本日の日誌

夜はなんだか、家の近くに格安の温泉ができて、自転車で入りに行ったのですが、混浴みたいな感じで、しかも、お客さんが全員ガラス張りの部屋でお風呂に入っていて、外から裸の人達が丸見え、みたいであったので入るのをやめた、みたいな夢を見て。で、途中で何か食べたような、食べるのをやめた、ような? 曖昧な夢であって。

で、本日も「お仕事」であって。だいたいは、壁の合板を貼っていたので、割と暇であって。電気屋さんもちょっと来ましたが、お願いした品物しか持ってきませんでしたし、それほどせわしくもなかったかな、という感じで。そして、階段のささらの長さとか、調整をお願いして。でも、一日の作業が終わる頃になって、ちょっと忙しくなって階段を取り付け始めたりして。しかも、そういう時に工務店の人もやってきて、建具屋さんに見学に行く日取りの予定とか、言ってくるわけで。で、何故か水曜日にいろんな予定を詰め込みたがるわけで。そういう時にヘリが出たりするので、一応一日にいろんな予定を詰め込まないようにお願いしておいたのですが、なんで分かっていてそんなことするのかなあ? と思って。で、家に帰ってきてからふと気が付いたのですが、それもやっぱり、こちらを忙しくさせて、「お手紙」を出すのを邪魔しようとしてるのかも、って気が付いて。まあ、意地悪のやり方もだんだん緩くはなってきている気がするのですが。でも、まだまだ油断しちゃ駄目だな、と思って。

そして、6番目の子は、やっと私に釣り合う「名前」を手に入れた、って喜んでいた気がするわけですが。でも、ときどき、私が浮気してどこかに飛んで行ってしまわないようにしなきゃ、とか呟くわけで-;。7番目の子に、「お前、ちったあ自分の妻を信頼せえや」って突っ込まれてた気がしてーー;。そうしたら、何も言わずにパクチーの絵を送ってくるので、亀の子が「いやがらせだ」って呟いていた気がするのですが;;。

そして、なんだか富の王家の人達が、「蛙のアナーヒタちゃんがお嫁に来ることになった」って早手回しに喜んでいるとかで、総本家が噴火してる火山のように怒ってるって言われる気がするわけで@@。どうせ選ばれる確率が高いのは三強の内の誰かだし、その三人でなくても「蛇の目」の誰かだろうから、誰と結婚しても広い意味で「蛇の目」のお家にお嫁に来ることと同じでしょ? って言うのがそちらの言い分らしくてですねえ?@@ 私自身の事に関しては、神官長家がとりなしてくれて、「北方の狩猟民は分布範囲も広いし、部族の数も多いから、その中で代表の神サマに選ばれるくらいの「目の力」の強い子が生まれたら、もっと鼻を高くして、誇りに思うべき。」って言ってくれたらしくて。蛙の人たちは、神官長家一党とは伝統的に一番混血していて、仲良しということらしくて。私のことはそんなに怒っていないらしいのですが、その代わり怒りの矛先は「蛇の目」の人達に向いている、ということらしくてーー;。蛇の兄さんからも、「ローマ」は蛙の人たちから見れば、恐ろしい魔術を使う強敵の化け物だし、蛇の人達にとっても全力を尽くして戦わなければならない悪魔なんだけれども、北方の狩猟民の有力な神サマの名前を貰うことができれば、「同族内の争い」ということになって、戦いのきつさの程度がぐっと下がるんだよね、って言われる気がするわけで@@。で、兄さんは、誰にも負けたくないけれども、6番目の子が怖いし、6番目の子が怖いけれども、負けたくない、って言う気がするわけで@@。なんか兄さんも大変ですねえ? と思ったわけですが;;。7番目の子は、富の王家も放任主義なら放任主義で、憶測で余計なことを言い過ぎないように釘を刺しておく、って言う気がするわけで。

でも、なんだか思うに、富の王家は、「三強」の内でも蛇の兄さんにけっこう厳しい気がするわけで。なんで? って思いましたら、他の二人は庶民の出なんだから、王族ができるようなことができれば誉めるのは当たり前、蛇の兄さんは王族なんだから王族ができることをできるのは当たり前で、できなかったら出来損ない、って言う気がするわけで@@。そういうもの? って思うわけですが、西方の人達というのはそういう考え方が多いらしくて。王族には、人の上に立って纏めていくっていう才能とか、そういうものがあるから「王族」なのであって、そういう才能がなければ「王族」といえども、もっと才能のある人に王権を代わって貰った方が、当人のためでもあるし、誰もためでもある、ってそういう考え方らしくて。だから、西方では王権がどんどん交替するし、上流階級になればなるほど、良い意味でも「上流階級らしくあらねば」っていうことに必死になるもの、って言われる気がするわけで。東洋では、そういう階級制度の代わりに、「年長者」とか「目上の者」を尊重しなければいけない、っていう社会秩序があるので、才能がなくても「王族」は「王族」であるというだけで尊重しなければならない、っていう気風がものすごく強い、って言われる気がするわけで。

でもって、人身御供の話はともかくとしても、西方の人は牛とか馬とか羊とか豚とか、家畜も生贄に捧げるでしょ? って言われる気がするわけで。それは、結局神サマも「牛」だったりするので、神の「代理人」である「地上の牛」を犠牲に捧げて、神の国に返して、神サマと一体化させる、とか神サマへの使者にする、とかってそういう説明をされるわけで。でも、それって良く考えたら変じゃない? って言われる気がするわけで。神サマに力をつけて貰うためだったら、餌を与えなければだけど、草食動物は仲間を食べないよね? って言われるわけで。そういえば、そうだねえ? と思うわけで。要するに、古代エジプト神話の羊頭のクヌムとか、ローマの雄牛のユーピテルとか、みんな「草食動物」の仮面を被っているけれども、その本質は草食動物なんじゃないんだよ、って言われる気がするわけで。それ以外にも、獅子頭の女神のメヒトとかもいるけれども、それも「仮面」に過ぎない、って言われるわけで@@。じゃあ、彼らの「本質」は何? って思いましたら、「クヌム」なんだから「熊」なんだよ、って言われる気がするわけで@@。要するに、西方の神々の起源は、北方の狩猟民の神々にあるので、北方の人々の「熊信仰」が彼らの本質であって、後はそこに「狼信仰」も加わるって言われる気がするわけで。「熊」という日本語は、縄文系の人々の言葉なので、そのまま古い時代の北方の狩猟民の言葉でもあるらしくて。英語で熊は「bear」と言うわけですが、「b」で始まる子音は本来「輝けるモノ」という意味であるので、英語の「熊」という言葉そのものがその動物の「真名」を隠してるものなんだよ、って言われる気がするわけで。古代エジプトのクヌムとか、ヒッタイトのクマルビという神は、古い時代の神々であるので、まだ「真名」を隠そうという気風が弱い時代のものだから、そのまま名前が残っているんだよ、って言われる気がするわけで@@。だから、先祖が熊で、熊は自分の兄弟で、って思っているのはアイヌの人とか、北欧の少数民族とか、そういう人達だけだと思ってるでしょ? でも、そうじゃなくて、ローマも含めてヨーロッパの人達は、ほとんどが「熊」って言われる気がするわけで@@。だから、天神アンの名前も「熊」が変化したものだし、西方で「M」がつく神サマは「蛇」も意味するけど、全部「熊」だし、「悪魔」の「魔」も「クマ」の「マ」って言われる気がするわけで@@。で、一方日本語で「狼」という言葉は「大神」ということでもあるので、それは真名じゃない、って言われる気がするわけで@@。じゃあ、その動物の真名は何? って言うと、それは山に住む「婆」でしょ? って言われるわけで@@。ご機嫌が良ければ、人に親切にしてくれるけれども、悪いと人を食う「山姥」っていうのは「狼」のことなんだ? と思うわけで。英語で狼のことを「wolf」と言うわけですが、その子音は「BB」ですので、まさに「婆」ということで。要するに、「ローマ」っていうのは、熊の子が狼に育てられて、「獰猛な肉食獣」としての性質が二重に重ねがけされた倍増しの国、っていう意味の創世神話を持っているわけだから、それが彼らの「根本的思想」って言われる気がするわけで@@。要するに、草食動物を生贄に捧げるのは、神々に餌を与えているのですね? と思うわけで。でも、みんな他人に自分達の神の正体(すなわち自分達の正体)を知られたくないので、隠しているんだー、本当は「人間」じゃなくて「熊」なんだ、って思うわけで@@。アイヌの人達は、子熊を何年か飼って育てて、やがて殺して天に神として返す、という祭祀を続けているわけで、今でもそういう祭祀を続けていることについては、動物愛護という点からいろいろと言う人もいるけれども、彼らが今でもそれを続ける理由は、我が家に北方の「熊信仰」の本質を知って貰いたいから、って言われる気がするわけで@@。アイヌの人達も、縄文系の人達も、余所者に自分達の正体を知られないために、神の名前や正体を隠す、という伝統は、必要もなかったので、長い歴史の中で培われて来なかったので、北方の狩猟民に共通する根源的な神の「真名」というのは、実は日本語の中に当たり前のように残っているって言われる気がするわけでですねえ? そもそも「神」という言葉の起源も「熊」なんだ? と思うわけで。

で、「熊」というのは、「太陽」で示すと、「日中の太陽」であり、「真夏の太陽」だって言われる気がするわけです。でもって、夜にも「夜明け方の夜」と「日暮れ時の夜」があるわけですが、夜にすると熊は「日暮れ時の夜」って言われる気がするわけで。でもって、なんで「真夏の太陽」かというと、冬に消え失せていて、夏しか見かけないから、ということらしくて@@。で、「夜」の属性の時は、おおぐま座であり、北極星になる、って言われる気がするわけで。西方では「おおぐま座」は「荷車」の星としても現されたわけですが、それは「太陽車輪」のこと、って言われる気がするわけで。不動の星である北極星は、夜間に活動するものにとっては、方向を見失わないための重要な星であるので、神である「熊」の星でもあり、不動の「王権」や「神権」の象徴でもある、ということで。富の王家が、7番目の子に「北極星」の名前を与えたのは、どんな時にも不動の信念を持っているその人が、西方の人々の述べる「天神アン」に相応しいだけの「目の力」を持っていると考えたから、って言われる気がするわけで。

そして、「狼」というのは、熊とは逆に「夜明けの夜」、「冬の太陽」を示すって言われる気がするわけで。何故かといえば、冬の次には夏が来ますし、「夜明け」の次には「昼間」が来るので、「盛んになる直前の太陽」が狼であって、彼らは冬季でも活動するので、冬の夜空に輝くおおいぬ座のシリウスが「狼の星」であって。だから、「狛天白」っていうのは、「狛(こま)」という言葉は「犬」という意味があるので、そちらを優先すればシリウスのことだし、「こま」という言葉を優先すれば熊のことで、北極星のこと、って言われる気がするわけで。縄文系の人々は伝統的に「星神」に対する信仰が弱いので、あんまり特定の星を強力に信仰せずに、有力な星々を纏めて「星神」としているので、どの星を信仰していたのか分かりにくいけれども、それはどちらの星もいっしょくたにした概念、って言われる気がするわけで。でも、そういう熊信仰と狼信仰をまぜこぜにした信仰そのものはどこでもはびこっていて、そもそものローマも「熊の子が狼に育てられて作った国」であって、「ローマ」という言葉も「熊」だから、ということらしくて@@。だいたい、私自身も戌年生まれで、「狼」の素質も持っているけれども、「目の力」は雷をどかどか落とすアン女神(すなわち熊)って言われる気がするわけで@@。

でもって、広範囲に信仰されている、「物事を測り尽くす神(「終わり」を司る神だから、彼が寿命を測り終わったらその命は「終わり」ということで)」であるミトラスは、「秤」の神サマでもあるので、商人の神ともされていて。ローマではそちらの性質が強くて、「メルクリウス」というわけです。他人の財産をローマのために測り尽くす神、ということで。で、ローマのミトラス、すなわちメルクリウスは誰? って聞かれる気がするわけで。東北大震災の時に、「原発が爆発するから、日本はもう終わり」ってわめいていた人がいたでしょうが、って言われる気がするわけで@@。そういえば、あのゲイのジャーナリストはなんて言ったっけ? って思って。アンダーソン・クーパーとかって言ってた気がするわけで。その人には、「黙れ。まだ終わってないし、人心を惑わすようなことを言うな。」って言ってやったら、イラクあたりに逃げて行ってしまった人じゃなかったっけ? って思うわけで。要するに、あの頃というのは、ローマは自分達が作り出した「秩序」を裁判という形で破壊しようとしていた「女神」を潰す機会を伺っていたし、地震を機会に女神を国ごと葬りさろうとしてたんだ? って思うわけで@@。でも、狩猟民の文化というのは、表向きは「公平さ」というものがあって、例えば死刑を宣告されるようなことをした者でも、形式的には「弁明」して戦う機会が与えられるわけで。ギリシャではそれを「法廷」と呼ぶし、ローマでは「闘技場」と呼ぶ、って言われる気がするわけで@@。西欧の裁判所というのは、基本的には、まず「有罪」か「無罪」かを問うものであって、更に「有罪」であればどのくらいの刑が妥当であるかを決めるものだから、被告人はまず「無罪」を主張する機会が与えられるわけですし、次には自分の刑がどの程度であれば「妥当」であるかを主張できるわけで。被告人の言い分の方が妥当であれば、例え有罪であっても刑の内容は、被告人の主張の通りに決定されるのが西洋の「法廷」なわけです。でも、一方のローマの方はもっと暴力的であって、闘技場で猛獣(すなわちローマにとっての「神」)と戦って、神に勝てれば、神の定めた法に従わなくても良い(すなわち死ななくても良い)ということになっているわけで。でも、罪人が素手であって、飢え死に寸前まで弱らされていれば、勝てるわけがないわけで。それが、ローマの述べるところの「神の思し召し」ということになるらしいのですが。

だから、あの地震の対応そのものが、ローマがこの国を滅ぼそうと画策して、私に挑んだ「戦い」であったので、ローマの主張に対して、私が彼らの主張よりも妥当な「対抗弁論」を行えば、こちらの「勝ち」となって、こちらの主張が通る、ということであったようで。ローマのメルクリウスの主張は、私自身を滅ぼすためのものだから、当然死刑宣告された「罪人」の私が自分自身で対抗弁論しなければならないものだった、ということのようで@@。でも、結局有事につまんないことを言う人間は「黙る」のが妥当なのだから、「黙れ」って言うのが正論なんじゃん? と思うわけで。そうしたら、4番目の子に「そういう図太さも自分は欲しい」って言われた気がするわけですが@@。でもって、クーパー氏のことを改めて調べてみるように、って言われて、家に戻って調べてみましたら、今現在アメリカのCNNで「アンダーソン・クーパー360°」というニュース番組を担当されているそうで。その人、自分から「36(弥勒)」って名乗ってるじゃん! って思ったのですが@@。要するに、私はローマが差し向けた「終末の神」との弁論合戦に勝ったので、その人よりも「格上」の神ということがグローバルに認められるようになったし、自らに下された「死刑宣告」の運命を変えることもでき得る人物とも見なされるようになった、ということのようで(しかも、私と一緒にそれこそ死ぬはずであった何万人もの人々の運命も変えたわけだから)。どうりで、わざわざその人のことをタレこんでくれた人がいたわけだ? と思ったわけですが。でもまあ、あの程度の人物の言霊をねじ伏せるなんて簡単なことでしょ? と6番目の子に言われる気がするわけで。っていうか、「ジャーナリスト」を名乗る人物が「たわごと」を言っちゃいかんでしょ? って普通に思うわけですが><。

そして、福山君のドラマの「ラヴソング」を見ていたら、なんだかヒロインのさくらちゃんが、声帯周辺に肉腫ができて、1ヶ月後に手術するとか、そういう「どこの世界の話?」みたいな展開になっていて。私の分身の蛙の子は、「その若さで肉腫になったら、あっという間に全身転移して1ヶ月後には死んでるから、早速抗癌剤治療を始めてハゲハゲにならなきゃ」って突っ込んでた気がするわけで-;。まあ、抗癌剤というのは、一般的には癌よりは肉腫に効くんだよね、効くモノはね? って思うわけで。そういうところはさすがに冷静さを失わないよね? っていろいろな兄さん達から言われた気がするわけですが。でも、4番目の子からは「抗癌剤がハゲになるもの、って思ってるってことは、基本的に治療するモノだって思ってないでしょ?」って突っ込まれたわけで@@。そりゃ病気の内容にもよるわけですが、抗癌剤というのは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」みたいなものなのでねえ? と思うわけで。運良く当たればいい、ってそういうものだ、という気が原則的にはするわけで。まあ、病気の内容にもよるから、一概には言えないのですけれども。

そして、蛙の王家も、富の王家も、基本的には好き勝手なことしか言わないわけですが。7番目の子がどちらもできるだけ黙らせるように暗躍しております、その人も「黙れ」って言うのは得意だから、って言われた気がするわけで@@。なんというか、そんな一日だったわけです。(でもジャーナリスト云々っていうと、どうもテレビの向こうから、そう言われると心が痛む、ジャーナリストというのはたわ言をたわ言じゃなく思わせるのが仕事だから、って言われる気がするわけで@@。それもローマ式なのですかねえ? って思ったのですが。まあ、でも天気予報くらいはないと困りますしね、ということで<(_ _)>。)