本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。今日は出かける用事もなくて、一日平穏に作業ができたのですが、土中にまたシロアリを発見して。シロアリが意味することはなんなのだろうか、と思って。それはもちろん土台の木の中に侵入して、家を駄目にすることを目的としているのだと思う。土中には大量の木が埋め込まれているし、わざと湿気るように外部の水が土台の下に誘導されているし、床下のコンクリートにはウェルカムな抜け穴がわざわざ開けてあるし。一方、近所に住んでいるシロアリは一般的に乾燥を嫌うものなわけだから-;。というわけで、白アリ予防の防腐剤を買って、塗らせることにしたわけで。もし、併用が可能なら素人が扱ってもあんまり問題なさそうな、ホウ酸系の防腐剤もあらかじめ自分で塗ったくろう、と思うわけで。唯一の救いは、栗や桧は、割とアリに嫌われる木材である、ということくらいなわけで-;。まあ、だから、昔の人は湿気にも強いそれらの木材を土台に使ったのでしょうけれども。一応、一筆啓上の価値はあることなので、FAXは送っておいたわけですが。

こういうことは作業中にふっと気が付いたので、昨日の嵐のDVDを見ておいて良かったな、と思って。週刊誌の表紙が、声の届きやすい大野君であって良かったな、とも思って。でも、そういえば、剛君が結成して、光一君と長瀬君が歌った「テレ東東京祭」も見たな、と思って。大量の石を掘り出して、有力な兄さん達が人海戦術で、やっとここまでの情報が来たよ、と思ったのですが-;。

でもって、作業中にふっと、「あのとき、手術を受けていれば死なずに済んだのだろうか?」と聞かれて。それで、そういえば、確か小林麻央さんは、手術とか「受けない」とかってそういう経過があったっけ? と思い出して。なんだか、いろんなメディアでは、「癌は早期発見が大事」であって、最初に受けた検査で「50%50%」と言ってないで、癌が発見できたら良かったのに、という論調が強いわけで、そういえば、自分でもなんだかそれに違和感を感じていたことに気が付いて。だって、「50%50%」では、「発見できなかった」とはいえないし、「半年後の再検査」を忘れた、といっても「しこり」をしっかり自覚したのが8ヶ月後なわけだから、発見が遅すぎた、とは言えない気がしていて。

でもって、最初の病院では、超音波検査で腫瘤が発見されたけれども、授乳中ということもあり、乳瘤と腫瘍の区別がはっきりしなかったので、生検を行わずに、「半年後の再検査」でいいでしょう、と言われた、とのことで、ここがまず問題点の一つであると思う。

で、その次は、癌と診断された時点で、腋窩リンパ節に転移のみられる状態であって、抗がん剤で癌を縮小した後に、乳房切除と広範囲リンパ節郭清を医師に勧められた、と思うわけですが(これが標準的な治療法であって)、それを拒否して温存の道を探っている内に、全身に転移し1年半後にはStageIVになっていた、ということで。ここで手術を拒否したことが二つめの問題点であると思う。

で、一つ目の問題に関しては、なんで担当医が「半年後の再検査」と言ったのか、ということになるわけですが、結局授乳中だからなー、ということで。授乳期間が終わった後に、きちんとした再検査を、と思ったか、半年経って腫瘤の大きさの変化等をみたかったのか、とかそういうことが考えられるわけですが。で、一方この時期に生検をしていたら、癌が発見できたか否か、ということになるわけですが、授乳中の乳腺細胞は活発になっていて、核の異形がけっこう強くなっているので、種類によっては癌との見分けがつきにくかった場合もあるかもしれない、とは思うわけで。

で、もう一つの問題点は、温存術を選んだことであって。聞かれたからには、自分でも勉強しなければ、と思って、リンパ節転移のあるい場合の予後を調べてみたわけですが、StageIIでは、5年生存率が低くても75%とあって。まだ若い人であるので、広範な郭清を行っても、転移が早くて間に合わなかった可能性も否定はできないと思う。でも、自分自身のことであれば、年齢のことも考えて、標準的な治療を選んだと思うし、更にそこにもう一方の乳房の切除も付け加えたかもしれないと思う(対になっている乳房への転移もけっこう多いから、予防的な意味で)。どうも、癌治療というものは、割と一般の人には偏見が多いものであるし(「免疫療法で良くなる」とか「抗がん剤は効かない」とか、根拠も無く言う人が多いので-;)、標準的でない治療法をこれみよがしに大声で唱える人も多いので、一般の人に「個人で治療法を選べ」というのは逆に酷であると思うわけ。こういうことは、なんでも「確率」の問題であって、免疫療法が効く人もいれば効かない人も居る、症例によって異なる、としか言えない。抗がん剤も、癌の種類や人によって、効果的なものもあれば、効果が薄いものもある、とそうなるわけで。でも、一般的に「標準的」と言われる治療法は、多くの症例の経験と、培った知識の上に定められているものだから、例え良い結果に繋がらなくても、「それがベストの治療法」だと言えるものだと思うわけです。

だから、個人的には「手術をすべきであったか否か」と問われれば、「した方が良かったかもしれない」としか言えない。しても100%確実に助かったとはいえない。しかもリンパ節郭清を行うと、リンパ流の鬱滞から、腕が腫れたり、熱が出たり、見た目から半袖はとても着れない、とかわりと不具合も出てくるものなので。特に「梨園の妻」とか、見てくれも大切にしなければならない立場の人だと、いろいろとやりづらくなる、ということもあったかもしれないし。それに、ネット上では、できれば抗がん剤での治療は行わず、3人目の子供が欲しかったのではないか、という説も出ているし。でも、私も一応「病理屋」の端くれではあったので、手前味噌ではありますけれども、最初の検査の時に、マンモグラフィーまでやったのであれば、生検とか、せめて細胞診までやっておいたらなあ、とは思う。

というか、そこに誘導するために、人一人の命はかくの如くに失われるのか? と思う。この世を生きる、とは恐ろしいことだ、と、こういうことに直面する度に思う。しかし、残されたご家族は、医者めを訴えてとっちめる、という目的をお持ちでなければ、「あの時ああすれば良かった」とか「こうすれば良かった」とかあまり考えすぎずに、一日一日を、できるだけ丁寧に生きていかれることが良いことだと思う。そうしている内に、子供達は少しずつ大きくなって、いつか自分自身の頭で、お母さんが生きたことも、生きた意味も、考えて悟ることができるようになるであろうし。残された人々を慰める大きな力にもなってくれるであろうと思うので。まずは、生きている人達が、日々を大切に生きて下さい、と、そう思う。

だから、有名人で、マスコミにも良く登場する人で、誤診なんかあったら医者も叩かれた大変、というような人が、癌の疑いがあったときに、なんで細胞診も生検もやってないの? となったら、その理由は「その不備を私に発見させて「私が医者だったら」と思わせるため」としか言いようがない。世のろくでもない医者どもは、私の母親の前では「棒状桿菌」がなんだか知らないふりをして、「私が医者だったら」→「子供を医者にしよう」という方向に誘導しようとしたけれども、私はそういう手に引っかかるには、いろんなことを見過ぎてきている気がするので。しかも、マスゴミ共は、誘導しやすいように「早期発見が大事」と言いながら、「細胞診と生検の必要性」については一言も言わない。そこのところだけは、私が「自分で気が付け」と言わんばかりなので。しかも、中には「絶対に治ると信じてた」とかって言って、泣いてみせる人もいるわけで-;。そういうことまでしないと生きていけない世の中なの? 人の命までネタにして、それと引き替えなのがシロアリの情報なの? と思うわけで。この世は、本当に「修羅場」だと思うわけですが、でも私はそこに出て行きたいから、穴をせっせと掘っているわけです。

で、一昨日は紀香姉さんのお誕生日だったわけで。おめでとうございます<(_ _)>、と思うのですが。