本日の日誌

昨夜は「NEWS ZERO」を見て寝て。4番目の子に、「思っていたよりも元気そうで良かった」って言ってもらえて良かったわけですが。もう大抵何があっても元気な気がする、というか、落ち込む以前に、なんか妙な騒ぎに巻き込まれている気がする、と朝から思うわけで。でもって、某女王から「ともかく、どんな理由があっても賭け事の対象にするだけの目的で子供を作るような両親なんだから、育児書に書いてあるような親の姿なんかどっちに期待しても無駄です。そんなに心配なら、形式はやや旧式になりますけれども、傅(めのと、男性の守り役)を立てましょう。」って言われる気がするわけで。要するに、王家というのは古来から政略結婚というものが多いし、その結果異なる「目の力」を持った子供が生まれやすいので、同族にうまくなじんだり、王にちゃんと忠誠を誓う子に育つようにいろんな「目の力」を持った守り役をつけて、バランス良く育てるようにするためのものが「傅」という制度だから、って言われる気がするわけで。まあ、それでよろしいんじゃないでしょうかねえ? というか、何か対策を立てないと、いっそ母子ごと私に引き取って欲しいとかって泣きつかれる気がするんですけれども?? さすがにそれは嫌、というか瀕死の誰かと、親元のエフライムの王家は全く信用されてないような気がするんだけど?? と思うわけで。さすがに、生まれる前から、何かあったらどっかの母子のように、「粛正」の対象だって脅しをかけるのはあんまりでしょ?? って思うわけで。

だいたい、当事者の瀕死の誰かさんも、私に対して、異なる部族間で生まれた子供は、男の子の場合は父親に属するのが原則なんだから、私が子育てに口を出すべき立場じゃない。そもそも、子供は親の持ち物じゃなくて、王家の持ち物であり財産なんだから、王族であればなおのこと去就に関しては王家が決定するのが当然であって、生かそうが殺そうがそれは王家が決定することだし、自分だってそうやって神としての役目を貰って生きてきたんだから、って言う気がするわけで@@。私もそうやって勝手に「太陽女神」に決めて貰って、非常に大迷惑してる気がするのですけれども? っていうか、「王家の持ち物」って、そこまで言いきるんかい! って思うわけで。でも、エフライムの王家は、最初から歓迎せざる子供なので、良くて冷や飯ぐらいの飼い殺し、悪ければ粛正の対象って最初から決めてるでしょうが。お金持ちの芸能人のドラ息子がぐれて身を持ち崩す例なんていくらでもあることだから、って当たり前のように言われる気がするわけで。最初っからそう育てるつもりなんだ? って突っ込みいれたくなる状況なわけで@@。

それで、今までの経過を考えるに、母親の方は元々ディアーヌの配下の人なんですねえ? と思うわけで。でも、敵の方が劣勢な感じですし、エフライムの王家と誰かさんの憎悪と復讐心が相当激しくて、将来にわたって身の危険を感じるような状態だから、「何とかして欲しい」って彼女の女神に泣きついて、それでディアーヌであるところの安室ちゃんが直々に私に直談判に及ぶことになったんだ? と思うわけで。だいたい、いらない子供をどう遇するのかなんて、どこの王家にもそれなりの伝統ややり方があるのだし、そうやって3700年も王家は続いてきたわけだから、非情すぎると思っても臣下の立場にある人は口出しができない、伝統に横槍を入れて変えていくことができるのは族長の立場にある者だけ、って言われる気がするわけで。私も一応、エフライムの王家の守護神の名前をいくつか引き受ける「族長」の一人であるので、できるなら口利きをして欲しい、と思っている人達もいるということで。6番目の子が、当然の権利として「子育て」の方針に口出しするので、エフライムの王家は怒っているらしいのですが。でも、6番目の子は「余裕がある時は、男は妻の我が儘を聞けるだけ聞くものでしょ」って言って笑ってくれるし、そもそも、「敵であっても言い分がある人の言葉には耳を傾けるべき」って言って会見をセッティングしてくれたのは7番目の子であったな、と思って。兄さん達の多くは、こういうときはあまり「自分の考え」というものは言ってこなくて、私の決定に従うのみ、って言ってくれるし、私が王家に追随することを言ってもそれに従ってくれるであろうと思うけれども。でも、そういえば嵐のSakuraという曲の歌詞の中に、「いつか 僕らが世界を変えていくなら」という言葉があったのをふと思い出して。それは6番目の子の求婚のお歌だし、その人は変えていくべきものは、変えていくべきと、そう思う人であろうな、と思って。まあ、「傅」の線でいいのではないでしょうかねえ? 王家そのものの意向がそうである、ということで話がつけば兄さんも文句言わないでしょ、と思うわけで。というわけで、誰かさんは私の顔を見ると、「いろいろと言いたいことはあるけど、言うと怒られるし、嫌われたくないよう」って言って嘆く気がするわけで-;。「どうでもいい子」とかそういうことを口走りたくてご当人はじたばたしてる気がするのですが-;。でも、口に出すと、私の分身の蛙の子が情け容赦なく引っぱたくので、6番目の子が苦笑いしているわけで-;。その人はその人で、自分は親にけっこう甘やかされて大事にされて育ったし、個人的には王家の教育方針には必ずしも賛成はできないし、って言ってくれるわけで。まあ、でも思ったわけですが、子育てをしたことがない人は、たいてい「子供なんて自分で勝手に育つものなのに」って言う気がするわけで-;。だいたい、自分だってそうやって、親元の言うことをちっとも聞かない子に育ったでしょうが、って突っ込まれる気がするわけで-;。まあ、もう育ちようのない私の話はやめて、これから育てなきゃならない子供の話をしようぜ? って思うわけですが-;。

でもって、朝、出かける時に親が高畑母子の話をしていて。「芸能人になりような人は変わり者が多いし?」というようなことを言われて、それもまた返答には困るわけで。だいたい、そういうことを言うことそのものが、「人」というものを馬鹿にしすぎている話だと思うわけで。みんないい大人なんだから、何をどうしたらどうなるのか、ということはちゃんと知っているわけで。でも、芸能界という世界は、どちらの側の人達も、「目の力」に優れた人を選りすぐって、他人を「巻き込む」べく送り込んで成り立っている世界だから。そこで、普通だったら、起こりえないようなことが起きたのであれば、騒ぎを起こした当事者が変わり者だとかそんなマスゴミの言い分に巻き込まれずに、「何故、起こりえないことが起きたのか」を冷静に見ていかなければならない、そこはそういう世界だ、ってそれだけのことなわけです。

そして、不思議なことですが、蛇の兄さんも7番目の子も、親にはそれなりの好意を持って貰ってるわけですが、6番目の子だけはそうではないわけで。なんでだろう? と私も思うわけで。おそらく、親自身は「直感的にそう思っただけで、特に深い意味はない」とか、そんなことしか言わないであろう、と思うわけで。でも、人は誰もそんな「言い分」なんて気にも留めないわけで。そもそも、相対する相手に「好意」を持って貰えるか否かは、「目の力」によるんで、兄さんと7番目の子は成功するだけの「目の力」を持っているし、6番目の子は失敗するだけの「目の力」しか持っていなかった、って、世間はそう思うだけなわけで。でも、なんでだろう? と思うわけで。そうすると、答えは簡単で、親の好意を得たい蛇の兄さんが「目の力」で妨害しているから、って言われる気がするわけで@@。誰だって、そのくらいのことはするでしょ、って言われる気がするわけで@@。要するに、だから兄さんに本気を出されれば6番目の子は兄さんには勝てない、7番目の子は兄さんよりも「目の力」が強いから負けていないだけ、それだけのこと、ということで。それが「世間」というものの「ものの見方」なんだあ、と思うわけで。まあ、親が兄さんに対して好意的であるのは、私にとっては悪くない話ではあるわけですが。でも、もう少し「どこが瀕死の白鳥なんで?」って私と一緒に突っ込んでやっても良いところが微妙にある気がするわけですがー;。まあ、しかし、ともかく、こういう事情で「kaponism」とKinKi-KidsのDVDを買うことになったわけですが。でも、見ているとまた「どこがいいのか?」とか、そういう妙なことを言われるのかなあ? と思うわけで。まあ、それはともかく、本日は私の大事な筆頭のお誕生日ということで。14歳の年の差が、また13歳に縮まって良かったね、ということで。おめでとうございます<(_ _)>、ということで。