本日の日誌

昨夜は「SMAStation!?」を見て寝て。香取君がチェックも水玉も入っていない衣装を着ていたので、それほどのことはないのかも? と思って。それに、何かを伝えなければ、という感じでせっせと「目の力」を使っている感じでもありませんでしたし。でも、「自分は目が回ってしまうほど「目の力」が弱くなくて良かった」って呟いていた気がするわけで。いくら夫婦といっても、昔付き合っていた人のこととか、その人のことをどう思って付き合っていたのか、とか相手にぼろぼろとばれてしまうようでは、男としては大失態って呟いていた兄さん達が多い気がするわけで-;。まあ、いいじゃん、みんなだって私が誰とどう付き合っていたのかいろいろと知っているんでしょ? と思うわけで-;。

でもって、本日はプリント版を数えなければ、ということで、気が付かないでいると怒られるので、ちょくちょく様子を見に行きながら、ああでもないこうでもないって言っていて。で、ふと庭を見たら、ひまわりの双葉を2つ発見して。冬の間、小鳥達に毎日少しずつひまわりの種を出していたわけで。それを彼らが蹴散らかすので、庭のあちこちからひまわりの芽が出て。小鳥達の方は、最近では餌がたくさんあるので、冬のように必死になって食べには来ないのですが、それでもときどくひまわりの種をつつきたい気分になるのが1羽か2羽いるようで、早朝と夕方にちょっと庭に遊びに来るわけで。で、昼間空を見たら、けっこう大きな「×」の飛行機雲が出ていて。何だろう? と思ったのですが、どうも床下点検口に断熱材を貼らないように、ということだと思うわけで。だいたい、気密断熱なわけだから、他の部分と断絶のある点検口の下だけ隔絶させて貼っても意味がなくて、逆に蓋が開けにくい気がするわけで。そして、どうせトイレの中なのだから少しくらい他の部屋よりも寒くても問題ない気がするわけで。

で、夕方空にN字型みたいな飛行機雲が現れて。外に出て空を見ていたのですが、私が出た時にははっきりとした「×」はなくて。で、畑を見たらひまわりの芽が5本出ていて。今年初のひまわりの芽だ-、と思って。今年は引っ越しの年なので、種を採る目的でちょっと花を植える以外は大げさに育てる気はなかったのですが。(あとは土留めの崩れ防止用に使おうと思っているクリーピングタイムを育てたいくらいで。)一応初物ですので、育ててみようと思って。

で、夜は「嵐にしやがれ」の録画と「99.9%」を見て。新しい家にはいろんな人が「気」を通そうとしていて、蛙の人たちも善光寺を中心にしてせっせと頑張っているらしくて。だいたい、善光寺に行くと、「そもそも間取りさえちゃんとしてれば、材料なんてなんでも気が通るものなのに。」って言われる気がするわけですが。まあ、そのお寺ならそれだけの「力」はあるのかも? と思うわけで。蛙の人たちからは、「もうちょっと自分達に恩を売らせてくれたっていいのに」って呟かれた気がするわけで。でも、そうしたら、6番目の子が「そうやって恩を売って、(太陽女神を)一生好きでもない男にくくりつけておくつもりだろう。」って呟いていた気がするわけで@@。「げっ」っていうか、その「好きでもない男」ってのは1番目の子のこと? と思うわけで-;。その人の方は、流石に「自分だって妻神のことが好きなんだけど」って言ってくれて。それで、この前会ったときに真っ赤になってたことを思い出したのですが。確かに、その人のことを「愛してるのか?」って言われたら自分でも謎な気がするわけですがー;。でも、蛙の子は、1番目の子とも亀の子とも仲良くするよ、って言うわけで-;。というか、6番目の子は6番目の子で、私の「好きな男」とは自分に限定したいのでは? という気がするわけで-;。言っていることよりも、前提となってる思考回路がコワい、と思うわけですが><。でも、まあお外に出たら総本家に振り回されて生きるのも嫌なので、「自由」という言葉の意味を突き詰めるのも詮無いことなわけですが、できるだけ自由に生きれるようにはできたら良いなあ、と思うわけで。「99.9%」を見ていると、いつも潤君の気合いの入った「目の力」がすごいな、と思うわけで。

で、Helly Luvから、「REVOLUTION」のMVを見て欲しい、って言われた気がするわけで。で、ローマの火(日)の女神ウェスタの本体は、「火」とされていて、要するに「聖火」とか「竈の火」みたいに言われるものなんだろう、と思うわけで。で、ラテン語で「火」のことを「Ignis」というわけで。で、インドの火の神はアグニ(Agni)というわけですから、ラテン語の「火」とインドのアグニが同語源であることは明らかであるわけで。だから、ローマにおけるウェスタとは、インドの神話におけるアグニのことであり、それが仏法における「火天」のことです、って言われる気がするわけで。でもって、インドの火の神アグニには、「誕生後すぐに両親を食い殺した」という伝承があるそうで。それはすなわち「火の神」なので、親を焼き殺してしまった、ということなのだと思うわけで。そして、そういえば日本にもそういう火の神がいて、名前を火之迦具土神って言ったなあって思って。なんで「火の神」なのに名前に「土」がつくのだろう? って思って。で、「火の神」信仰は西方の狩猟民に顕著な思想ですので、中でもまともな方向性のものは、「季節の循環」や「生命の循環」が恙なく行われるように、季節の境目(5月と10月)に火祭りを行って、生贄を神に捧げる(要するに火で焼く)というものなわけで。それは、神聖な「火」が、神そのものであると同時に、神々の世界と人々を繋ぐものでもある、ということで。

で、「火の神」信仰の意味はもう一つあって、もう一つは「金属精錬」の技術なわけです。古代においては、こういうことの研究は「錬金術」と呼ばれたわけで、土からいかに効率良く大量の金属を得るか、みたいなそういうものなわけで。だから、普通に金属精錬の技術とか、現代的な化学技術に通じる研究もあったかもしれないけれども、その一方で「空気から金を作り出す」みたいな、現代でもできそうもないことも真面目に研究されていたわけで。だから、そういうことが専門の「火の神」は鉱物神として扱われるわけで。古代における「鉱物の神」は土から金属を精錬することのできる秘密を知る神であったわけです。そうやって、土から金属を作り出すこと、空気から金を作り出すこと、何も無いところから財宝を作り出すこと、ということを古代の人達はみな同じように考えていたわけで。狩猟民の思考回路としては、その延長線上に、「金や財宝をあるところから略奪して、何も持っていなかった自分が裕福になる」っていうことまでが含まれていたということのようで@@。要するに「無から財宝」を得る状態にさえなれれば、なんでも彼らの述べる「錬金術」として成立する、ということで。ローマなんかは大勢の何の罪も無いユダヤ人等を大量虐殺して、その財産をかすめ取るような「錬金術」の手法にはとても長けているところ、って言われる気がするわけで@@。

だから、「火の神」に純粋に「循環」を祈る願うことは、まだ「まとも」な範囲でも、錬金術の神サマに、その手法に長けることを祈り願うことはもう「まとも」な範囲には入らないこと、って言われる気がするわけで@@。親を焼き殺して親の財産や権利を奪い取りかねないような、そういう「火」の神サマは、どちらかというとやばい性格の神、ということで。土から財産を得る「錬金術」の神を示すから「火之迦具土神」って言うんだーー、って思って。で、一方の仏教的には「火天」は、「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」って呼ぶらしくて。密教とか禅宗とか日蓮宗で信仰されるってあったわけで。要するにこの明王が仏教に食い込んだ「ウェスタ」の象徴、ということで。でもって、仏教ではトイレの神サマ(不浄な場所を浄化する神)ともされていて、そもそも仏教寺院ではトイレのことを「東司」って言うらしくて@@。「東」っていうのは「不浄」の象徴でもある言葉なんだ? って改めて思ったわけですが。そういえば、トイレ掃除をやれって言われて、「そっちがやれば」って言って、自分ではトイレ掃除をしない女神がどっかにいた気がするわけですが-;。それも、「ローマに酷使される『火の女神』となれ」っていう呪いをかけるためのものだったんだ? と思って@@。でも、ローマを酷使してトイレ掃除をさせる女神になっちゃってる気がするわけで-;。それで応援してくれる人が増えたんだ? 敵にはいやがらせされるけれども? って思ったわけで。男系ローマの汚い支配から逃れたいと画策するウェスタの姉さん達と仲良くしていると、こういう情報も得られる、ということのようなのですが。