22年7月31日

 今日は外作業のみ。外作業は母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付け等、私が土の清掃でした。

 お裁縫は、シャツは袖のカフス付け、父親のシャツは脇縫い、簡易シャツは端の始末です。

 テレビは、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

22年7月30日その2

 南宮大社の例大祭について。最初に「女の子が舞う」ことの意味について延べよ、と言われる気がするわけで。ええと、これは遷御の神事の後に奉納される舞であって、「頭には山吹の花をつけた冠、背には蝶の羽をつけた巫女が、右手に山吹の小枝を持って舞う(南宮大社HPより)」ものなんだそうで。蝶は冥界のものであるので、見附で「逆向きの渡御」が行われているのと同じ事で、その場が「黄泉の国」であることを示します。山吹は「実がならない花」である。で、古事記には交合の際に、イザナミから声をかけたら不具の子が生まれた、とある。女子が先に舞う(先に性行をしかける)というのは、ちゃんとした子作りをしようという所作ではなくて、子作りに失敗する所作ということになる。盗人にも3分の理ということわざがありますが、須佐之男が大宜津比売を殺した際にも、「尻から出した汚い物を食べさせたから」とかっていう言いがかりがあったはず。胡蝶の女神(金山姫)は、女性の側から舞う(性行を誘う)ことで、健常な子供ができる性行を行わなかったので、その罰ということで殺されることになるのだと思います。だけど、武力で脅されて「そのように振る舞わなければ殺す」と言われたりしたのであれば、やったってやらなくたって殺されるんだよなあ? 殺すための方便の祭祀だろうが。って古代に言った人はいなかったのでしょうか。

 あとは、昨日の帰りですが、丁度岡谷ジャンクションのところで大夕立が降っていて、親しく話しどころではなくて。「気をつけて帰れよ」と言われただけでしたが。子供達が首狩り族の格好で降臨してきて、「首狩り、成功おめでとうーー」と言ってくれる気がするわけで。文字通りお婿さんを一人「ヘッドハンティング」してきた旅でございました。

22年7月30日

 正門とか政門という名字の人には平将門の子孫がいるらしい・・・。

 本日は再び美濃・尾張方面行き。伊富岐神社、南宮大社、南宮大社御旅所、大領神社、垂井の水、御首神社、金神社、伊奈波神社を参拝して来ました。

 今回、色々と伏線があって。Aぇ! groupに正門良規君という青年がいて、BSで「てくてく絶景」という京都の絶景を歩いて紹介するという1週間限定の番組に出ていたわけです。7月の25-30日の間。私の中では「もしかしたら平将門の子孫? 生まれ変わりかも。」と内心ちょっと盛り上がっていいた正門君ですが、特に関係者じゃないので、「てくてく絶景」は見てませんでした。でも、金曜日の昼間に「一度でも見て貰えたら婿確定」と誰かに言われる気がするので、「じゃあ、見ましょう。」ということで、録画して家族で見ました。最終回を。ひいじいさんに「自分で選んで見るんだから、今回はひいじいさんの陰謀だー」って言わないように、と釘を刺されるわけで-;。・・・秋葉山の一件はやっぱりあなたの陰謀でしょうが、と思う。

 で、美濃行き。南に行くときは、岡谷ジャンクション付近で毎回諏訪の衆にご挨拶頂く気がするわけで、だいたいは「頑張って」とか「いってらっしゃい」と言って貰えるわけですが、この日に限って、みんな「棒の先に生首をつけたものを手に持っている絵」を送ってくるわけで。「なんで、今日に限って生首??」 と思う@@。そうすると「生首は道路や土地の守護になるんですよ。」と、それはそうだけど、あんまり答えになっていないような返事を貰う気がする。

 古くて重要な神社を回る、ということで西の県境近くまで行って、伊富岐神社から回る。ここは「良い神社だから行っておくように。」と言われた気がするので、行って。ひいじいさんに「こんな西の方まで呼び出してごめん。」とは言われる-;。ちょっと見付けにくかったですが、良い感じの神社だし、「伊富岐」とは「息吹」にも通じる言葉だと思う。古くからの蘇生に関する神社なのかも、と思う。関ヶ原の辺りは、壬申の乱の際に天武天皇が陣を敷いた、とのことで、「この辺りでは大海人皇子や高市皇子と直接懇意にしていた豪族の子孫がまだいますよ。」と地元の人に言われる気がするわけで。私には地の果てのように感じられるけれども、ひいじいさんは良く知っている土地らしい。

 で、次はちょっとだけ離れた南宮大社とその周辺。美濃・尾張近辺はハイヌウェレ型の祭祀がちょいちょいあるので、御旅所に金山姫、南宮大社に金山彦が「別れている」ことがもうはっきり言ってやばい。どうせ、金山姫がハイヌウェレで、金山彦が猿神なんだろうなー、と最初からなんとなく思っていて。実際例大祭では、南宮大社から御旅所に神が還御するそうなのだけれども、男の子が舞を舞ったり、尾が剣である蛇を模したものを作ったりするらしい。尻尾に剣が仕込んであう蛇って露骨に「ヤマタノオロチ」では、と思う。男が女の宮に通うこと、舞は、それこそ露骨に性行を暗示する。やっぱり立派なハイヌウェレ、と思う-;。要は、農耕祭祀の時は、須佐之男・クシナダの組み合わせで、武器製造の時は金山・金山姫の組み合わせなのだと思う。たぶん違いは神の名前だけかと。で、仏教を重要視した聖武天皇は、仏教の呪力と、金山姫を殺して得た武器で人々を押さえつけて支配した、ということで。「そういうのを聖君とは言わないでしょ。」と愛人Pちゃんに言われる気がする。全くその通りだと思う。で、南宮大社には猿神の好きな聖武天皇がものすごくてこ入れしていた、と-;。

 で、「垂井の水」。揖保川水系の名水といえるけれども、「水の神をタルと呼ぶのは、ここと諏訪との共通点だから覚えてくように。」と言われる気がするわけで。要は垂井の神も元は「女神」だったんだなー、と思う。たぶん女神は金山姫と金山彦に食われて、地名の中にしか残っていないのだと思います。

 大領神社。壬申の乱に功があった人が祭神ということで。祭神はまだ残っていて、ひいじいさんと互いに挨拶してたり、虎ちゃんに力の使い方を教えて貰っていたような。

 で、岐阜に寄りたかったので、一般道を岐阜に向かう。途中に「御首神社」って看板があったので「誰の首?」と思って寄ってみたら、将門公の首が祀ってあって。「あれ? 昨日婿になったばかりの人?」というか、「これで、今朝みんな生首を持ってたのかー。」と思う-;。当然の妻の権利? なので、参拝して首の神霊をちょいっと引っかけてくる。

 で、岐阜、金神社と伊奈波・・・。伊奈波は元は「黒龍(九頭竜)」を祀ってったってある。あれ? 尾張の側では、縄文系の「亀の母女神」をちょいちょい見かけたけど、ちょっと内陸の岐阜ではもう九頭竜女神(竜蛇神)なんだー、と思う。(垂井でも微妙に竜蛇神の痕跡があったような)で、そういうところにとりついている善光寺・・・・岐阜まで来てもまた善光寺-;。九頭竜を封印するため? というか女神のストーカー? とか思う。大黒とか津島とか聖徳太子とか、荼枳尼天とか、中世的須佐之男があちこちにベタベタいるし。境内に神馬もけっこういるし。南宮ほどひどくないけど、こっちもけっこうやばいのでは、と思う。たぶん、こっちも伊奈波が金神社を食って、奥さんを金に変えてしまった、とかそういうハイヌウェレ型が根底にありそうな気がしてならない-;。というか、伊奈波って両面宿儺では、と軽く思う-;。彼らの子神はアジスキタカヒコネと思われますが、加茂の祖神にしたくないので、名前をちょっと変えてある気がします。でも、尾張・美濃はカモカモさん達が開拓した土地だから-;。隠そうとしても限度がーー、と思う-;。諏訪の出早雄命と「全く同じ神」として問題ないと思うわけですが、Wikipediaとかではこれみよがしに「違う神」ってしっかり書いてあります(笑)。

 というわけで、疲弊して家に帰り着いて。ホームグラウンドにて。例によって、ちょっとひどいので、自分でもお祓いするように言われる。本殿では鉄さびのくずみたいなものがちょっとボロボロと体から落ちる。お蚕さまのところでは、将門の首の霊をお渡しする。お祓いしたら余計な人の生首もちょっと落ちる-;。でも、あちこちの神社で力のありそうなお稲荷さんとけっこう結縁してきたので、稲荷関連には喜ばれました。そういう霊体験をして家に帰ったわけです。

22年7月29日

 今日は両親を小谷医院へ連れて行って、その後、通常の買い物をしました。外作業は母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付け等、私が土の清掃でした。今日は夕立が来なくて、夕方も普通に作業できました。

 お裁縫は、シャツは袖のカフス付け、父親のシャツは脇縫い、簡易シャツは端の始末です。

 テレビは、昨夜は「VS魂」の録画、今日の昼は先週の「少年倶楽部」の録画を見ました。

22年7月29日

 外作業は母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付け等、私が土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、シャツは袖のいせこみ、父親のシャツは袖付け、簡易シャツは新しいものの裁断です。

 テレビは、昨夜は「ブンブブーン」、「いただきハイジャンプ」の録画、今日の昼は昨夜の「いただきハイジャンプ」の録画の続き、先週の「少年倶楽部」の録画を見ました。

 群馬行きのあれこれ。慈眼院・白衣大観音、通称「高崎観音」にも参拝してきました。昔、母方の祖父が高崎に住んでいたことがあって、観音様の参道で大叔父が食堂をやっていた、とかそういう縁があったそうで。新幹線に乗って東京方面に行くと、高崎で観音様が見えるわけですが、一度も途中下車して見に行ったことがなかったので。良い機会だと思ったわけです。それに「慈眼院の名前の通り、そこには「眼」があるから取りに行くように。」と言われる気がするわけで@@。

 行ってみると、慈眼院は高野山系の真言宗のお寺でした。参道をてくてくと歩いて、「山なんか嫌だな-」と思っていたら、「高野山はもっとすごい山だから。深山での修行なんて嫌だよねえ。身延山辺りが丁度いいよねえ。」と言われる気がするわけで@@。「むむ、高野山関連のお寺で、なんで久遠寺の関係者が降臨してくるのか??」と思う-;。で、とりあえず本堂にお参りして、その横のお大師様もお参りする。「ここは軽いノリで作ったところだから、あまりかしこまらずに楽しんで行くといいよ。」と言われる気がする@@。というか、弘法大師の像の横にあるのは弥勒と不動明王である。どっちも須佐之男? と思う。で、白衣大観音。「中を登るの嫌だなー。」と思っていると、「修行だと思って行って来なさい。山を登るのに比べればよっぽど楽だから。」とお大師様とお上人様に言われる気がするのて行ってくる。中に20体の仏像が安置されていて、その中に日蓮聖人の像もあったような・・・。「なんで?」というか、「久遠寺関係者がいたよ!」と思う-;。で、登って、降りて出口を出たら、観音様の裏にも小さなお堂があったので、そこもお参りする。「表向き祀ってあるものがなんであれ、「後戸の神」って誰のこと?」と聞かれる気がする、それは摩多羅神のこと、と思う-;。「それを忘れないでねえ」と言われた気がするわけで。

 あとは参道を歩いてると「そろそろハイヌウェレとはかぐや姫のことだって気づけ。」と言われる気がするわけで@@。「ハイヌウェレは宝物を尻から生み出すけれども、かぐや姫は男に貢がせる。ハイヌウェレが死ぬと人々は不死を失うけれども、かぐや姫は去るときに「不死の霊薬」を置いていく。話の骨格はほとんど同じでしょ。」と言われて-;。それでは「竹取の翁」がアメタ、「帝」が「太陽神トゥワレ」に相当しますよねえ? と思う。お出掛けすると、色々なことの理解が深まってすっきりする気がします。