ええと、屋内配線に使う電線は、どれを使ったら良いのかけっこう迷って、現場まで見に行ったのですが。検討対象は3種類くらいあって。いろんな人と相談した結果、カタログにやたらと「13」という数字があるのはよろしくない、ということになって1個外れて。そして、平型と丸型のどちらにしようか迷ったわけですが、丸型の方は外装に波形の金属が入っているということで。必要であれば、そういうものも使ってもいいけど、ない方が「気」が通しやすい、って言われる気がして。それに、電線というのはやっぱり電気を通すもので、特殊なものなので、普及していて、工事している人が施工し慣れているものがいいんじゃないか、とかそういうことになって。結局、シンプルに電気屋さんが持ってきたものを使うのがよさそう、ということになって。
で、朝方は夢を見て。なんだか、まだ自分が東京で医者をやっていて。で、ファンクラブには入っていないけど、都合が悪くなった人からチケットを譲って貰うとかして、福山君のライブを良く見に行くような感じであって。で、何故か働いている病院の救急外来が紹介性で、ある日外科部長に呼び出されて、「こんなこと(福山君のライブに行くこと)を続けるなら、あんたが紹介した患者は診ない。」って言われて。「あんたの方こそ、それでも医者なの?」とか「何のために医者になったの?」って聞いたわけですが、相手は「もう診ない。」って言い張るので、「あっそ」って感じでその場を引き上げる、という夢で。なんとなく、蛇の兄さんから「こんなことももうじき終わり」って言われた気がして。それで目が覚めて。
で、そろそろ火災保険とかそういうことも考えなければ、ということで、「お仕事」の方がお休みだったので、その相談に行ってきたりして。新しい家は良い材料をけっこう使っているので、紋切り型の査定よりもだいぶお金がかかっているわけで。でも、評価額よりも、何かあったときには実際に再建築可能な額が下りてくれないと困る、ということで。そう言ったら、受付の人は見積もりで、価額の設定も可能、とは言ったわけですけれども、そうはしたくなさそうな雰囲気であって。「毒蛇めが、抜け目なく、何かあったら満額保証させる気だ。」って呟かれたわけでーー;。まあ、何かあった時に家がなくなっちゃったら困るわけですし。なんというか、兄さんのことを本気で信じているのか否か? って言われると自分でも「???」って思うわけですが。でも、ちゃんとしたのに入っとけ、って言われる気がするわけですし、こういうことも言われるのに慣れているので-;。まあ、状況的にそんなものなのかな? という感じなのですがーー;。しかも、何かあるとこちらが締め上げられるような状況になるわけですし-;。
で、昨夜はなんだか「正教会」というものが気になって、ちょっとだけ調べてみて。ローマ教会に対する東方教会って、東欧やロシアを中心にあるように思えますが、その起源は非常に古くて、十二使徒の時代にまで遡るらしくて。で、古代におけるキリスト教協会は、地方毎の自治的な組織であったので、最初にできた「教会」達は、それぞれ独立的であって。簡単にいうと、エルサレムを発して、地中海周辺の主要な都市にまずは各教会が建立されて。で、正教会というのは、東ローマ帝国の首都にあったコンスタンティノープルで隆盛を誇って、地中海の各都市に正教会があるし、コンスタンティノープル発で、東欧に布教を行って拡がった、という印象を受けるわけで。で、ローマ教会がイタリア人中心であるのに対して、正教会の方はギリシャ人中心である印象を受けて。東欧諸国の各正教会は、独立した後にはそれぞれの国の人が総主教になっているのかもしれませんが、ギリシャ人はギリシャに住んでいるだけではなくて、地中海の各都市に住み着いて一定のコミュニティを形成している印象を受けるわけで、そういう人達が今でも地中海周辺都市での「正教会」を組織しているように見えるわけで。だから、正教会で一番古くて権威のある教会は、かつてのコンスタンティノープル(現在のトルコ)にあるし、エルサレムなんかにも教会はあるわけですが、大抵のところでの総主教はギリシャ系の人である気がして。各教会の総主教の写真を探してみたわけですが、そうすると、ギリシャ神話のアタマースの神話を思い出すように、と言われる気がするわけで。アタマースとは古代ギリシャにあったテーバイという都市国家の祖神的な伝承上の王のことなわけで。神の怒りに触れて、結婚に失敗し野山をさすらう、という目にあった人なわけで。でも、アタマースの名前は、その子音構成の通り、ヘブライの神話の「アダム」と同じ名前なわけで。アダムもまた神の怒りに触れて、楽園を追放され荒れ地を彷徨う羽目になるわけで。要するに、テーバイを建設した人達と、南ユダの人達の遠い先祖は「同じ」であって、同じ名前の祖神神話を持っているって、そういうことなのだと思うわけで。ギリシャ人がギリシャ人になる前、ユダヤ人がユダヤ人になる前には、その2つは同じもの、奉ずる祖神も、神もまた同じものって言われた気がするわけで。では、あなた方が「キリスト教」の仮面の下に隠して、今も奉じている神は何者なのか? とお尋ねしましたら、「それは今も昔も雷帝ゼウス」って言われた気がするわけで。では、あなた方は、その名前をいずこの神に捧げたいと思うのですか? とお尋ねしましたら、「ゼウスの名前の由来となった、雷ばかり落としている太陽女神シヴスに。」と言われた気がするわけで@@。私にお鉢が回ってきたよ、って思ったわけですが@@。ギリシャ系の総主教のおじいさん達は、「神」の中に雷帝ゼウスの夢を見る。スラヴ系やトラキア系のおじいさん達は、彼らの神を夢見る、ってなんだかそんな気がするわけで。古代における原始キリスト教は、各地の宗教を同化・吸収するような形で広まっていったので、そういう移行が穏やかに行われたところでは、それこそみんな自分達が何者なのかを良く覚えているのですねえ? って思ったわけで。でも、一番印象的であったのは、エルサレム総主教であって、その人はギリシャ系であったけれども、蛇の兄さんと同じく、中東の人によく見られる「蛇の目」の人で、「どんな不浄の地にも味方は居ます。」と言ってくれた気がして。みんな、なんだかんだ言って混血してるのですねえ? って思ったわけですが。
でもって、家に帰ってきたら、ふっと4番目の子が降臨してきて。「今週はバースデーウィーク!」って言ってくれたわけで。「あー、そういえば、今日は月曜日。」って思い出したわけで。別にもうこんな年ですし、誕生日のことなんかどうでも良い気がするのですがー;。そして親には、数が多すぎて誰が誰だか分からない、とか言われるわけで-;。でも、基本的に主要な人物なのは、潤君と蛇の兄さんと光一君であって、状況を動かし得るだけの強力な「才能」と「目の力」を持っているのはこの3人であって、あとは「オプション」みたいなもの、って言う人は言うわけですがー;。そして、3人の序列もこの順の通り、ということで。筆頭の子と私はギリシャの人達が「ギリシャ人の叡智」と呼ぶ「massを動かす言霊」を持っているということで、彼らに注目されているし、スラヴ系の人々は、ペールーンの名前を貰った蛇の兄さんに期待しているし、ローマ人はローマの力を操ることに長けている7番目の子を恐れている、ということのようで。じいさん達からは、「神は男にだらしがなさすぎる。それが東アジアの一妻多夫の伝統だから仕方がないけれども。」って言われた気がするわけで@@。誰がだらしがないのさーーー、って思ったわけですがー;。誰でも大抵は言いたい放題なわけです。