21年12月15日

 本日は姉を小谷医院へ連れて行って。あとは外作業でした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の正装でした。

 市役所の方はなんだか怪しい気がする。役に立つ情報もある、という感じです。少しはスキャンしましたが、全体にしっかり目を通すには時間がかかりそうです。お正月休みの課題、といった感じです。万年ニートで開店休業のはずですが、霊能力者? として忙しすぎるので-;。

 お裁縫は、つくろいもの。キュロットはウエストの始末、ジャケットはポケット、ケープコーとは裏地の裁断が完了しました。

 ・・・あとは、某所で暴れていた人がいる気がする。で、そういう場合は「暴れろ」というメッセージだと思うことにしている・・・ので、せっせと別の某所に文章を書いて送る-;。・・・忙しいのに、夜中になにやらせるねん! って本当は思ってるかも-;。

追追加

 「えー、だって国土調査で「境界標」って言うじゃん。境界が確認できなかったら設置しません」って言うじゃん。なんで、なんで、なんでーーー、と言われる気がします@@。

 国土調査というのは「国土の実態を調査する(国土調査法1条)」ものです。「国土の実態」って、国土がどう使われているのか、すなわち「現況(その時点での所有権界)」を調べて、それを元にして地図を作って、法務局に保存しよう、変更があったら更生の登記とかしよう、ってそういうものです。

 だから、国土調査の際の「くい」は、所有者に立ち合ってもらって、「所有権界」と「筆界の予定点」ともいえるものを合意してもらって、所有権界と筆界ができるだけ一致する地図を作ろう、とそういうためのくいです。だから、「確認できなかったら設置しない境界標」っていうのは、民法の「境界標」なわけです。それを「筆界の標識等も兼ねる」そうすれば、所有権界と筆界は限りなく一致する、とそういうことです。そうすると、所有権界としても精度の高い地図ができるから、土地取引に地籍簿が使われるわけです。だから、それは正確には「境界標兼標識等」と言わねばいけないと思う。国土調査では、所有権界が合意できなものは、筆界未定地にするってルールがちゃんとあるわけです。だから、筆界点を示す「標識等」も必ずしも設置する必要はない。「筆界未定」でいいわけです。

 でも、今、地籍簿の上に存在する筆界を修正する必要があるのに、「未定」に修正することはできないよね? となる。筆界確定を求めるか、裁判を起こさないといけません。筆界確定と裁判では、筆界は確定してくれるけど、所有権界は確定できません。

 だから、地図作製の趣旨からいえば、筆界に合わせて所有権界を定める、とすることはしちゃいけないんですよ。財産の処分の自由を犯すことになるので。所有権界に合わせて、筆界を修正、訂正、変更することは認められます。所有権界は、各所有者が自由に決めて良いことだからです。地籍簿の筆界を確認したら、それがいつかの時点での「所有権界」であるとはすることができるかもしれません。でも、その後変更された所有権界の効力を妨げることはあってはならないのです。所有権界は変更することが自由なんだから、修正や変更のための登記の測量で、新たに「筆界の予定点」と定められた点が、元の地籍簿の筆界点と異なるのは当たり前のことだからです。でないと土地の取引とかも自由にできなくなってしまいます。

追加ーー

 長野市が「境界標」としているものは、国土調査法第30条第1項における「標識等」のことなんざます。国土調査法にも、「標識等」は設置した者の物、と解せるように書いてあります。

 「標識等」をそのままの条件で「境界標」に変更するよう行政が求めることは、何の法的根拠も無く、市民の財産権を侵害することとなります。相対する市民がそのことを知らなければ、「詐欺による合意」で取消の対象です。(でも、長野市の場合、「筆界の境界」と明記してますから、公序良俗違反といってもいいんじゃないのかなあ。一方で「筆界です(所有権界ではありません)」と述べながら、標識のみ「所有権界とするように」といったら、文言が矛盾して、「所有権界なのか、所有権界じゃないのか、はっきりして」ってことになるからです。行政の公平性・透明性に違反するよね。)

 で、相手方が私のように、長野市の求めは権利のないこと、って知っている相手の場合には、「虚偽表示(民法94条1項)」の問題で、お互いに嘘って知ってるわけだから、意思表示は無効です。長野市が、お墓と里道とうちの土地の所有権界点を、筆界点の通りとしろ、って言ってきて、もし私がそれに合意したとしても、民法94条2項により、お墓の持主、その他の他人には対抗できません。無効だから。

 だから、「意味不明」って言うのですよ。宮尾さんは、なんで無効となることがあからさまに分かってることについて、私に同意を求めるのかが分からないからです。なんで、そんな無駄なことをするのでしょうか、とそういうことです。

要するにこういうことだ

 長野市のHPには、「市道等との境界立会い」には、「官民境界立会いは、公図等に基づいて、公法上設定された境界(筆界)を確認する作業であり、道水路の現況=管理幅(公物管理界)を確認するものではありません。」とあります。それなのに、同じページに、「境界標は、相隣者の共有物とされ、損なうしたり除去した者は、処罰されます。(民法229)」とある。この認識が間違ってるわけです。

 境界標は「筆界の境界」に設置すると長野市のホームページにただし書きがされているわけですから、「所有権界の境界」を示すものではなく、所有権界と強制的に一致させる権利は、各土地の所有者の合意がなければ、誰にもないのです。民法第229条における「境界線上に設けた境界標、囲障、障壁、溝及び堀は、相隣者の共有に属するものと推定する。」の「境界標」は、民法第223条における「土地の所有者は、隣地の所有者と共同の費用で、境界標を設けることができる。」にある「境界標」のことですから、「所有権者が設置できる所有権界の境界」のことであることは明らかです。共有物だから、民法第224条により「境界標の設置及び保存の費用は、相隣者が等しい割合で負担する。」となるのです。

 では、長野市が設置した「筆界の境界標」は誰の所有物なのかといえば、長野市長(西部土木事務所)の考え方によりますが、長野市長が長野市の費用で用意したくいであれば、「長野市の所有物」であると考えます。長野市が、民地所有者の合意を得て打つくいですから、「くいを打つ土地を所有者より長野市が使用貸借することで合意が成立している(民法593)」とみなすべきと思います。打った後、くいの管理を長野市が土地所有者に委託するのか、それともくいは土地所有者に譲渡することで土地所有者と合意を得るのか、というのは長野市の考え方によります。くいが土地所有者に譲渡されれば、くいに関する使用貸借契約は意味がなくなり、終了となります。くいは隣地同士の「所有権界の境界」に必ずしも打たれるとは限りませんので、所有権界に打たれていれば(あるいは所有権界のごく近傍に打たれ、所有権界を示すに相当のものである、と判断されれば)、民法229条における「共有の境界標」を兼ねることが認められる、とすべきで、でなければ「所有権界の境界標」とは別の物として、境界標が打たれている土地の所有者のものである、とすることが一番妥当だと思います。(市が境界標を譲渡するのであれば。)

 ・・・で、こういうお手紙を書くために、嵐の大花道が用意されている年末に、私はKinKi-Kidsしか見ることができない状態に置かれているわけだ-;。潤ちゃんごめん、光ちゃんすごすぎ、とそういう感想以外には、頭の中には民法と不動産登記関連の法律等しかございません。