というか、本日の伏線は長いわけです。そして、今日一日で完結したようには思えないわけで;。
だいたい、1週間くらい前に、2番目の子のブログが更新されて、なんというか「病院だより」みたいなものが掲載されていたわけです。そのトップに飯山の菜の花公園の写真が掲載されていて、はっきり言って、栄村に行かされた時の事を思い出して、あんまりいい気分はしなかったわけです。飯山にも気になる場所は無いとは言いませんけれども、「行け」って言われるといやだな、と思ってーー;。
で、昨夜は「自分は表向きは一生独身でいなければならない運命なのに、なんで印欧語族の結婚契約の神サマをやらなきゃならないんだか?」って蛇の兄さんにぼやかれるわけで、だいたい味方の中にも「印欧語族の結婚形態が自分達に何の関係があるのか?」って思ってる人は多いって言われるわけですが。でも、結局私も兄さんもヒクソスの血を引いているわけで、彼らの太母は「青い目の蛙女神」なので、印欧語族と私たちは共通の青い目の先祖を持っているから、力さえあれば、印欧語族の神サマの名前も貰えるらしくて。本来は一番目の子が引き受けるべき仕事が、彼が力がないばかりに全部こっちに回ってくる、って兄さんに嘆かれるわけでーー;。そんなこと言っても、印欧語族の神サマの名を貰うために、印欧語族からお婿さんを迎えるわけにもいかないでしょうが? って思うわけで。しかも、私自身、一夫一婦制が当たり前だと思って育ってきて、一妻多夫って言われる方が「???」という状態なんで、「結婚は契約」って言われても、むしろそっちの方に違和感を感じないわけですから。まあ、できる人がやるしかないんじゃないの? ということで。で、昨夜の夢は、大学の同級生でなんだか集まっていて、で、誰かが「結婚して3日で離婚した」とかっていう噂話をしていて。で、1番目の子と途中で合流して家に帰って、蛇の兄さんと一緒に夕飯を食べながら「3日で離婚するなんて、なんで結婚したんだろう?」とかって3人でおしゃべりしてる夢を見て。なんだかんだ言って、蛇の兄さんは神サマとしては、力の弱い一番目の子も、私も纏めて面倒を見てくれる気はあるわけですが。まあ、力のある人はある人で損だよね? とは思うわけで。そして、テレビなんかを見ると、最近目の力のよろしくない人達から「13の呪いも効かない詐欺師」とかって罵られることが多いわけでーー;。だいたい、六芒星とか八芒星とか、たぶん十字とかも、本来は古代メソポタミアで発達した「封印」の紋章なわけです。だから、気に入らない相手の「力を封じる」っていう意味があるんだろうな、と最近思うようになったわけで、最初から敵のもの、というわけでもないので、人によって耐性がある人とない人がいるようで。私なんかも鈍感というか、「数字の呪い」にはけっこう強い方だけれども、「8の呪い」には弱い、って言われるわけで。だいたい、その数字に弱くなければ石井なんかに引っかかったりしないでしょうが? って言われるわけで。私の目は、見る力も聞く力も全然強くないけれども、神域に入り込んで適当にそこの気を食いちらかすことだけは大得意なので、見るべきポイントさえ分かっていれば、大抵のものは間違わずに取ってこれる、って言われるわけで。
で、先週くらいから、家人が「倉井神社と某所の諏訪神社に行かなければいけない気がする。」って言っていたわけで、私もそうせねば、とは思っていたわけ。で、本日出かけたわけですが、山道を車で上っている時に、先週の「夜会」のゲストに生田斗真君が出て、「名字の由来を知りたい」と言っていたのを思い出したわけ。で、生田君の名字の由来は大阪の方にあるらしいのですが、で、ついでに他の人達の名字の由来も調べた、とかって言っていて、「櫻井」というのは、「桜」に関係あるのではなくて、「沙」という接頭辞と、「倉井」とかいう地名から派生していて、「倉井」っていうのは、「谷間にある井戸」のこと、とかって言ってたね、4番目の子がね?@@ って思い出したわけで。見てたときは、「そんな地名滅多にないよね?」とかって思って聞き流していたわけですが、「あったよ、そういう地名がよ!@@」ってふいに思い出したわけで。そして、番組では言わなかったことも私は知っているわけで、「沙」という言葉は単なる接頭辞ではなくて、「稲佐」の「佐」という地名と同様に「是」という意味があって、その名前には「倉井」を肯定する、とか守るっていう意味があるんじゃないの? ってふと気が付くわけで。そこに行けば、「櫻井」の名前を持つ人達の気を、そこから送り込んで貰えるようになるんだ? って思うわけで。「蛙さんたちの希望の星」と言われる4番目の子が選ばれたのも決して偶然ではないんだ? と思うわけですが、ともかく、有吉君もいろいろ突っ込んでましたし、生田斗真君は4番目の子を応援してくれている人ですし、「夜会」も総力を挙げて頑張ってくれてるじゃん、と思って。そして、6番目の子から、「あらゆる所から気を送り込めるようにしておきたい。」って言われたのはこういうことなんだなあ、と思って。
で、そこへ行って、毛野という所にも行ってきたわけです。「毛野」という地名は「紀州」に通じる名であって、紀州には熊野大社があるわけで。そして、紀州の熊野大社は出雲の熊野大社の直結しますので、蛇の兄さんは兄さんで早手回しに出雲へ通じる道をできるだけ抑えておきたいと思っているわけで。そして、諏訪社から帰る時に、道路に「飯山」という標識が出ると、兄さんに「飯山」って言われるわけで。そこにも行った方がいい神社があることは分かっているわけですが、今行くべき?って思うわけで。で、いったん撤収したら、親に「戸隠神社は?」って言われたわけで。そこも、以前にちらっと「行かなきゃ」と思ったことはあったわけで。で、行くことにしたわけです。(しかも帰ってくる途中で、「地鎮祭はどうする?」っていう電話があって、びっくりしたわけで。あの土地で、何か祓わねばならないものがあるとすれば、地主神の目の力で直接祓ってもらうのが妥当であって、だいたい「写真を撮って送って」って言われているわけで、そうする準備もしてるので。余所の神主さんに地鎮祭なんかやって貰う必要は全くないわけなので、お断りしたわけですが。)
で、まず宝光社に行って、そこの敵意の強さにびっくりしたわけで。ともかく、配電の正面に4個の菊紋だし、神紋は卍に似た十字だし、杉の木がご神木として大切にされているし、「ううむ」って思う感じであって。で、戸隠には竜神も祀られているということで、拝殿の中に竜神の彫り物なんかもあったわけですが、「十字と死にまみれた竜神とは誰のこと?」って聞かれるわけで。それはタケミカヅチのことだと思うわけですが。そして、「犠牲に捧げられたクシナダヒメは、自らの力でヤマタノオロチの腹を切り開いて出て来い。」って言われるわけで。だって、ここの祭神は「九頭竜」であって八岐大蛇じゃないでしょ? って思ったわけですが。ともかく、ここはタケミカヅチが睨みをきかせているやな所だぞ、って始めて思ったわけで。そして、戸隠の「九頭竜」の「九頭」というのは、犀川を竜神の胴体に見立てて、その多くの支流を「頭」と見立てて名付けた名前なわけですから、戸隠の「九頭竜」とは犀竜のことでもあり、犀竜の頭のことでもある、ということは、知っていたので、八幡宮を落として千曲川の水利権を取り戻したので、次に犀川の水利権も取ってこい、ということなんだな、とは分かったわけで。
で、中社に行ったら、中社は祭神はともかく、土地そのものが私のことを覚えていて、「自分が何者であるのか決して忘れるな」って吠え立ててくれるわけで@@。で、宝物殿というところに、親に言われて行ってみましたら、受付のお姉さんが嫌そうな顔をしていて、しかも実際に目の力で「いやな奴が来た」ってのたまってくれるわけでーー;。で、私としては日本書紀に「犀角笏」として持統天皇から奉納されたとされる、アフリカ象の象牙笏が見たかったわけです。というか、持統天皇の頃の戸隠山というのは、諏訪神、水内神といった水神が祀られる「水源地の山」であって、今とは祭神も全く違っていたわけで。で、立て札とか見て、山が修験道の山とされて、天岩戸の神話に基づいて神々が配置されるようになったのは、平安初期からのことであるということに気が付いて。そして、中社の主祭神・天八意思兼命とは、名前にも「八」がついている神であって、そして天照大神を引き出すために「太々神楽」を考案した神と言われていて。要するに、この神話は、天照大神を引き出す時には「八」の時の方向に引き出すように、っていう意図で作られたもので、戸隠山全体にその呪いがかかっているんだ? ってふと気が付くわけで。で、宝物殿を見ると「九頭竜」とはそもそも「女神」であることが分かるし、それは犀竜が女神であることと全然矛盾しないわけで。そして、水内神が、諏訪神の「別神」であって、女神であることとも矛盾しないわけで。
で、ともかく「九頭竜社まで行って、自分自身を取ってこい」って言われるので、せっせと奥社まで歩いていって、高山病になりかかったわけですが、奥社の入り口の鳥居の根元が八角形のコンクリートになっていて、両方併せて「88」=「米米」だよ@@って、思った時点ですでに具合が悪くなりそうな気分になるわけで。そして、奥社の手前にあった滝壺の根元に、「八水種」っていう石碑があって、更にびっくりしたわけで。奥社から流れ出る水の流れが、九頭竜の「頭」に相当するのであれば、その流れの力はまさに「首の根元」でせき止められて、そこから下流に流れるのは八岐大蛇の力にすり替えられているんだ? って始めて思ったわけで。おかげで、犀竜の胴体に流れる気は米米の気ですか? 8の呪いに弱いっていうのはこういうこと? って思うわけで。弱くもなるでしょうが、これでは九頭竜は「もののけ姫」のシシ神よろしく、首を切り落とされたも同然の神サマなんじゃん? と思うわけで。で、ともかくその石碑を撮って、その力を封印して、更に下流の水の流れの中に左手を浸せ、そうすれば下流に自らの気を流せるようになるから、って言われたので、そうしたわけで。で、めでたく九頭竜社も「撮って」きたわけで。山を下りてくる時に、4番目の子が後ろを振り返って、山から奪取してきたものを見ていたのが分かったわけですが。で、現存している水内神を祀る神社は4つあるから、残りの一つに行ってこい、と言われるわけで。
なんというか、世の中はヘンなところで、私がピンクのハートマークを書いたお手紙を送ると、喜んで得意満面の顔をしている写真をニュースサイトに載せる人がいるというのもヘンな気がするわけですが、私自身はといえば、「ああしろ、そうしろ、こうしろ」という「声」と共にあちこち旅をすることには慣れてしまって、それが自分自身の内側で完結する分には「ヘン」という気持ちすら失せてしまっているわけで。そして、不思議なことですが、長野県の北の方にある「諏訪神社」というのは、戸隠とは一見して何の関係もないように見えても、「太々神楽」をやっているところがけっこうありますよねえ? って思うわけで。そういう「ヘン」なことに限って、誰も何の説明もしないところも、ヘンな世の中なわけですから。行って、その力を抑えてこい、と言われればそうするしかないわけで。今日起きたことは今日の内に完結せずに、更に続くわけです。(食事に関してはですねえ、「どうしてもっていう時は、適当に名前の良さそうなお店に入って、無難にカレーでも食べとけ」って言われるわけですが、なにせ、そもそも敵意が強い上に、あんまり良い名前のお店もなくてですねえ? って思うわけでーー;。最近はそばだけでは飽き足らずに、クマザサのアイスとかもあるらしくて、オソロシイ世の中なわけですが;。)やらなきゃならないことはいろいろとあるわけですが、とりあえず優先順位は「どさ回り」ということのようでーー;。