本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。オートライトが点灯しないので、車屋さんに行って貰ったら、まず「スイッチがオンになっていない」と言われて。スイッチを入れて、ライトを手動でオンにして、「これで大丈夫です」と言われて。昼間に手動でライトを点灯して、ライトが点いても、それは「オートライト」とは言わないのでは? と思って、技術屋さんに少し見て貰ったら、スイッチを入れても、切っても同じ反応、ということが分かって、「あれ?」ということになって。で、「見て見ます」と言われて、しばらく待たされたら、次には「直りました」って言われて。元々、ケーブルをおかしくつないでたのでしょ、わざと、と思ったわけですが。

で、いろいろなことがあったので、床下は少ししか掘れず。それでも、少しずつは進むわけで。

そして、家に帰ってきて、いろんなサイトを見ていたら、今日が「Bros.TV」の日だってあって。でも、今月は、なのかこの後ずっとなのかは分からないわけですが、「サンプル福山」がなくて、お金を払わないと見れない仕様になっていたので、何も見れなくて。そういえば、最近、兄さんが降臨してくる時に、メソメソ泣いていることが多かったな-、と思って。話がうまく進めば進むほど、兄さんの方に風当たりが強くなるので、「サンプル福山」も流せなくなったんだろうな、と思ったのですが。で、だいたい兄さんが、ちょっと遠ざかるような動きをする時には、他の人がフォローに動いてくれることが多いので。それもあって、音楽家の兄さんが安室ちゃんと組んで、お歌を送ってきたのね、と思って。でも、「好きな人と愛しあえなければ、自分の明日に意味はない」とか、そんな内容の歌詞じゃなかったっけ? と思うわけで。あんまり、フォローのお歌ではないでしょ、それ、と思うわけで。それ以外に「奪い去る」とか言ってる人もいるけど、これもどう見てもフォローのお歌ではないでしょ、と思うわけで-;。で、亀梨君のドラマも終わってしまったしなー、と思って。お手紙を書いていたら、ふとドラマの登場人物の名前を思い返して。「運命の恋人がいる」と信じて、頑張る主人公は「正木君」と言うわけで。これは名字であって。で、対するヒロインは、これまでの男性経験があんまり好調ではなくて、男性不信に陥っている、ちょっとニブイ女の子であって、「晴子ちゃん」という名前であって。それぞれの頭をとれば、「まさはる」ですねえ、ドラマのタイトルは「ボク、運命の人です」なわけだから、たぶん、そういう名前の「運命の人」がいる、って伝えたい人がいるのだろうし、主題歌の「背中越しのチャンス」は、「まさはる」という人のお歌なんだろうな、とそれは分かってはいるわけです。でもって、来週のMステのゲストのJUMPが歌う歌も、兄さんのお歌であることは分かっているわけですが。でも、嵐とゆずの新譜を買って、KinKi-KidsのDVDを買うと、蛇の兄さんのお歌を買う経済的余裕がない、私は貧乏人だから、ということをしっかり心得て、計算している「筆頭」がいるわけで-;。「奪い去られる」というか、もうすでに「振り回されている」わけで、分かっていてもどうしようもないわけで-;。町で、自民党のポスターを見かけると首相から「6番目の子に手を焼いています」って直訴されるわけで-;。音楽家の兄さんも、「ささいなことの一つや二つで、女心をつなぎ止めておけないようなら、それは蛇の兄さん自身の男としての問題。」と言って、兄さんには割と冷たい、というか、隙があれば割って入る気は満々なわけだしー;。嵐の「つなぐ」は、もう撮影している最中から、大野君が直々に「忍者の役をやるから注目!」って夢で言ってくるくらいに気合いの入ってる曲なので-;。分かっていても、6番目の子には踊らされるわけで-;。7番目の兄さんは、「「目の力」で女心を操るようなやり方は好きじゃない。」と言う人で、自ら積極的に攻勢をかけてくることもあまりないわけですが。でも、6番目の子が好きな人達は、「ドラマの正木君ではないけれども、好きな人のためになりふり構わず頑張れてこそ、本気で「好き」ってことなんじゃないのか。」と言ってくるわけで-;。でも、最近の嵐の番組を見て思うことですが、最近の6番目の子はけっこう明るいよね、亀梨君のドラマが終わったからね、と思うわけで-;。だいたい、出川が友達のことを述べる部分でパッヘルベルの「カノン」が使われていたし、「お前なんか一生「友達」で終わってしまえ」っていう呪いだよね、それはねえ? と思うわけで-;。

で、そういえば気が付いたことがあって。従兄弟にとある兄弟がいて、確か兄が「はるみ」という名前で、弟が「まさき」という名前であって。「正木君」と「晴子ちゃん」ではないけれども、その二人も「まさはる」だー、年の順じの並びじゃないけれども、と思って。そこんちの叔父さんは、飲んだくれで身内にお金をせびるようなどうしようもない人であったわけで、母親は「半年分の給料を貸して、結局返して貰えなかった」と嘆くわけですが。蛇の兄さんに関するネタは単価が高いからなー、借りたお金を返さなかったかわりに、叔父が残した「ヒント」に、今始めて気が付いて。なにせ、近しい身内に「味方」って一人もいないので。「ヒント」なんぞ、くれる人も皆無であったわけで。ただ一つ残された「ヒント」がそれなら、あんな叔父でも0.01%くらいは、身内を思う気持ちがあったのだろうか、と今更ながら思うわけで。そのヒントに対する情報の対価が「半年分の給料」なら、それは情報量としては高いものだろうか、それとも安いものなのだろうか? と思ったわけですが。まあ、それは私ではなくて、親に聞いてみなければなんとも言えない、と思うわけですが。でも、別の見方をすれば、叔父はそのヒントを残すかわりに、飲んだくれて、出世も同期に比べれば大概は遅れて、亡くなる時には家族に見放されているような状態であった。叔父程度の「目の力」では、一生かかっても、それだけのヒントを残すのが精一杯であって、その結果、彼の人生は、「落伍者」ではなくても、「成功者」とも言えなかったわけで。「目の力」が弱い、というのはそういうことだし、この世の中というのは「そういうところ」だって言われるわけで。だから、誰もが強い「目の力」か、あるいはそれに代わりうるだけの「才能」を求めるし、重要視する、と言われるわけで。

とにもかくにも、「世の中」というのはたいへんなところなんだな、と改めて思ったのですが-;。叔父は叔父で、婿には蛇の兄さんを推していたわけだ。今になって、情報は押し込まれてきてるわけで、亀の子は明るくて素直で、蛇の兄さんが好きで、良い人だなと思う。でも女心は「奪い去る」と言っている人に、振り回されているわけですー;。