21年4月8日

 本日は出かける用事もなく、一日(だいたい6時間くらい)外作業をしました。母親は土の埋め戻し、土掘り、土の清掃、石の片付け等、姉は土の清掃、私はハツリ、土の清掃、土掘りでした。

 テレビは、昨日の夜と、今日の昼で「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。
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 本日のハツリ。

21年4月7日

 本日は母親を小谷医院に連れて行きました。GWにかかるので、薬もいつもよりも多めに貰って。で、今日は慢性腎臓病のパンフレットを持って小谷の姉さんが待ち構えていて、色々と丁寧に説明してくれて、親も「分かりやすかった」と言ってました。(私は知ってることだから、何とも・・・。適当に聞いてたら、「その調子で学校の講義も聞いてなかったでしょ」と言われる気がしたわけですがー;。)で、何が言いたいのかと思ったら、「脂質の値も高いので、高脂血症の治療も必要だと思います。」と言われました。母親にも、できれば高脂血症の薬を飲ませたい、と思っていたので、早速処方して貰ってきました。ロスバスタチン、という薬で、調べてみたら効果も強く副作用が少なく、評判の良い薬らしいです。低容量から開始して、血液のモニタリングもして貰えることになりましたし、やっと普通の病院らしくなってきた気がします。だいたい、薬を投与するのに、なんであちこち紹介されなきゃいけないのか、と思う。姉も高脂血症の薬を飲んで体調が良い感じですし、効いてくれれば良いな、と思います。

 作業の方は、母親が土の埋め戻し、土の清掃、石の片付け等、姉が土の清掃、私が土の清掃、土掘りでした。お出かけしたので、ハツリはお休みしました。

 最近は出かけて、暇な時の時間潰しに柳田国男の「一目小僧その他」を読んでいます。特に意図はなく、「秘密の花園」を読み終わって、たまたま次に手に取ったのがこの本だったから読んでいるわけですが。民俗学に関する本はやはり興味深いです。柳田によると、日本には「一目小僧」という山野の妖怪、というか神のような存在があって、これは一つ目なだけでなく、片足であることが多いとのこと。で、上は記紀神話に「天一目箇神」という神がいて、もっと一般的には広く「御霊神社」というものが各地にあり、そこには戦闘とか事故で「片目」になった人を神として祀っていることが多いらしい。事故の例を挙げれば、昔の誰かが栗の木の枝で目をついて、片目になったので、その人を神として祀ると共に集落に栗を植えなくなった、というような伝承があることが多いらしい。で、神社には神池があって、そこに住む魚は神の現し身でもあり、片目であって食用も禁忌とされることがあるらしい。要は妖怪である「一目小僧」の原形である「民間に流布している神」とは、片目(片足)であるだけでなく、植物と魚と食の禁忌にも関しているものなのである。柳田は、これを昔の人が、祭祀の際に、犠牲に捧げる人を聖別するために、あらかじめ片目片足にしておいた名残なのではないか、と考察している。そしてまた「御霊神社」の中には、泉のそばなどに人の生首を埋めて神とした、という伝承もある、と書かれている。そして昔の人は必要に応じて「御霊」というものを生産しただろう、とも述べている。で、私はだいたい前半の1/4くらいまで読んだわけです。

 柳田の民俗学は、だいたい国内の事例の考察が多くて、グローバルな視点での考察は少ない。柳田が昭和初期の戦前の世界の人でもあるから、それは仕方のないことでもあるのですが。私のように、西洋の民話を多くかじっている者には、「片目片足」と言われると「半分男」とか「半分鶏」とかそういう民話が真っ先に浮かぶ。現実では人や動物が半分になったら生きていることはない。でも、民話の中では、彼らは魔法的な力によって半分にされることが多く、半分になった後も普通に生きている。否、普通の人よりも魔的、霊的に特別に優れた才能を持って生きて、結局は成功することが多い。中には魔法の力を使って、再び五体満足に戻る者もいる。日本の一目小僧や片目片足の神も、霊的には普通の人よりも優れていたり、特別な存在である。

 そして、中国を中心とした東アジアには「目」に特別な力が宿る、という思想があり、「道」を作るのに、人の生首を埋めて土地を清めたという風習が古代には存在した。蚩尤や八面大王のように、特別な者の死体をバラバラに埋めて、再生を阻むと共に、神となして利用した、という歴史もある。蚩尤の血からは楓が赤く染まった、と言われるように、彼らの死は植物の化生とも関連する。

 要するに「一つ目の神」の伝承は、かつて魚や植物の豊穣のために、人をバラバラにして生贄に捧げた名残であると思う。特に「目」に力があるとされたので、「目」が魚や植物と言った食料に化生すると考えられていたのであろう。そうすると、神池の片目の魚は、犠牲が失ったもう一方の「目」の化身ともいえる。これが時代が下って、生贄の儀式が禁忌とされるようになると、

「栗の豊穣には生贄の儀式が必要」 → 「でも生贄は(おそらく政治的に)禁止された」 → 「じゃあ、栗を食べるのを止めれば、豊穣の祭祀もしなくてすむし」 → 「栗も食べちゃいけないことにしよう」

となったのだと思われる。それで、それまで食用で重要な食べ物であった植物や魚は、逆に食用禁止とされた。食用禁止であれば、豊穣の生贄の祭祀はする必要がないから、である。

 ・・・・要するに、「片目片足」の神とは、バラバラにされて半身を失った生贄のことで、これは里芋を主食にしているハイヌウェレな人々の文化なのでは。日本では稲作が入ってくる前の縄文の農耕時代における、里芋を「母神」としていた月信仰の、実に「日本的」な名残なのでは、と思う。生贄は禁止されたけれども、非業の死をとげた者、バラバラになって埋められた者には、特別な霊的な力が宿る、という信仰は後に残された。それが、一目の「御霊」であり、一目小僧なのであると思う。それはいいのだけれども、「御霊」というものは人為的に生産された、という歴史は比較的新しいところまで残っているわけで。桓武天皇が、井上皇后、他戸親王、早良親王を非業の死においやり、京の都の守護として「御霊神社」を作ったというのは、よくよく歴史的に有名な話なのでは、と思う-;。

 で、ふと思ったわけですが、嵐は一応解散はしていないわけですが、今表に出ているのは翔ちゃん、二宮君などで、潤ちゃんと大野君は隠れてる。まるで、今の嵐こそが半分しか露出してなくて、「片目片足の神」のようだ、と思って。かくの如き「ハイヌウェレ的現象」の意味は? と思う。バラバラになった一つ一つの役割は、「神が外に出るための道を作り、守護すること」でしょ? と言われる気がする@@。・・・・だいたい、なんでも呪術なんじゃん? と思う。「ブンブブーン」では、剛君が光一君のことを楽しそうに「じじい」呼ばわりしてるしー、と思う-;。

 で、今日親の用を待っている時に、買った雑誌を読んでいたわけです。そうしたら、ふっと誰かに「不安に思うことが多くても、泣かないで頑張れ」と言われた気がして。「ん?」と思って雑誌の頁をよく見たら、廉君がいた@@。不安というか、ともかく「待つ」ことは嫌いだし苦手なのです。早く請求が来て、お金を払って楽になってしまいたいのです;。暇な時は、封筒の研究とかして、気を紛らわしています。