本日の日誌その2

昨夜は福山君の不定期音楽ドキュメンタリー「SONGLINE」があったので、録画しておいたわけです。で、日曜日はだいたいいつも「嵐にしやがれ」の録画を見るのが恒例なわけですが、でも、やっぱり今日は「SONGLINE」を見なければ駄目でしょ、と思ったので、6番目の子に「ごめんね;」と思いながら見たわけです。

でもって、今回はブラジルということで、ブラジルと言えばリオのカーニバルとかサンバが有名な音楽なわけですが、そのルーツを辿る旅? みたいなそんなノリであったと思うわけで。で、そこから派生した都会的な太鼓隊であるオロドゥンというグループと福山君がセッションする、みたいな、そういう内容であったわけで。

だいたい、そもそも太鼓とかの打楽器は雷の音を模したものですし、そういうものを用いた熱狂的な祭祀というのは、神に捧げる生贄を焼き殺す時に、その際の断末魔の叫びが聞こえないようにするためのものなんじゃなかったっけ? と思うわけで。カーニバルなんて、生贄の葬式の祭礼そのものっていう気がするわけで、最初っから「ううむ」と思ったわけですがー;。だいたい、音楽とか文化的なことに傾倒するのは良いこと? なのかもしれませんが、でもブラジルとかは治安的にもシビアなところなんじゃないの?? と思うわけで。そういうものがあったからといって、人々はけっして豊かでも幸せなものでもない気が、個人的にはどうもするわけで-;。

で、番組とその後のWikipediaの補足(潤君の大好きなWikipediaであるわけですが-;)を見る限り、サンバというのはアフリカ系の音楽が起源になっているカンドンベという音楽から発展したもの、ということのようで。主にはかつてアフリカ大陸から連れて来られた奴隷の子孫の人達の音楽なわけですが、ヨーロッパの音楽の影響なんかも受けて成立したもの、ということで。まあ、人というものは割と混血しやすいものなので、その人達は純粋なブラック・アフリカの子孫ではなく、ローマ人やそれ以上に新大陸の先住民と混血している人達だから、一見するとどちらの味方の「目」を持っているのか自分にも見極められない人がいる、って兄さんに言われる気がするわけで。

でもって、カンドンベを演奏する人達は、カンドンブレという宗教結社を組織していて、教会にも通うけれども、カンドンブレの教会にも通うという二重の宗教性を有しているようで(カンドンブレという言葉はカンドンベ+イレ(家)という造語らしくて)。で、教会でもミサでカンドンベを演奏しているということだから、表向きはカトリックでも、宗教的には事実上カンドンブレ優位な人々なのだと思うわけで。でも、サンバっていうとそういう民族的かつ宗教的な枠を越えて、ブラジル全体の祭り兼音楽みたいな感じになる気がするわけで。で、カンドンブレを組織している人達は、アフリカのヨルバ族出身の先祖が多い人達ということで。でも、その人達は割とネイティブの血も引いてますよねえ? という気がするわけで、私のことは「シカンの残虐さに共鳴する目を持ってる」って言って興味を持っていた気がするわけで@@。だいたいそもそも「ヨルバ族」というのは、デーヴァのことだし、カンドンブレというのは「輝ける雷熊」っていう意味ですよねえ? と思うわけで。ヨルバ族は海沿いの部族(すなわち海の交易路の部族)だから、地中海周辺式の子音の変化の法則がそのまま使える人達ですねえ? と思って。だから、その人達は熊の雷神信仰の人達だし、ローマ人が彼らを「奴隷」としたのは理由のないことではなくて、元々「同じ熊の神」の子孫だから、彼らの法則に則って、強者が弱者を食い物にしているだけなんですねえ? というか、そういう点で文化が共通していて、操りやすいから操る対象にしているのでしょ? と思ったわけで。ともかく、教会で生贄を捧げる時用の音楽を公然と神に捧げていること自体、剣呑なのではないの? という気がするわけで。言われたことは、「人なんてどうせ死ぬものなのに、なんで生贄に捧げてはいけないのか?」ということと「シカンの神と同じ目を持っていて、生贄を捧げられた方が自らの「目の力」が増すと分かっているのに何故生贄を否定するのか?」ということだった気がするわけで@@。だって、別にそういうものを貰ってまで自分の「目の力」を強くしようなんて思ったことないですし、人が人を食べるなんて言う共食いは駄目でしょ、と思うわけで。「何故?」ってずいぶん聞かれた気がするわけで@@。結局、中のまとめ役みたいな人が、「それは結局仏教っていう新しい思想の影響だねえ。」って言われた気がするわけで@@。「このあたりには仏教になじみのある人が少なくて、失礼したね。」って言われた気がするのですが@@。ともかく、そこの人達は、ローマは嫌いだけれども、味方をするかどうかは代理人相手ではなくて、私の「目」を見て決める。ローマより強い神かどうか見極めなければならないから、とのたまったらしくてですねえ?? 是非とも映像を見て貰うように、と兄さんは言いつかってきたらしいのですが。どうにも、その辺りは未だに人の命が安くて軽いので、何故生贄というものがいけないのかを、納得しない人は大勢いるって言われる気がするわけで-;。だいたい、ネイティブ・アメリカンの文化はシカンやインカの如し、支配者であるラテン人の文化はローマの如し、中でも一番ワールドワイドな標準の思想を理解しているのは、交易路として各地と交流していた西アフリカの文化のみ、ということで。どうにも、ローマが嫌いでも好きでも、それとは関係なく生贄というものそのものを肯定する傾向は非常に強い、ということらしくて-;。仏教徒とかゾロアスター的な部族間の平等とか公平という概念がまだ今ひとつ浸透していない、ということらしくて-;。

でもって、最後にオロドゥンというカンドンべを基にした太鼓隊だ出たのですが。そもそもオロドゥンというのが、何なのかというとカンドンブレはれっきとした多神教であって、彼らの最高神をオロドゥマレあるいはオロルンというので、そこからとった名前だと思うわけです。オロドゥンの子音は「BBTN」ですし 、オロルンは「BBN」ですから、それは要するに「婆女神」という意味であって、北欧神話のオーディンと同じ子音だと思うわけで。俗っぽさの塊のサンバはともかくとして、カンドンブレはれっきとした宗教的祭祀の音楽で、太鼓を叩いて神を下ろす北方方のシャーマニズムと文化的には非常に近縁性の高いものなのではないの? と思うわけで。狼信仰と熊信仰の神さまだ、それ、と思うわけで-;。だけど、オロドゥンというのが、カンドンブレの最高神の名前だって、なんでテレビで一言も言わないのですか? そんなことはWikipediaを読めば誰でも分かることなのに? と思うわけで@@。

最後に出て来た太鼓隊はそもそも、最初は男子しか参加できなかったとか言ってましたし、着ているTシャツに「目」がついてましたし、敵でしょ? と思うわけで。それが彼らの謎かけかー。オロドゥマレあるいはオロルンという名前の本質を自ら使っている言葉で語ることができるか否か。普段、治安の悪い所で第三者の目に触れさせること無く行われる「神との対話」をわざわざ「盲目で聾」の神にテレビを通して見せた理由はそれなのですねえ。直接「神」と対話したかったんだ? と思ったわけで。敵に奪われた「神の名」を見抜いて、取り戻して欲しい、「同じ名」を持ってる神に、ということで。その名前を貰っても、シカンの神のようなご期待添える神サマにはあんまりなれないし、なりたくない気がするわけですがー;。っていうか、その神サマは古式ゆかしすぎて、現代社会生活にはなじまない気がするわけで-;。っていうか、あれは非常に神聖で重要な祭祀ではないですか。わざわざ見せて下さったのに、普通に何も考えずに見ていて申し訳ありませんでしたねえ、と思ったわけで-;。微妙にヘンな構成の番組だったね? と思ったのですが-;。でも、やっぱり向こうの人のお見立てでは、北東アジアの人はブラック・アフリカの人よりもネイティブ・アメリカンとの方が血筋も文化も近い、ということで単独だとブラック・アフリカからの声が届きにくい、ということで。自分達は両方の血を引いているから、ブラック・アフリカからの気を中継してあげよう、って言ってくれているらしいのですが。

でもって、結局、外構の設計図を書き直さなければならない、とそういうことのようなのですがー;。まあ、なんとかなるでしょう、ということで。でも、施工できないような設計図なら、工務店の方もいつかはこちらに言わなければならないわけですから、どのみちいつかは気が付いたことなのだとは思うのですが。

明日は明日で、「Bros.TV」の生放送があるわけなので、それも楽しみなわけなのですが。