どうもですねえ?

私があまりにも吹っ切れたことを書いて、みなさま、「彼のことを許して上げて」とか「気持ちを分かって上げて」とかって、言う余地すら無くて、気持ち悪がってらっしゃるようでーー;。

ええと、だってですねえ? それって他の2人だって似たようなもので、だいたい医者なんてさ、教授が何もかも牛耳っていて、その権力を維持するために、若い医者に
「あの患者をさじ加減で殺せ。上手くできなきゃ仕事を教えない。」
なんて、当たり前のようにやらせてる世界なのではないのですかねえ? それがイヤだから臨床に行かずに、死体をつついてた私の立場は誰が考えてくれますので?? って思うわけですが。

 

じゃ、あなたなら、そうやって、やりたくないことをやらされたらどうするの? って聞かれるわけで。

 

全部、記録にとっておいて、後で脅迫して、自分が権力を握るネタに使う

って答えると、「それが軍神であるお釈迦サマのやり方かい!」って突っ込まれるわけですがーー;。悪趣味でも、悪食でもけっこう。この世の中のいったいどこに、綺麗事だけで勝ち抜けていける世界があるのですかねえ? って思うわけですが。そんな中で、そういうことに自分だけは手を染めずに生きていこうとすれば、私みたいな生き方するしかないのが、シビアなこの世の中なわけで、そういういやな現状を誰もが変えて欲しいと思うからこそ、みなさまが私に「神頼み」されるわけで。誰が、どこでどんなやり方で何人殺していようが、そういう自分を恥じる気持ちが持てて、許されたいと願う気持ちが真からあるのであれば、それで全ては足りるのでは無いでしょうか?

 

というか、この情報が貰えるようになったということは、結局あの若先生が、私に負けてしまったから、だとか、今現在はそういう評価しかできない自分になっているわけですが(苦笑)。

ええとですねえ

要するに、なんで兄さんだけが、何故東京にいるのか、ということですが、要するに江戸城と東京の守護は、あちこちに配置された諏訪神社が行うこととなっていますので、それで兄さんは、成功を夢見て上京したのではない。守護のために、否応なく呼び出されたのだ、と気が付いたわけで。それで、今まで敵のためにもずいぶん働かされて来られたようで。

下位の神として、命じられれば、敵が「敵」とみなしたものも殺したり、呪ったりすることはしなければならない。要するに、その最たるものが「最愛」であり「誕生日には真白な百合を」であって、せいぜい敵と取引ができる部分では良い曲を作って送ることもできるけれども、私に対して直接「消えてしまえ」とか「死んでしまえ」みたいな呪いもどんどんかけてきていた兄さんであって。私が単なる小さな蛙の子であっても、一生守っていきたいと思ってくれていても、それだけでは兄さんは一生敵から解放されることはないわけで、私の力を当てにするようなことをしたくなくても、私にそんな仕事から解放してくれるだけの力があって欲しい、と誰よりも願っているのも兄さんであるわけだ。

で、今となっては、東京の守護とは、「天皇の守護」のことなのだから、「真実の天皇を守護する役目」のために諏訪神を手元に呼び出せ、とそそのかす松本君がいるものですから。そういうことでしたら、皇居の守護も、東京の守護も行わなくてよいので、私の雅治さんは、「真実の天皇」を守護するために、今すぐ私の元においで下さいますように、お願いいたします。そのためなら、皇祖神である天照大神と八幡神の力をいくらでもご自由にお使い下さい、ということで。

ま、とどのつまりは、「好きって、言いましたとも。宜しくね。」ということなのですが。どうか、よろしくお願いいたします。
(というか、しかも今日来て頂いた助っ人さんは、すごい力の持ち主とみえて、兄さんに「ここへ来て本物の目を見て見ろ」とかって言うわけですが。どうも、某医院の跡取り若先生は、たいした力も無いのにうかうかとネット上に自分の写真を載せておいたので、私に見つかってけっこう弱体化してしまったらしいです。ううむ。

そして、誰かさんは「神婚なんぞよりも、八幡神としての力をつける方が先だ。」って気持ちになっているような?? 4番目の子に、お前との方が先だ! とかって吠えてた気がするのは気のせいじゃない気がするわけですが@@。

 

要するに、兄さんは美智子とか、そういう名前の人にじきじきに命令を受けて、「最愛」とか作ってたんだ、へー?@@ みたいな。そして、今や誰もが私に言う。三笠宮家の3人の親王の「死」の真の原因は何だと思うか。あの男が上京した直後から、あの家は不幸続きだったんじゃないのか? と。)

 

そーいうことかい、へー? みたいな気がするわけですが。そっかー、じゃ、言わせて貰いますが、そんなことには何の興味もございませんね。

力が無くて、負けた奴は、自分の責任で負けただけなんじゃないのかね? 私のように勝ちぬける力が無かっただけのことだ。それが「原始キリスト教」の家系に生まれたものの宿命なら、それだけのことで、私の知ったことではないね。

 

ということで。話はこのままお進めいたしましょうか。勝ち抜けるところまで、勝ち抜けねば、結局は何も変えようがないのだということについては、どなたにも問答無用でおわかり頂けることと思いますけれどもね?