21年11月30日

 本日は家にいて外作業のみでした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃、土掘りでした。今年の冬一番の寒さで、霜が降りていました。でも、昼から午後にかけては暖かくなりました。

 お裁縫は、つくろいもの。キュロットはゴム通しの穴の始末。ジャケットはまだまだ端糸の始末。ケープコートは後見頃の製図の途中です。

 テレビは、昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。

 今朝方なんだか夢を見て。光ちゃんが一緒にいて、「教科書ガイドは大事~」という話をしている、という夢で。お裁縫の本のことかな? と思う。珍しい夢でした。割と昔風の袖ぐりの広いシャツとかブラウスを作りたいわけですが、最近の型紙だと、どうも袖ぐりが狭い気がするので。昔の本を引っ張り出して、どう今風のデザインにするのか研究中です。最近はチュニックとか、全体の幅が広い服が流行っているのに、袖ぐりだけが狭いのはなんだか理不尽な気がするのです-;。

 長野県には生島足島神社とか、須坂の墨坂神社とか、関西と長野県にしかない神社が多いです。尾張神社も葛城高尾張と関連があるのであれば、やはり飛鳥とのつながりを感じさせます。で、墨坂神社なんかは西との関連性があるので、奉斎したのは信濃国造家ではないか、ということがWikipediaに書いてあって。特に飛鳥と関連性のある神社は、本来、出雲系ではないし、諏訪系でもないので、やはり信濃国造家との関連を思わせます。(もっとも、個人的には高尾張氏が信濃国造家そのものだと思ってるわけですが。我が家の本来の名字が「尾張」だそうだから。)で、国造家が信濃国に入り込んだのは、弥生系の人々だからして、2世紀とか3世紀とかそのくらいの時代(あるいはもっと古い?)と思うわけです。で、修験道なんかは仏教が入ってきてから盛んになるので、開始されたのはせいぜい早くても7世紀くらいだと思う。開祖と言われる役小角がそのくらいの時代の人だと言われています。舒明天皇の時代くらいの生まれ、と言われているので、その頃はまだ国司の制度がなく、各国の国造が勢力を張っていた時代だと思う。信濃国は聖高原とか、小菅神社とか、役小角が開いた、と言われている古い修験道の霊場があちこちにある気がしますし、その時代には国造家が創設に深く関わっている善光寺も確固たる地位を築いていたはず。稲荷山の長谷寺なんかは、修験道の寺でもあるけれども、開基には善光寺も深く関わっています。だから、特に北信濃の修験道の霊場には、役小角(賀茂氏の行者)、善光寺、国造家(たぶん賀茂氏の親戚筋)が開設に深く関わっていると思われます。で、戸隠・飯縄なんかは表向き九頭竜権現とか、天之手力男神とか地元の神サマとか、岩戸神話に重要な神を祀っているし、いかにも天照大神に関連があるように見える。でも、小菅の「八所権現」とは、熊野権現(伊弉冉命)、金峯権現(安閑天王)、白山権現(伊弉諾命)、立山権現(大国魂命)、山王権現(大己貴命)、戸隠権現(手力男命)、小菅権現(摩多羅神)とあって、天照大神との関連性が弱い気がするわけです。しかも、大国主を「怨霊」に数えれば、ほとんどが「怨霊」なんじゃん? と思う。そして、主祭神と思われる「摩多羅神」って、露骨にミトラスなんじゃん? 広隆寺とか秦氏って言ったら、原始キリスト教徒とか、そういう方面で名前が出てく人達であって、皇祖神からはますます縁遠くなるような気がする。小菅権現が設置された当時、神と政治の両方で、信濃国造家が北信濃で強い権力を持っていたのであれば、「キリスト教の名前を持ってるミトラス教」を信濃国に引っ張り込んで、こっそりしっかり祀っていたのは、信濃国造家そのものなんじゃないの? ミトラス教というのは「殺すことが救済である」っていうやばい思想である気がするわけですが。

 紀元前5世紀、古代ギリシャのアリストテレスという哲学者は、そもそもピタゴラス派を「やばい連中」とみなしていたと思う。なんでも「数字、数字」って言うし、だいたいピタゴラス派がミトラス教の前身みたいなものじゃん? と思う。自分を鍛えるために、運動したり健康に気をつけたりするのはいいことだと思うよ? だけど、なんで、それを実践しているからといって、自分たちだけが「特別に偉い選ばれた人間である」みたいに威張らなきゃならないのか? どこの誰(あるいは「神」)がそんな妙なことを後押ししているのか? と思う。そんなことを後押しする者は「神」と名乗ってても「神」ではない。その正体を暴いて、人々に警告を与えなければいけない、とアリストテレスは思ったかもしれない、と思う。あるいは、その正体は知っていたけれども、黙っているしかない、そういう力しか彼は持ってなかったのかもしれない。だから、正体を暴くだけの力が欲しい、と彼は思ったかもしれない。そして、今、私はピタゴラス派の集大成ともいえるミトラスを引っ張り込んで、こっそりしっかり祀っている「とある家」を見つけた気がする。そもそも、「殺すことが救済である」っていうのがそこんちのモットーではないのか、と思う。要は彼らが「神」として後押しして、ピタゴラス派とかミトラスとか作ったのかも?? とか思うわけですが-;。表向きは「殺すことが救済である」というのは、殺される人のことである。正しい神を信じないから殺して救ってあげる、みたいな「大きなお世話」な理屈で人々は殺される。ピタゴラス派の思想もそうだった気がするわけですが、「正しい神を信じ、実践する者だけが偉い者」なのである。でも、実際に救済されるのは、大規模な災害とか戦争とかがあれば、その後には「再建」ということが必ずあるわけだから、土建屋とか大工とか、そういう人達だけが救われるんじゃないの? と思うわけで-;。この世界には、土建屋とか建築屋とか、そういうものの上に君臨して、「破壊と再建」を繰り返してもうける神サマがいるような気がする-;。要するに何かを「終わり」にしないと、再建もできないので「終わりにしよう」さんですか? と思うわけで。どうりで市役所の建設課とかが「真っ黒」なわけだ、他の課はそこそこ大抵親切なのにー、と思う。というか、アリストテレスは恐ろしくてそういうことも口にできなかったかもしれないけれども、あたくしはその程度のことは「想像してしまう」ということくらいは表明できるわけだ-;。

 自分の「目」で「諸悪の根源」を確かめて観察するためだけに、何度も転生を繰り返して、1500年もかけて、性別すら変えても構わない、と思う、というか、そういう人って存在するの? と思う。私には、そういう人の気持ちも良く分からない-;。でも、アリストテレスは何でも「観察する」ことが大得意であったらしい。私も自分の周囲の「妙な状況」とか観察して、分析して追求することは得意でここまで来た気がするわけですが。摩多羅神とか、よくよく「あれー?」と言うモノをようやく見つけた気がするわけですー;。
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 1杯目。1/3強が石分。