善光寺

美和神社に行ってきましたら、

「善光寺七社で、行ってない所を廻って、最後に善光寺に来い。」

という要請がきまして。自分のことだけでも手一杯なのに、それもするんだ?? と思ったわけですが、

「呼び出しが来たなら、時間のあるときに行ってくれば。」

と皆様がおっしゃるので、行ってきました。

「ついでに西宮神社にも行ってきて。」

と言われたので、そこにも行って、で、以前にも行ったことがあるのですが、湯福神社も蛇の兄さんにとって縁起の良さそうな名前ですので、ついでに行ってみました。調べてみましたら、行ったことのないのは木留神社と、柳原神社(笹焼神社)ということで、どちらもありがちですが主祭神は諏訪神なわけで。木留神社も、柳原神社(昔は笹焼神社)も、名前は悪くないと思うのですが、特に柳原神社の方は明治時代に八幡神が合祀されていますし、微妙な感じになっていたかな、と思うわけで。

西宮神社は、武井神社のほぼ真北にあって、江戸時代初期に勧請されたとのことですが、場所が場所だけに、武井神社の本来の祭神である武井恵比寿になにかよからぬ作用を与えてるでしょ? とか微妙にそう思うわけですが、本殿には恵比寿の神像が山盛りにあって、境内の稲荷神社には狐の神像がたくさん奉納してあって、「目だらけ」であったわけで。本殿に山盛りにある恵比寿の神像は全て南側を見ているわけで。「どこを睨んでいるのですか?」と思うわけですが、だいたい、そういう所に行くときには、邪魔もすごいわけで。一方の武井神社は、隠れた祭神はともかくとして、現在の祭神は諏訪神と八坂刀売と水内神ですので、まあ、そういう目で睨まれても困るかな、と。(最近では蛇の兄さんですら、妻神の名に「八」という文字がつく意味について思うところがあるらしいですが。だいたい、「八」の日に出動要請が来るっていうのは、どうみても、その日に強まる邪眼の力の方が期待されてるんじゃないの? と自分でも薄々思うわけでーー;。)

で、善光寺は、裏側から入りましたので、正式にお参りと言うことで南大門まで下ったわけですが、あそこの石畳には「十字」が山のようにありますし、本堂にも十字の格子はたくさんありますし、そもそもお寺のマークは「卍」ですし、参道には俗な土産物店が山のようにありますし、「来るモノは拒まず」の精神の結果、いろんなモノがこれでもかっていうぐらいに入り込んでるでしょ、ここ? と思うわけで。しかし、そういうものが山ほどあるにも関わらず、本堂の奥津城にある強烈な精神は今も生きていて、強い力を放っているわけで。だいたい、境内を歩いていると、私を通り越して兄さんの方に直接いろいろと言ってくるらしくてですねえ?? 兄さんからは、「気持ち悪いから、やることやったらとっとと出よう。」とか言われるわけで。あのお寺は金刺氏の血を引く私にはそこそこ親切でも、そうじゃない兄さんとはあんまり相性がよろしくないようで。私に「呼び出し」が来たということは、兄さんにも「呼び出し」がかかったも同然のことのようなのですが、誰かさんは「自分は善光寺に行っても、絶対に仏舎利と結縁なんかしない。」って思っていそうな気がするわけで。あのお寺は力が強いので、むしろ、自分達が神々を酷使する立場だと思ってそうな気がするわけですが。私に対しては、ただ、門をくぐった後には、「参道の真ん中を真っ直ぐに来い」と言っただけであって。善光寺の香炉には獅子がついているわけで、その獅子は誰のことなのだろう? メヒト女神のことなのだろうか? それともネルガルを意味するのだろうか? とふと思ったのですが。

それはともかく、長野市内の諏訪系の古社には、ケヤキ(槻)の古木が多いなあ、と思ったわけで。ケヤキの木にもなにがしかの神霊が宿るというのであれば、古き「大槻」の精霊神にして、偽の月神が「どこの誰なのか」ということを、今では私も分かるようになった気がするわけで。古い時代の「諏訪大明神」に巣くう「大槻」の力を掃除して、善光寺を守護する七社の力を取り戻して持ってこい、ってことですよねえ、今日のことはねえ? と思うわけで。美和神社は、延喜式神名帳における水内郡の筆頭の神社ですので、格式的にも力的にも相当強い力の神社であるようで。しかも、今大物主は、諏訪氏の眷属で、当然金刺氏の血も引いているから、その力には善光寺も敬意を払わなければならなかったようなのですが、その本性を見抜いた者に、ついでに「他の神社も掃除してこい」っていうお呼びがかかったらしくて。そうなんだ、それじゃ今後は、神名帳の水内郡の最末尾にその名が載る水内神が筆頭ってことになってくれるとうれしいのですけれども? と個人的には思うわけですが。

 

(いや、でも、「来るモノは拒まず」って言っても、あの空間は普通じゃない。境界にはきっちり結界が張ってあって、入ってくる者はみな「見られている」って、言われるわけで。確かに、独特な所ではあるのかも? とは思うわけですが。水内神とは、「水」に関する神だとは誰でも思うと思うのですが、もしかして、それは延喜式神名帳の水内郡の項の最末「尾」に載る沢の神のことなんだ? と思うわけで。個人の名前の方は、その気になれば変えることも捨てることもできるかもしれませんけれども、名字の方を捨て去るのは至難の業で有り、それこそが「宿命」であると善光寺あたりからは、なんだかそう言われそうな気がした一日だったわけですが。要するに、元々、水内神を出す家系であったのに、よろしくない魔眼の要素を持つ家系であったのに、医師免許を取るような高みにまで昇ったら「仔羊」となる運命しか待っていないのに、叔父の一人はそうやって亡くなったのに、そういうことは全て隠されていて、そして、そういったことから全て逃げ切るには、私自身の「見る目」の力は弱すぎて、しかもお味方が必死で届けようとしている声も届きずらいことは皆様、痛感されてらっしゃるようで。「なんとしても、医師免許は取らせるべきではなかった。医学部は中退させるべきだった。」と兄さんが私には見せまいとする心の奥底で、日々、激情と後悔にさいなまれていても、今となっては私たちはできるだけのことをするしかないし、だいたい私自身が自分の部屋の天井に「米」の字が山のように張り付いている今のところから出たくてたまらないわけで。どんなに呪いまみれのところに引っ越したとしても、ここまで頑張ったなら、ここよりはマシ、兄さんにも、他の人たちにも一生会えなくても、自分の力で何とか生きていけるところまで逃げ延びたいと、もはや、ただただそんな気持ちなわけなのですが。まあ、お互いにできるだけ頑張りましょう、ということで。こういう時には、嵐の人たちが送ってくれる「迷宮ラブソング」が非常に心に染みるわけですが。(というか、兄さんは「徹子の部屋」でけっこう強い目の力を使ってますので、結縁の力が強力になるのは良いのですが、副作用でけっこうな本音も聞こえてきますねえ、と思うわけで。まあ、私もこれからもできるだけ頑張りたいとは思うわけですが<(_ _)>。))