本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、石が多くてあまり進まず。でも、奥の方の木の枝があまり大きくなくて、全部掘り出すことができた。後は、周辺のタール土をできるだけ取り除きたい、と思うのだけれども、掘っても掘っても出てくる感じである。で、南側をだんだん内側に向かって掘るように、特に上の方もしっかり掘るように、と7番目の兄さんに言われて掘っていたら、基礎に沿って太めの木の根っこが埋められていることを発見した。採石が周りに詰まっているから、これも後から埋めたものであることは明らかであって。なんだか「呪いの注連縄」みたいに見えて不気味であって。

昨夜は「少年倶楽部」を見る。デビュー間近なキンプリの特集っぽい感じであって。その若い兄さん達にせっせと「目の力」を使われると、どんどん石を掘りたくなる気がするわけで。

で、ネットニュースでIOCの会長が北朝鮮を訪問した、とあって。なんだか、いろんな事が急速に進みますねえ? と思う。でも、将来的には、オリンピックが契機で、朝鮮半島に平和が訪れた、とかってそういう風に言われそう、と思うわけで。中国が朝鮮半島の主権を自分たち以外に認める行動に出た件については、「だって、あなたは『姉と弟』のような関係になりたい。」とは言わなかったでしょ? と言われる気がするわけで@@。今までの中朝関係について「兄弟のよう」と言われてきたのは、西欧風に解釈すれば、「兄弟のように親しい関係」と受け取れるけれども、東洋の常識は違う。戦前の日本と同じで、「長男(上に立つ者)が絶対」というのが東洋式だから、「兄弟のよう」というのは、中国が兄で、朝鮮が弟、ということで、弟は兄に絶対的に従う者なのだから、朝鮮半島の住民は、中国本土の政府が決めたことに無条件に従うべし、って言っているのと同じ事で、西欧の言い方に直せば、むしろ「人種差別」「民族差別」ということだから。それが証拠に、昔から「中国が兄」とは言うけれども、「朝鮮が兄」とは言わないでしょ、と言われる気がするわけで。それに対して「朋友(親友)」ということは、洋の東西を問わず、「互いに信頼し合う友人」ということで、お互いに対等な立場に立っていることを前提とした言葉だから、と言われる気がするわけで。要するに、大中国の「皇帝」とやらになった誰かが、正ちゃんに「弟になれ」と言わずに、「朋友になりましょう」と言ったせいで、いろんなことがそういう方向に是正されることになったらしくて@@。え、でも、基本的にチベットはチベットに住む人たちのものだし、朝鮮は朝鮮に住む人たちのものなんじゃないの? と思うわけですが、どうも今まで「皇帝」の名を使って中国を牛耳って利を得ていた人たちは、そういう考えではなかったようで。総本家は、「上社の口車に乗って余計なことをしてくれた」と怒っているらしくてー;。「皇帝」の名前を使う者が入れ変わっただけで、こんなに劇的な変化が起きつつある、ということは、前にその名前を使っていた人たちは、それだけ大きな影響力を持っていた、ってそういうことですよねえ?? と思うわけで。というわけで、中国の主権者が朝鮮半島の自立を正式に認めた、ということは有史始まって以来の出来事、と言われる気がするわけで。総本家の味方の人たちからは、「中国が朝鮮半島の主権を失おうが、失うまいが、自分にとってはどうでもいい他人事だと思ってるでしょ?」と非難される気がするわけで。「どうでもいい」とまでは言わないけど、基本的に他人事である、という気がするのは仕方ないでしょうが、だって、私は日本人だし、というか、日本だって中国に朝貢していた歴史的事実はあるわけだから、中国の「拡張主義」が過ぎれば日本だってやばいじゃん、というくらいなことしか考えつかないわけで。むしろ、「総本家」という名前の「自称中国人」の人々の方が何者何様? という気がするわけですが、今までけっこうな影響力を持ってたんですねえ?? って、むしろそっちの方にびっくりなわけでー;。(でも、こと中国に関する限り、そこで権力を握るはずであった人たちは、今のところ「華僑」として国外に出てしまっている人たちが多いので、だいたい「中国に住んでなくても、自分たちは中国人だ」と思ってる人たちが多い気がするわけですが。)

で、今日は昨日の金スマの録画を見る。だいたい、音楽家の兄さんを見るときには、いろんな人がいろんなことを言ってくるわけですが。だいたい、「本当のことなんか、ロッカーの道に進むときに、お母さんに猛反対されたことくらいでしょ。」と、どこぞから言われる気がするわけで-;。そういう道に進めば、蛇の兄さん同様、大成功することは約束されてる、だって、大名家が後ろ盾についてるんだから、と言われる気がするわけで。でも、その代わりに、昔の武将同様、大名家の駒として働くことを要求される。特に部族外の者が宮仕えに出ても、何かあった時に一番最初に切り捨てられる手駒として使われるだけなんだから、「いくら志があったとしても、そこまでする必要があるのか。」と、お母さんが猛反対するのは当然のこと、といろんな人に言われる気がするわけで。だいたい、実際死者が2名も出ているわけですし。X JAPANが活動を再開し始めるのは2007年になってからで、その頃の利兄さんとの映像も少し流れていたわけですが。金スマの中で、いろんな親しい人の死が、音楽家の兄さんに大きな影響を与えてきた、と言っていたけれども、「人の死、というものは不吉なものではあるけれども、人の人生に大きな影響力を与えうるものでもある。一人の女性の死が、自分の人生の全てをなげうってでも、戦う決意を太陽女神にさせたし、自分たちは神が戦う決意をする時を待っていた。」と利兄さんに言われる気がするわけで。だいたい、うちの親は「組織の力」というものが良く分かっていなくて「なんで?」と思うわけですが、医者の世界は横のつながりも縦のつながりも独特のものがあって、勤務医でいる内は大学病院に仕切られる、開業すれば医師会でガチガチに固められる。しかも、その両方にまたがって「学会」というものが正規の役所である厚生労働省よりも強力な権限を握っているような世界なので。勤務医が勤務していた病院に、本気で訴訟を起こしたりすれば、勝とうが負けようがそれ以後は、医者としてまともに働ける余地はないわけで。要するに、そんなことをすれば「医者としての人生は終わり」ということなわけですが。でも、それでも、誰かがちょっと労働組合に行ったくらいで、全然関係のないところにいるように見える人が、無駄に死んでいい、ということにはならないし、それは何があっても許してはならないことなんじゃないの? と思うわけで。でも、「自分の人生はこれで終わり」というほど悲観していたわけでもないし、勝算はあると思っていたし、自分の可能性も信じていたし、だからこそ医者なんかやらなくても済むように、法律系の資格をいくつも取ろうとしてたんじゃないの? と思うわけですが。兄さん達には、「誰かのために自分の人生の全てを投げ打つことができる人でなければ、とても大勢の部下の命を預かれるものではない。」と言われる気がするわけで。だから、「太陽女神が戦う決意をする時が来さえすれば、わけの分からない馬鹿みたいな組織と手を切るのは当たり前。」と言われる気がするわけで-;。だいたい、「目の力」を見れば、利兄さんの方が、音楽家の兄さんよりも強いのは一目瞭然なので、「主導権を握っているのは利兄さんの方。」と言われる気がするわけで。ともかく、その兄さん達の「声」が私に良く届くこと、そして筆頭がお気に入りであるということは、富の王家のおっちゃんにとっては微妙にストレスらしくて。出雲親族の中で、大名家の発言権が増す、大名家は大名家で「総本家」に当たる富の王家を蹴飛ばしてでも、どこかに突き落としたいと思うほど嫌っている下社とその後ろ盾があるということらしくて。要するにあれだ、正ちゃんも大名家のおっちゃんの「お眼鏡」にかなう人物なのですねえ? と思う。大名家のおっちゃんはおっちゃんで、「武将に学問なんか必要ない。「文武両道」なんて言葉は、江戸時代に武家が官僚化してもてはやされるようになった言葉で、鎌倉時代の武将は文字なんか読めない人が大勢いたんだから。武家に必要なのは、腕っ節と、腕っ節一つで名声と人望を得られる人格のみ。」って言うような「武闘派好き」であるので。(でも、実際には6番目の子も、音楽家の兄さんも、正ちゃんも、ものすごく頭の良い人たちだと思うわけですが。)大名家のおっちゃんには、「朝鮮半島の現状を見て、下社が仕切っていた方が良いと思うのか、上社が仕切っていた方が良いと思うのか、自分の頭で判断しなよ。」と言われる気がするわけで。いや、もう、自分のとこの総本家が大嫌いなんで、と思うわけですが(苦笑)。富の王家のおっちゃんは、「身内同士であんまり世間体の悪い争いごとは嫌だよう。」と微妙なことを言う気がするわけですが-;。まあ、世間体の悪い方向にしか行かないのではないですかねえ?? とかそんな気しかしないわけですが-;。

そして、昨日はマリウス君のお誕生日だったのでした。18歳かー、まだまだ若いねーー、と思う。でも、どんどん大人っぽくなっていくお年頃だし、将来が楽しみだー、と思うのです。どうも、お誕生日おめでとうございます<(_ _)>。