本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日も現場に出かけて土台の下を掘って。木の太い枝も掘り出したいわけですが、奥の方の大きな石も気になって。で、昨日買った雑誌の表紙は大野君であって。お昼ご飯を食べた後、「効率を考えて、元気が出たら、バールを持って奥を掘ってみましょう。」と言われたので掘ってみたら、お目当ての大きな石の手前に引っかかっている小さめの石があって。更にその手前に石があって、と積み重なっていたので、一つずつ掘り出していたら、大きな石が出るまでに、なたけっこうな量の石が出てー;。で、掘っているときに、なんとはなしに、学生時代の同級生に耳鼻科に行った人がいて、その人のことを思い出して、耳鼻科に注意するように警告を受けるわけで。今更耳鼻科? というか、なんかちょっと変な気もしたわけですが。で、昼休みが終わって、外に出たら、隣の家のあたりで大声で話している人たちがいて、「変だな?」と思っていたら、穴の奥の方に、シロアリとか芋虫とか放り込まれていてー;。

で、帰るときに消防車に3台も出会って。「何だろう?」と思ったのですが、家に帰って動画サイトを見たら、その日に放送された「テレ東音楽祭」の動画がとっととアップされていて。KinKi-Kidsが出演する予定だったのですが、剛君が突発性難聴で入院したとかで、光一君しか出演していなくて。剛君の代わりに、ピンチヒッターでTOKIOの長瀬君が、光一君と一緒に歌を歌っていて。大事をとって、1週間入院するということなので、じゃあ「THE MUSIC DAY」も光一君一人の出演ですねえ、と思って。最近は、病気の人とか、亡くなる人が多いですねえ、と思うわけでー;。音楽家の兄さんが手術して、海老蔵兄さんの奥さんが乳がんで亡くなられて、今度は剛君が入院かー。KinKi-Kidsは25周年記念で、ここのところ行事的なイベントが多かったから、お疲れになったのかしら、と思う。剛君、繊細そうですし。誰だって、病気になるし、いずれは亡くなるものだから、そういうことは日常生活の中での自然の流れということで、別に良いと思うのですけれども、ともかく、ニュースで目立つように大騒ぎすることが多いですよねえ? と思うわけで。そういうことの数々は一種の呪いであって、「医者の世界に戻ってこい」とか、「思い出せ」とか、そういうメッセージの一種であることは分かっているわけで。学生時代に勉強したことはけっこう今でも覚えているわけで。卒業した後は、逆に医学一般に関して勉強しなくなるから、学生時代に覚えずに済ませたことは全然わかっていないわけですが(苦笑)。でも、別に病気で困っている人がいるから、医者に戻って、困っている人を助けよう、とかそういう善意の塊のような人でもないわけでー;。

たとえば、どんな癌でもStageIV(4)で、それでも完治の望みを捨てずに、頑張っている人を見れば、「えらいな」とか「できることがあれば応援したいな」と思う、とそれは自分でもそう思う。でも、StageIVというのは、全身に転移が始まっているので、「医者」としてみれば、もう完治を求める、というよりは、生きている限り必ず来るであろう苦痛を、どうやわらげて、人生を心穏やかに全うしてもらうかに心を砕かなければならない時期である、としか言いようがないので。ごくごくたまには「癌が消えた」とか、そういう妙な症例もあるかもしれないけれども、99.99%は、「先は見えた」と言える時期であると思う。でも、ものすごく頑張って、「余命1か月」と宣告された人が1年もったとか、そういうことはいくらでもあり得ると思うので、自分が主治医であれば、「もうやりようがないから」とか、そういう冷たいことは言わないと思うけれども、心の中ではそう思うと思う。でも、癌は神経に転移すると激しい痛みをもたらすし、末期になると悪液質とか発熱とかも来るので、そういうものからくる苦痛を緩和する治療は、当然必要というか必須だし、大事だと思う。で、そういうことは患者さんの人格云々にかかわらず、癌になった人すべてに必要、と思うし、そう思うのが医者の免許を持ってる者の職業病的思考だとも思うわけですが。でも、自分ではそんなんだから、テレビとかで「あんなに頑張り屋の素晴らしい女性はいない」って亡くなった人をやたらとほめたたえたり、「絶対に治ると信じてた」って号泣している人を見ると、かなり違和感を感じるわけで。最後まで愛する家族と一緒に、心穏やかに過ごせたのなら、それがご当人のために一番よろしかったのでは、とそれしかないわけで。今はむしろ、残された人たちの心のケアの方が大切な時期な気がするわけで。ちなみに、一番違和感を感じたのは、「ZERO」で、「癌で死ぬ人が減るように、癌検診をちゃんと受けましょう」みたいなコメントを村尾さんが言って入た時でー;。だって、麻央さんは癌検診のチェック漏れで発見が遅れたのではないはず。そこまで、医者の業界に尻尾ふって、ほめたたえるようなことを言うの、人の不幸にかこつけて? って正直思ったし、まあ言って入る人たちが「自分たちの文言の騙されないように」って言ってくるわけですからー;。まあ、もし私が癌になったら、最後の最後は苦痛のないように、ふんだんにモルヒネを使ってくれればそれでよい、と思うわけで。そこまでいけば、もう普通の人間に復帰できる見込みもないわけだから、麻薬で脳機能が壊れても問題ないのでー;。

でも、どうにも最近は、私が年をとって死んでしまったら、若い兄さんたちは「二君に仕えず」とか言っていないで、その気になったら結婚相手を見つけて子孫を残す努力でもするように、って遺言を残しておく必要があるかも、とそういう気がするわけでー;。だいたい、女王卑弥呼の例を上げて、「主人が亡くなれば、殉死して二君には仕えないもの。死ななくても、社会的に引退して表舞台から一切身を引けば、それが死んだのと同じこと。」って言われることが多い気がするわけで@@。それはですねえ、生まれ変わっても「気味を探す」という歌を送りつけてくる筆頭とか、私に先立たれたら「自分の胸は張り裂けてしまう」って言ってくる7番目の兄さんとかは、まあ、再婚しなくてもいいよ? っていうか、その人たちは絶対にしないでしょ。亀の子とかも、と思うわけですが。あんまり若い兄さんたちの人生をそうやって縛ることはしたくない。せめて、後進の指導とかでもしなされ、と思うわけでー;。で、家に帰ってきて嵐のDVDを見たわけですが。約1名、「妻神を誰にも渡さない。」っていう気持ちを抑える気もない人がいるわけで。7番目の兄さんに守ってもらわないと、その人にも締め上げられて頭痛がするわけでー;。みんな、気合の入り方が変だ、とそんな気がするのですがー;。で、嵐のDVDを見ていたら、父親がえらく不機嫌でびっくりしてしまって。こちらの敵意も強いのですけれども。