無原罪の御宿り

今日もいろいろなことがあった上に、もう遅いのであありたくさんは書きたくないわけですが。なんというか、ポイントとしては、人が非業の死にあったりすると、「穢れた死」と言われたりするわけで、そういうものはその人が死ぬ際に感じた恐怖の狂気とか、断末魔の苦しみの中で発せられた「気」が死後まで残って、周囲に住んでいたりする人に「悪夢」を見させることを言う、って言われる気がするわけで。そういうのを、いわゆる「幽霊」と呼ぶかどうかは別として、けっこう人の「気」というのは死後も残るので、そういう「悪夢」を見せちゃうようなものを「祟り」とかそういう呼び方をするんだ? と思うわけで。

で、タイトルの説明から言うと、「無原罪の御宿り」というのは、キリスト教の概念で、「女は生まれながらにして罪深いもので、それを「原罪」というのだけれども、キリストを生んだ聖母マリアだけは例外で原罪が無い」っていうことらしいのですが。要するに罪の無い人だから、キリストみたいな立派な人を生めた、という自画自賛的なご主張? な気が個人的にはするわけですが。それは、姑だけは特別扱いして威張らせて、嫁は虐める男系の思想そのもの、って言われる気もするわけで。で、聖母マリアの象徴が「白い百合」なわけです。「百合」というものが、シリウス星であるイシスの象徴とすれば、死を意味する「白」の色の百合は、「太母を殺せ」っていう意味そのもの、って言われる気がするわけで。それって、嫁は虐めるし、母親は殺して表向きだけ立派なお墓を造る、みたいなそういうこと? と思うわけですが。これは、たまたま今日いろんなことを調べてみて知ったことなわけで。

で、ショア (映画)というのは、ほぼ「ユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)に関わった人々へのインタビュー集」ということで、10時間近くもある映画であって、思い出したくもないことを「記録を残すため」という名目で、悲痛な面持ちで延々としゃべらされている人達が次々と登場するわけで。で、「そもそもショアを全編見て、穢れを散々浴びせかけられて、悪夢を見ずにいるっていうのが普通じゃないんだよ。」って言われる気がするわけですが。というわけで、4のつく日に相応しく、穢れが一杯ありそうな番組を2つも見たわけですが。特に2つめが凄かったな、と思うわけで。ともかく、

その1。南方からの輸送船に護衛艦をつけない、ということが、「あり得ない」お思うことの1点。しかも、「アメリカにも同じ事をやり返せなかったのか?」というやりとりに関しては、「戦争肯定の発言ですか?」って突っ込まずにはいられないわけで。

その2。義烈特攻隊、について。飛行機に乗り込んだ人の映像の中に、白い百合の花を手にしている人がいて、ぎょっ、としたわけで。しかも、「特効に出る予定の内は、おいしいモノを食べさせて貰っていたけれども、作戦が中止になった途端に「まだ生きているのか」みたいな扱いを受けた。」的な証言があって、死ぬまでおいしいモノを食べられればそれでよし、というのはデーヴァ信仰の思想でしょ? ということで。

実際に大勢の人が死んでいることに関することが、何から何までオカルトまみれ、ということに非常に不条理を感じるわけで。で、インタビューに応じている人の中に一人、泣きそうになっている人がいて、その人だけは、「誰かこの苦しみと悪夢から救って助け出して欲しい。」って言っていた気がするわけですが、まあ、それ以外は??? みたいな印象を受けた気がするわけで。

ということで、結果的に言うと、「あんただったら、短期に決着をつけて、敵に足元を救われて負けるような戦争をするなって絶対言うよねえ。根っからの軍神の上に、対象が同じ日本人だからと言って同情する気が一欠片もナシ。」っていろんなところから全面的に突っ込まれた気がするわけですがーー;。言っておくけど、私だって戦争は嫌いだし、平和主義者だし、9条とかだって私になりに大事だと思ってるよ? と思うわけですが。でも、やるんだったら、わざと大勢の人を殺して挙げ句に負けるような戦争を「わざと」することないじゃんねえ? って言うしか無いわけで。その点に最大の理不尽さと、許せなさを感じる「軍神」がいるんでしょうね、きっと、と思うわけですが。(というか、その性格に薫陶を受けたのがどっかの国の今の大統領でしょ? ってことも言われる気がするわけですがーー;。)でもね、戦後の日本で「なんのせい」で人々が一番「恩恵」を受けて生活がマシになったかっていうと、それは「民主主義」のおかげじゃなくて、朝鮮戦争とベトナム戦争で多くの人の命が奪われた「おかげ」でしょ、でなきゃ日本の国は未だに戦後の混乱期の日本のように貧しいまま、ということで。制度とはあんまり関係ないんじゃないの、それ? って思うわけですが。だからねえ、表向き自分達だけが「平和」で「豊かさ」を享受できるために、どのような制度が「正しい」のかと問われれば、9条を盾にとって、自らの手を汚さずに、いつまでも「死の商人」のままに肥え太るのが一番なんじゃないの? と、私の中のデーヴァの悪魔はそう言う気がするわけですが。でも、そんなこと「良し」としちゃいけないんだあ、ってそれだけは思うわけで。私たちは今でも人食いの文化の中で、踊ったり踊らされたりして生きてるのだけれど、でも、せめてそのことを忘れないでいなければいけないし、「人間らしい」っていうこともどういうことなのかできるだけ忘れてはいけないんだ、って理想論であってもそう思うだけなわけです。それに、家の中であり得ない「マッチ棒の燃えさし」とか見つけてしまったので。こういうことが「脅し」なんだな、と思うわけで。いろんなことがあった一日だったわけです。