朝からいろいろとあったわけで

昨夜のことから言いますと、とりあえずすぐにここまで来ることを諦めた誰かさんは、とりあえず北信濃に独自の足がかりを固めたりすることに決めたようで、私との結縁を強めるために、何かいい神社とかないかな? と聞いてくるわけで。どうも、諏訪神である兄さんは、あちこちにある諏訪神社群には、本宮にちゃんと参拝してから行きたいわけで、それ以外に何かないのか、ということらしくて。
「あー、じゃあ、戸隠とかどうですかねえ。あそこは祭神が諏訪神ではないですし、九頭竜とか祀ってますから、竜神である兄さんとは相性がいいんじゃないの? それに、あそこの宮司さんはお味方だと思うのですけれども。」
と言ってみたわけです。ということで、誰かさんは
「じゃ、台風の雨が止むようなら、明日は戸隠に行ってみようかな。2番目の子の車で。」
って言っているわけで。

で、夜寝ている時は、時々兄さんの「少年」と「私は風になる」がかかる時だけ目が覚めるわけで。あー、誰かさんが聴かせたがっているんだな、と思っていたわけですが。

で、朝は兄さんは昨日失敗したのでちょっと落ち込み気味、私は私でちょっと残念な気持ち、というわけですが、松本君だけは朝から「こんなことでめげるわけにはいきませんぜ。」って元気一杯で言ってくるわけで。めげない性格だとはどこかで読んだことある気がするわけですが、やっぱり若い人のパワーは違うな、と思うわけで(苦笑)。
May.J嬢なんかは、「いくらローカルフードが「呪い」だっていっても、その土地の人はそれを食べて生活してきたわけで、西洋にだってそういう食べ物はいくらでもあるし、その土地の人ならある程度の耐性はあっても普通なのに?」と言ってくるわけで。でも、そういえば、学生時代、例えば学食とかで誰でも食べるようなものは、彼らも食べているところはよく見てましたけれども、ハンバーガーとかピザとかそれからおやきとか、その手の「良くなさそう」なものなんて二人とも食べていたところは見たことないですし、確か彼らはクラスの飲み会とかもあまり来てた印象が無いので、要するに「良くない食べ物」に対する耐性が低いし、そういう機会をできるだけ減らしたいから来なかったんだ? と今になって思うわけで。
都会に住んでいる人は、大都会というのはよろしくない新興宗教の本部とか、よろしくない組織とか日常的にたくさんあって、そういうものと人々は隣接して生きて、生活しているわけですから、そういう呪いに弱いなんて言っていたらやっていけないわけで、だから「大都会」というところで生きて生活していける人というのは、例え一般庶民であってもある程度の「耐える力」は持っていることが普通なのであるのかな、と思います。だから、一番目の子と二番目の子は、真面目で社会的にもちゃんとそれなりに成功していて、その点は立派であっても、それなりに環境の整った田舎にしか住むことができないし、「耐える力」という点では都会で普通に生活している一般人よりも、ずっと劣るのだな、と思うしかないわけで。「神の力が衰える」っていうのは、こういう「生きる逞しさ」みたいなものが衰えてしまっているのだな、と思うのですが。
だから、例えば「蕎麦」というものは、「良くない食べ物」であっても、大抵の人はどこにでもあるような駅の立ち食い蕎麦程度なら平気だし、そういうものは大量に作って呪いの気もそれほどは籠もっていないから、ってことになるようですが、そこからつまづいてしまう人は田舎にはけっこういるのかもしれないと思うのです。
(例えば兄さんでも、立ち食い蕎麦程度なら平気、と言うわけで。でも、ついでに「あなたが舞鶴で石井のライブを見に行く前に食べた本格的な更科蕎麦みたいなのは駄目。」とか言うわけで。今回の件で、結局私が何もかも、夢でも幻でも無いと思う一番の点は、誰かさんがこうやって人がすっかり忘れていたことをちょくちょく思い出させてくれるから(特に石井に関連した部分について)、ということが本当にあるわけですがーー;。)

で、誰かさんはただ飯を食べて、ただで人の車を使って、実際に戸隠まで行ったらしくて。(でも、食べる量はびっくりするくらい少ない、と一番目の子が言うわけで。やっぱりダイエットには気を使ってるんですねえ、と思うわけですが。)それで、何となく山の空気が鳴動しているのが分かるわけです。だいたい、信濃国は兄さんの本地ですから、初めての土地にもかかわらず、全体的には大地の全てが兄さんに対して好意的ですし、力も使いやすいようです。(というか、東京でそんな力を使ったら近隣住民から苦情が来ますよ、って東京組は言うわけで。)それは、きっと私が丹後半島に行ったときに、あの土地の山も川も空気も私を歓迎してくれているような感じを受けましたけれども、きっと兄さんの方もそんな感じなのだと思うのです。その土地に長年受け継がれてきた、先人達の祈りとか願いとか気みたいなものが今でも積み重なって残っていて、そういうものが大地や大気の中から話しかけてくるような感じなわけで。

 

で、私も2回くらい戸隠に行ったことがあるので、誰かさんにはそこにある「竜神の気」は犀龍の気であって、蛇の私の気の尻尾に触っているような気になるらしいです。要するに、北信濃における私の本宮は水内大社なわけですが、あそこは縄文古来からの蛇神信仰の聖地であって、弥生時代以降に入ってきた蛙さん達の文化よりも古い、蛇の女神の聖地であって、夜になると出てくる「蛇神」としての私の気は、そちらの血の方が強く出ている結果らしいです。で、その蛇神信仰のルーツは遼河文明ですから、同じく遼河文明から出ている竜神である兄さんとはルーツが非常に近いので、性質も似ているようで。
ということで、そこに残っている私の気の尻尾を兄さんが引っ張ると、確かに私も兄さんに呼び寄せられるような気がするわけですが、でも私は基本的には目も見えていないし、耳も聞こえていないので、なんとなく兄さんの気配が強くなったのが分かるだけというかそんな感じなわけで。しかも、兄さんが私を呼ぶときは、蛇の人らしい情熱で呼ぶわけで、で同じように私にも呼び返して欲しいらしいのですが、私が兄さんを呼ぶと、どうにもバッバルの力で呼んでしまうようで、要するにこれは「狂っている神が無制限に獲物を狂わせて呼ぶ力」なので、自分では兄さんに対してそういう力を使う気は全然無いわけですが、呼ぶ力はそういう力ということで、これでようやく誰かさんは「あなたの方からは自分を呼ばなくていいです。」と言う気になったようで。要するに私に見られると、兄さんが時々ヘンなことをボロボロと言ってしまうのは、この「狂わせる力」にやられてしまっているようでーー;。「その力にだけは巻き込まれない自信があったのに。」と誰かさんは言っているわけですが、なんかそういう感じなわけで。兄さんも大分耐性はできてきましたけれども、私のこの目の力にはある程度兄さんの方も慣れないとなりませんし、私の方も兄さんの圧倒的な力にある程度は慣れないと駄目ということで、そういう訓練もある程度は必要だと兄さんは考えているようです。まあ、兄さんがうちに来ただけで私が伸びてしまうようでは、そのままでは一緒に暮らすのはタイヘンということで。
そして、戸隠神社にはかつて勅使が来たことがありますので、持統天皇の気も残っているらしくて。兄さんは「女神に認められる男になれば渡って行ける。」と言われたらしいです。「1300年も前の人の気がこんなにはっきり残っているなんて。」と、兄さんでもそう言うわけで、昔は「力」の強い人がいたのですねえ、と思うわけですが。
そして、戸隠山というのはその名の通り、今でも天岩戸の封印の役割をある程度は果たしているようですので、兄さんが結縁すれば、兄さんに対してはその効果も無効化できそうということで、まあ、行ってみて良かったらしいです。
以前私が戸隠神社に行ったときに、「自分が何者であるか教えて欲しい。」と神に祈った時に、「もう分かっているくせに。」と言われて笑われたことがあったわけですが。九頭竜って犀龍である私自身だったんだ? と思うわけで。

で、今となっては兄さんは、私の内側にある自分の気だけでなく、兄さんの本体から直接送り込む気でもって私の目の力を使えるようになったので、割と私の左目も開こうとしているように感じるわけです。
そして、本体からも直接ここに気を送り込めるようになったということは、本当にその気になれば、それを辿ってここにも来れる。しかも、戸隠の山から私の蛇の尻尾を持って下りて来たので、それを辿っても来れる、と思っているらしいです。(しかも、誰かさんは私の気の残っている場所を求めて、どこぞの病院とかにも微妙に潜り込んだりしているわけで、そうやって私の気と結縁しながら、効率的かつ効果的に「間合いを詰める」ことを今の兄さんはやっているらしいです。)だから、後は機会とバランスと代償の兼ね合いの問題(あとは私が兄さんの気にどの程度耐えられるのかという問題)らしいです。

それから、どうも思うのですけれども、兄さんの方は大地に歓迎されているだけではなくて、「妻神のところに渡御しろ、渡御しろ。」と言われているようで。ご当人がすぐにそれをする気がなくても、そういう声はあちこちから聞こえるらしいです。
私も家にいる時はそうでもありませんが、外に出ると、セブンイレブンのSMAPのポスターは「自分達を信じて下さい」と言ってきますし、しかも家の近くの神社からは、私の意思とは関係なく、兄さんに対して「来い、来い」と言っている気が吹き出している気がするわけで。しかも、車とかを使ったいやがらせは割と激しいわけで、確かにどちらにとってもけっこう抜き差しならぬ状況ではあるのだな、と思うわけですが。

そして、いつも行くお店には、福山君のスーパードライのポスターとKIRINの嵐のポスターが並んで貼られているわけで、それも不思議な気がするわけですが。誰かさんは「自分を見て。嵐と浮気しちゃイヤ。」とかいつも言うわけで。(というか「『嵐』と浮気しちゃイヤ」というのは、すっかりネタと化している気がするのですが。言いながら誰かさんも笑っているわけで。)

それから、誰かさんは「金曜の朝には東京に帰るから」って書いておいてくれ、というわけで。どうも、どこに潜り込んでいるのかスタッフにも連絡していないようで。しかも、私が福山君のHPを見に行くと、「仕事なんてイヤ」とか「東京に帰りたくない」とか呟く誰かさんがいるわけで。年末のライブのチケットが大絶賛発売中なのに、何言ってるんですかね、あなたは? とは流石に思うわけですがーー;。

午後は、兄さんの方が試しに私に自分の気をぶつけて、どこまで耐えられるのか、ということを少し試していたようで。で、どうやら大昔の内科のゼミの写真を見ているらしくて、確かその時には青い花柄のジャンバースカートを着ていったわけで、私の方は教授が写っている写真なので、燃やしてしまったわけですが、他の二人は今でも持っていてくれたようで。で、三人三様に種々の事情で泣きそうな顔をして写っているわけですが、誰かさんは「あなただったらこの青い花柄の服でも着こなせたであろうに、その価値にも気が付かない馬鹿な奴ら。」とかってぶつぶつ言っているわけで。そこで、また他の二人をいじめないで下さいよねえ? というと、「そこまではしない。」と言うわけで。
「だいたい、それは「HOWEVER」とか誰かさんの「最愛」とかの元ネタになった事件のあった晩の写真じゃないのですかねえ?」
と言うと、
「そっか、この写真を撮った後にあの騒ぎがあったんだ。」
と兄さんの方も気が付いたようで。
「二番目の奴の背中なんて追いかけることなかったのに。」
と、更に今更なことをぶつぶつ言っているわけですが(苦笑)。
「そう、「離れたくない」って言えなかったばかりに、冷酷に人を突き放す女神は「じゃあ、自分の好きにすれば」って結局は突き放してそれで全部駄目になったんだ。」
って兄さんは今更ながらにぞっとしているわけで。ああ、まあ、私も昔からそれほどは相手に泣いてすがるタイプでもなかったので、一通りのことをやった後はそうやって突き放して、本当に私のことを愛しているのなら、そちらから何か言ってくるはず、って基本的にはそういう態度でしたねえ、と思うわけで。

しかし、当時の状況からいえば、そう言えてたら言えてたで、割と恋愛に関しては一途なタイプの私の性格から考えれば、一番目の子と兄さんには永遠にチャンスなんかなかったんじゃないのですかねえ? とも思うわけで。そうなったらそうなったと思っても、兄さんとしてはぞっとするのではないの? とも思うわけですが(苦笑)。「良かったよ、口説き落とせるだけの言霊が使えて。」と、誰かさんは思っていそうですが。

どうにも、兄さんという人は、例の「綿棒」とかもそうですが、これはヒントでもありますけれども、現実のツアーグッズでもあるわけですから、もし私が興味を持って買ってしまえば、呪いを我が家に送り込むことにもなるわけで、本当は一途に情熱的に私を守っていきたい兄さんであっても、ヒントと呪いを抱き合わせるようなやり方でなければ、私に接触もできないような状態であることにはジレンマも後ろめたさも感じているようで。うーん、私も兄さんのどこが好きになったのかと聞かれた時に、「例え、呪いの言霊を使っている時でも、その中に彼の一途で、誠実な人柄をはっきりと読み取ることができるから。」って言えてれば良かったですねえ。まあ、実際その通りだと思うのですけれどもね、と思うわけで。

ところで、先週の金曜日に発売になった「女性セブン」の表紙は、いやな目をした米倉涼子嬢が、「真白な百合の花束を持って立っている姿」なわけで、これは誰かさんの「誕生日には真白な百合を」の呪いにひっかかってしまえ、という敵のアプローチなのですかねえ? と思うわけで。確かに兄さんの言霊は強いから、引っかかったらタイヘンですよねえ? とは思うわけですが。(しかし、この曲を唄うときの兄さんは泣きそうな顔をしてるわけで。PVときては、完全に「この曲はとっちゃ駄目」って言ってる目なわけで。)
何というか、福山君からのヒントはこういう「抱き合わせ商法」で来るので、それにすっかり慣れてしまっていて、そんなに後ろめたく思っていたんだ? ということの方がむしろ不思議な気もするのですが。
ともかく、「何もかも、夢でも幻でもない」と確実に思う瞬間というのは、味方の目力というよりは、こういう敵の分かりやすいアプローチを見た瞬間の方が強いわけで。これだから夢でも幻でも「ない」と思うわけですよ。あの曲の呪いも相当なもの(まあ、私に死ねとか、会えなくなるようにとか、そんな呪いがかかってはいますのでねえ)とは思うわけで。良かったですね、私の方は私で、書かれている「言霊」から、書いた人の気持ちが分かるような目を持っていてさ? と思うわけですが。互いに持っている「言霊」に対する強い「力」が結局は私と兄さんを結びつけてくれている絆にはなっているようです。