21年11月14日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。

 で、今朝方はなんだか夢を見て。雅治君が出てくる夢で、国有地がなんとかかんとか、という夢で。そして、あれこれやれ、と言われる気がします。

 で、ともかく、色々と考えたり、人の話を聞くに、何か縫い物は続けないといけないらしい。で、足りないものを作る方が、実情に合わせて好ましいわけですが、どうも母親の考える「足りないもの」と、私の考える「足りないもの」が異なる気がする。で、特にこれから冬になるので、足りない冬物を補充したい、と思う気持ちは分かるわけですが、冬物用の生地はほとんどない(お安いコールテンはあったけど)ので、冬物が欲しいのであれば、少なくとも生地を買って補充するか、生地を買うのが嫌なら足りないままにしておくしかないわけで、その点は「欲しい」と言った時点で、どうするのかまである程度考えて言ってくれないと困る、となるわけです。軽い気持ちで言ってるから、「生地をどうするのかまで考えなかった」というのは、あんまりであると思う。軽くても、重くても、「材料をどうするのか」という基本的なことをまず考えてくれないと服はできない。そして、「あれが欲しい、これが欲しい」って次々と言うことを変えるのも止めて欲しいわけです。余っているコールテンの生地で、秋~冬用のジャケットを作ってほしい、というのは分かる。筋道もちゃんと立ってる。だから、その準備をしていると次に「手の出るポンチョ」が欲しい、と言われる。・・・それはいいのだけれど、「材料をどうするのか」というところが欠けてる。全体の趣旨からいえば、ハギレとか手持ちの生地の消費がまずは目的のお裁縫修行なのだけれども、冬服が必要であれば、そちらが優先でも構わないといえば構わない。でも、冬服を優先すれば生地は買わなくてはならないから、結果的に生地は増えることになるけど、それでもいいのか、とかそういうことのビジョンもない。「捨ててしまってないから」って言われても、そう言ったらどっかから生地が沸いてくるの? と思う。沸いてくるなら、いくらでも言って、って思う。要するに、余計なことは言わなくていいから、生地を買うのか買わないのか、冬服を作っている間、手持ちの生地の消費は止まるけど、それでいいのか、とか、そういう現実的なことをもっとちゃんと言って欲しいわけです。実際に作ったポンチョを改造して、切り刻むとか止めて欲しいし、夏用の生地で冬服を作れ、というのも止めて欲しい。服というのは、ちゃんと機能も見た目も考えてデザインされているのだし、ポンチョの方が尺が少ないものが多いから、余計なところを切り刻んでもつんつるてんになって使いにくくなるだけな気がするわけです。おかしなつぎはぎのデザインにされるのも困るし。そして、私の考える「足りないもの」とは裏地とか、スカートがあるならペチコートも必要、とかそういう感じで、夏物から入ったから夏物の話になってしまうわけですが、私が作りたいものはどうなるの、ともなる。ともかく、ちゃんとしたお裁縫の修行をせねばならないのに、なんだか「冬服が捨ててしまってない」から、作れ、としか言われていない気がするわけです。冬服を捨ててしまっても、新しい生地がどっかから沸いてくるわけじゃないんだけど? と私の方はそうなる。で、できるだけ切り詰めようとお安い新しい生地を買うと、今度はまた「別のもの」と言われる。そういうことは、「軽い気持ち」でも言うものではないのでは、と思います。最低でも、生地をどうするのか、ということくらい考えてから言って欲しい、となります。いくら余っていても夏用の生地で冬服を作れ、と言われるのも困るし。私が言われていることは、「家族のものを作るのであれば、偏りのないように、家族全員に、公平に平等に作れ」ということなんで。誰かのものを「作ってほしい」と言われるのであれば、他の人の分も、欲しい、欲しくないを問わずある程度は作ります。誰か「欲しくない」とかたくなにいう人がいるのであれば、それ以外の人の分も作りません。で、自分ではともかく、お裁縫の修行をしなければならないのだから、自分のものをコマコマと作るしかなくなる。兄さん達は、「家族の足りない服を作れ」とか、そういうことは言いません。「作るならああしろ、こうしろ」とは言うけれど。なぜなら、なにがしかの代償を支払って、情報を貰う(兄さん達から見れば「情報を与える」)ことが目的だから、代償と認められれば無駄なものにお金を払っても兄さん達から苦情は出ないです。でも、どうせ払うなら有意義なものに、となるからできれば家族の足りないものを作りたい、とそうなるわけですが。それは兄さん達の都合ではなくて、むしろ私たちの都合じゃん? となります-;。

 姉のお裁縫は、教えてもいいけど、すぐに「生地を買う」とか言うのが困る。私の1m2500円もするような高い生地ばっかり勝手に持って行こうとするのも困る。(上質な麻は毛と同じくらい高いんだけど-;)自分のものをコマコマと縫いたいのであれば、せいぜい1m5~600円の生地で(それでも高いと思うのに-;)で、まずは簡単なものから作って腕を上げるべき、と思う。だいたい、私がそうしているわけだし。そして、自分が「縫う」ことで、誰の何の役に立つのかをもっときちんと考えるべき。自分があれ欲しい、これ欲しいって、自分のことばっかじゃん。私は、自分のものは着分がないハギレで、目立たないところをつぎはぎして作ってるんだけど?? と思うわけですが-;。それでも、勉強にはなるからねー;。まあ、姉はとりあえず裾上げの練習でもしてるのがお似合い、と思うわけです-;。高い生地でツンツルテンの履けなくて、つぎはぎだらけなズボンとか作られると、見てる方がめまいがしそうなわけですが-;。

21年11月12日 昨日の日記

 本日は尾張神社と丸子へ行ってきました。上田・丸子は参上神社、稲荷神社、諏訪宮、安良居神社、白鬚神社、御岳神社、依田神社、愛宕神社を参拝しました。上田市丸子は義仲が正式な旗揚げした地、ということで、史跡が丁寧に整えられていて、回りやすかったです。

 尾張神社は、かつて「尾張」という人が山賊退治をするために当地に来た、みたいにあって。桃太郎みたいな伝承があるのは長野市内では珍しいな、と思う。

 丸子の「御岳神社」は地元では「みたけじんじゃ」と呼んでおり、創建年数等は不明とのこと。木曽御岳でなければ、金峰山の方であり、以仁王が山伏に身をやつして令旨を東国に運んだことを思うと、古くからの修験道の神社で、義仲が近くに居館を構えたのも、山伏が集まってきて、様々な情報が得られるからだったのか、と思いました。

 それから、上田市丸子農産物直売加工センター「あさつゆ」というところで、お土産の野菜を買ったりして。買い物をしていたら、スーパーでかかっているようなBGMだけのポップな歌謡曲がかかって。Snow Manの「Hello Hello」だった・・・。おばさま達しか買い物しないようなところで、最新の流行曲? と思う。それで、その次に、どこかで聴いた曲がかかって。知ってる曲のはずなのに、思い出せなくて「何だっけ?」と思ったら、誰かが「サビに注目~」と言うわけで。曲を追って聴いていたら、サビのところで誰かが「いくときは一緒さ~」って歌って。・・・雅治君の「想」じゃん~、と思い出す。Snow Manと福山君なんて、熱烈大歓迎じゃんーー、うれしいー、と思う。

 義仲は、地元の依田氏とかに招かれて丸子に最初の拠点を置いて挙兵したわけですが。でも、元々は無一文なんだから、物資も人馬も地元とか群馬方面の武士達に頼るわけで、要は「居候」じゃん、と思う。だから、最終的に義仲が負けたら、彼を支えた豪族達は、財産も命も召し上げられてよくよくの貧乏くじじゃん? と思う。義仲も依田氏、滋野氏、海野氏とか東信の有力な豪族達に支えられていたのに、結局は穀潰しだったんじゃんねえ? と思う。丸子へ行ってみて、なんで自分が歓迎されるのか分かる気がするわけで。要は、「家臣」はみんな、みんなを苦しめた義仲が嫌いなわけだ。賴朝が、自らは上京せず、東国の安定に努めたのは、賴朝だって無一文の居候なんだから、まずは自分を支えてくれる豪族達の財産や身分を守ることが第一である、という判断だったんだなあー、と実感できるし、その判断は正しい、と思ったのでした。山伏とか白拍子なんかを自在に操る後白河上皇に踊らされても、結局は利用されるだけである。

 で、家に帰ってきてMステを見たら「なにわ男子」のデビューのこととかやっていて。羽田空港で飛行機と一緒にデビュー会見したらしい。しかも、今日の「Show チャンネル」で小布施堂のことをやっていたし。翔ちゃんが襟無しのスーツを着ていて。今年はそういうのが流行らしくて。母親が散々「襟無しがいい」って言ってたからなー、と思う。でも、私は色々とあって、とても疲れました。