ええとですねえ、昨日いろんな動画を見ていたら、印欧語族の人達から、「神を取り戻したので今夜はサバトです。」って言われるわけで。サバトっていうと「魔女の夜祭り」みたいなイメージが強いわけですが、元々は印欧語族の夜祭り、ということで。でも、本来多神教の印欧語族には多くの神々がいるわけで、ヴァルナやミトラって特に、中部ヨーロッパから北欧にかけては有力な神々ではないのではないの? と思うわけで。なんで、この2柱を取り戻しただけで、神を取り戻したことになるの? と思うと、「神はただ「神」だから」って言われるわけで。で、北欧神話の神々をいろいろと調べましたら、ヴァールという女神がいて、誓いの女神で、その名前そのものが「誓い」を意味する言葉だってあって。なるほどね、って思うわけで。文献に出てくるヴァルナは男神ですが、名前の最後に「n」の子音がつくということは本来「女神」のことを指したはずであって、逆に言えば「女神」であることさえ明らかであればその子音は「いらない」わけです。だから、北欧の誓約の女神は、「n」の子音がつかないヴァルナのことであって。そして、ヴァールというのは、地中海周辺地域では、バアルとか、ベルとかいう神名となり、「ベル」というのは、もはや「神の名」というよりは「神」という意味で使われる言葉となるわけです。で、女神という意味の子音は、メソポタミア系の「n」とエジプト系の「t」がありますから、「n」の代わりに「t」がつくと、シュメールの太陽女神ウットゥとか、エジプトのウアジェトになるわけで。B群の女神の大元がウアジェトって言ったら、メヒトとほぼ同類項の女神ですし、「蛇の太陽女神」だよね、それ? と思うわけで。ヒッタイト時代の太陽女神の大習合時代には、くさび形文字で「ウットゥ」と書いて太陽女神を現していたわけですから、それは本来、司法と医療を司る太陽女神の名の一つ、ということで。でも、ヨーロッパ全体では、この女神の名は一見すると少ないのです。なぜなら、古代の西洋世界には日本の真名と似たような考え方があって、「神の名」は直接口にしてはいけないことになっていたからで、名前を隠して信仰されている神々は弾圧の対象になると、あっという間に名前が消えてしまうからです。というわけで、名前を隠されたB群の女神の名は、「bright」とか「beauty」とか「Bell」という女の子の名前の中に残っているわけで。「Bell」とは「神」という意味だから、「神はただ神」と言われるわけで。で、彼らは名前の代わりに神のことを何と呼んでいたかというと、デイジー(Day of eyes、太陽の目)と呼んでいたわけで、女神を象徴する花は今もその名前で呼ばれているわけです。(でも、デイジーのラテン語名はBellisなんで。そこには神の名が残っているわけなのですが。その名前はとっくに借りているものだから、貰ってしまっても、まあいいでしょ、ということで。ヴァルナって大元はひなぎくのことだったんだ? って思うわけですが。)
そして、昨夜はとても疲れていましたので、「今夜は早く休んでいちゃいちゃしよう。」とか蛇の兄さんに言われていたのですが。で、聖の山を落としたので、山から直接気を送り込める、って言われるわけで。でも、お手紙を書かなければならなかったので、短い手紙でも、疲れていてさっさと書けなくて。遅く寝て、すぐに眠ってしまったわけですが。朝方、福山君のライブを見に行く夢を見て、でそのまま家に帰ってきて。で、そしたらその後、福山君が家まで来て、二人でいちゃいちゃする、という夢を見て。目が覚めて、「いちゃいちゃしよう、って言われて、本当にいちゃいちゃする夢を見たよ@@」って思ったわけですが。
で、本日は「お仕事」が早く終わったので、飯綱神社というところに行ってみたわけです。ここが、いろいろと不可解な神社なわけで。「飯綱」というのは、元々山の名前で、だいたい水内神社のご神体の山の名前が「飯綱山」なので、この山の名前はあちこちにあって、しかも「九頭竜の女神信仰」に非常に関連性の深い名前なわけです。しかし、社殿によると、「社伝によると、西暦270年頃、第十五代応神天皇の御代に飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り、飯縄大明神と称したのが当社の起源」とあるわけで、大戸道(おおとじ)って何? っていうか、字面から見ると「天岩戸」のこと? って気がしないでもないわけで。そして、更に怪しげなのが、「1233年(鎌倉時代)信濃国荻野(信州新町)の地頭 伊藤兵部太夫豊前守忠綱が、飯縄大明神のお告げにより入山し、山頂に飯縄大権現を勧請する。忠綱の子、盛綱も忠綱に従い入山し、荼枳尼天の法を修得」とあるわけで、荼枳尼天(だきにてん)って、それヤバい女神なんじゃないの? というか、何の呪法だ、それ? と思うわけで。で、その程度の認識で行ったら、山中の神社なのに、人がいてびっくり。神主さんがいてびっくり。しかも、本殿に上がってお祓いをしてけって言われてびっくり、ということがあったわけで。しかも、皆様、対応は丁寧だけれども、顔は怖い顔をしているわけで。で、実は、お祓いはどうしようか私でも迷ったわけですよ。でも、お祓いを受ければ、それを口実に本殿に上がれるし、普通の神社って本殿に上がれないんで、上がってみたかったわけです。ということで、神主さんの袴に十字の模様がついていたことも、本殿の奥に修験道を意味する八宝輪があることも分かってたわけですが、お祓いを受けてみたわけ。で、座るときに、「左利きの女神は左側に座れ」って言われてそうしたわけで。で、パンフレットも貰って、お参りもして、お賽銭も上げて、帰るために参道の階段を降りていたら、後ろから「社の中に神の気を置いていったな!」って文句を言われて、何か投げつけられるわけでーー;。「持って帰れ」って怒られるわけですが、持ち帰り方もよく分からないので、そのままとっとと帰ってきたわけで、しばらく後ろから何か投げつけられていたわけで。で、なんかしかも「パンフレット泥棒」とか言われた気がするわけで;。そっちが「ご自由にどうぞ」って言ったんじゃんーー、とか思ったわけですがーー;。で、きっとたぶん、あのお祓いはあのお社の中から、私の気を追い払うためのお祓いだったんだろうな、とは思ったわけですが。今日はちゃんと鳥居から出たんだし、祓いきれなかった分はそっちの責任、とか思うわけで。で、門の結界が壊れて、中から女神の気が吹き出してる、って言われるわけで。
で、帰る道中で、小さな消防車にすれ違って、「今日のお祓いは、女神をこの世から追い払うためのお祓い」って言われたわけで@@。そこまで祓ってくれなくても良いのに、というか、おまけに、残してきた私の気が荼枳尼天の武器を奪って、神職をボコボコに殴ってるって言われるわけで、殴らせておけば? という気しかしないわけですがーー;。家に帰ってきたら、兄さんから「死の呪いと引き替えに、荼枳尼の気を喰ってきたね?」って言われるわけで。「死の呪い」の厄は自分の目の力で祓ってあげる、って言うわけですが、一番目の子なんか、「死の呪いに強烈に強い死神女神に死の呪いなんかかけちゃダメでしょ」って言って笑ってるくらいだから、誰もそんなもの効かないと思ってるんでしょ;、と思うわけですが。で、例によって荼枳尼の気を喰ったからには、この女神が何者であるのか、できるだけ知らなければならない、ということで調べたわけで。で、仏教の本家本元であるインドでは、ダーキニーは「魔術により強風を起こし、虚空を飛ぶ魔女として登場する。人肉を食う。」ってされているようで。誰かに「青い目の人喰い女」って言われた忌まわしい記憶がふとよみがえったわけですがーー;。そして、ダーキニーって「TKN」っていう子音ですよねえ? 「T」が頭にくる神サマなんていたっけ? と思ったわけですが。いろいろ調べた結果、この神の子音は「KT-KBN」の名の合成神から「K」と「KB」の子音が省略されたもの、ということで。ケルトの太母ダヌ女神とか、インド神話の母神ダヌとか、アーディティヤ神群のダクシャなんかが同系列の神と思われるわけで。さらにその名は「雨」とか「滴」を意味すると言うことで、ドナウ川とか、ドン川とか、ヨーロッパの川の名前に多く見られる名なわけです。そして、インドの古い神話のアーディティヤ神群というのは、太陽神の習合体、みたいな様相を呈していますので、荼枳尼とは、印欧語族の太陽女神の太母の一つであって、しかも特に遊牧民系の神なわけです。トラキアのエキドナも「ドナ」がつきますので、遊牧民系の人喰い太母だ、それ;、と思うわけですが。そして、この「ドナ」というのはラテン系の国々(主にスペインとかイタリア)では、女性の敬称としても使われるわけで。で、エトルリアにはトゥランという「美と豊穣の女神」がいて、ウェヌスやアプロディーティーと同一視されていた、って言われるわけで。要するに、それは蛙の女神を食い散らかして、同族に富と豊穣を与える、凶悪な遊牧民の太母なわけね、と思うわけですが。(微妙に古い形式を残しますが、ギリシャのアテーナーもそっち系の名前ですよねえ? と思うわけで。それからローマのユーノーもそういや、そうかも、と思うわけですが;。(そして、ユーノー女神の名前を貰ったのは誰だ? って言われるわけですが。荼枳尼とは、私の名前ですか、それ?; って思うわけですがーー;。))
家に帰って、貰ったパンフレットを見たら、飯縄山の参道には十三体の仏が祀られているってあって、しかも神に誓う「神誓」の数も十三で。それは蛙の豊穣女神を呪い殺して豊穣を得ようという神誓と石仏? って思うわけで。あの神社って今まで行ったところの中で、一番怖いし、一番悪質? と思ったわけですが。お祓いは受けて良かったの? と思うと、「結局、そういうのは「形式」だから、作法なんかどうだろうが、その場で直接モノを言うのは目の力が強いか、弱いかということだけ。」って言われるわけで。で、家で気が付いたのですが、私を左側に座らせましたよねえ? 左側にあるのは「魔眼」ということで、その位置に座らせましたね? と思うわけで。(ちなみにどこかに参拝する時は、左側か、神サマの通り道である中央を通れ、っていつも言われるわけで。そして、参拝してお賽銭を上げるのは、その神社の神の気を「買うこと」って言われるわけで。)要するに、これでまた一つ、印欧語族の古き太母の名前を取り戻したということで。でも、今日の体験もけっこう「超常現象」に入る部類だったんじゃないの? と思うわけでした。(そして「ヒナギク」の「Bellis」というよりは、青い花が咲く「ベラドンナ(belladonna)」って言われるぞ、って言われるわけですが。アトロピンですか? っていうか、それは食べた人を死に至らしめるような毒草では;、って思うわけなのですがーー;。)