ええとですねえ、兄さんという人は、目の力以外にも、かっこいいですし、生命力に溢れていますし、魅力的な人ですので、逆にそういうものを全部見ないで、「どういう生き方をしている人なのか」という点しか冷静に見ない私の「目」とは、一部の人には奇妙に見えるようで、「虚無の目」だ、とか言われるわけで。なんというか、見ている私の心が虚無ということ? と思うわけで。
それで、今日買ってきた週刊誌もすごく気合いが入っているわけで、世界遺産の写真とか、ジャニーズの写真がいっぱいあるわけで。でですねえ、その中に写っているお坊さんが、
「仏教には色即是空、空即是色という言葉がありますよね。形在るものが虚しいということは、例えば今居る自分は、明日になれば存在しない「自分」になって虚しいものですし、空即是色というのは、昨日の自分は存在しない虚しいものであるけれども、それがあるから今の形在る自分がいるということです。人の一生もそれと同じで、人はいつか死んで虚しいものに帰る。でも、その一方で生命ともいえない精子と卵子の結合によって新しい命は生み出される。けっして、逆戻りすることの無い、「時間」という大きな川の流れの中で、形在るものは全て変化し移りゆくもので、「常」であるものはありません。それが諸行無常ということです。それらの全てを、流れゆくままに静かに見つめることができて、尚且つ良きことのためにその力を使うことができる心が「悟りの境地」というのです。どうか、あなたのその目の力を恐れないで下さい。それこそが生きた仏の目です。」
と教えて下さるわけで。そして、今はできうる限り、外に向かって力を使わないように、と言われるわけで。
兄さんは兄さんで、仏教の力の名代となるために、一度は私と一緒にお戒壇巡りをしたいとは思っているようですけれどもね。でも、兄さんはあの通りに生命力に溢れた方ですから、入滅に憧れるような仏教の静謐さとは基本的に相容れないような気がするわけで。そういうことは、むしろ体が弱くて、壊れかかった遺伝子を持っていて、医学部に行って自分という人間の体を知れば知るほど、こんな状態でも生きている自分とは、生命とは何なのだろうか、と考えることが多くなっていっていた私の方が似つかわしい気がするわけですが。だから、ある程度の年齢になってからは、自分が結婚してどうのこうのというよりは、自分よりも若い世代の人たちに少しでも良い世の中を残していければ、と思うようになってましたので、逆に悟り済ましすぎて、「家族になろうよ」とか全然ぴんと来なかった、というか(苦笑)。
嵐の人たちの頑張りもすごいわけで、彼らは彼らで兄さんを土台にして、私とコンタクトを取りたいわけですし。
そして、とどのつまりは、私が兄さんに愛想を尽かして、「LION」と「Heart」を捨ててしまいさえしなければ、私に取り憑いている兄さんの魂は、どうせここから出られないということになっているらしくて。まあ、それもよろしんじゃないでしょうか、というか、誰かさんの目は
「あなたの目の力の性質など、もうどうでもいい。自分は、ただあなたを愛していて、欲しいだけだから。」
って言うわけでですねえ。ま、いいんですけどね、別にそういう情熱的なのでも? と思うわけで。ああいう記事が出たにもかかわらず、誰かさんは今日はけっこうご機嫌でした、って報告して下さる方々もいますのでね。(というか、大抵の方は兄さんの仕事の速さにけっこう敬意を示して下さっている感じがするのですけれども?)
どうも私は大筋とは関係のないところで、ごく一部の皆様に「話の分かる奥様」っていうイメージが浸透している気がするわけですが(苦笑)。まあ、今後もよろしくお願いいたします、ということで<(_ _)>。
あとはですねえ、AKB48のお嬢さん達からですねえ、「あんな記事で私たちの努力を無駄にしないで下さいねえ。だいたいあの女、1回や2回やったくらいで、いつまでもしつこくつきまとうなんて最低すぎ。女だったら、売られた喧嘩はしっかり買って下さいねえ。」って言ってくるわけでですねえ。あなた達も、女ですねえ、っていうか気が強いですねえ、って思うわけで。どうも私も真面目な人間すぎて、「やった」っていう言葉が何を「やった」のかどうもピンと来ないわけですが(爆)。だいたい誰かさんの自白と一致する証言なんで、本当のことなんじゃないかと思うわけで(苦笑)。なんだか、良い性格のお味方がずいぶん増えましたね、とは思うわけですが。
彼女達は、彼女達で、「世の中悟り済ましている人ばっかりじゃない。世俗には世俗の戦い方があります。」って言ってくれるわけで。私の目には、あなたたちのはつらつとした、逞しい生命力に溢れた力強さも、美しいものに映りますよ。そのように逞しく、ひたむきに生きて美しいものであるからこそ、命というものは貴いものだとも思うのです。そういう意味では、私は命というものはそれほど「儚いもの」とも思っていないわけで、むしろ「少年」の歌詞にあるように、兄さんの方がそう思う傾向が強いというのは、若干不思議な気もするのですが。