本日の日誌

本日は、仮設トイレのお片付け、ということでお出かけして。で、気が付いたのですが、家の敷地の隅っこの方とか、どうもいつの間にか地面に細かい砕石みたいなものが敷き詰められている気がして。確かに、そういうものも元々ありましたけれども、こんなに「敷き詰められた」っていうほど大量にあったっけ? と思って。ちょこちょこと拾ってみたのですが、間から細かなかわらけが出て来たりとか、ゴミが出て来たりするので、やっぱり誰かが蒔いているんだろうな、と気が付いて。で、家の横のポールの周辺も地面を綺麗にならしておいたのに、なんだかほじくり返した跡があって。そういえば、昨日大工さんが来た時に、妙に用事もないのに家の裏側に行っていましたし、帰る時に工務店さんの車とすれ違ったなー、と思って。で掘ってみたら、そこにないはずの石とかもちょこちょこと出てくるわけでー;。夜の間留守にするのをいいことに、こういうことをするんだなー、と思って。今日は、自分では頑張って石の片付けなんかも、少ししたわけで。で、あまり作業の量は多くなかったわけですが、右目がちょっとゴロゴロとしてしまって-;。

でもって、帰り道で消防自動車に出逢って。何がいけないのかなあ? と思っていたのですが。お店で買い物をしていたら、ふいに、ものもらいができるほど頑張り過ぎないように。交渉するのは私しかいないんだから、そういうときに万全の体調でいるように、って言われた気がして@@。そういうことでも、警告は出るのかなあ? と思ったのですが。たいしたこともやっていないのに、目が痛くなるなんて、私の方が軟弱過ぎるのですが-;。でも、今日は買い物をしている時に、ものすごく大きくて太っている白人の男の人に会ったりして(足にはチェックの半ズボンを履いていて)。なんだか、何の感情もないような目をしている人のような気がして。「ああいうのが熊の人」って言われる気がしたのですが。ともかく、東京ではなくて田舎ではそういうことそのものがけっこう珍しい出来事なので。しかも、昨日辺りから金色? というか、銅色? というか、そういう色の車がちょこちょこと目立つようになっていて。なんでなんだろう? と思うのですが、そういうことも何か意味のあることなのだろう、と思うわけで。

で、昨日はちょっと調べ物をしていて。どうも最近、西方の人達は私の「目」のことを、クレタ島の太母ブリトマルティスのようだ、って言うらしくてですねえ?? クレタ島は、ごく古い母系の時代には山羊トーテムであって、時代が下るにつれて雄牛トーテムへと移っていっているので、太母は人型の女神の姿を取る時にはブリトマルティスと呼ばれ、雌山羊の姿の時はアマルティアと呼ばれるわけで、地中海東岸地域のアナト女神とかと元は同じ神だったと思われるのですが。そう言われると総本家は、「それはクレタ島の本物の人喰いライオンの女神で、蛙の太陽女神と似ても似つかぬ神サマじゃん。」って言って、嫌がるわけですがー;。どうも、大昔、その辺りの人達は本当に「神」として雌ライオンを飼っていて、生き餌に人を食べさせていたらしくて。強力な雄牛と人を戦わせて、負けた方を生きながらライオンに食べさせたのが闘牛の始まり、って言われる気がするわけで@@。どうも、エジプトのごくごく初期の頃の信仰もそんなだったらしいのですが、エジプトの専制君主的な文化は、先住の農耕文化と融合して、次第には神々も割と温厚になっていくわけですが、クレタ島の文明の方は、農耕出来る土地も限られていて、そういう方向には物事が進まなかった、ということで、古い時代の凶悪な神々がそのまま後代まで残されたようで。で、そういうところに住む人々の産業というのは、漁業であり、交易であり、海賊であるわけで。クレタ島の太母の図像というのはちょっと特徴的であって、スカートを履いた女の人が両腕を掲げていて、両手にそれぞれ蛇を握っているわけです。それはきっと、人を殺す毒蛇であると思うわけで。ともかく、そういうところの信仰というのは、他人を殺し尽くし、食い尽くせ、というもの、って言われる気がするわけで@@。ブリトマルティスという名前は「輝けるマルティス」という意味だから、その女神は古代エジプトのメヒト、ネイトといった獅子頭の女神と同じもので「終末」の神、って言われる気がするわけで。古代エジプトの農耕文化的な「終末」は季節や時間の「終わり」を示し、「終わり」の後には新しい農耕サイクルが始まって、終わりと始まりを永遠に繰り返すことになるわけですが、略奪文化の「終わり」は単純に獲物を食い尽くして「終わる」わけで、獲物が終わったら、また新たな獲物を探す、ということになるので、循環しないわけです。だから、農耕文化では始まりの神も、終わりの神も同等に尊重されますが、略奪文化では「終わらせる神」が突出して尊重される、ということになるわけで。で、両腕を横に伸ばして立っている人の姿というのは「十字」の形になるわけで。西方では「十字」とは「終わらせる神」の象徴だし、それは人々を食い尽くす神、ということなんだ、って気が付くわけで。カルタゴの太母タニトも同様の図像で表されて、しかも、その神は幼児供儀を要求する神なわけですから、そもそも「十字」とは犠牲を要求する神の象徴なんだー、と気が付くわけで。でもって、クレタ島のブリトマルティスはギリシャではメーティスとなるわけで。メーティスとは、ギリシャ神話の主神であるゼウスの最初の妻で、生まれてくる子供がやがてゼウスの地位を脅かすであろう、という預言を受けてゼウスは彼女を食べてしまうわけで。でも、メーティスはその時にすでに身ごもっていたので、子供はゼウスの体に宿って、やがて額を割って生まれてきたのがアテーナー女神、ということになっているのですが。でも、「ゼウス」という言葉はエジプトでは「ザウ」という言葉になって、その意味は単に「神」という意味であり、町の名前でもあるわけです。で、そのザウの町の守護神がネイトなわけですから、「ザウ」というのはネイトのことを指すわけで。ということは、ゼウスとメーティスは元々「夫婦神」ではなくて、同じもので母系の「女神」だったわけです。でも、ギリシャの側に男系の文化が入ってきたときに、ゼウスのみが男性神に変更されて、「人喰い」の神であった性質がそのまま「妻を生きたまま喰う神」ということにされ、更にエジプトの側ではアテン神という、ネイトとは別の神の方が、ギリシャでは盛んに信仰されていたので、ネイト(メーティス)の娘の地位にアテン神(アテーナー)を持ってきて纏めたものがギリシャ神話なわけで。ゼウスというのは、性質的には他の男系の文化の「天の父神」に類似していますが、元々は古代エジプトのネイト女神に端を発する「女神」であるわけですし、ゼウスを養ったって育てたのがクレタ島の山羊の女神アマルティアと言われているわけで。ゼウス、アマルティア、ネイトは元々「同じ神」であり、人喰いの「十字」に象徴される神だったということで。古代ギリシャに侵入してきた男系の文化を持つ人々が、エジプト的な神話をそのように書き換えて、自分達の都合の良いように利用していたわけです。で、もっと時代が下ると、ローマ人が、ゼウスとユーピテルは「同じ神」と言うようになるわけで。ユーピテルの方は、そもそも古代エジプトのカバの女神タウエレトのことじゃん、ということで、先住の神の名前を勝手に流用した神々の性質の改変はあちこちで見られるわけですが。

で、夜はMステを見たわけですが。柴咲コウちゃんとか、[Alexandros]の兄さん達とか出ていて。コウちゃんの唄った「永遠」は私が医局にいた頃のZARDの曲で、今にして思えば蛇の兄さんのお歌だったのだろう、と思うのですが。彼女に対しては、ただただ無理をさせすぎてしまって、申し訳ないことをしてしまった、という思いしか浮かばない。8月は鎮魂の季節ですので、私も兄さんもそういう時期には彼女のことを思い出して偲ぶのだろう、と思うのですが。でも、[Alexandros]の兄さん達からは、死者を悼むことも大切だけれども、生きている人はただ前へ前へと進まなければならない、って言われる気がするわけで。歌う直前に兄さん達の一人がタニトの図像のように、腕を両側に上げて伸ばしている格好をしていたわけで。トラキアのお使者である彼らもまた、「我らの神、ゼウス・サバジオスもまたネイトと同じもの」っていう気がするわけで。夜の闇の中で狩りをする「吸血鬼」こそが彼らの神、ということで。彼らが黒い服を着るのは、悪意とかではなくて、それが彼らのスタンダードな正装だからなのですが。彼らもまたローマ人が大嫌い、ということで。よく考えたらギリシャとかトラキア方面とのお付き合いは、私の中ではけっこう古い時代からですよねえ? と思うわけで。総本家の方は、仏教の影響を強く与えて、従順な子に育つように努力したのに、なんでそういう人達と仲良くするような子に育っちゃったんだろう? って嘆くわけですがー;。でも、持ってる目のわりには、わりと良い子に育ったんだし、っていう人が多い気がするわけで。仏教の影響を受けなければ、どういう魔女に育ったんですかね? きっと、一番年長の叔母をもっと賢く、狡猾にして、かつ冷酷で残忍な魔女になったってみんな思ってるでしょ? と思うわけで-;。

で、昼間親と話しているときに、祇園信仰について、いろいろと言われて。祇園祭を盛大にやるとかやらないとかって言っても、そんなことだけに拘ってもどういう意味があるのか? と思うわけで。そもそも、祇園信仰というものをちゃんと理解しているのか? と思うわけで。「祇園祭」というものそのものは、夏に行われる「厄除け」の祭りであるので、暑さによる疫病の流行予防とか、そういう意味があるわけで、祇園というか八坂神社に関する神を境内に祀っている神社であれば、どこでやってもおかしくないものだと思いますし、本来の意味を考えれば、境内の中の社がさほど大きくなくても、盛大にお祭りをやりたい、という思いを持たれても当然の祭祀だと思うわけですが。でも、「祇園信仰」というものをきちんと理解するのは、けっこう大変ということで。京都の八坂神社というのは、非常に古い時代からの神社であったわけですが、延喜式神名帳にその名はないわけで、延喜式神名帳が作成された平安時代初期には、延暦寺の配下にあって、神仏習合的な神社になっており、独立した神社というよりは「仏教の守護神社」みたいな扱いになっていたわけです。祭神の牛頭天王は祇園精舎(釈迦の生誕地)の守護神と言われており、延暦寺の守護神社みたいな位置づけであったと思われるわけで。で、文献的な歴史の上では、最古の主祭神は牛頭天王であり、その神は出雲の須佐之男と同じものであり、朝鮮半島からやってきた、と言われているわけで。そして、牛頭天皇は蘇民将来説話の武塔天神(これも須佐之男と同じ神とされる)でもある、ということになっているわけで。この武塔天神が「厄除け」の神でもあることから、祇園祭の起源というか理由になっているのだと思うのですが。しかし、ともかく牛頭天王が祇園精舎の守護神だ、という説自体が日本にしかないシロモノですので、既存の神の名を使って適当に練り上げた説話であることは間違いないわけで。そもそも表面的な祭神である武塔天神とは、朝鮮半島におけるムーダンのことそして弥勒のこと。妻の頗梨采女は鉢里公主のこと、という点では、もう「お里」が知れていますので。イエス・キリストに対して、「奇跡の医薬神」みたいな姿を持たせたがる初期のキリスト教との性質を合わせて考えれば、疫病を防ぐ武塔天神(牛頭天皇)とは、本来ミトラスを擁するグノーシス主義者の神のこと、となるわけで。妻の頗梨采女は彼らのイシスに相当する女神だと思うのですが。でも、一方「八坂神社」の方はどうかといえば、守田迺神社と同様、現在の主祭神が誰であれ、そもそも本来の主祭神が出雲系の八束水臣津奴命と八束水臣津奴姫であることなんて、証拠も何もなくても明白なわけで-;。そこは元々、出雲系の重要な神社であったものが、ローマ式原始キリスト教の歪んだミトラス信仰に勝手に上書き・習合されて現在に至る、というのが正確な祇園信仰であると思うわけで。そもそも、グノーシス主義者のミトラス信仰は「雄牛を屠るミトラス」であるので、そのミトラスが「雄牛」であるはずがないわけで。それが牛頭天王とされて、あたかもユーピテルそのものであるかのように扱われている時点で出鱈目な改変が行われているわけですので。ともかく、神話や伝承を扱うときには、元の姿が何で、どのように改変されているのかを見ていかないと何がなんだか分からないし、読み取れない、ということでー;。ということで、「祇園信仰」というのは、最古層にある出雲の神々に対する信仰の上に、いくつもの改変と積み重ねが加わって成立しているものなので、人々が「祇園祭」を行うときに、そこのいずれの神の姿を見るのかは、人によって異なる、と述べるしかないわけで。出雲系の人々は出雲の神に対して祭礼を行い、グノーシス主義者は彼らのミトラスに、ローマ式原始キリスト教とはユーピテルに、ということになるわけですが。でも、大原則として祇園の神は「医薬神」であるので、「医薬神」でなければならない、ということで。祇園信仰の根っこに巣くう人々は、現在のところ強力な「目の力」を持っている武塔天神(ミトラス)と、その妻の医師免許を持っている頗梨采女を、そこの主祭神と考えている、ということだと思うのですが。でも、そこはちょっといろんな勢力が複雑に入り込みすぎている厄介なところな気がするわけでー;。だから、基本的なこととしては、「祇園祭」を行う神社というのは、牛頭天王あるいは須佐之男が祭神の社を境内に持っているところ、ということになるわけで。たまには、当然主祭神は建御名方富神だよね? というところでも、やってる気がするのですが、そういうのは北信濃だけかもしれないわけで。結局のところ、その祭礼に何を見るかは「氏子衆」が何を見ているかによる、としか言いようがないわけですが。