挑戦状?

ええとですねえ、ちょっと横になって休んでいましたら

 

「神聖四字の秘密を明かしたものは死に値する。死ね。」

 

と言われた気がするわけで、

「何それ? その今更な台詞はさ??」

と思ったわけですが。要するに、神聖四字「HWHY」の正体が、ローマにおける「クピードー」(英語読みではキューピッド)だって書いたり言ったりすることが一番まずいんだ? というわけで。だって、本当のことでしょうが? としか言いようがないわけで。

要するに、この名前はヒッタイトの「テシュブ」に連なる名ですので、この神の名を持つ者に、この名を使うに相応しい力が無ければ、妻であるものが代替としてその名を使え。使いきれない分は、もう一柱の夫神であるネルガルに、更にその権利を代替させよ、と。要するに、そのために「妻」たるものには、「嵐神」の妻であることも、ネルガルの妻であることも求められるわけで。更に嵐神単独での力が足りないとなれば、更にそこに4番目の子との結婚契約も追加されるわけで。

夫神の名前を妻である私が明かして何が悪い。夫が使い切れないその名の力を、妻である私が代わって行使して何が悪い。そして、その名の力の内、自分で使いきれない分を、もう一人の夫であるネルガルに更に委ねて何が悪い。当然の権利に対して、「死をもって償え」と述べることこそが僭越である。

と、言霊でそう言えと松本君あたりがそそのかすように思いますのでねえ。私も売られた喧嘩を買うのは嫌いではないんで(笑)。要するに、兄さんの庇護を受けねば、2番目の子は敵に対抗する力など持ち得ないけれども、兄さんに全てを委ねて、兄さんに食い潰されるわけにもいかないので、私に対して緩衝役になってもらいたいし、バランスもできるだけとって欲しい、その代わりに私のことは守るから、ということであるのだと思います。まあ、兄さんも当然「HWHY」の意味するところには興味があるでしょうしね。そして、このような背景があるからこそ、私にも「どの夫の悪口をも誰にも言わせない」程度の力量は求められるわけだ。まず、それがバランスを崩す最初の第1歩になるからね。(まあ、でも兄さんに対する苦情は聞き流して笑ってますけれどもね、私はね 苦笑)

まあ、でも挑戦を受けて、私が第一にやったことも、文章を書くことではなくて、敵の写真を見にいったことなわけで。私もそういう点では攻めるタイプですのでねえ? 別にこの程度のことならば、いつでも、いかようにも「力」くらい使ってあげましょう、と思うわけですが。

調整って何? という日

どうにもですねえ、2種類の週刊誌の表紙に嵐、CDの表紙に嵐、少年隊という組み合わせが部屋の中にあるので、どうも部屋中に男性の視線が溢れている気がして、落ち着かないわけです。でも、みんな「伏せちゃダメ」って言うわけで。

いろいろな話が進む中、たいていの人は4人目の子のことも、おおむね歓迎、あるいは「どうでもいいから面白い」とかそんな感じなわけですが、一人だけ

 

「『誰でもいいから一人選べ』なんて、それこそ『娼婦』のやることですよ。男のくせに自分達の始末も自分でつけられないなんて、みっともない。」

 

って、ものすごく怒っている方がいらっしゃってですねえ。彼女は彼女で、集団の力が兄さんの立場を脅かしかねないことは警戒しているようで。彼女の目の力も強いので、どうにも部屋の中の男性陣の視線を圧倒してしまうものですから、更に微妙に部屋に居づらい気がするわけで(苦笑)。上の方の4人が、それなりに納得・妥協していることでも、人によっていろいろと反応とか、考え方って違うものなんだな、と思うわけですが。

兄さんは兄さんで、扱いづらい嵐よりもKAT-TUNを傘下に置きたいものだから、表面上は「悪い取引ではない」と思っているようですが、しかし、油断のならない兄さんがライバルとみなしたものの足を引っ張らないわけがないことも、分かってきているわけで(苦笑)。

動画を見ると、SMAPの人たちは、兄さんの背中を指して「あの人は大勢の人の運命を背負って、その上でなお一人で立てる人なんだから、ついていって間違いない。」って言うわけで、要するに、「上に立つ人」としての兄さんをすごく信頼しているのが分かるわけで、実際それに見合った力を持っていることは分かるわけです。

それに対して、嵐の子達は、2番目の子の力が足りないことが分かっていて、要するに彼らは、その力不足を補佐し、場合によっては代替できるだけの役割をも求められているのだと思う。だから、嵐は嵐で、SMAPとは異なる彼らなりの矜持があるわけだ。ということは、2番目の子に次いで、4番目の子を送り込んでも、そこまでしても兄さんに拮抗できる力を維持できるかどうかという点に、彼らの力量もまた試されている、ということになるわけで。そこで、4番目の子のことが決まると、まあ、この子は目の力を休ませて、かつ「私に見られる」ということに慣れなければならないわけで、彼の視線は感じないけれども、その代わりに松本君の視線を非常に強く感じるようになっているわけでーー;。松本君は松本君で、兄さんとやりあってでも、2番目と4番目の子を「押し込む」決意であるわけだ。だから、2008年にいち早く台頭して、兄さんよりも早くメッセージを送り始めることに成功した自分達のことは、忘れないで下さい、とアピールしてくるわけで。
そして、事実上、4人の「夫」の中で、一番兄さんと対抗できうる力を持つ者は4人目の子なわけですので、兄さんを一番に推す人は、そのことを警戒して、目の力を発揮するということで、どうも部屋の中に妙な気が溢れるわけでーー;。そして、さすがに私自身も「12歳年下」という現実にはですねえ? この状況を「楽しむ」というよりは、文字通り「めまい」がするわけで。しかも、そういう私に対して兄さんは「やっぱり、年の近い方がいいよねえ。」って言ってくるわけですし(苦笑)。

 

まあ、そういう状況で、今日は出かけたわけで、なにせここのところの状況で、ウォークマンで兄さんの曲しか聴かせてもらえないので、嵐の曲が聴けるのは車で出かけた時のみ、という状況なので、7曲ある嵐の曲のうち、3曲を押し込んできたのも立派、「HOWEVER」を押し込んできたのも立派、そしてウォークマンでかかった「I Love You」の中で「この愛なしでは 生きてさえいけない」という歌詞に特に気を込めて送ってきて、「これが誰の本当の気持ちなのか忘れないで下さい」と言ってくる姿勢も立派、だと思うわけですが。結局「milk tea」がかかった瞬間に、親は「福山君は真面目な人だと思う。」とか言い出すわけで、別にそれはそれで良いのですけれども、他の3人だって相応に真面目だと思うわけで(っていうか、自分の優位を確信している兄さんは、私に対して男性としての誠実さを示さない男なんて、絶対に寄せ付けないであろうから、「真面目」であるかないかなんてことはあまり問題ならなくて、問題になる男性陣は一様に「真面目」なんだと思うわけですが 苦笑。)まあ、そこまでは良いのですが、ほっとくと2番目の子の悪口まで言いそうになる。現在のところ、2番目の子と4番目の子の立場はすでに連動しているので、兄さんは人の心のちょっとした隙につけこんで、二人を追い落とす機会がわずかでもあれば、その隙を見逃すはずはないのでね。結局は、あれも「勝負の一つ」ではあったと思うわけですが。今日一日の松本君の頑張りに対する、あれが兄さんの報復なわけで、結局私としては、私の力添えが無ければ、2番目の子と4番目の子の総力を併せたとしても、あなたたちには「親が2番目の子のことを悪く言うことを止めるだけの力は無い」と言うしか無い。だって、それが「現状」なわけだから。

 

そして、兄さんという人は、そうやって人の心を無意識の内から、そして意識下においても平然と操る力を持っているし、そうしてのける「悪魔」なんで。だいたいMステでAKB48のお嬢さん達が歌っている姿を見ていると、みんな「あなたがあの悪魔の本性に気が付いてくれればいいのに」って言いながら歌っているわけで、兄さんもそれ見て笑ってるだけなのでですねえ(苦笑)。そもそも、人を魅了する力を持っている悪魔と、そんな力を持っていない人を同じ天秤にかけて、「どちらの方が感じがいい」なんて言うのは不公平な話なんで。ただ、兄さんは私に対してはその「力」を使うことはできるだけ意識して避けたがるし、それが兄さんの私に対する「誠実さ」なんだな、と思うだけで。しかも、私の方は、そういう「巻き込む気」にちょっとやそっとじゃ巻き込まれない鈍感体質なのでですねえ。そういうところに互いの信頼感ができあがっているわけだ(苦笑)。人の心を操って生きることに慣れてしまえば、結局待っているのは「孤高」と「孤独」だ。だから、そこに「巻き込まれない私」の存在意義があるとみて、CHAGEさんなんかは「どんな時も 僕のことは 君がわかる」という歌詞が含まれる「WALK」を送ってくださるわけで。兄さんにとっては、罵られても、笑われても、「自分には巻き込めない人間がいる」って思える瞬間が、孤高であることも孤独であることも忘れられる瞬間なんだな、と思うわけです。

 

まあ、でも、親が「真面目な人だと思う」って言った瞬間に、親以外の関係者は私も含めて全員、「あの毒蛇めが、いつの間にこんなに親を巻き込みおって。」って思ったと思いますけれどもね(苦笑)。これだから、兄さんて人は油断がならないわけですが、まあ、でも松本君の攻めの姿勢も立派だったと思いますし、機会があれば、せいぜいリベンジを頑張ってくださいな、ということで。

後は、町で週刊誌の表紙とかがあると「嵐の写真を見て欲しい」という要請が来るわけで、翔君の写真を見ると、ほんのり暖かくて優しくて幸せそうな気が伝わってきますのでね。あまり、うっとおしい気でもないですし、まあ、そういう気持ちでいてくれるのなら良いな、とは思いますけれどもね。(しかし、私が「翔君」って書くと、「あいつのことは名前で呼べるんですかね?」って微妙なやきもちをやく人がいるわけで。いや、でもいきがかり上、私にとっては福山君は福山君なんで(苦笑)。彼のファンみたいに「ましゃ」って呼んだら、それはそれで嫌がるんじゃないのですかね? あなたはさ?? と思うわけですが。)今日は今日で、いろんなことがありましたし、ちょっと大変な一日でした。

あとは、昨夜も福山君の動画をいろいろと見ていたわけで、どうも最近彼のライブの動画がよくアップされている気がするわけですが。「HOTEL DE FUKUYAMA II」(昨年の冬の大感謝祭)の動画を見ていたらですねえ、年越しライブで2014年の一番最初に「生きてる生きてく」を演奏していたわけで、そこでの福山君はけっこう生き生きしていたともいえなくないと思って。年の初めにこの曲を歌うことで、福山君も自分自身に気合いを入れていたんだな、と思うわけです。まさに、この曲の通りに彼も突っ走ってきた今年であったな、ということで。

それから、本日の夕刊のコソボの記事ですかねえ。ベシアナさんという女性の記事が載っていたわけですが、ベシアナというのは「ベシ-アナ」に分けられて、要するに「輝けるアン女神」という意味で、メソポタミア的にいえば「輝けるイナンナ女神」ということになるのだと思うわけです。だから、私と同じ名前を持つ女性が応援してくれてる記事なのだと思う。最近では、人の心の優しさとかそういう純粋なものに触れうる機会が少なくてですねえ、上の方は上で、「力」こそが全てであるようなパワーゲームの世界に生きてますので。ああいう記事にこそほっとできる瞬間がある気もするので、とてもうれしかったのですが。まあ、こういう「名前の意味」が分かるようになったのも兄さんとの勉強の成果なわけで。2014年になって、「神の名」について、どこが分かっていて、どこが分かっていないのかを根気よく繰り返し勉強して、ヒントを貰って、そういうことにつきっきりでいてくれたのも兄さんであると思う。そして、最後に聖書にある神聖四字「HWHY」とはヒッタイトにおける「フパシヤス」、英語読みにおける「ハーヴィー」、そしてローマにおける「クピードー」(英語読みではキューピッド)を指す文字であって、「ヤハウェ」などと読むことこそが「まがいもの」であるところまで理解して、お勉強はとりあえず一区切りで次の段階に進むことになったわけで。今日は今日でいろいろとあった一日だったと思うわけですが、まあ、各自調整を頑張って下さいませ、とうことで<(_ _)>。