23年8月31日

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 昨日は埼玉塚田三嶋神社、赤浜出雲乃伊波比神社、小被神社、壱岐天手長男神社、波羅伊門神社、稲乃比売神社、宗像神社、児玉神社、群馬野栗神社、一幡神社を参拝してきました。寄居の辺りは、古くは出雲系と思われる神社があるのですが、後に九州方面から移住した人が多いのか、壱岐天手長男神社は壱岐国(長崎)の一の宮からの勧請、宗像神社も北九州から勧請されたとのことです。群馬の神社は帰り道に寄ったのですが、稲含神社という古社があって、その辺りには独特の修験道的伝承があるようで、貫前神社も関連するようです。荒船山もそうだったけど、インドから来た姫君が産業を持ってきた、という伝承があるようで。山を越えて長野県の方にも微妙に影響がある伝承なので、金刺氏がそもそも最初に持ってきた仏教から、そういう話を作り出したのかなあ? と思う。自分たちはインドから来た、と言っていたのでしょうかー;。

 あと、寄居SAの近くの神社に児玉神社というのがあって。最初は行く予定になかった神社だったのですが、「土地の名前のついた神社は重要かもしれない。」と言われる気がしたので行くことにして。そうしたら、なんだか「義民」がどうの、という道路標識が出てきて「むむ?」と思う。そうしたら遠藤某という義民が児玉神社に祀られていて。業績も石碑に残されていて、なんでも2月13日に処刑されたとあって。だいたい、なんで処刑された日をわざわざ書くのか?? と思うわけですが-;。・・・どうもその御霊は須佐之男のように泣きわめく御霊ではないのか、とふと思う。だから呼ばれたのではないでしょうか。

23年8月29日

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 どうも、「印欧語族の文化といえば、埼玉北西部には泉(湧き水)と女神を関連付けている神社がちょこちょこあるでしょ。小泉と女神を関連付けるのも印欧語族の文化の特徴だよ。」と言われる気がするわけで。言われてみればそーだ、カモカモさんたちは犀竜のように比較的大河川や大きな湖と竜蛇女神を関連づけしたがる傾向があるけれども、小さな泉の女神に対する信仰はそれとは対照的である。泉の女神信仰はアジアというよりはヨーロッパの印欧語族の信仰で非常に盛んだった印象があるわけで、現代の「ルルドの泉」に通じるものじゃん? と思う。でも、その信仰の源流は印欧語族がアジアとヨーロッパに別れる前から持っていたものなんだなあ、と思う。アジア方面ではゾロアスターのアナーヒタ女神とかインドのサラスヴァティーとか、結局、大きな川の女神へと変化していきますものね、と思う。細かいところにも探せば「出雲らしい文化」は田舎に残っているんだなあ、と思う。

 あとは、旅もそろそろ大まかには「締め」の段階なので。最終目的地がどこなのか、あれこれ調べております。古い式内社を巡る理由は、そういうところを最初に開拓して、最初に神社を造った人達が物部氏系の人達が多いので、彼らに結縁するという目的が大きいんじゃないか、と最近思うようになりました。

 ・・・だいたい、未開の土地を開拓して、原住民ともそれなりに仲良くして、祭りと政治の形態をようやく作り上げた、と思ったら、上の方が「仏教」とか持ち込んで、「今度はこれを拝め。」とか言い出して、なにもかもぶち壊しにしようとするわけだから、揉めないわけがない。どうみても、「仏教」とは物部氏を弱体化させるための方便だし、だいたい「修行して死んだら仏になる。」のではなくて、「修行して死んだら天狗になる。」とかっていうわけの分からないものじゃん?? この国にそんなのを持ち込んできたのが誰かって言ったら金刺氏じゃん? と言われる気がするわけで。・・・だいたい、信濃国水内郡の金刺氏、たぶんうちの先祖か、それにとっても近い人物だねえ、と思う-;。しかも、自分が直接戦うのではなくて、聖徳太子とか利用して物部氏の頭領を倒させたわけだ。

 ・・・思えば、あたくしの神社巡りの旅の最初は、海部氏の籠神社(と宇良神社)、その次が石上神宮だから、最初っから2次機能の頂上の2つの神社に呼ばれてたのねえ、と思う@@。結局東の果てで私が古社を漁って、古い神々を掘り出す旅をするのも、その時からの運命だったんだなあ、と思うわけです。だいたい「いろんな声」が聞こえてくるようになったのは籠神社の摂社である真名井神社に行ってからだもんね-;。

 テレビはかなり昔の「FNS歌謡祭」の録画を見ています。

23年8月28日

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私はお休みでした。

 買い物は通常の買い物の他、ちょっと遠くに買い出しに行ったり、車の十二ヶ月点検に行ったりでした。

 テレビはかなり昔の「FNS歌謡祭」の録画を見ています。

23年8月27日

 昨日は埼玉所沢熊野神社、所澤神明社、東京東村山八坂神社、尉殿神社、東伏見稲荷神社、三鷹杵築大社、野崎八幡社、虎珀神社、布多天神社を参拝してきました。本当は府中方面を回る予定だったわけですが、所澤ICから降りて一般道で府中まで行くので、「道中の神社も寄るように。」と言われる気がして。式内社は虎珀神社、布多天神社でした。

 所沢熊野神社、所澤神明社は所澤では有名な神社らしくて。熊野神社は「大蛇が出没して悪さをしたため、祀って祟らないようにした。」という伝承があるそうで、鳥居に大蛇(龍)の注連縄が巻かれていて。「うーむ」と思う。そもそも、かつての武蔵国が主に埼玉県と東京都(一部神奈川)に別れてしまっているのも不思議でしたが、武蔵国を開拓した武蔵国造家は出雲系と言われていて。実際、彼らの中心的神社である氷川神社には「出雲の神々」と言われる神々が祀られているし、賀茂系に比べれば女神信仰も微妙だけれども残されている。だけど、私が思うよりは「出雲らしさ」が少ない気がするわけです。私の思う「出雲らしさ」とは乙子狭姫のような「女神+鳥神」あるいは「天女」が活躍するような伝承であって、出雲らしい、というか、日本海文化圏の女神信仰的な文化を指すわけです。一般的には「出雲らしい」とは必ずしも言わないかもしれないけれども、そもそも出雲は日本海側にあるのだし? と思う。そして、あんまり出雲らしさは感じないけれども、東海地方的な「とりあえずなんでも捕まえて殺しとけ」みたいな、凶悪な人身御供文化の「どう見ても祟り神」な大国主命を始めとした出雲の神々とも何か違うわけで。女神についての細かな伝承もちょいちょい残っていますし、そういうものに対する敵意も東海地方の出雲系の神々ほど強くはないわけです。だから、出雲系の「出雲らしさ」とは、出雲>武蔵国>東海地方、と感じるわけで、普通本国を離れるほど「らしさ」は失われるものなんじゃないの? と思うと、関東のほうが、まだ「出雲らしさ」が残っているのが、それもまた不思議な気がするわけです。

 で、「蛇神が出没して悪さをする」というのは、若干「ヤマタノオロチ」的ではありますが、これが「出雲的」かといえば必ずしもそう感じないわけです。というのは、武蔵国造家の本拠地である鴻巣の鴻神社には、「コウノトリの女神が子供を守るために邪悪な蛇を倒した。」という伝承があるからで、「悪者を倒すものを祀るのが正しいのか」、それとも「悪者を直接祟らないように祀るのが正しいのか」という相反する思想的な問題があるからです。所沢熊野神社は中氷川神社に関連するらしくて、武蔵国造家の影響があったことがうかがえるわけですが、武蔵国造家の勢力下に思想的に対立する2つの思想がある、というのは奇妙に感じるわけです。

 というか、そもそも鴻巣の「母女神であるところのコウノトリの伝承」は、個人的には「これこそが出雲」と思ってるわけで、回りに賀茂系のわけのわからん祟り神とか、東国で盛んだった怨霊とかゴロゴロいるのに、「なんでここにだけ中央アジア?@@」と思うわけで、これはイラン・インド系のごく古い「母なるシームルグ」の伝承そのまんまであって、中央アジアのイラン・インド系の少数民族であったら、今でも語り継いでいるかもしれない、という部類の話なわけです。そして、イラン系とインド系の文化が分裂するよりも前にその起源は遡るわけで、これがイラン・インドに別れる時代になると、イランはイスラム化されますので、シームルグは「母女神」としての性質を失い、雌でもなくなり、「英雄を助ける霊鳥」のような存在になります。「王書」とかでは。で、インドの側では悪しき蛇と戦う鳥神ガルーダへと変化するように思いますが、こちらでも女神では雄の鳥になります。でも、その大元の起源は回り回って、うっとこの嫦娥娘娘じゃん? と思う。ともかく「出雲族」と呼ばれる人達が、ごく古いイラン・インド系の文化を持つ人々であった、その文化はイスラムよりも古いことは言うまでもなく、ゾロアスターよりも更に古いイラン・インドの文化に起源があるもの、なわけで、武蔵国造家の本拠地にその伝承がある、ということは、それが武蔵国造家の出自である、ということなのだと思うわけです。しかし、「シームルグが英雄を助ける母女神(日本神話で述べるところの倭姫のような女神)」である、という部分は失われたのか、あるいは意図的に削除されたのか、と思います。たぶん、性質が賀茂系が造った神話の「倭姫」と競合するので、強制的に削除させられたのかなあ、と思う。うっとこの先祖は自分の都合に併せて、そのくらいのことは平気でやりそうじゃん? と思う。

 というわけで、「祟り神を祀って誰が儲かるのか。」と言ったら、祭祀者である。しかも、「祟りを軽減するために人身御供を捧げろ。」って言いやすくなるし。所澤の熊野神社は武蔵国造家の関連施設であるにも関わらず、「賀茂の一次機能(祭祀階級)」によくよく遠慮している伝承が残ってるし@@。ごめんよー、というのが本音である-;。

 で、関東は比較的新しい開拓地であるので、中世以降の領主などが招いた新しい神社も多く、村山八坂神社、東伏見稲荷神社、三鷹杵築大社はむしろそっち系である。だからあんまり古氏族の文化は感じない。だけど、村山八坂神社だけ境内内の空気が「外」と何か違う、と感じる-;。この日疲れたのは、暑さのせいではなく、ここのせいだと思うくらいであるー;。

 で、府中ではなくて「布多・田無関連」。田無神社はそもそも「尉殿大権現」といったらしい。所澤神明社にも似たような名前の神が「地主神」としているわけです。で、尉殿神社は田無に近い神社なわけですが。「尉殿」って何だ? と思う。他の地域では聞いたことないですし。しかも水神だの風神だのと言って、あまりその本性が定まっていないのは、本来は祭神がシナツヒコではないから、だとしか思えない。で色々な情報を総合するに、「尉殿」とは「十殿」のことで、それは弥生のイタリアン・秦・マフィア・オブ・ローマン・カトリックのことではないか、とと思う-;。・・・イタリアン・マフィアの神サマがこんなとこにいるし。「十」であることも露骨に隠してないし、隠す気もなしだねえ。これはキリシタンとして捕まえて火あぶりにしないといけない案件では、とふと思ったりするわけですが。古代の武蔵野はよくよくのど田舎だから正体を隠す気もなかったらしい-;。

 で、布多。本来の祭神は「天神としての少彦名命」である。それは、そこにいたのが多氏とかうっとこの一族郎党に近い人達であったことがあ分かる。だって、それはうっとこの「祖神」である。でもこの神社は古くは「古神社」といったらしい。しかも「ふる」が転じて「ふだ」というようになったと思うのが普通である。というか、「古主」転じて「布津主」を奉じるのは物部氏なわけで、それは本来は石上系(東国では香取系)の神社であったと思われるけれども、多分時代が下ると多氏と秦氏が入りこんできて、権力を横取りして麻を作って麻薬の一大生産地にしてしまった名残であると思う。そして、最初から「天神」として「少彦名命」が祀られていたのであれば、多氏と物部氏は同祖であり、「同じ天神」を祖神としていたけれども、後に上位の多氏が「少彦名命」をとり、下位の物部氏には「ウマシマジ」が割り振られたものと分かる。ということで、所澤の西にある「北野天神」には物部の天神であるウマシマジの名が残され、「布津」の名を擁する「布多」の方には少彦名命が残されたけれども、どちらも最初に創設したのは物部氏であり、上の都合であれこれ書き換えられたものと思われる。

 ・・・・となると、武蔵国造家は埼玉北東部から南西部に至るまでの勢力を有していても、弥生時代には、その南に中国東北・多・マフィア+イタリアン・秦・マフィア・オブ・ローマン・カトリックの一大麻薬生産拠点があったわけで、マフィアのやっていることが悪事だと分かっていても妥協も協力もせざるを得ない。だって中国東北マフィアの多氏の方が身分が高いし、同族の物部氏にも容赦ない連中だし、協力をせねば武蔵国造家が危うい、ってそーゆーことだよねえ? ねええ?? と思う-;。それでもなおかつ、鴻巣にだけ「何が悪事で何が正義か。」という彼らの古くからの根源的な思想がポツンと残された、それを残すことに武蔵国造家は全てをかけてきた、とも想像してしまうあたくしであった。でも、「悪しき蛇を倒す英雄」の伝承は残せなかった。その英雄をうっとこの一族郎党のお偉いさん達はよくよく邪魔に思っておって、あちこちに「二度と生まれ変わってくるな」っていう呪いがしこたま残っているように思うからであるー;。・・・ご先祖様だぜ? ・・・ご先祖様の槃瓠ちゃんがいなかったら、お前らもいないんだよーーー、とむなしく思うあたくしなわけですが-;。ともかく、シームルグが助けた英雄の伝承を残しているのは東国では武蔵国造家じゃないのである。それはむしろ物部系、ということで。カモカモさんたちの一次機能の多氏系と二次機能の頂点にある物部氏系では、元は同じ祖神を擁していたにも関わらず、その後の「血で血を洗う」ような対立っぷりと憎悪がすごいぞ、と西東京の古社を巡って思ったあたくしである。でも、ともかく物部氏系の人々は、ご先祖様の槃瓠ちゃんが大好きで、かつ聖徳太子が大嫌いな気がしてならないので、あたくしが聖徳太子と敵対している限りあたくしの応援をしてくれそうである。ということで、「ウマシマジ」の名前を槃瓠ちゃんにあげてもいいよね? と聞かれる気がするわけですが。ほほほほほ、あたくしが反対するわけないじゃん、ということで。旅はまだ続きます。
 

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 テレビは昨夜は「VS魂」の録画、今日の昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。

23年8月25日

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 テレビは昨夜は「VS魂」の録画、今日の昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。