火の悪魔と氷の悪魔

どうにも昨日は、ラブレターの下書きを書くのに忙しくて、ともかく兄さんが「自分が満足するもの」をせっせと書くのに燃えているものですから、私の方もずいぶんと体が熱くなってしまって、疲れて消耗してしまったわけで。寝るときには、もうただただ何の理由もなく、縮こまって泣いてしまいたいようなそんな気分だったわけで。

 

で、寝る前にMay.J嬢の「ありのままで」を見ましたら、「その男の熱気が耐えられなくなったら、いつでも私を呼んで下さい。熱を冷ますような冷気を送り込んで上げます。」というわけで、なんというか、彼女自身が「雪の女王」みたいに感じられたわけです。なんというか、彼女は、勝負に勝った私のことは認めてくれているようですが、兄さんのことは好きではないようで。

 

それで寝てしまったのは良いのですけれども、夜中の2時頃に福山君の曲から、ものすごく私を呼ぶようなすごい気を感じて目が覚めて、しかも兄さんの気持ちが昂ぶって、ものすごく熱くなっているものですから、その熱気がこちらまで伝わってきて、そうすると私も疲れているのに目が覚めてしまって、気持ちが昂ぶってしまうものですから、こんなことを続けられたら3日くらいで、疲弊して潰されてしまう、と思って。「助けて」と思いましたら、May.J嬢がスタスタとやってきて、氷の鞭で兄さんを思いっきり引っぱたいてくれましたので、それで誰かさんもびっくりして正気に戻ったようでーー;。兄さんは、彼女があまりにも簡単に入ってきたことにも驚いたようですが、ともかく私を疲弊させていることに気が付いて、後は歌に載せる曲に載せる気を調節しようと気を遣ってくれていましたが、なかなか寝付けなくて、朝方4番目の子がやってきて、しばらく膝枕をしてくれて、それでやっと少し眠れたわけで。朝、起きてからは、いろんな人から、「あの女に奥様を助けられるなんて、あんたいったい何やってんですかね、ガキじゃあるまいし。」って兄さんはいろんな人から怒られていたようなーー;。正気に戻れば「ごめん」って謝ってくれる良い兄さんなのですが、その炎のような情熱をもろにぶつけられたら、本当に私は3日くらいしか保たないと思うわけですが。

 

そして、分かったことなのですが、メソポタミアの冥界神にして、軍神であるネルガルは、砂漠地域の何もかも焼き尽くし、乾燥させ尽くしてしまうような、「死の太陽」の象徴でもあって、ともかく兄さんは、その名にふさわしい情熱家でもあると思うのです。だから、兄さんのことを「火の悪魔」と呼ぶ人たちもいるわけで。

 

一方、略奪主義の文化を持つ印欧語族の故地は、コーカサス地方であって、そこは気候風土が厳しく、人が住むには厳しい地域です。そこにいただけでは、生活していけない人たちは、古代において、南にある肥沃なメソポタミア地方や、西にあるヨーロッパへ侵入・略奪・定住を繰り返しています。要するに、彼らの冷酷さは、本当に極限状態になったら、たとえ親や兄弟や愛する人でも殺し尽くして「自分だけが生き残る」ということがあり得た環境で形成されたものであって、それゆえに真から凍り付くような冷酷さを持っているのだと思います。だから、彼らは「力」あるものは、「生き残れるもの」として尊重しますけれども、それだけではなくて、意思の強さとか、人間性とか、何でもよいから「人より優れたもの」を持っていて、それを土台にして「生き抜ける人」をこそ何よりも重んじるのだと思います。そして、結局どんなに親しい人であっても、「自分以外の人は食い物」なのだと思う。そういう苛烈さがないと、かつてその地方では人は生き残れなかったのではないか、というくらい環境は厳しかったのではないかと思います。そして、それは北部ヨーロッパなどでも同様なのでしょう。どうも、私に好意を持ってくれている「よろしくない目」のお嬢さん達の言い分によれば、「男なんてみんな食い物なのに。」と言うわけで、要するに表向き多情に生きようが、貞淑に生きようが、根本的には「異性は食い物」というのが彼らの、もはや「良い」とか「悪い」とかいうレベルではなく、本能的に遺伝子の中に染みついた「常識」なのだと思います。彼らから見れば、石井も兄さんも私の「食い物」であって、「食い物同士」がやきもち焼きあうのは、「ウザイ」と映るらしいです。ううむ。というか、それこそが、まさに「夫神達を次々と食い尽くすイナンナ女神」の姿ということで、おそらく印欧語族の太母である「アン女神」の古い時代の姿というのは、そういうものだったと思うのです。そして、その凍てついた心こそが、「氷の悪魔」とも言うべき姿なのだと思うわけで。どちらかというとMay.J嬢の方が、私よりもかつての「アン女神」に近い気性をお持ちなのではないかと思うくらいなのですが、彼女が何故仏教の秘密を知っているかといえば、仏教とその前身のバラモン教は、コーカサス地方からインド方面に侵入した印欧語族の宗教とインドの土着の宗教が習合して成立したものですから、そこにはただ「力がある」というだけでなく、それも含めてどう生きるのか、どう生き残るのか、という点にまで苛烈な精神が求められる、印欧語族の文化の奥底にあるものと連続した思想の先に仏教があるということを、お母さんの方に白人の血を強く引く彼女は知っているのだと思うのです。そして、彼女の目もちょっと使わせて頂いたのですが、彼女の目は蛙8割、蛇2割くらいのハイブリッドなのだと思います。要するに、過酷な気候条件の中で育まれた苛烈な文化は、蛙の目を持とうが、蛇の目を持とうが、それはどうでも良いことで、それを持って「どう生き残るか」ということしか問題にしないということなのでしょう。
そういう凍り付くような冷酷さが本能的に板につくほどになってしまっているから、技術が進み進歩して、もはや「誰が生き残るのか」というほど過酷な状況ではなくなって、人々が共存しやすい状態を作れる時代になっても、彼らの本能の方がそういう状態になることを邪魔するようなのです。そういうことをするのには、向かないほどその苛烈な精神が身につき過ぎてしまっているということで。だから、彼らは「いつか、穏やかな春の日差しを持って、私たちを迎えに来て下さい。」と私に言うのです。本能的に凍てついた心を溶かして、雪と氷の世界から、暖かい春の世界に移ることを誰よりも望んでいるのに、その道が見つからないのが彼らなのだと思うのです。だから、逆に砂漠地帯の強烈な死の太陽の化身のような兄さんは、彼らの気候風土にとっては、現実的でなくて、あまり「お呼びでは無い」存在でもあるような気がするのですがーー;。

そしてモラル感が強くて、他人(特に愛する人)を食い物にすることが嫌いな兄さんのような人から見れば、彼らの凍てつくような本性には嫌悪感を抱くようです。要するに、同じ世界に生きているのに、価値観という言葉よりも更に深く、人の「本質」という点に至るまで、この世界にはいろんな人が生きているのだな、と思うわけですが。

 

あとは、ニュースサイトのネタですが、韓流のJYJというグループのメンバーの一人が、韓国の映画祭の舞台挨拶で明るい笑顔をされていて。JYJはお味方ですから、まあ、だいたい良い方向に動いているのかな、と思うわけですが。

 

それから、昨日ニュースサイトで、「同棲生活がうまくいくコツ」みたいな記事があって、その中に「2週間に1回は客を呼ぶ」みたいなことがあったのですが、兄さんが「そういうのはやだな。ずっと二人でいたい。」と呟きましたら、すかさず「うちの相葉と謁見するお約束があるのを忘れないで下さい。」と突っ込まれる方々がいらっしゃいまして。私の目は、兄さんが使っている分にはそれで良いのですが、自分で使えるようになるには、やはり「蛙の目のことは蛙の人の方が良く分かるだろう」ということで、4番目の子は、とりあえず「目の使い方の家庭教師に」と兄さんはお考えのようですが。(その間に「口説けるものなら口説いて見ろ」とか思っているようなーー;。)

 

それから時間的にちょっと余裕ができたので、いろいろなHPを見ていましたら、STRATA DESIGN 3DのHPを見ている時に、「あの白黒の子を恐れないで下さい。私たちは彼を応援しているのです。」と聞こえてきまして。3Dのレンダリングが美しいSTRATAのソフトは、かつで私がMacを使っていた時には持っていたのですが。今はちょっと値段が高すぎて手が出せないのですが、こういう形で応援してくれている方々もいるんだな、と思ったのです。

ええと、今のところ、日記に書けば良さそうなネタは、このくらいだと思います。