本日の日誌

昨夜はなんだか自分がまだ学生で、卒業式シーズンみたいな感じで、自分の卒業式であるかないかははっきりしないのですが、学校の中をうろついたりとか、デパートに買い物に出かけたりとかうろうろしていて。で、エスカレーターに乗ってデパートの階を上っていくわけですが、そのエスカレーターが妙にボロボロで汚くて。目が覚めてから、「階段に気をつけろ」ってことなのかな? と思って。で、これ以上何を気をつけたらいいんだろう? と思いながら「お仕事」に出かけて。

で、今日は階段を取り付けたわけですが、大工さんが微妙に急いている気もして。そして、第一のポイント。階段をしっかり固定するために、踏み板の裏にくさびを打ち込む仕様だったのですが、使用前に印を入れていて。で、切るとかそういうことは聞いていなかったので、一番広いところに入れておいたのですが、そこは後で調整しながら切り落とす部分であって。大工さんが切り落としている所を見て、それに気が付いて。で、切り落とされた部分を見て見ると、印が切り取られているわけで@@。事前に聞いてないし、と思ったので、階段に固定された後に改めて印を入れ直して。そして、ポイントその2、階段の蹴込み板を固定するのに、上の方を4分割、下の方を6分割とかってして止めていて。そういう仕様なのかしら? と思って取り扱い説明書を見ると、そっちはそっちで10cmおきにビスを打て、みたいに書いてあるので、それはそれで面白くないのですが、でもその規定に比べたら、上の方は数が少なすぎますし、わざとやってるでしょ? と思うわけで。で、我が家的には、上の方の数が多い方がいいんだろうな、と思って、数を増やして欲しい、って言ったら、「そんなことやらない」というようなことを言われて。でも、「いいから、やって下さい」って言ったら、丁度ヘリコプターがわらわらと出て。だから、言い分で負けちゃ駄目、ってことなんだな、と思って、やって貰って。でもって、その後壁の合板を貼ったわけで。いつもであったら、何枚をどうやって貼るのかを聞くのに、何も聞かずにとっとと作業してしまうので、2枚で貼る予定だったところを1枚にされてしまって。これも、わざとでしょ、って思ったわけですが。どうも、特に最近は、大工さんの一人が「一杯ひっかけて」来る気がするわけで、酒くさかったり、耳のあたりが妙に赤かったりする気がするわけで。腕は悪い人ではないと思うのですが、お酒等で理性が弱まっている人は操るには格好の人、ということで。その人は、もっと「目の力」の強い人に操られている、と思うのですが、そちらの方は割と何食わぬ顔をしている、というかいかにも、下っ端のふりをして、こまめに何度もこちらの意向を確認したりしているわけで。(でも、その人の名前は、蝿の悪魔ベルゼブブって言われる気がするわけで@@。ベルゼブブというのは、旧約聖書に出てくるペリシテ人(ギリシャ人の一派)の神である、バアル・ゼブルを悪く言ったもの、なわけですが。そもそも、「バアル(気高き)・ゼブル(主)」って何のこと? って聞かれる気がするわけで。それは良く考えたら、ゼブルの部分は「ゼウス」なのでは、と思うわけで@@。敵が「ゼウス」の名前を与えているのがその人なんだ? ってふと気が付くわけで。どうりで、最初の頃は妙に怒ってばっかりだったんだ? 今はそうでもないけれども?? と思うわけで。その人が強力な「目の力」を使って味方も、そしてこちらも操ろうとしているのですねえ? って思ったわけですが。(そうやって、自らの「味方」が酒の力で人格が崩壊しても、情け容赦なく酷使するのが敵のやり方、って言われる気がするわけで。))

で、西方の人々は、羊頭の神を拝んでいようが、牛頭の神を拝んでいようが、ほぼ「熊」ということだけれども、例えばアフリカとかには、先祖代々アフリカから出たことがなくて、熊というものを知らない人達もいるわけで、そういう人達の「トーテム」は当然「熊」ではないわけです。例えば、口頭類人猿を人類の「兄弟」だと考えて、猿が食べられるものは人間も食べられる、って考える人達もいるわけですし。だから、世の中には「熊」とか「狼」がトーテムでない人達もいるわけで。で、神と悪魔、とか、天使と悪魔、とかって良く言うわけですが、神のことは「子羊のように穏やか」とかって言うわけで。要するに、穏やかで、善良で争い事を嫌う神サマのような人達、というか天使のような人達のことを表向きと、というか一般的には「神サマのような人」と呼ぶわけで。それは要するに、「羊の人達」のこと、って言われる気がするわけで@@。要するに、羊と兄弟で、羊の神サマの子孫で、羊のように穏やかな人達が、「良い神サマの子孫」とみなされるようで@@。でも、そういう人達は、自分達のことを「羊」だということは黙って隠しているって言われる気がするわけです。なぜなら、世の中には「羊の皮を被った熊」とか「羊の皮を被った狼」とか、そういうのがたくさんいて、本物の羊の人達の中に「仲間だ」って言って入ってきて、騙して食い物にしようとするから、ということで@@。で、そもそもそういう穏やかな人達は、戦うことにも向いていないので、密かに隠れて暮らしている方が性に合うわけです。でも、それだけでは敵に狩り出されて食べられてしまうので、王族とか上の方は、同盟を結べそうな同族外とは、むしろ積極的に痛恨して、一族を纏めて、敵と戦えるような強い「目の力」を持った子孫を残そうとしてきたわけで。だから、東洋的な「目上の者を敬う」という思想は、例え人を纏めるような才能を持っていなくても、王族であれば強い目の遺伝子を持っていて、子孫から強い目の子供が生まれる可能性があるから、大切にすべきっていう発想なんだって言われる気がするわけで。うまく、羊の子供で、かつ熊の軍神みたいな才能を兼ね備えている子供が生まれれば都合が良いわけですが、まるっきり「熊の目」を持っている子供だって生まれる可能性もあるわけで、そういう子は、今度は軍神としての才能があるのは良くても、穏やかな性質の同族とは気が合わなくて、当人が大変、とかそういうことがあるようで-;。で、羊の人達は、自分達の正体は隠しているわけですが、「羌族(羊の人)」って言うわけだから、羊の人なのは誰から見てもあからさまだし、本物の「羊の神サマ」というのは、その人達の神サマのことで、後は全部偽物の熊か狼って言われる気がするわけで-;。動物の時は羊で、水に関する生物の時は蛙なんだね? と思うわけですが-;。で、銅鐸を使った祭祀がなぜ放棄されたかといえば、銅鐸っていうのは元々「羊の首にかける鈴」が起源なので、銅鐸を使った祭祀というのは、子羊が鈴を鳴らして、親神サマの羊に自分の居場所を知らせて、いろいろとお願いしたり、助けて貰ったりする祭祀だから、それを続けている限り、やっぱり自分達の正体が知られてしまうから、ということらしくて@@。それで、日本の国にやってきた羌族の人々は、水稲耕作中心の人達ですし、日本に羊はいないし、羌族の名前も祭祀も封印して捨ててしまって、自分達の正体を隠している、ということのようで@@。でも、縄文系の人達には、水稲耕作を教えて上げたりして、仲良くやっていたようで。だから、隠れている羌族とその神サマを守っているのは、「良き牧人」たるゾロアスターの蛇の目の人達、と、そういうことらしいのですが@@。それはともかく、遺伝子の強化のために、あちこちと混血してるので、私みたいに、「蛙とか羊っていう方が詐欺」って言われてしまう熊娘がたまには生まれるということのようでーー;。

でもって、ゾロアスターにおける「アシャ・ワヒシュタ(最善なる天則)」は、仏教における「アヴァローキテーシュヴァラ(観音菩薩)」だから、って言われる気がするわけで@@。それは「智慧をもって世を救う」という神サマのことで、法隆寺に隠されていた「救世観音」とかがそうなんだよねえ? と思うわけで。チベット仏教の「ダライ・ラマ」は観音菩薩の化身とされているわけで。ローマのウェスタは、ゾロアスターでは「最善の聖なる火」とか「最善の天の智慧」みたいな意味の神サマになるわけですが、仏教に入ると、「火の神」としての性質が弱まって、「智慧をもって世を救う神」とされるようで。

そして、家に帰る直前に、工務店の人に「天井点検口」の位置を変えるように、って言われて。それは嫌、って言いましたら、それでは天井裏に登る予知がないから、形式的につけるだけだ、みたいな嫌みを言われまして@@。何言ってるのさ、この間、その程度の隙間から電気屋さんが中に潜ってましたけど? と思うわけで。「必要があればいつでも登ってもらいますけど?」と言っておいたわけですが。そういう妙なことを言い散らして、思い通りにならなければ、作業を終えて帰ってしまう、とそういうことのようで-;。

で、家に帰ってみたら、「そもそもユーノー女神っていうのは、ヒンドゥーにおけるドゥルガーのことなんだよ。」って言われる気がするわけで@@。ドゥルガーっていうのは、悪魔よりも凶悪な破壊性が強くて、悪魔を破壊し尽くすというおっかない女神では? って思うわけで@@。で、ドゥルガーというのはゾロアスターではドゥルジという疫病をまき散らす女悪魔(その意味するところは「虚偽」とか「不義」ということで、要は「嘘つき女」ってことらしいのですが@@。)ということで。インド・イラン系の神話では、インド方面ではデーヴァ信仰(雷神信仰)を否定しないけれども、イラン系のゾロアスターではデーヴァ信仰(熊の雷神信仰)を「悪魔」と称して非常に忌み嫌うわけで@@。そもそも、出鱈目なことを言う人間に対して、理論的に言葉を尽くして丸め込むのはギリシャ的な「弁論術」ということになるけれども、「黙れ」と言って黙らせるのは良いことであっても「力づく」という側面が強くなるので、そういうことが得意な人は「破壊神」としての性質が強い、って言われる気がするわけで。それで貰ったのがドゥルガーですか? っていうか、それが「ユーノー女神」の本来の姿なんだ? と思うわけで。それは、北欧の熊信仰の人達が述べるところの「狂戦士」の女神ですねえ? って思うわけで。だから、どんな時にも感情的な怒りに流されずに、冷静に対応して、渡ってきて欲しい、って言われる気がするわけで。

で、そういえばインドの神話には天神アンに相当する男性神はいないんだ? と思ったわけですが、それは雷神インドラでしょ、って言われる気がするわけで。それも、ゾロアスターではれっきとした「魔王」の一つな気がするわけですがー;。でも、仏教では帝釈天のことですねえ? と思うわけで。ということは、帝釈天の名前を貰えるのは7番目の子なんだ? と気がついて。そうやって、良い性質の神や悪い性質の神の「同じ名前」を横並びに貰えるような、オールマイティーの性質を持っているということは、戦うことには有利なんだよ、って7番目の子には言われる気がするわけで。そして、観音菩薩とドゥルガーの両方の名前を貰えると言うことは、「智慧をもって、敵(悪魔)を破壊できる」っていう意味だよね、って言われる気がするわけで。(そして、いつも必ずしも正直なわけではなくて、必要に応じて方便も使うし、怒らせるときついことも平気で言う、ということで。)そうやって、厚生労働省と裁判所の「秩序」を実力でぶち壊そうとしたでしょ? って言われるわけでーー;。おかげさまで破壊神の名前を貰えるようになったんだ? と思うわけですが-;。テスターもどうしましょうか? 使い方だけでも勉強してみる? ってふと思ったわけですが。