく思ってたんだ? と思うわけでーー;。で、今日もライブがあったので、5時から後はしばらく静かにしていたわけで。8時半のちょっと前くらいに、頭の中に「少年」が流れたので、そろそろ終わったのかな、と思ったのですが。全体としてはヘンな一日でした;。