20年5月31日

 本日は崩れた土を片付けながら、奥を掘る。せっせと掘った結果、杭を1本掘り出したけれども、それと平行して奥に更にもう1本、またそれらと十時になった形で、もう1本埋まっていることを発見して@@。また周囲をせっせと掘らないと掘り出せそうもありませんー;。1本の方の奥は大きめの石の下敷きになっているので、石を掘らないと抜けそうもありません。

 で、雨対策も毎日進化してあまり雨水枡の周辺が濡れなくなりました。これで少し安心して掘り進められそうです。

20年5月30日

 どうも、内側の水道管の周囲を掘ったら、掘ったところが崩落してしまって、またまた土の始末に忙しくて掘っていられなくなりましたー;。でも、これで奥の板まで掘り進めやすくなったかも、と思います。午後は夕立が降ったので、作業はそこそこでした。雨が降った前後の北西の雨水枡の様子を確認しようと思って見に行ったら、そもそも雨樋の付け根が外れていることを発見しました。それで夕方はその対策をして。これから梅雨の時期になりますし、今年は雨が多そうなので、早めに対策をしたいと思います。私も石ショックがようやく覚めてきて、色んなことを考えられるようになりました。

 で、今月もいろいろとあったわけですが、先月末に、急遽、「5月は信濃の国に関する本を集めるように」と言われて。一草舎出版という郷土の出版社から発行されている「信州の民話伝説集成」全4巻を買ったわけです。全部で880話も、信濃国に関する民話・伝説が載っているというありがたい数が揃った本なわけでー;。そして、同じ出版社から「善光寺の不思議と伝説」という本も出ているので、「敵を知りたければ、勉強しなければいけない」と言われる気がするので、これも買ったわけです。「善光寺の不思議と伝説」は、物語集ではなくて、善光寺にまつわる史跡とか、その由来が載っている本なので、これを片手に史跡巡りをしたら、観光客なら楽しいかも、という本であって。

 で、長野市には「栗田」という地名があるわけですが、そもそもそれは清和源氏の末裔である「栗田氏」という一族が平安末期頃から、その辺りで勢力を張っていたからついた名前であって。善光寺周辺は、寺領もあり、有力な都の貴族の荘園なんかもあって、古くから開けていた土地なので、門前町も歴史は古いのだと思う。で、ちょっと山の中に入ると、戸隠も平安時代中期から末期頃にかけて修験道が盛んであって。そういう土地柄で、栗田氏は鎌倉時代末期には、有力な豪族であると同時に、一門の中で出家した人が善光寺や戸隠の別当も担うことになって、まさに現在の長野市市街地の聖と俗の両方を支配する最大の有力者であったわけ。そういう歴史が「善光寺の不思議と伝説」に書いてある。ただし、ここで注意が必要なのだけれども、室町初期の大塔合戦では、栗田氏は他の豪族達と共に守護と戦っているから、最大の有力者であったにもかかわらず、善光寺周辺の政治に関しては、西山地区のその他の豪族の意思に「従わざるを得ない」立場でもあったわけ。けっして独裁ができる立場ではなかったのです。

 そして、7番目の兄さんからは、善光寺と戸隠の別当を兼ねるということは、その人達が「戸隠の忍者」の総元締めだし、戸隠の忍者は善光寺の草(スパイ)だし、そんなことは室町時代初期には、公家や武家の上層部では「暗黙の事実」として知られてた話、と言われる気がするわけで@@。私は室町時代の人じゃないんですけど? と思う;。「忍者の元締め?」とかって思うわけで-;。

 で、中世を抜けて江戸時代になると、善光寺周辺は寺領が多くなる。一部には天領(幕府直轄領)もある、ということになり、栗田氏の大部分は上杉の家臣になって会津に行ってしまったけれども、一部は信濃国に残って農民化(豪農化)した。善光寺平の豪農っていったら石高も高いだろうし大金落ちだよねえ? と思う。少なくとも現代に至るまで土地を持ってたとしたら大金持ちになれそうだから、歴史のどこかの時点で土地を売って商売を始めていれば今でもお金持ちでいられそうである。で、寺領の周辺は松代藩の領地だから、現在のバチカンがイタリアに囲まれているように、江戸時代の善光寺はお寺と寺領が松代藩に囲まれて、相互に影響し合って存在していた。バチカンも長い間、イタリアの貴族の家柄から法皇が出て、ヨーロッパ各地に影響を与え続けていた。イタリアの貴族達は、そうやって間接的にヨーロッパ全土に影響を与え得た。西山地区も松代藩に含まれていたから、西山地区に、善光寺より上位で影響を与え得る人々がいたとすれば、彼らは松代藩を通して影響を与え続けることができた、ヨーロッパにおけるイタリアの貴族達のように、と言われる気がするわけで。

 で、そうやって、行政機構を通じて、善光寺や忍者の元締めに影響を与えることができる立場の人がいたとしたら、現在だったら何を利用する? と言われる気がするわけで。さあ、市役所とか? としか言いようがないー;。

 で、善光寺には大勧進(男のお坊さんのお寺)と大本願(尼寺)があるわけです。本には、「一説には、善光の子孫本田または若麻績家の巫女が法体の尼上人となって勧進に携わったため、大本願上人と呼ばれるようになったとも推測されている」とか「女性が神をまつるという習俗にもつながる」とあるわけで。普通に「斎宮」と言えば? と思う。というか、善光寺そのものの前身が「水内大社」と言われているわけで、「水内大社」の候補は北長野に3ヶ所あり、「西山地区」にある「水内神社」には「斎宮」という地名が残っていて、かつてそこに「斎宮」がいたのではないか、ということをうかがわせる。「水内大社」そのものは、諏訪神の子神を祀っていた神社で、善光寺を興した本田(若麻績)善光そのものが、金刺氏の一族の人であるので、北信濃の諏訪系の神社は、金刺氏が寝食を務めていた諏訪大社下社系の神社だったと思われるので、「水内神社」に詰めていた「斎宮」とは、「金刺氏の斎宮」であったはずであって。「西山地区」の「斎宮の宮」であった「水内神社」が衰退した後に、勃興してくるのが「大本願」なんじゃないの? と言われる気がするわけで@@。「大本願」が「水内神社」の斎宮の変化した姿なんだ?? と思う。でも、そこは金刺氏の巫女ではなくて、皇族とか藤原氏が貫首ですよねえ? 少なくとも歴史で知られている限りでは? と思う。そうすると、「それが、皇族や藤原氏が金刺氏の「血族」である、と言外に誇示している証拠でしょ。血族の者でなければ、一族の「斎宮」にはなれないでしょ?」と言われる気がするわけで@@。金刺氏にとっては、皇族や藤原氏は、「自分たちの神」に仕える巫女を出すための家系にしか過ぎないんだ? と思う。その「神」というのは、現在のところ、表向きは「八幡=阿弥陀如来」ですよねえ? と思う。でも、その「神」はもっと古い時代には「彦神別神」と言ったわけだから、「八幡」も仮の名前に過ぎないのだと思う。というか、「金刺氏の嫡流」という本態がどこにあるのか、はっきりしていないのに、「皇族や藤原氏は血族である」と誇示する大本願だけがその意味も明確にせずに存在するのは奇妙、と感じる。

 で、後は、中国の民話で「雷神は鶏である」という話を発見する。だから、雷神を捕まえた人は、神サマを食べようとするわけですがー;。ともかく、雷神が鶏なのでその娘は卵から生まれる、という話があるらしい。その流れで、「卵から生まれた女の子」の民話は西欧にもあるわけで、西欧もゼウスとかトールとかユーピテルとか雷神信仰の盛んな地域であったわけで、それがキリスト教の「天にまします我らの父」とかっていう文言にも受け継がれているわけです。でも、中国では雷神の性質が太陽神と重なるものも多くて、「鶏=雷神=太陽神?」というような研究もされているらしい。これがどうか、ということを考察するには紀元前5000年の「河姆渡文化」まで遡らないといけない。河姆渡では、「二羽の神鳥が太陽を運ぶ図」が出土してる。すなわち、「鳥=太陽」ではなくて、鳥は太陽の召使いなのです。これは、太陽女神の流れを組むと思われる西王母にも「仕える鳥」がいたことからも正しいのだと個人的には思う。でも、一方の西欧でも雷神と太陽神の性質が重なることは多い。すなわち、母系の河姆渡文化では「太陽(女神)>雷神(鳥)」という構図があったのに、父系の文化に変わる中で「雷神(鳥)が最上位(時には太陽神も兼ねる)」というクーデター的変化が起こっているのです。雷神が太陽神を倒して、成り代わっているわけ。中国では、黄帝が炎帝を倒す神話がありますし、西欧のゼウスやテシュブも「親を倒す」というクーデター的神話を持っている。メソポタミアのマルドゥクは、母親のティアマトを倒しており、母系から父系への変遷があったことを伺わせます。だから、「父系の文化」を作った「誰か」が、本来有った信仰や神話をねじ曲げて、「雷神が最上位の神である」という神話を意図的に作り上げ、父系の文化、父系の歴史を作ってきたわけ。

 似たようなことはもう一つある。バチカンは、それ以前の、いずれかの神というよりもヴァティカヌスという神の聖地に作られた新たなキリスト教の聖地なわけです。それと同じ事で、善光寺は水内大社の上にできている。水内大社は、それ以前に地元の人々が信仰していた九頭竜女神の聖地の上にできている、わけです。かつては現在の長野市街地を裾花川が流れていたので、治水のための女神の斎場は今よりももっとたくさんあったと思われる。でも、女神の最大の聖地である戸隠はタヂカラオに乗っ取られて、修験道や忍者が跋扈する怪しい土地に変えられてしまっているし、市街地の有力な聖地であったと思われる往生院なんかは、周囲を一番俗な町に変えられてしまっているわけだから、九頭竜は治水と豊穣の女神から、「娼婦の女神」へと変えられてしまっているわけで。本来有った信仰や神話をねじ曲げて、「汚い方向」へ無理矢理変えようという悪意がすさまじいなと思う。それが善光寺を作った目的であるならば、そして善光寺の本当の神が、金刺氏の祖神である「饕餮」であるならば。「饕餮」を最上位の神にするために、九頭竜女神は穢され、封印されたといえる。

 「饕餮」とは、「テウタテス」「トール」「ユーピテル」「テシュブ」と続く、西欧の「雷神」と「同じもの」なんじゃないのですか? 雷神のように見えて、太陽神のように見える「金刺氏の神」こそが、「父系の最上位の神」であり、それを最上位の神にするために、河姆渡の太陽女神は封印されて、西王母(水の女神)へと作り替えられた。そして、その水の女神も封印されて「娼婦の女神」へと作り替えられ、汚い者として扱われ、神としては扱われない。そして最後に残ったのは、「八幡神」の皮を被った饕餮=阿弥陀如来だけとなり、女神信仰は消え失せて、女性を尊重する思想も失われ、父系の唯一絶対神の思想しか残らない、と。そういうことなのだと思う。

 ということで、家の地下水脈を封じている封印を解いて、最大の封印石を外したら、「父系の王家の使ってる忍者の総元締め」がなんなのか分かった気がするわけですがー;。正直、家の地下の浅いところに地下水が湧いても、あんまり良い事じゃないんじゃないのか?? と思うわけですが-;。封印を解くのも命がけですー;。何が「忍者の元締め」なのさー、けっ、と正直思います-;。

29年5月29日

 今日は少しでも板を掘り進めたいことと、基礎の外側を危うく感じるので、なるべく内側を掘ろうとしたら、水道管の直下から大きな石が出て来たりして、けっこう大きく崩落させてしまいましたー;。おかげで掘る手間は省けましたが、崩れたときに、下に誰もいなくて良かったと思う。後は止水栓の位置を直したり、家の東側で水が溜まりやすい場所をチェックしたりしました。

20年5月28日

 今日は朝から作業をして、土を掘ったり、綺麗にしたりしていました。ちょっと掘ると大きめの石がゴロゴロと出て来ます。しばらく雨が降りそうもないので、その間に掘った後始末をする予定です。

 それ以外では、郵便局からレターパックの配達で、声もかけずに不在通知を入れて行く、という嫌がらせをまた受けたのでした。

 昼は「世界くらべてみれば」の録画を見て、夜は「VS嵐」を見ました。

20年5月27日

 昨夜、夕立が降ったら埋めた穴が崩落してしまって。今日はお出かけする日だったので、まずは外出して来ました。で、親が、雨樋から水がだだ漏れ名ことに気が付いて、それを直して。今日は天気のせいか、何故かものすごくぼーっとする日であって。そして、光一君が表紙の雑誌が何冊か出ているということで、あちこち回って買ってきました。

 午後、昼寝して起きて、ようやく頭が少しはっきりして、「崩落の現場を見に行くように」と言われて見に行きました。そうしたら、そこだけ地面が濡れてぐちゃぐちゃしていて。しかも、シートで覆っておいたのに、誰かがおおいを外していて。ともかく、そこだけ周囲より土地が低くなっているので、土を持って高くして、かつ水はけを良くしないといけない、と言われて。で、親と話して、土を持って、かつ水がはけるように水路を作ることにして、水路を作りました。雨樋も外れにくいようにして。近所のいやがらせと思われることを、できるだけ予防することにしました。T工務店の社長は、工事の仕上げを確認に来ませんでしたし、わざとそこだけ土地が低くなるように指示したんだろうな、と思う。作業して、とても疲れました。