21年8月30日

 昨日は、引っ越しのため新しい方の台所を中心に片付けて。床に敷いてあった工事用の段ボールを撤去したり、家具を移動したりしました。で、その合間に、親が受診するために、小谷の姉さんに持っていくお手紙を書いたり、資料を集めたりして。段ボールには栗田の名前が書いてあるものがあったりして、栗田関連のモノは全部捨てたと思っていたのに、びっくりしたりしていました。

 今日は両親を連れて小谷の姉さんを受診して。二人とも慢性病であるので、基本的には変わりなく現状維持で。去年、母親にごく小さいけれども右腎結石が長野日赤で見つかったので、経過観察のため1年に1回くらい検査するのがガイドラインに沿って妥当、ということで、日赤に直接受信すると5000円余計にかかりますし、基本的な「かかりつけ医」は小谷の姉さんなのだから、彼女は医師として自分の専門でなくても、患者の全身状態は把握していてしかるべきであるので。姉さんに、経過観察のための精査のため、日赤の泌尿器科に紹介状を書いて頂くようにお願いしました。本当は、腎結石を診断した日赤の医者がこういうことをちゃんと説明して、「1年後に受診してください」と言って予約を取っていなければいけないはず、と思うわけですが。私も1年たって、ようやく医者と付き合うのに慣れてきた気がします。で、病院へ行った後はゴミを捨てに行って、日常の買い物をして帰ってきました。外作業は、私は土掘り、土の清掃、姉は土の清掃でした。トイレの入り口に12~25cm径くらいの石が密に詰まっていました。

 昼は昨日の「ニノさん」の録画を見て、夜は「CDTV ライブライブ」を見て。ファンモンのスペシャルライブとか癒やされるなあ、と思う。キンプリ、V6、Hey Say JUMP!、ABC-Zと見るべき人達はみんな見れて良かったと思います。

 それから今日は潤ちゃんのお誕生日です。おめでとうございます<(_ _)>。そして、そろそろ四郎のお誕生日である気がする。2歳、おめでとうございます<(_ _)>。

21年8月28日

 今日も朝から信州新町の古い家に出かけて家の片付けをしました。燃えるゴミを少しだけ燃やしたり、段ボール家具のいらないものを壊して纏めたりしました。で、ゴミ捨てに行って。どうも長野から信州新町に行く国道19号線が小松原と水篠橋の2カ所で片側通行になっているので、長野ー信州新町間は1時間以上余裕を見ないと、目的時間に間に合わないこともあって。昨日はゴミ処理場の午前中の時間に2分間に合わなくて午後捨てに行かざるを得なかったのですが、今日は土曜日で午前中しか受け付けていないので、締め切りの11時半に間に合うように信州新町を出ました。ゴミ処理場も何故かかなり混んでいて、中を回りながらゴミを捨てるのに小1時間くらいかかりました。

 で、どうも古い家は、どこからかイタチ? のようなものが天井裏に入り込んでいるらしくて。以前行った時には壁だか天井高をガリガリをかじっている音がして。その次に行った時には、台所の天井の一部に穴が空いていて、かじられた断熱材が散乱していて-;。今日は、天井裏でガサゴソとやっている音が聞こえました-;。

 で、今日は古い家の周囲がなんだかちょっと騒がしくて。作業をしていると外で男の人の話し声がしたりしていて。で、帰るときに車を道路に出していたら、例の猫を飼っているお向かいの家の人が外に出て、じっとこちらを見ていました。なんだか、まるで「お前の日記を読んでいるぞ」と威嚇されているかのような気がしてしまいました。まあ、でも威嚇されても、もう「隣人」ともいえない方ですから、どうでもいいわけですが。もちろんお向かいさんは、お猫様の出されたモノで隣人に迷惑をかけたりしない方だと信じて疑いませんが。

 で、2,3日前に家にあったハギレを新しい家に持ってきたら、「他にも紬の端切れがあったはずだから、持ってこなければ。」となんとなく言われる気がして。そのことをすっかり忘れていたのですが。2階の部屋の隅に、気がついたらハギレがまだかなり残っていて。それも運ぼうと思って見に行ったら、紬のハギレがあって、「我らのことを怖がらずに出てきなさい」と言われる気がするわけで@@。「ついに布地まで話すようになったし。」と思ったわけですが-;。

21年8月26日

 今日も朝から信州新町の古い家に出かけて家の片付けをしました。行ったら、台所の窓が開いていて、しかも網戸にもなっていなくて開け放されていたから、「あー、これぞ不法侵入だー。」と思う。中に入って盗まれたものがあったら、一応警察に電話しよう、と内心思ったけれども、盗まれたものとか、室内が荒らされた様子はありませんでした。そして、これまでも閉めておいたカーテンが開いていたりとかそういうことはあったわけで。(もっとも、家の中にはもう大小様々なゴミしかないわけですし、ちょっとくらいゴミが盗まれても気がつかないことは気がつかないわけですが-;。)「やだわー、オカルトな世の中でー。(棒読み)」と思う。

 で、燃えるゴミを家の裏の畑で燃やして、物置の裏とか、室内(主に1階)を片付けて。買い物をして家に帰って、午後ゴミを捨てに行って。家の中の整理はだいぶできたように思います。で、1階の押し入れに、一つ妙なものが入っていて。それは、昨日今日ではなくて、ここ1年くらい? ずっと入っていて、「何だろう?」と思っていたのですが、ゆっくり確認して始末する余裕もずっとなくて、今まで放置していて。で、最近はようやく古い家も片付ける余裕ができて、押し入れも綺麗にしよう、ということで母親が片付けることになって。で、押し入れの中に、何というか肥料? みたいなものが、いくつもある棚の上に一面に撒かれていたわけです。で、匂いはほとんどないわけですが、それまで押し入れの中に入っていたものの中に撒かれていて、肥料もどき?まみれになっていて汚いのです。で、「これ何だろう?」と思ってはいたのですが、確認もしていなくて。で、今日母親がよくよく見て「これは猫のウンコを乾燥させたものだと思う。」と言うわけです@@。我が家はずっと猫なんて飼ってないし-;。何もないところに、家を留守にしている間に、猫のウンコが大量にわいていたわけです。「やっぱオカルトだー。(棒読み)」と思うわけです。

 ・・・そういえば、家の近くに猫を飼っている家があったわー、とか、その家には尾澤屋さん(酒屋さん)で働いていた人がいたわー、とか、そういうことは一切関係のない現象であって、オカルトに違いないのです。死んだ叔母の霊障に違いありません-;。なので、最後に乾燥猫ウンコをまとめて燃やして帰ってきたわけで。

 家に帰ってきて、夕方外作業をしていたら、家の前の私道に、これみよがしに見たことのない黒い軽自動車が入っていて、人が降りてきてお向かいさんに入っていったわけです。で、「またよろしくお願いします-」というようなことを大声で話していたので、よく分からないけども、お向かいさんの仕事関係の方? 取引関係の方? という感じであって。で、すぐに出て行ってしまって。なんだか変な感じ、とは思うわけですが、こういうことはないことではないので、それほど気にもならない。でも、姉とかはこういうことはけっこう気にする方で、知らない車とかがうろうろすると「また来た-」とかって興奮して大騒ぎするらしいです。で、私は知らなかったけれども、玄関で母親に向かって「また来た-」って騒いでいたらしい。で、こうやって興奮し出すと、自家発電でしまいには「妹が悪い」とか「妹のせいでこうなった」って騒ぐ姉なので。この段階で「来たっていいだわ。そんなに騒ぐ事じゃないから静かにするように。」と言うと効果がある、ということを母親が発見したらしいです。しばらくはこんな感じで行くことになると思います。

21年8月26日

 なんだか、今日も朝から親と色々と話をしたし、「人にああ言われた、こう言われた、というけれども、自分の言ったことに対する責任はどうするのか。「人に言われた」と言って逃げている。」みたいなことを言われて「???」となる。例えば誰かがシャーマンだったとして、というか、現代的にはお坊さんだったりとか神主だったりとかして、「神仏の教えとはこういうものです」とかって説法とかする時にですよ? 説法の内容そのもの? なのか、それともそれを話したことによって起きた結果? について、「取る責任」とはどういうもの? と、私が良く分からなかったわけです。一般的な契約とかなら、自分が言ったことを守らなければ契約違反、とか、「自分の言ったことに責任を持つ」とは、普通そういう状況で使うよねえ? と思う。それに、親と話していると、私ばかりが好き勝手にやりたい放題やって、他の家族に我慢ばかり強いている、みたいに聞こえるし、そのことと関連しているようには思えるけれども、私が家族に対して「ああしましょう、こうしましょう」と言うことは、横暴な暴君として言っていても、穏やかに下出にお願いしてたとしても、人に言われてやっていることに違いない(少なくとも私にとっては)わけで、穏やかにお願いすれば、人に言われたことでなくなるわけではないし?? と思う。で、親とよくよく話したら、やっぱり親は、「私ばかりが好き勝手にやりたい放題やって、他の家族に我慢ばかり強いている」という感じで言っているということで。私の方は「責任」という言葉は使っていないと思うけれども、「私だって我慢してやっているんだけど(家族に対してだけ我慢させているわけではない)」ということを言いたかったのだけれども、それが通じていなかったらしくて。「責任」ということになれば、社会通念として自分の言ったことに対して責任を持って実行する、というのは人に言われてやったことでも、そうでないことでも、自分で取ることが大原則だと思うわけですが。

 で、ついでに、「シャーマンの責任」といえば、文化によっては異なるし、過去には占いとか託宣とかが外れたシャーマンは死刑になる、という文化も存在したし、それは文化とか時代によって異なる、と述べるしかないわけで。でも、自称「オレオレシャーマン」の場合は、「神サマの託宣だ」って、好き勝手なことを言ってお布施を要求するし、「託宣が外れた」という苦情がくれば、暗殺部隊を送り込んで該当者を殺すカモ??、それが彼ら独自の「責任の取り方」カモ??、とは言っておきました-;。まあ、そういうことがあるカモしれないし、あり得ないカモしれないし。

 で、今日も古い家の片付けに行ったわけですが、将来のこととか親と色々話していると、「毎週お手紙に「愛してる」って書いてるくせに、裏切り者ーー」って言ってくる人とか-;、「Tシャツをノーブラで着ちゃだめって言ったのにーー」って言ってくる人とか-;、なんだか色々と言われる気がしてならないわけですが-;。ドライブの道中で嵐のCDを聴いていて。ふっと「歌詞を聞いて」って言われる。「ん?」と思って聞いたら

「どんな言い訳より この歌を聞かせたい 何より君の 笑顔が見たい」(I Can’t Wait For Christmas)

と聞こえてきて、「リーダーーーー」と思う。大野君のことを思うといつも泣ける。待っててくれる人に会いたいと思うから頑張らなければ、と思う。というか、会いたいから言われたことを頑張る、というのは自分の意思の表明であって、そういうことはしょっちゅう日記に書いている気もしないような???

 で、「女性セブン」とか、やっぱり「なんだか変?」と思う漫画があるわけですが、兄さん達からは「男性キャラに対する感想が希薄だよね。男というものにそもそもあんまり関心がないよね。」と言われる気がするわけで-;。どうも、4コマ風漫画は「引っ越しをしたばかりの人達の物語」ということらしい。我が家も「引っ越ししたばかりの人達」だし? なんか引っかけてる? と思う。登場人物は、定年直後の熟年夫婦と、バリキャリお一人様な40代の姉さんと、小さい子供のいる若夫婦である。・・・男性キャラに対する感想?? と思う。熟年夫婦の旦那は割と好き勝手やっている横暴っぽい旦那である。浮気もする。でも、奥さんにちょっと気に入らないところがあるからって毒盛ったりしないじゃん?? 若夫婦の旦那は気が利かないところはあるけれども全体としては好青年である。むしろ、性的虐待を過去に受けていたからといって、夫も自分の父親と同じ事をする、と勝手に決めつけて思い込んでいる奥さんの方がどうなの? と思う。凡庸な好青年に対する感想って・・・、「へー、そうなんだ」で終わりでは? と思う-;。今週号は、まだ熟年旦那の浮気の項であって。浮気男が「氏ね、って呪われるのは通常のこと」とか思う-;。(某まとめサイトの浮気ネタとか、色々な修羅場ネタを読んでると更にそんな気が増す気が・・・)今週号ねえ? 私は「人生の一番いい時期を男に捧げた」とか、そういう物言いはあんまり好きではないかも? とは思いました。人生は長いものだから、いつだって「今」が「人生の一番いい時期」なんじゃん? と思う。というか、そんな感想なわけですが-;。

 で、夜は「姉にも納得して貰って、薬のこととか話を進めなきゃ」と親が言って、姉に親が少し話をしたわけですが。なんというか、姉は親の言っていることに対して、「沿った相づち」は打とうと努力する。相手の話に合わせよう、とはするけれども、それは母親を味方につけたいし、私の機嫌も取りたいから、である気がするわけで、「納得なんかしてるかなあ?」と話を聞いていて私は思う。穏やかに母親の話を聞いているからといって、内容に納得してるか否かはまた別の話である。で、薬とか病院とかは、要は「あなたは病気ですよ、と延べる妹が許せない」という趣旨のことを、ときどき仰せになる気がするわけで、「妹が悪い!」とか、ときどき叫ぶわけだから。私のことを悪者にする口実を探しているだけで、私が何をどう穏やかに言っても、私の言ったことに納得する気がないでしょ、としか言えない。納得できるできないではなくて、「する気がない」のである。単純に姉に対して、「あなたは病気ですよ」ということを述べる私が悪いのであって、病気であるのかないのか、ということすらその人の最大の関心事ではないのでは? とそんな感じである。だから言い方を変えても、「妹が悪い」という手前勝手な思考回路は改善されないだろう、と強く思うわけですが-;。そういうこともじっくりと母親と話すことができて、そういう意味では有意義な一日だったのでした。

21年8月26日

 昨日、今日は色々なことが起こった・・・というか、「発覚した」日であって。個人的に気になることといえば、かなり前から「ブンブブーン」で剛君が紫っぽい服、光ちゃんが黒っぽい服を着ることが多くて「何か問題があるのだろうか。」と漠然と思ってはいたわけです。でもって、あちこち出歩かなければいけない、とかそういうことが続いていたわけですが、どうも某病院へ行くと「人身御供を求める神に注意」とか言われる気がするし。どうも家人の一人を指して「よく面倒みる気になるね」みたいなことを言われる気がするわけで@@。家族だから、できることをするのは当たり前ーー、と思うわけで。でも、夢見もなんだか良くなかったり、寝苦しかったりもするわけで-;。「どうしたものか」とは思っていたわけですが-;。

 どうも、昨日、私と母親が出かけている隙に、朝父親に飲ませている薬が「お膳に出ていなかった」と父親が姉に言って、姉が母親の薬を父親に渡して飲ませた、という話を聞いたわけです。だいたい今まで、父親の薬は前の日の夕飯後に、母親が用意して、お膳の上に出して、私が寝る前にそれを確認して、母親が忘れていたら私が薬を用意する、ということをやってたわけです。別に「薬が出てる」とか「出てない」とかいちいち声かけしたことはないですよ? でも、そうやってダブルチェックして飲み忘れがないようにしてたわけ。で、ここのところずっと母親も私も気をつけていて、薬の出し忘れなんてなかったし? それは人間だから、母親も私も忘れることはあるかもしれないし、絶対にないかもしれないし?? と思うのがまず第一である。

 で、飲ませる薬が分からなくて間違えたと思ったので、「飲ませる薬が分からなかったのなら、なんで私や母に電話で確認して薬を飲ませないのか?」と姉に聞くと「薬が出ていないって言われたから飲ませた」と言うわけです。で、「何を飲ませていいのか分からなかったら、私か母親に確認して。」と言ったら、「お前になんか誰が聞くか! 誰がお前のことなんか信用するか!」と言って激高するので「あれ?」と思う。だって、私たちが出かけている時だって、けっこうささいなことで電話してくるよねえ? なんで、父親に「どの薬を飲ませたらいいのか?」って聞くのがそんなに嫌なのか? 私が信用できないのなら母親には何故聞けないのか? と思うわけです。しかも、なんというか、「悪いことをした」という態度が感じられないわけです。

 で、母親が「もう父親の薬は自分は管理しない。当人にやらせる。」と言い出すので、元々飲み忘れる薬の多かった父親のことだから「それは絶対だめ」と私が言ったら、矛先が私に向かうわけで-;。「お前は命令するばっかりで何もやらない。」とか言われるわけです。「ダブルチェックしてますけど。」と言うと、「そんなこと言われたことはないし、チェックしてるとは思わなかった。」と怒られるわけで。「チェックした時に声をかけて欲しかったのであれば、そう言って。」と言うしかない。・・・そっちが思ってなくたって、こっちはこっちでできることはやってるんだから「何もやってない」なんて言われる筋合いはない、と思うけれども、そういうやりとりを聞いている姉が「全部お前が悪いだわ」とかって私に向かって叫び始めるから、もう収集のつけようがなくなるわけで-;。

 で、姉が理不尽な物言い出私に突き当たってくるので、こちらもきつい言い方になって言い返すと、母親に「お前が相手にしないで我慢しろ」と私が言われるわけで、正直「言論の自由の弾圧反対-」と思うわけですが-;。そうすると「お前が家長なんだから、度量ってものがあるだろう」とか言われるわけで-;。度量も何も、私を「家長」と言うのであれば、家長が決めた家の中の秩序を守るように協力してくださいな、と思うわけですが、どうもそういう意味の「家長」ではないようで。それは曰く「モラハラを許さない」「弱者の虐待を許さない」とそういうことなのである。だけど、うちはデフォルトがモラハラな家庭で、ともかく子供を平等に育てる、とかそういった理想はなかったわけではないのだけれども、姉が言いたいことを言う、私が言いたいことを言う、親が両方の言い分を聞いて客観的かつ冷静に「こうしましょう」って説得しながら話合うということをともかく「あんまりやったことがない」のである-;。親は親で「私の言うことを聞けないのなら、私に意見なんか聞くな」とか子供の頃はそういうことしか言われた気がしないわけで、自分の意見を言って、それに対する相手の意見を批判も含めて聞いて、一緒に考えてみようとか、そういうことってあんまりなかった気がするわけで、話がうまくはまらないと、誰も彼もがヒステリーしか起こさない、とかそういう結果にしかならないわけで-;。まあ、私が「家長」とやらになれば、あまり批判されずに、言ったことに協力して貰える、という点はものすごく助かっているわけですが、ときどきこういう「しっぺ返し」を食らうわけです-;。でも、どんなに私が横暴な暴君だったとしても、「家族の希望を察しないお前が悪い」って言われるのはひどいぞ、希望があったた通っても通らなくてもまずそれを口に出して言ってくださいな、と思う。コミュニケーションってそういうものじゃん?? とも思う-;。

 だいたいグチグチグチグチと相手の嫌がることや相手の悪口を延々と言う行為というのは、「家庭内暴力」を振るう「夫」が普通やることなんだよね。そうしてまず妻を支配しようとする。で、次にその標的を子供に向けて、同じ事をする。子供が嫌がったり、反抗したりすると、母親は「お前が反抗しなければ家の中が揉めないから、お前が黙ってろ」と言う。子供が黙っても、父親は家族に嫌がらせを繰り返して、家族を支配することが目的だから、嫌がらせをやめるわけはない。子供を虐めることは、母親に対しては「次はおまえだ」というようなプレッシャーにもなり得る。だから「黙ってろ」と言われた子供は、黙ってることで、父親からも母親からも虐待されてるのである。で、だいたい殺されて両親が逮捕されて、「どういう母親なのか」って世間から言われる、とそういことになるわけですが。だいたい、母親の私に対する言動は、虐待されている幼児に、自分が虐待されたくない母親が取る言動と「同じ」なのである。そのくせ、姉の機嫌をとって姉を動かそうと思うわけで、そんなことでDV夫は操縦できないって教科書にあるんじゃ? と思うくらいである-;。ということで、我が家の家長が私であったとして、私に対する虐待を許さない家庭を作ること、私以外の弱者的家族に対する虐待を許さない家庭を作ること、弱者に対して誰かが「お前が黙ってればもめ事は起きない」と言って虐待へ協力することを許さない家庭を作ること、というのは、実のところ、「家長」としてものすごく重要で困ってる問題なんだけど、と思うわけですが(苦笑)。ともかく、まあ、私は「幼児」とは言えないので、親が何言おうが、言い返そうと思えば言い返すかどうかは自分で決めますが、ともかく体の弱ってきている両親に対する「虐待」はなんとかせねばならぬ問題である。そして、家の中の家族間の力関係というか、人間関係がどうなってるのかということも分かって貰いたいわけですが。でも、私が「何でも勝手に決めちゃう」とか言われるわけで-;。

 で、自分の部屋に戻ると、「何でも、自分の言ったことは自分の責任って責任を背負い込み過ぎないで、「誰それがやれって言ったことをやってるだけ」って正直に言えば。」と兄さん達に言われる気がするわけで。それはそれで、なんだかむかつく、と思うわけですが-;。しかし、私が「自分でこうしたい」とか「ああしたい」なんて思ってやってることなんて「ない」も同然だし。あるとすれば、家族間のモラハラを許さない、ってそのくらいのことである。というか、「真の家長」であるひいじいさんが「やれ」って言ってやってることをなんで「中間管理職」に過ぎない私のせいにして責められねばならないのさ、ってそれが私の本音であるので-;。・・・裁判に負けてショックだった時にも「大勧進に行ってこい」って言われて「かしこまりました」ってさっさと出向くようなことが板につきすぎちゃってるのよ、どうしてくれるの、誰のせい? ってそんな感じである。

 ・・・で、なんというのですかねえ? 今までは姉がモラハラ行為を私や母に執拗にする場合には、自分の部屋で食事を摂って貰うことにしたわけです。当人が理解できなくても、モラハラ行為は反社会的行為であり、繰り返すのであればペナルティーも止むなし、ということは、理屈で理解できなくても、経験で理解して貰わねばならないからです。でもって、私と母親はそれなりに平穏無事に過ごしてたように見えていたわけですけれども、モラハラ様は密かに、父親に母親の薬を盛る、という行為をして気晴らししてたわけだ-;。でも、特に最近顕著であったし、今後も続くと思うけれども、姉は母親にすりよって、機嫌を取ろうとすると思う。母親自身にも、「自分といれば姉はおとなしいけれども、妹がそこに加わると互いに険悪になる。妹がそれに配慮しないのが悪い。」と思ってると思います。私の方は、まあ、母親の機嫌をとって、自分に有利な方に話を姉はもって行きたいんだろうなあ、とは漠然と思う。というか、姉が母親の機嫌を取れば、その分私の方に突き当たってくるのは経験から分かってるので、配慮も何も、「まだまだ油断してはいけない」と、自分の身を守るために配慮するしかないわけですが。どうして、こういう現象が起きるのか、姉の思考回路が理解できない。それが今日の私の長風呂の理由だったわけで。

 そうしたら、「DV・モラハラをする夫は、いつも妻を追い詰めているわけではない。ときには優しくしたり、親切にしたりして相手の気を引くわけで、それは親切にしたいからそうしているのではなくて、相手を支配しているからそうしているに過ぎない。でも、妻は親切な夫が本当の夫の姿であって欲しいと思うし、そう思いたいから、「子供がいなければ夫は自分に親切にしてくれる」とそういう思考回路にすらなる。夫の側は、妻にそう思わせて妻も子供の虐待に協力するように仕向けるために妻に親切にする。」と言われる気がするわけで。

 でもって、風呂から上がったら、「洗濯の時は、姉にリビングにいてもらいたいから、姉にはここで食事して貰いたいと思う。」と母親に言われて、「あれ?」と思う。食事の時は私も姉も自分の部屋で、「それが公平・平等」だってあなたが言うから、その代わりに薬の管理は全て私がして、姉は一切さわらない、ということで了解しましたよねえ? 姉に薬のことをさわらせない、ということは、薬を利用して虐待を繰り返したい姉の行動を阻止する目的でもあるし、それが今回の騒ぎの彼女に対するペナルティーでもある。それで、今日は姉も少しは私に対してグチグチと嫌みを繰り返さず少しは遠慮している風であったので、まあ、家庭の平穏を守るためには、少なくともしばらくはなんとかなるかな。後は、姉の行動を監視して、家族の誰をも虐待しないようにどのようにして気を配っていくのか、できる範囲で母親とゆっくりと相談していこう、と思っていたら、なんか、私が一日も二日もかかって、誰のメンツも立つように気を配って取り決めた約束、できるだけ姉が気が狂ったようになって、手がつけられなくなって暴れたりするようなことを未然に防げるかということを、考えに考えた末に決めた約束を24時間も経たないうちに変えるの? あれ? と「目が点」になる。だから、姉を有利にするのではなく、私が留守番をする、ということなら良いですよ、と言ったら、要は「それは公平でも平等でもない」と言われる。いや、私が姉よりも若干優位で「上の立場」になりたいのは、いざというときに自分が踏んだり蹴ったりされて、あげくにあなたから「配慮が足りない」って言われるのが嫌だから、その予防手段としてやってるんで、相手が「自分よりも下」の立場だと見たら踏んだり蹴ったりして当たり前だと思ってる姉だって知ってるよねえ? 公平って平等って何? 姉が家族を毒殺しようとしたら、私が姉の口をこじあけて硫酸でも飲ませるのが公平で平等だって思ってます? お母様? と思うわけで、あきれかえって口もきけない。

 それで気がつくけれども、幼児虐待に協力する母親というのは、結局は子供よりも夫を取るのは、「夫の方が子供よりも自分の役に立つ」からなんだなあ、と今夜の母親を見て思う。姉が私よりも「役に立つ」と思う点では、いくら私が姉に虐待されかねないことになっても、お母様は「それが当然」と思うらしい。・・・というか、あなたが「リビングでいつもご飯を食べていい」って言ったから、露骨に数少ない自分の薬を旦那に飲まれるはめになったのに、なんで自分が姉に殺されるのが公平とか平等と思うのかが私には理解できない。こと私に関しては、母親が姉が私を攻撃する口実をあえて作るのなら、まずは「自分の身を守ることを最優先にさせて頂きます」と述べるしかない。公平とか平等とかは、あなたか私のどちらかが姉に毒殺されるか、暴力を振るわれて殺されるかして、あの世へ言ってから閻魔様にでも言えば、とそんな感じである。私が私の身を守ることは、家長も何も「私の権利」ですぞ? と思う。母親はリビングに留守番がいる状況も、私が有利である状況も、どちらも含めた状況を選べたし、敢えて「それは公平でも平等でもない」と言って自分から放棄しておいて、しかも、姉のいないところでいくらでも事前に私に相談できたのに、わざわざ姉のいる時に私の不利な状況にまた変えるように、と私に求めるわけで、あれえ? と言うしかない。私と母が、今日一日、よくよく頑張って相談して殺人未遂鬼から勝ち取った不完全な勝利を、その日が終わらない内に私が放棄しないからって、それは私のわがままではございません、と述べるしかない。

 「殺意」というものは常にあって、それは自分以外の自分に関わっている人全てに及ぶ。1mmでも気に入らないことがあればそれが「殺意」の正統な理由なのである。でも、人の機嫌を取ることもある。機嫌を取る相手を支配して協力させるためには、そうする。だからといって、機嫌を取っている相手に対する「殺意」がなくなってるわけではないの。私を殺すために母親を利用する、父親を殺すために母親を利用する、母親は年取って役に立たなくなったらどうする? とそう思う。そういうものは「殺意」を向けられた相手が協力しあって助け合って「予防」していく以外に対応のしようがない。露骨な殺意や暴力を暴走させる前段階で、まず家族に対して欲望をむき出しにするのではなく、遠慮をすることを少しは覚えて欲しい、と求めることは不公平で不平等なのですかね? とこうなる。

 というわけで、あまりにびっくりすることばかり起こりすぎた一日でびっくりする。・・・今日書いたことは全てフィクションである。

 で、なんだかんだあって、洗濯が終わった後、階下へ行ってみると、「別々に食事をしてくれた方が、姉にどんどん仕事をさせることができて良かった」と母親が言って機嫌良く喜んでいたので、「誰もが満足できる結果だったのなら良かった」と言っておいたのですが。父親の方は、その隙に台所に入りこもうとしてうろうろしていたらしい-;。よくよく元気なじいさんである-;。

 でもって、姉の方は、母親と私が少なくとも、表面的に円満であれば、おとなしくしていよう、という気分らしくて、うわべは明るくおとなしくしていたわけですが、まあ、洗ってるお皿はガチャガチャ音を立てているわけで、厳密に言えば、「物に当たる」のもDV(暴力)の内なので、「うわべだけだなー」と思うわけですが、姉は姉で、私と母の機嫌をある程度取るのは、私たちを支配して、父親に対する虐待に協力させたい、と、まあそういうことなのかなあ、と思うので。まああたくしは支配される気はないし、「支配されませんよ。今で食事を摂る人は私が決めます」というデモンストレーションをすることが「支配されませんよ」という意思表示でもあるので、私のことは忌々しいだろうな、と思う。というか、そもそも生まれた時から私のことを「余計なもの」だと思って「殺意」を持ってる相手なのだから、「殺意」を持つ点について配慮してくれ、と言われても、そもそも周囲に配慮しながら生まれてきたわけじゃないんで(苦笑)、となる。生まれる前に「配慮して生まれてくるように」と私と協議して了解を得てくれなかったそれは母親のせいだと思うので、私に関する「殺意」に関してはする配慮なんて存在しえないですよ、とそう述べるしかない。姉のやっていることは、幼児虐待を繰り返して、子供が死ぬまでやめない父親が自分を正当化する行為そのものなのだけれども、対する私の方もさすがに50の歳を過ぎて「幼児」というには育ちすぎている気がしてならないので-;。私も母親ももう50年若ければ、「あなたがやっていることは父親の幼児虐待に協力している母親の態度そのものですよ。」って言っていさめられるわけですが、さすがに私も母親も歳を取り過ぎているしなー、となるわけですし。幼児虐待をする「父親」であれば離婚しちゃえ、と言えるわけですが、やってるのは姉だから、結局は私が面倒みなきゃいけない相手でもあって、「離婚しちゃえ」とも言えないので、他の解決方法を大人として探すしかないわけで-;。ま、だから客観的に言って、父親から虐待を繰り返される2歳児に「父親に配慮しないおまえがわがままだ」って言う母親はどう思われるのですかね。それはご自分でよくよく冷静に客観的にお考えください。虐待を繰り返す父親と幼児の間にある「公平」とか「平等」というものはどういうものなのかを、逆に理解不可能な私に教えてください、と母親に対して思うわけで。

 あたくしに対して「家長」というのであれば、家長としては家の中から、殺人鬼も非殺人鬼も出さないように努力するしかない、加害者も被害者も出さないように心を砕くしかない。だけど、いよいよ極限状態になれば、「自分の身を守ること」を最優先に配慮しますので、それはわがままでも何でも、ご自由に定義してくださってかまわない。あたくしの方だって、「生きていてこその物だねだから」と思うしかない-;。「公平」とか「平等」と言うのであれば、犯罪者は刑務所に、患者は病院に、一般人は一般社会に、というのが、一般的な「公平」であり「平等」である、と思うわけですが、母親の言う「平等」とは、父親に対しては「犯罪者なんだからいつ死んでも良いと公言する」のが「公平」であり「平等」であって、姉に対しては「犯罪者なんだから妹から配慮されるのが当然であるとする」のが「公平」であり「平等」なのですかねえ? まあ、お母様がそういう基準をお持ちでも思想は個人の自由ですけれども、その「公平」と「平等」の基準はもっと明確にしてくんないと私みたいに単純な人間には良く分からないわけで-;。「加害者も被害者も出さない」ということが最大の命題で、かつ悲願でもあるあたくしには、家族の中に公平も平等も求める気持ちはあんまりありません-;。個人的な「核」の家族の中にも、もっと広い一族郎党の中にも、「公平」とか「平等」とか求められるような人格の人間が誰かいたっけ? とそんな感じである。だいたい、一番まともなひいじいさんに対してすら、「妻に対して公平でも平等でもない」といってあからさまに非難する人とか何人もいるわけだから、他に誰かまともな人なんかいたっけ? ってそんなものである-;。

 父親に関しては、ともかく、「生きていればお金になるんだから、未来永劫、生きていてくんないと困る」と姉にすり込むしか、守る手がないのである。母親が「いつ死んでもいい」とか、「薬の管理を本人に任せる」とか、母親が父親を「生かしておきたくない」と受け取れるような発言をすれば、それは「隙」となって、姉の虐待が進むだけ、ってそういうことなのである。父親は少なくとも私に関しては、医者としての信頼感があって、私のことを利用したいと思う点があるので、私に対して直接露骨な殺意を向けることはない。母親に対しても、直接は面倒を見て貰わないと困るので、現在のところは突き当たることはない。だから、じいさんに気をつけなければいけない点は、勝手に台所に入り込んで・・・・入り込んでまあボルジアとか、ってことさえ、させなきゃいいのである。

 姉の方は、今までは父親の殺意を利用して・・・利用したい気分、便乗したい気分もあったのかもしれないけれども、「自分の入れ歯」が標的にされちゃったので、怒り心頭、ということで-;。父親に便乗して私や母親を殺そうって、そういうことを内心思うから「人を呪わば穴二つ」の穴に自ら落っこちたわけで、私から言わせれば、まさに「人を呪わば穴二つ」で、自分から落とし穴を掘って、自分で落ちるような人に対する配慮って何? とは思うわけですが、自分で掘った穴に落ちたとしても「被害者」は「被害者」なので-;。そういう被害者も出さないように努力するのが家長だと思ってる、ってそれだけである-;。で、逆恨みしてじいさんの虐待を始めたので、それに気がついて、阻止しようとしたら、「なんでも妹が命令したからやっただわ」と騒いで、「あれー?」なことになったのが今朝のことである。姉がじいさんに直接薬を渡してたって、私は昨日初めて聞いたし、「飲ませる薬が分からないなら電話で確認して」って言ったし。だいたい、毎晩私と母親がチェックしてるのに、姉が薬に関して出張る隙がどこにあったのか、ってなる-;。しかも色々話を聞いてみると、同様のことは何度もあったし、直近の4回くらいは、母親の薬の一部を意図的に父親に飲ませていた、と疑われる形跡がある。飲ませる2錠の薬のうち、一錠を母親の薬をすり替えて飲ませてたらしいのだけれども、今回2錠とも母親の薬を飲ませたので、薬が足りなくなった母親が追求して事がばれたのである。・・・どう考えても、知れば知るほど「真っ黒な確信犯」にしか見えないのだけれども、そんなんでも「加害者も被害者も出さない」というのが、私の家族に対する最大の配慮であって、次の標的が自分だって分かってるのに「じいさんはじいさんで死んだって構わない。」って言って殺人未遂行為を正当化することに配慮するのは、少なくとも私の「配慮」じゃないから、と言うしかない-;。どちらかというと、「人に毒を盛ったらペナルティーを受けなければならない」ということを教えることを続けることの何が問題なのですかね? ペナルティーって言ったって、一人で飯を食うだけなのに? どうしてもみたいっていう、伊野尾チャンのドラマくらいは見せてやってもいいとすら思ってるのに? という気分である。父親が死んで母親が死んだら、次の標的は私しか残ってないのに、せめて親が生きている内に、社会的に最低限の常識をなんとか教え込み続ける努力をしようとすると、わがままで自分勝手だって非難されて、自分がかわいそう、というよりも「目が点」になってばっかりの私である-;。ともかく、私の本音を言えば、「あなたが配慮の足りない行為をしたのだから、私と家長が良いというまで、部屋で一人で食事を摂りなさい。私と家長はこれまでと同じように一緒に食事をします。」と当たり前に母親に言って欲しいわけですが、何故か姉が毒をもって罰を受ける場合には、毒を盛ってない私も姉に配慮して一緒に罰を受けるのが公平で平等だ、と母親が思っているので、では代替としてペナルティーには「今後は姉は薬に触らない、ということにしましょう」と決めたのが今朝であって。母親の言う「公平」とか「平等」とは私には理解できないので、私から見れば100%、母親の顔を立てるための配慮である。それをまたあっさり反故にして私の顔を徹底的に潰そうと母親がするとは全く思ってなかったわけで。まあ、結果オーライだったから良かったわけですが-;。

 ちなみに姉が前回追放されたのは、私に対してグチグチとモラハラを続けて「やめて欲しい」と言ったにも関わらずやめなかったから追放されたのである。でも伊野尾チャンのドラマが見たい、というので、「そのくらいは見せてやろう」と思ったら、何を考えているのか、そのままリビングに居座り始めたわけで、なんで母親が止めないのかと思ったら、「テレビを見るならいていいと言った」って母親が勝手に許可したことが発覚したわけで。事前に私に一言もなく、なんでそんな勝手なことをしたのですかね? これからは私にも一言言ってください、と言ったら、母親とも揉めたのが今朝のことである。ともかく、姉の前で、私と母親が揉めれば、その状況を利用して、両者を支配しようとしか姉は動かない。私に対しては、極端に高圧的になる。そうして私を虐待することを正当化する。母親に逆らう私が悪いのである。母親に対しては、「妹の言うことばかり聞いている」と言って責める一方で、役に立とうとすり寄る。母親が私も父親も嫌っている隙に、母親を味方につけて私と父親に対する虐待に協力させたいからだし、事私に関しては、子供の頃から何度でも成功していて味をしめているからである。姉が私を虐待しても、母親は私に「お前が黙って我慢してなさい。姉と喧嘩をするお前も悪くて、喧嘩両成敗である。」としか言ってこなかった。だから、姉が妹を虐待すれば、妹は虐待にただ我慢するか、虐待に抵抗して抵抗したことを理由に罰を受けるかどっちかである。え、でも、母親がですよ、姉が妹を虐待して、妹が罰を受けることを「公平」とか「平等」であるって主張して、しまいには自分まで毒を盛られるようなことになった場合でも、まだ自分が毒を盛られることが姉と妹に対しての「公平」とか「平等」であるっていうことを言い続ける場合にですねえ、私ももういい大人なのだけれども、いったいいくつになるまで、そういう母親の言動を立てなければいけないのですかね? 私もそろそろ社会的な公平とか平等というものに関心を持っても子供過ぎるお年頃ではない気がするのですけれども? とそういうことである-;。

 ということで、こういうことを言おうとすると、「お前だって自分勝手なことしか言わないし、自分たちは我慢して従ってる」と言って責められる。で、よくよく考えて私が自分の意思で言ってることって何? となるわけですが、私は私で「空耳」の言ってることに従ってるだけなんだけど? 家長の言うことに従うのが義務だって言われるし、指定された人を家長と認めねば自分を守っていけない、という瀬戸際なんだけど? なんか私が個人的な好き嫌いで言ってるのがは「弱い物いじめは許さない」とかそのくらいしかないんだけど? と、KinKi-KidsのDVDを見て思う。いくら「空耳」に、「自分たちに言われてることをやってるだけ、って言っていい、って言われてもですねえ? オカルトなんですけどねえ?」と思う-;。しかし、今回分かったことが一つある気がする。家の中に明確な「殺意」がある場合、それを示すのは特定の「二人」だということである。なぜなら、その内の一人にも、家の中のことについて「家長」として責任があるからである。でも、結局、「家の中から加害者も被害者も出さない。誰もが天寿を全うする。」という方針も「二人の家長」の方針ですよねえ、と思う。

 というわけで、今日は家にいるときは、大部分、桓武天皇を降霊して、「いただきハイジャンプ」を見ながら、家の中の半分はボルジア毒殺魔で、1/4は虐待されたら黙って我慢するのが公平で平等だと思っていて、そういう複雑怪奇な「家庭」で、家長はどうやって家族を守っていくべきか、ということをよくよく協議する。桓武天皇も桓武天皇で複雑怪奇な家庭環境で育った上に、そういう家庭を整えるために、邪魔者を全部「御霊」にして整理整頓してしまったという強者であるので-;。そういうやり方そのものは現代社会にはちょっと向かない気がするわけですがー;。(人の命が現代よりは軽かった平安初期でもそこまでやる人はあんまりいなかったと思うわけですが-;)ともかく、協議する。姉と父親はそれぞれできるだけ気を配って、毒を盛らないように、盛られないように見ていくしかない。だけど、特に姉は激高すると、止めようがなくなるくらい暴走して、暴力をふるったりするので。「公平」とか「平等」とかではなくて、どのように暴走を未然に防ぐのか、自分でも暴走してはならない、ということを自覚させるのか、ということを一緒に考えて欲しい、と母親に対して根気強く説得してお母さんにも自覚を求めるしかない。これが戦争であって、攻撃される側に「お前が黙っていないのが悪い。お前が我慢していれば、揉めないのに。」って言ったらどうなりますか? チベットですよ? と言われる気がするわけで。ちなみに、桓武天皇はお母さんをどうやって説得しましたか? とおたずねしたら、「そんな、やっても無駄なことなんかやるわけないでしょ。」と言われる気がしてならないわけだがー;。なんだかんだ言って、あなたは私よりも立場が恵まれていて良かったですねえ、と思う-;。

 というわけで、全部妄想ですとも。全部フィクションですともさ、オカルトですもの、と思う日記なわけです。でも、家族の中から「加害者も被害者も出さない」というのは、私の信念であって妄想ではないです。