本日の日誌

昨夜は夢を見て、なんだか自分の学年だけ、小学校の卒業式をしていない、とかで同級生がかき集められて、その年に卒業する子供達と一緒に卒業式をすることになって。でも、自分の席についてみたら、周りは何故か高校の同級生ばかりで。で、何故かその式を二宮君が取材に来ていて、会うという夢を見て。で、童話だか神話の本を買ったら、その本の解説を何故か福山君が書いていて。それを大切にとっておくように、って言われたという夢を見て。目が覚めてから、これはやっぱり、買って家に入れた本を大切にとっておくように、っていうことなのかなあ、と思って。

で、今日は昨日放送された「X JAPAN」のSONGSを見て。YOSHIKIも、すごい存在感のある人、というか、強い目の力の持ち主だな、と思ったのですが。で、昔懐かしの映像なんかもけっこう流れていたわけですが「Forever Love」が良く流れていた気がして。確かにX JAPANを代表する名曲だと思いますけれども、他にも曲はあるし? と思ったわけで。そして、彼らはやっぱり全体的に蛇の兄さんに同情的な気がするわけで。なんでだろう? と思ったのですが。そういえば、ボーカルのTOSHIが抜けたのはいつだったろう? と思って、調べたのですが。彼らが、いったん解散したのは1997年だそうで、その時のことは割と話題になったので覚えているわけです。で、そういえばその時期というのは、私が大学病院にいた時期だったなあ、と思って。そういえば、その2年間は、福山君は休業してお仕事をしていなかったわけで。だから、福山君も、X JAPANも若かりし頃の「全盛期」というのは、まず私の大学時代にそのピークがあったわけで。その時代に頑張りすぎた人達は、私が彼らを選ばずに敵のところに行ってしまったので、負けたことになって、表の仕事がいろいろとやりにくいような状態におかれたのかなあ、と思って。それで、一番大変で苦労な時代をお互いに知っているから、彼らは割と蛇の兄さんに同情的なのかな、と思ったわけで。そして、やっぱり若かりし頃のYOSHIKIって、紅白に出ている時とか、どことなく焦燥感を感じさせますよねえ? と思うわけで。その後、いろいろとあるわけですが、X JAPANが再結成されたのが2007年、福山君がガリレオとかのヒットで頭一つ抜きん出て来た感があったのも2007年、嵐が大ヒットを飛ばすようになったのも2007年、AKB48がお茶の間でも有名な存在として台頭してきたのは少し遅れて2009年、ということで。お味方の人達は、私が敵から遠ざかれば遠ざかるほど、露出も活躍も増えて来たような気がするのですが。でも、X JAPANの解散は知っていても、福山君の休業は知らなかったよ-;、ということで。気の毒な感じではあったのですが。

で、月末は恒例のBros.TVがあるので、例によってサンプル版だけ見る予定であって。で、だいたいBros.TVだけでなくて、今までのライブの中から抜粋した曲も何曲か無料でインターネット上で公開されるので、それも割と楽しみにしているわけで。先月は「東京にもあったんだ」がツボだったわけですが。今月は、2011年の年末の大感謝祭の中から「Dear」が選曲されていて。これは「生きてる生きてく」のCDに収録されている「Dear」と同じ音源なわけで。この曲は、いろんな騒ぎが始まった時からずっと引っ張られていた曲であって。で、夜寝ながら聴いていて、まるで慟哭しているように聴こえた時もあって。ずっとどんな表情で唄っていたのか見て見たいと思っていたのですが、ネット上ではその動画が見つからなくて見られなくて。で、見て見たら、すごく気持ちを込めて唄っていて、もうその時にはCDに収録する予定であって、丁寧に唄っていたんだな、とそう思ったのですが。どうもBros.TVの予告を見た限りでは、ちょっと元気がない感じで、なんだか眉間にしわ寄せて歌を唄っている気がするわけで-;。(髭を生やしているのは、映画を撮影中で役作りのためらしいのですが。いろんな意味で「どんな役なんだろう@@」って気になる感じではあるのですが;)

で、今日はお手紙の長い部分をせっせと書いていたわけで。もう、心に思っていようが、いまいが、「書くべし」と言われたことをひたすら「書く」ということで。嵐の兄さん達からは「毒を喰らえば皿まで」って言われる気がするわけで-;。書き終わったら、割といろんな人から「お疲れ様」って言って貰った気がするのですが。

まあ、今日はそんな感じの一日だったのでした。

本日の日誌

今日は書類の見直しをちょっとしたり、本の整理をしたりしていたわけで。最後に注文した「ローマ神話」の本も届いたわけで、これで本を買う作業も一段落かな、と思うのですが。でもって、梁・桁を移動するのであれば、できるのであれば北側に移動するのではなくて、南側に移動した方が良いって言われる気がするわけで。そういう細かいところにも従兄弟の呪いがかかってるんだーー、と思ったわけですが。

でもって、次回にはちと長めのお手紙を書かなければならない、ということで、今のうちから下書きをしておくように、って言われた気がするので、せっせと書いていたわけで。で、いろいろなことを考えていたのですが、西洋の方が「養子」という制度は割と盛んな気がするわけで。その理由の内には、「養子を貰って育てる、ということは社会的地位の高い人がするもの」っていう古来からの暗黙の了解の文化があるからなんだなー、と思ったりしていて。そして、イタリアも古来から人は住んではいたわけですが、ローマを建国したと言われるロームルスとレムスの双子は、狼の乳を飲んで育った、と言われていて。男系の思想が強いところでは、女性の地位が低くて、「母親」であることはあまり重要視されないのですが、その代わりに、より社会的地位の高い女性が「養母」になることが重要視される傾向にあるようで。子供は、誰が産んだのか、ではなくて、誰が育てたのか、が大切だという思想なのだと思うのですが。ともかく、「狼」が示す女神は何なのか、と聞かれる気がするわけで。ローマにおける「狼の女神」とは、ギリシャ神話におけるアルテミス、トラキアのベンディースのことだと思うのです、ディアーナのことだと思うわけで。ローマという都市の神であり、母性と母親の神はユーノー女神なわけですが、王権者を養育して守護する女神であるディアーヌの方が、思想的な神格はユーノーよりも上なんだ? と思うわけで。でも、ローマという「都市」に限っていえば、他の地中海沿岸地域と同じく「主要三神」というものを擁しているわけで、それが主神ユーピテル、その妻のユーノー、彼らの娘のミネルヴァということになっているようで。で、雄牛のユーピテルとは、その父のサートゥルヌス、すなわちサタンと表裏一体の存在、ということで。この構造が、キリスト教の「父なる天の神」と「イエス・キリスト」は一体の物、という思想に受け継がれているのだと思うわけですが。しかし、最近ではミネルヴァの名前を持つ女神が正式に出現し、ユーノー女神もまた「サタナ」の名前を手に入れた、ということで、均衡は崩れつつある気がするのですが。

そして、今まで、何となく、誰かさんから「イエス・キリスト」の名前を返して貰ったとしても、「夫」として、私の代理人としてその力を行使するのは結局誰かさんなのでないの? と思っていたのですが、その「魔の力」の代理人は、誰かさんではなくて、筆頭の6番目の子でなくてはならない、って言われる気がするわけで@@。兄さんの神としての力を多少抑えても、サタナの名前を家に入れるように強力に要請してきたのは6番目の子ですし、太母がその「目の力」で手に入れた「最大の果実」は、筆頭の夫と分け合わなければいけない、っていろんな人から言われる気がするわけで@@。そっかー、それでいつにない目の力を送ってくれていたんだ? と思うわけで。戌年生まれの「狼の目」を持つ太母の13歳年下の「夫」ということにもいろんな意味がありそうだなー、と思うわけですが。でも、その人はけっこうシャイで、女心のことにもいろいろと気を配ってくれるいい人ですよ、ということで。

で、ニュースサイトを見ていたら、フランスでコミケをやっているそうで。そこに来ていたコスプレの女の子二人組の写真が載っていたのですが。一人は黒髪で、山羊の角のついたかぶり物をしていて、「私の目が恐ろしいと思うのか?」って話しかけてきて。もう一人の女の子は金髪で、「始めて太母にお目見えするので、緊張してドキドキしちゃうわ。」って言ってた気がするわけで@@。その二人は、敵意はないけれども、サタニストに見えるのですけれども??? と思うわけで。サタナの名前を貰うと、そういうお味方が増えるのですねえ? という気がするわけで。

で、Mステの10時間スペシャルで、SMAPの兄さん達が、チェックのスーツを着て出演して、しかもAKB48の順番の時に、木村君が引っ張り出されて、「恋するフォーチュン・クッキー」を一緒に踊らされていたわけで。それはきっと、「十字の服を着せられて、踊らされ続けている人を見つけ出して欲しい」という意味だったのだと思うのですが。木村君といえば、ハウルですし、ハウルといえば、ソフィーがその正体に気が付くまでは「救済の名の元に戦い続けなければならない者」ということで。「十字の服」が象徴するものは「イエス・キリスト」だと思うのですが。でも、その人はその名前に相応しくない人なのです。何故なら、神としての気質が強すぎて、かつ気性が激しすぎて真っ直ぐすぎるから。私のように、神サマの気を使うくせに、悪魔の羽根を目を持っているのとは、違う人だから、ということで。より常識的で、調整能力に優れて、まさに「庶民」から神に成った人の方が、その名前に相応しいとは思うわけで。その名前を行使するに相応しい後見さえいれば、ということで、むしろその役目が年上妻の役目? とかそういう気がするわけですがー;。

本日の日誌

いろいろなキリスト教と神話関連の本を買った結果、なんだか人文系の大学生が買うような本ばかり溜まった気がするわけですが。カフカスの「ナルト叙事詩」に関する本は、ほぼ絶版状態で中古市場からせっせと探し回って買い求めたわけで。で、いわゆる「琥珀の眼」というのは、科学的にはアンバーという成分が多い「目」であって、白人の中にこういう「目」を持つ人がいる、ということのようで。で、琥珀に近い目の色だから、そう呼ぶのだと思うのですが、他にもう一つ「山金(エレクトラム)」も似たような色ならしくて。金というのは、精製されていないと、大抵は銀との合金として産出されるらしくて、それが琥珀に近い色をしているものがある、ということで、琥珀色で、光の当たる角度によって金色にも見える目を「琥珀の目」というらしくて。それで、「琥珀の目」のことを「金蛙王の目」とも言うのですねえ? と思うわけで。貴金属とか宝石を珍重する文化は、移動の多い遊牧民の文化から発生したものであって、彼らは定住しないので不動産なんかにはあまり執着しないわけです。でもって、古代においては、青い目の人は青いラピスラズリ、緑の目の人は緑の翡翠、琥珀の目の人は琥珀と金と珍重する、という風になっていて、人々は自分の属する宝石(あるいは貴金属)を知っていて、それらがほぼ永遠に変わらないものであることになぞらえて、命の永生性も願ったわけで。「琥珀の目」とは、「金信仰の目」なんだーー、と気が付いたわけで(で、狼の目にもアンバーが多いと言うことで「狼の目」とも呼ばれるらしいのですが。)。金の装飾品とか、神具が盛んであるのは、北からだいたいスキタイ、トラキア、ギリシャのドーリア人だと思うわけで。で、ギリシャのドーリア人系の神話には「エーレクトラー(琥珀)」という名前の半神半人の女性が出てくるわけで。この女性は、母親が愛人と共謀して父親を殺してしまったので、弟をそそのかして復讐する、という女性であって。弟の方は、実の母親を殺したと言うことで、神々に呪われてしまうわけですが、姉の方は全然呪われないわけで、そもそもこの「エーレクトラー(琥珀)」というのは、「血の報復を求めるような苛烈な女神」だったのが、神話の中でのその地位が低下して半神半人扱いになった存在だと思うわけで。「金」を珍重する人々は、その昔は「通り過ぎた後には、家畜も穀物も生きた人も残らない」と言われた凶悪な騎馬遊牧民だったのではないか、と思われるわけで。だからこそ、彼らは「悪魔」と恐れられたのだと思うわけですが。彼らは馬と犬を大切にする「狩人」でもあったわけです。でもって、「エーレクトラー」の「エーレ」というのは「神」ということで、「クトラー」というのは、ヘケトと同じ子音ですので「蛙の女神」ということですよねえ? それ?? と思うわけで。ドーリア人の「エーレクトラー」とは、スキタイの「エキドナ」、カフカスの「サタナ」と同じ子音の女神ですよねえ? と思うわけで。「青い目」と「琥珀の目」は、他人の命や財産を食い尽くす「凶悪な悪魔の太母」が持つ目なんだ? と思ったわけですが。だからこそ、「敵の書物」を食い尽くして、その力を奪ってしまえ、ということになるらしくて。なんというか、確かにこれらの書物を家に入れると、右目の力がちょっと変わった気がするわけで。

で、カフカスの民族衣装とか見て見たわけですが、あちらの女性は髪を「おさげ」にすることが多い気がして。でも、私なんかは髪は後ろで縛っているだけであって、おさげとかツインテールにはしていないわけです。何故なら、そうしてはダメって言われるわけで。で、なぜ「おさげ」がいけないのかというと、それは「角」を模したものだから、ということらしくて。西方の「角のある神」というのは悉く「悪魔」ですから、おさげにすることは悪魔信仰であることの証らしいのですが。で、メソポタミアの古き太母ニンフルサグは、山羊であって、で、メソポタミアで珍重されたのはラピスラズリですから、彼らの太母は「青い目」であったと思われるのですが。メソポタミアの略奪主義の「青い目」とは全て北方のカフカス山脈からやってきた、ということで。カフカスの青い目の太母が、そのままメソポタミアの太母に移行しているわけで、その名をスドゥというわけです。要するに、ニンリルとニンフルサグは起源的に「同じ物」ですよねえ? と思うわけで。カフカスでは、殺される太母=ゼラセ、生と死の太母=サタナ、ですがメソポタミアでは殺される太母=ニンリル、生と死の太母=ニンフルサグとなっているわけで。青い目と琥珀の目を持っていて、「ニンフルサグ」の名を持つ者は、「エーレクトラー」の名を取っても不都合ではないらしくて。また、一つ新しい名前が増えましたよ、ということで。

で、改めて「山羊トーテム」というものを勉強してみたのですが、ギリシャには「雄の山羊」の神サマとして、「パーン」というのがいるわけで。その一方で、雌の山羊としては、ゼウスの養母でアルクレタ島のアマルティアという山羊がいるわけで。クレタ島のアマルティアというのは、地中海東岸地域のアナト女神のことだと思うわけで。ニンフルサグ、ニンリル、イナンナ、そしてアナト、とその辺りの古い太母は「山羊トーテム」の気配が強いわけで。で、イタリアの方にいくと、エトルリアの主神ティニアの妻はユニという名で有り、ローマではボナ・デアという一種の「母神」がいるわけで。ギリシャのパーン、エトルリアのユニ、ローマのボナ・デアって、みな「BN」を子音に持つ同じ名前、ということで。全部山羊の神サマで、それはフェニキアのフェニックスにも通じる名前、と思うわけで。エトルリアというのは、メソポタミアの文化の強い影響を受けているわけですが、そこの太母ももしかして「山羊」なんだ? と思うわけで。エトルリアと北部メソポタミアの血を引く十支族の末裔から、「山羊の太母」の卦が強い娘が生まれる可能性は、だから「あり得る」のだということで。

でも、じゃあ、「イシス」の名を持っていたと言われる気がする「マグダラのマリア」も山羊の太母だったの? って思いましたら、「その女はハトホルと同じく牛だった。」って言われる気がするわけで@@。で、「マグダラのマリアの福音書」かどこかに、「イエス・キリストには7人の特に信頼していた女弟子がいた」ってようなことが書いてあって。その人も女癖の悪そうなご先祖サマだ、という気がするわけですが-;。でも、結局主な「後継者」と、後世に目されるような弟子というのは、ローマのペトロとエフェソスのマグダラでしょ? と思うわけで。他の女弟子はどうなったのさ? とふと思いましたら、7番目の子に「何のために寡婦殉死という制度があると思うのか?」って言われた気がしたわけで@@。死んだ旦那の後継者になりそうな邪魔な女はみんな片付けちゃったんですか?? って思うわけで@@。邪魔者は、みんなきれいさっぱり「救済」して片付けて、自分の双子の子供だけ大事に可愛がって育てた凄腕の魔女がいたおかげで、今の自分がいるってそういうことですよねえ??@@ と思うわけで。それも何だか不条理な気がしたわけですが-;。まあ、それはともかく、「山羊トーテム」に対する信仰も割と各地に広がっているんだな、と思って。

で、一方ローマのユーピテルって言ったら、雄牛ですよねえ? やっぱり? と思うわけで。で、ネット上を検索していたら、紀元前3000年くらいの東イランで発掘された、雄牛の角を持つ山金の神像を見つけたわけです。その禍々しい神の名は何だろう? と思って調べて見たのですが、紀元前3000年くらいのイランといえば、エラムという国があった頃ということで。その頃のエラムと言えば、スーサの主神である雄牛のインシュシナク(メソポタミアのエンリル)が有名なわけで。で、この神サマは周辺地域の住民にはただ「スーサ」と呼ばれていたようで、聖書には「スシ」という人の名前で出てくるわけで。スーサの都市神、スーサは当然戦士の神であり、軍神でもあると思うわけで。その軍神の名前もこの国に持ってきた人達がいますねえ? と思うわけで。雄牛の須佐之男、雄羊の八束水臣津奴命なんだ? と思うわけですが。でも、古代において牛なんていなかった日本では、当初は須佐之男は牛トーテムの神ではなかったわけですが。でも、後から入ってきて、スーサが雄牛トーテムの神であることを知っている集団が須佐之男と牛頭天皇を習合させてしまったわけで。それ以来、須佐之男は上位の「雄牛トーテムの神」に捕まって酷使されまくり、ということのようで。でもって、「鹿島の神」のトーテムは鹿でも、ユーピテルのトーテムは牛ですよねえ? と思っていたら、「石井のHPを見に行くように」って言われて。「ん?」と思って見に行きましたら、なんでも30周年とかで、武道館でコンサートをやったそうで。コンサートのポスターを見たら、「雄牛の角のついた兜」を被ってるよ、おい@@、ということで。この人はこの人でねーー、と思ったわけですが-;。

で、結局、髪を後ろに縛って、青い目を持つエレクトラという名前の魔女が出て来ましたよ、ということで寝る前に、割といろんな人が「庵野、すごいな。」って呟いていた気がするわけで。アニメ映画の監督である庵野氏は、私が大学生の頃、NHKで「不思議の海のナディア」というアニメをやっていたわけで。主人公のナディアは「獅子を従えた女の子」であり、彼女が養女にして可愛がっている幼い女の子は「マリー」という名前で有り、ナディアの養母的な存在として登場するのが青い目の混血の女性エレクトラ、ということで。こういう構成は、グノーシス神話的には、その3つが「同じ女神」として扱われるわけで。庵野監督はかなり良く「未来が見える人」らしいのですが、でも、そういう才能を持った人は、何が見えるのかということはあまり話したがらないらしくて。下手なことをしゃべって、誰かに都合の悪いことを言ってしまうと、自分にとっても危険、ということで。その代わりに、私に呼びかけられるために作られたのが「ナディア」ということのようで。庵野監督には、いずれ「エレクトラ」の名を持つ魔女が出てくることが分かっていたのかも、と思うわけですが。でも、聖書関連の本だけだと、微妙にイライラする気がするわけで。カフカスの神話が家に入ったら、やっとちょっとバランスが取りやすくなった、というかそんな気がするわけで。

でもって、昨夜も夢を見たわけで。なんだか、ちょっと複雑な夢であって、まだ学生時代であって、で、同級生がなぜだかテレビ関連のバイトをしていて、なんだかその関係で私もエキストラのバイトをする、みたいな夢であって。で、そのバイトしている番組に福山君が出ていて、ちょっと顔を合わせる機会があった、みたいな感じであって。で、何故か私の髪型がツインテールであって、私が過去にしたことのない髪型だったので、ちょっと気になって。で、その後日譚というか、今になって「もう一度会いたい」みたいな夢であって。で、福山君の結婚のニュースで、なんだか気になっていたことがあって。何というか、結婚相手の人とは10年くらい前に、一度会っていて、一緒に仕事をしたことがあって、で、5年くらい前に再会して付き合いだした、みたいにニュースでは報道されていて。私が別のルートから聞いた気がする話とは、ちと違う気がする?? と思って微妙に不思議に思っていたわけですが。そうしたら、ふっとそれは、誰かさんが前世で一度会っていて、現世でももう一度会いたいと思っている女の子と結婚したい、っていう意味、って言われる気がするわけで。世の中のいろんなことは、いろいろと暗喩に満ちている気がするわけですが、そういうことを暗に示したくて、ああいう報道なんだ? と思ったわけで。兄さんも、何だかどこかヘンな人?? とか、そういう気がしたわけで。でも、一応今週出したお手紙は喜んで頂けたようで。誰かさんからは、「自分が知っていた子とは似ても似つかない性格だけど、君が好き。」って言って貰った気がするわけで。前世のことなんて、私の方はさっぱりなわけですが、どうも私の分身の蛙の子は私よりもそっちのことを覚えているらしくて@@。誰かさんは、前世でもそのまんまの性格だった、と言うわけですが@@。(4番目の子は今と全然違う性格で、もっと大人しい人だったと言っているわけですが@@。)

で、本日は買った本とかCDの始末をしていたわけで。嵐の最新のアルバムを買ったら、届いたもののケースが割れていて@@。梱包は厳重にしっかりされていたので、わざとやったね、と思ったわけですが-;。でもって、夜はMステでゲストは嵐、ということで。4番目の子は、蛙の子の髪型をおさげにして、どういう風に纏めようか、って考えていた気がするわけで。で、朝方の夢の私の髪型もちょっとヘンだったよね、って言われた気がするわけで。で、松本君はいつにないような目の力を送ってきているな、と思ったわけで。で、6番目の子は、最後にふっとピンクのハートマークを出して渡してくれたわけで。ちょっと嬉しかった、というか、生放送の良いところは、こういうところよね、と思ったわけで。なんというか、そんな感じの一日だったのでした。

本日の日誌

本日は、打ち合わせの前に資料を貰う日、ということでお出かけしてきました。でもって、本物の母系を支持するサタニストの人達から応援する気を送って貰うと、蛙の子にはわりと具合がいいらしくて? でも、ご当人は神サマの気を使う方が性にあっているということで、いろんな人に変がられるらしいのですが。でも、そういう人達から「神サマの力を押さえ込む気」を送り込んで貰うと、誰盛んの方は実際出せる力が弱まってしまうらしくて。白鳥の誰かさんは、首に鎖のついた首輪をつけて来るようになって、鎖の一方を6番目の子が握っている気がするわけで-;。ときどき怒りそうになると、額に「自重」って書いたお札を貼られてる気がするわけで。「何事もバランスが大事。」と筆頭の子が言っている気がします-;。

で、家に帰る途中で買い物をして。雑誌のコーナーで、翔君が表紙になっているテレビの雑誌があって。4番目の子が、ちょっと潤んだ情熱的な目でこちらを見ていて、ちょっとびっくりしてしまって。男の人って、どうして、そんな目をできるんだろう? というか、そんな風に人を好きにあれるんだろう? って思うとなんだか不思議な気がするわけですが。コンビニの雑誌のコーナーには松本君が表紙の雑誌もありましたし、家に帰ってきたら、今日は木曜日で「VS嵐」と「夜会」の日だって思い出したわけですが。

そして、本日は「マグダラのマリアの福音書」に関する本が我が家に入ったわけで。これで、聖書に関しては、聖典も外典も、手頃に買えるだけのものは買って手に入れた気がするので。早速署名してしまったわけですが。そして、それでいろんな動画を見ると、なんだか「もっと十字の力が欲しいか?」って聞かれる気がするわけで。なんだか、いつもよりも自分の中にいろんな人の目が入ってきている気がするわけで。「この世界にある命あるものは全て死に神のもの。何故なら、命あるものは全て必ず死ぬのだから。」って言われた気がするわけですが。だから、全ての命あるものの生殺与奪の権限を持つのが「神」である、というのがサタニストの思想なんだ? と思うわけですが@@。

あとは、スウェーデンの湿地帯で、2000年前の生贄の骨が発掘されたということで。生贄にされたのは若い女性で、首を切られていて、周辺には「木製の男性器にくわえ、剣や槍、盾などの武具及び宝物と一緒に計13頭の犬の遺骨が150メートル範囲内で見つかっている」とのことで。「犬と馬と人」という組み合わせは、狩りの盛んなヨーロッパでは珍しい組み合わせではなくて、それらを一緒に埋葬することは霊的には意味があることなわけですが、この場合は馬はいないようで。スウェーデンは北欧なので、生贄が女性ですから、たぶんオーディンとかに捧げられた犠牲だと思うわけですが。来世で子供を産めるように、「夫」も共に埋められていて、まるでエンリル・ニンリル神話のエンリルの形代のようだ、と思ったのですが。そうして、冥界で生まれた「命」が、植物とか動物に豊穣をもたらす「命」となる、ということなのだと思うのですが。黄泉の国の叡智を心得ていると言われる北欧神話のオーディンは「WD」という子音を持つわけですが、これは基本的には「輝けるもの」というような意味であって、その性質からローマ人は、オーディンをローマのメルクリウスに相当する神と考えていて、英語の水曜日(Wednesday)はオーディンの名前からつけられているわけですが。「冥界を支配する神に生贄を捧げて、その代わりに豊穣を得ようとする」、という思想はヨーロッパの文化の根底にあるわけで、キリスト教というのはその上に立脚しているわけで。「神の愛」とは「生贄をガツガツと喰らう」ということでもあるんだ? 神サマに生贄を食べて貰えば貰えるほど、見返りも多いから? ということのようで。それで上の方の人達は、人々に「死を恐れるな」と言うのですかねえ? いざという時に生贄に使いやすいように? という気がするわけで。どうも、ローマにおける「イエス・キリスト」というのは、まさにネルガルみたいな、れっきとした軍神ですよねえ? そういえば、応神天皇(八幡神)も慈愛に溢れている神というよりは軍神だし? と思うわけで。だいたい、西欧における「神の愛」というものがどういうものなのか理解していないと、その言葉の意味そのものが理解できないのですねえ、と思うわけで。

さて

いろいろな伏線を回収していくと、ちょっと前にアンジーから、「外の世界では例え夫婦同士であっても、互いに戦うのは当たり前のこと。」って言われた気がするわけで。それって、家庭の中で妻と夫のどちらが優位に立つのか、ってそういうこと? とか思ったわけですが。

で、おととい録画の整理をしていて、「SMAPxSMAP」を見ていたら、兄さん達からなんだか「早く気が付いて欲しい」みたいなことを目の力で言われた気がして。まだ何か気が付かないことがあるの? と思ったというか、それが家の設計に関わることだとイヤだなあ、とは思ったのですが、具体的には良く分からなくて。しかも、誰かさんは4番目の子の手に噛みついたりしてるような感じなわけですし-;。でもって、こうなったら「買え」と言われたものを纏めて買ってしまおうということで、注文したのが月曜日、ということで。

で、昨夜は香取君のドラマを見てから寝たわけで。なんというか、例によってヘンな話だと思ったわけで。で、話の内容を要約すると「余命いくばくもない青年が、不幸な家庭環境の少女を救おうとして、自分の命を賭けようとする話」というか、そんな感じであって。日本のドラマの演出って、伏線の回収の仕方が今一、とかそういう感想しかなかったわけですがー;。で、見終わってからそういえば、豚のキアンは食べたし、牛のユーピテルも食べたわけですが、「羊の神」とは誰だろう? とふと思ったわけで。キリスト教的には、それは「仔羊」と呼ばれるイエス・キリストのことなわけですが、それ以外では? とふと思ったわけで。で、それで一番有名なのは、ギリシャの牧羊神ヘルメースかも? と思ったわけで。そうえいば、この神の名も「KM」を子音に持つ「ハーン」とか「カーン」の部類ですねえ、と思ったわけで。で、ギリシャよりも更に北のトラキアには、頭が羊で体が蛇というグリコンという名前の神? がいるわけで、これも羊の神サマですし、「グリ」という言葉は例によって「great」という意味の形容詞ですから、グリコンって「偉大なるコン」という意味で、これもヘルメースと同じものですよねえ? と思うわけで。で、初期のキリスト教というのは、キリストを「良き牧人」に例えているわけで、割と有名な「100匹の羊よりも迷える1匹の仔羊が道に迷わないように探しに行く」の聖書のたとえ話の通り、「羊の神」と見なす傾向があって。それってキリストをギリシャ神話のヘルメースになぞらえて、布教したってことですよねえ? と思うわけで。で、ギリシャ神話のヘルメースというのは、ローマではメルクリウスという名前の神になるわけで、メルクリウスやヘルメースというのは、商売の神で有り、旅人の神で有り、水の神でもあるわけです。で、メルクリウスというのは、ティルスというフェニキアの都市で、主要三神の内の1つを占めるメルカルトと同じ神ですよねえ? と思うわけで。そのメルカルトというのは、北の人達が「神」とみなしていたアフラ・マズダの前身であって、いずれも「水の神」という性質が一致しているわけで。アフラ・マズダが八束水臣津奴命の前身ということは、この神の持つ「角」とは、「羊の角」のことなんだ? 古代の日本に羊はいないのに?? ということで。ローマの力が強力になると、これらの名を持つ神はローマに捕まって、イエス・キリストの名を押しつけられて酷使されてしまう、何故なら元はいずれも同じ「牧羊神」だから、ということで。ということで、グノーシス主義者と手を組んで、「仔羊」の名乗りを上げるのであれば、敵の定めたイエス・キリストの正体を見破らねばならないということのようで。そういえば、2014年の3月にMステに出た時に、ホルンの話とか、吹奏楽部の部長だった話とかしてましたよねえ? と思うわけで。しかも、2012年の4月に、この騒ぎが始まった時に、最初に心の中にやってきたのは「イエス・キリスト」を名乗る人物であって、「この世界のどこにも愛する妻がいなくて寂しい」って言ってきたわけで、その時に感じた孤独感も寂寥感も覚えているわけで。裁判所で裁判やっている時に、いろいろと言ってきてくれてましたよねえ? って今なら言えるわけで。もちろん、当時は誰がそういうことを言ってくるのか分からなかったわけで。今なら、誰が言ってくるのかよくよく分かっているわけですが。「例え夫婦でも、戦って勝負しなければならない。」っていうのは、そういうこと? ってやっと気が付いたわけですが。香取君のドラマも、「直に死にそうな人が、不幸な人を救済する」っていう、そういうキリスト教的な主旨のお話なんだ、それ? ってそれも気が付いたわけで。そこに巻き込まれないで勝てば、誰かさんの隠れた名前も分かるかもしれない、とそういうことだったようで。香取君も頑張ったねえ、と思うわけで。メルカルトってそもそもメヒトから出た名前なんじゃないの? と思うわけで;。

で、朝目が覚めてから、「サタナの名前を取りなさい」って言われた気がするわけで。6番目の子から、オセチアの神話に関する本をできるだけ入れられる限り、家に入れとくようにって言われた気がするわけで。「なんで?」って思ったわけですが。要するに、その名を取れば牧羊神ヘルメースよりも上位に立てるから、って言われた気がするわけで。でも、カフカスの神話に関する本は少ないですよ? ということで2冊くらい探してみたわけで。で、何故サタナ? と思うわけですが、サタナというのはカフカスの太母であって、かつサタン、サートゥルヌス、セツの女性形の生であって。しかもカフカスというのは、今でも「血に対しては血の報復を求める」というような土地柄であって、かつ大昔は神々に犠牲に捧げるために若い奴隷を育てていた所だって金枝篇になかったっけ?? と思うわけで。で、ギリシャ神話では、カフカスの女神はヘカテーであると言われているわけです。で、ギリシャ人のよろしくない癖は、「カフカスの太母は自分達のヘカテー女神と同じ性質である」って言えば良いものを、いかにもカフカスでも「ヘカテー」って呼ばれている、みたいに平気で書くところ。そして、ヘカテーとサタナが「同じ性質の神」であるかどうかもはっきりしなくても、自分達の都合で平気でそう書くところ、って言われる気がするわけで。でも、サタナとヘカテーってほぼ同じ子音の女神なので、呼び名の違いさえ分かっていれば、それで良いような気もするのですが。でも、カフカスの太母サタナは、死んだ母親から生まれた奇怪な出生を持つ女神であって。生と死の境界にあって、その双方を操れるような女神なわけです。彼女の養子に「鋼鉄のバドラス」という英雄がいて、この英雄は女神の加護を得て?、鋼鉄の体を持っているので普通のやり方では死なないわけです。こうやって、子供を「火に通して」強くするという思想は、「火あぶりの生贄」の暗示でもあるのですが、生贄として捧げられた子供の兄弟とかをその代わりに丈夫にする、みたいな思想でもあるわけで。ギリシャ神話のデーメーテル、竈の女神ヘスティアなんかもそういう系統の女神ですよねえ? と思うわけで。要するに、サタナから「サ」の字が取れたモノが、デーメーテルとか、「D」や「T」の子音が接頭に来る、ダキニ系の女神群なんだ、ということも気が付くわけで。こういう神々は受け取った犠牲の代わりに豊穣や反映を与える女神なのだと思うわけですが、ローマに行くとディアーヌという名になるわけで。ネミの森のディアーヌといえば、皇帝の王権と反映を保障する代わりに、戦士の命を犠牲に求める魔女だって金枝篇にあった気がするんですけれども? ということで。

で、聖書の「ヨハネ黙示録」には、仔羊に倒される「バビロンの大淫婦」というものが出てくるわけで。この書そのものは、グノーシス主義者の手によるものと思われますので、本来の意味は「バビロン」が「ローマ」であって、「大淫婦」とは、そのローマの権力維持のための女神「ディアーヌ」だって言われる気がするわけで。でも、言葉面だけの点から言うと、「バビロンの大淫婦」とはバビロンの主神マルドゥクに倒されたバビロニアの太母ティアマトのことなわけで。ティアマトもまたディアーヌとかと同じ子音の女神であるわけですが。要するに、ローマの述べる「慈愛の神イエス・キリスト」とは、ローマに逆らう者を粛正することを「救済」と述べる神のこと。ということで、「ディアーヌ」の名を持つ者、あるいはその可能性がある者で、ローマに協力しない者には情け容赦なし、とそういうことらしいのですが。1つの命を助けるために、1つの命を捧げなければならないのであれば、あの忌々しい大学病院から私を引き出すために、犠牲となったディアーヌがいるのを知っているはず、と言われる気がするわけで。ローマに協力せず、逆らって殺されたディアーヌは何故ローマに逆らったのですか? と思う。それは、結局生まれてきた子供が、ローマと相性の良いデーヴァの目を持たず、いずれローマと対立する地位に就かなければならないことが明白であったから、子供を守るために、と言われた気がするわけで。彼女が亡くなったのは19978月、私が大学を飛び出したのは1998年の3月。そういうことはみんな偶然じゃないんだ? とふと思うわけで。バイキングの血を引くブリタニアのおばあちゃんは、「どちらにしてもローマと戦い抜けるだけの目の力を持たない者に用はない。」って言いそうな気がするわけですが。その一方で、残された子供達は私にディアーヌの名前を引き継いで戦い抜いて貰いたい、と思うような気がするわけですが。そして、外の世界では、誰でもこうやって戦っているものって言われる気がするわけで。それで私にも「新幹線に触れ」って言ってきたわけなんだ? と思ったわけですが。

しかし、それだけのことができる「目の力」に対抗できるようになるためには、ディアーヌやヘカテーの名だけでは足りなくて、何故サタナの名前も必要なの? って思うわけで。で、いろいろと調べたわけですが、ヘルメースというのは、旅人の神でもある? ということから、「十字路の神」でもあるわけで。十字路のある所には、ヘルマーと呼ばれる神像が建てられていたらしくて。で、十字路というのは、いろんな世界に通じる道が交わるところ、ということで、いろんな世界に通じているヘルメスがその守護神とされたようなのですが、それは現実の道だけでなくて、冥界や天界への道にも通じるヘルメースの性質が重ねられているわけで。で、キリスト教時代になると、ヘルマーの神像の代わりに十字架が十字路に立てられるようになったらしくて。で、要するに、日本風に言うと、それらが道祖神ということで。で、一方のヘカテーというのは、「三叉路の女神」と言われていて、三叉路の守護神なわけです。彼女の方は、「冥界、地上世界、天界」を統べる女神ということで、「三叉路(トリウィア)の女神」とされているようなのですが、こちらの方は「travel(旅行)」とか「trable(トラブル)」の語源ということで、そしてギリシャ以外でもテラピムと呼ばれていたようで。要は十字路のヘルメース、三叉路のヘカテーという気がするのですが、必ずしもそう厳密ではなくて、十字路にヘカテーが祀られていたりもしたようで。何故、男女の神々がそれぞれに道祖神に充てられるのかというと、どうもヘルメースというのは、ギリシャ先住民の神であるらしくて。ギリシャ先住民というのは、古代エジプトに非常に近い神々を祀っていますから、要するにヘルメースというのは、羊頭のクヌム、ヘカテーというのはその妻の蛙のヘケトということで、二柱併せて、道祖神でもあり、そしてかつては夫婦併せての創造神であるということで。要するに、古代エジプトでも、ギリシャでもこの2神は夫婦神であって、「対等」な立場であるらしいのですが。でも、カフカスに行くと、ヘカテーとヘルメースは、サタナとヘミュツという兄と妹(異母兄妹)に変化するわけで。カフカスのヘミュツというのは、ケルトの豚のキアンのカフカス版なわけです。で、その子供が英雄バドラスで、その養母が異母妹のサタナということになるのですが、西欧の慣例としては「養子を育てる」ということは、養母の方が実の親よりも「格式が上」という暗黙の了解があるわけで。要するに、カフカスまで遡ると、サタナ>ヘミュツとなるので、私の方が誰かさんよりも「格上」になるので、オセチアの神話を取らなければいけない、って言われる気がするわけで。サタナって要するに西洋の「悪魔の太母」みたいな存在だと思うわけですが、その名前を敢えて重点的に取る意味は? ってお尋ねしましたら、「そのくらいにしておかないと、誰かさんに本気で囲い込まれて締め上げられるようなことになっても困るでしょ。」って言われる気がするわけで-;。誰でも、私が外へ出たら、筆頭の子と、蛙さん達の一押しの子である4番目の子と気軽に会えないような状況になるのは困る、と思っているようで、「これは関係者一同の総意です」って言われた気がするわけですが。もちろん、誰かさん以外の、ということで。まあ、私も蛙の子だけじゃなくて、本体まで締め上げられるような羽目になったら、絶対に体力的に勝てないのででですねえ-;。この点ばっかりは、6番目の子と組ませて頂きますよ、ということでー;。でも、実際その手の本を買うと、ちょっと誰かさんの圧力が少なくなる気がするわけで@@。名前を貰うって、そういう効果があるんだー、と思うわけですが。でも、ローマでもサートゥルヌスの名前がメルクリウスよりも上位に来るから、こき使われちゃうんですね? と思うわけで-;。で、ローマのサタナって誰? って思いましたら、「サートゥルヌスの配偶者」って言われた気がするわけで。「そっちですか?@@」って思ったわけですが。趣味の悪い名前だけど、貰えるものなら貰っとけば、という人が多いというか、「毒をもって毒を制す」の言葉のように誰かさんを制すべきって言われる気がするわけで-;。

でも、「三叉路の女神」で分かったことがあるわけですが。車のベンツの三叉路的マークとか、三菱の三角とか、そういうのはみんな「三叉路」すなわち「サタナ」の象徴であって、要するに「悪魔信仰の象徴」なんだ、それ? って思うわけで。ギリシャ神話の伝令神ヘルメースは、いろんな道に通じているということで、死者の魂を冥界に案内する神でもあるわけです。で、その気になれば逆もまた然り、ということで、「死と再生の秘密を知る神」ともされるわけで。妻神のヘカテーと並んで、そのような神であるのだと思われるわけで。それで、特に旅に出る人なんかは、三叉路とか十字路で、旅の安寧を願って、そこに立つ神像に犠牲を捧げたりしていたわけです。もちろん、それが人間だった場合もあるでしょうねえ? ということのようで。人の生き血を食らう三叉路の悪魔が「サタナ」系の神々である、ということのようで。グノーシス主義における「仔羊」の正統な後継者は、ローマが勝手に定めた「仔羊」に対して、「私の地位を返せ」と言わなければならないらしいのですが。たまには普通の手紙を書かせて貰えないんだ? というか、JUJU姐さんと6番目の子にそうしてくれって言われたら断れないじゃんーーー、と思うわけで;。そうやって、死と再生の秘密を知っていて、死者を蘇らせたり、永遠の命を与えたりできるって大嘘ついて広まったのが原始キリスト教なんだね? と思うわけで。文献の中に、やたらと「死者を生き返らせた」という話が出てくるのは、ヘルメースの神話や信仰になぞらえているんだーー、って思うわけで。当時の人なら、そういうことはすぐに分かったでしょうけれども、昨今ではいちいち勉強しないと分からない、ということで;。

かくして、「再生の祭祀」は進むわけですが。いろんな資料をさっと見た限りでは、インドに布教したとされるトマス行伝とか、トマス福音書とか、トマスの名に関するものがけっこう聖典から外されて外典扱いされているわけで。トマスとマグダラのマリアに関するもの、それからバアラト・ゲバルの新約名バルベロの名前が出てくるものは、ほぼ「外典」でしょ? ということで。聖典も外典も捕まえられる者は全部捕まえて、私の名前で封印しておくように、って言われる気がするわけで。そういう作業をしていくと、敵の力が弱まって「敵のイエス・キリスト」の正体が分かる、ということのようなのですが。流石に、今まで羊の肉をさんざん食べてきただけあって、改めて食べなくても貯金だけで何とかなったね、って言われる気がするわけで-;。で、ついでに「ローマ神話」の本も買って、封印しておけ、って言われた気がするわけで。注文したら、話も動きましたとさ、ということで。遂に目つきのあんまりよろしくない人からも、「私は悪魔崇拝者です」ってカミングアウトして助けて頂けるご身分になりましたとさ、ということで-;。

で、相変わらず、というか微妙な一日だったわけですが。だんだん、私の署名入りのキリスト教関連の書物が増えてきたぞ、ということで。ふっと、某所のtwitterを見たら、10番目の兄さんの写真がアップされていて、なんというかサングラスをかけているのですけれども、目の力を送ってくれているのが分かるわけで。なんで、お手紙1通で、そんな風に表情まで変わってしまうんだろう、ってそう思うわけですが。でも、こういうお仕事をしている人は、たいていこういうネットのツールも「お仕事の一環」で楽しく使っている人が多い気がするわけで。やりたいことをやって、そのお仕事を自分で発信して、ほぼ同時にファンからもいろいろと反応して貰えたら、やっぱり嬉しいし楽しいよねえ? って思うわけで。確かに、こういうことを楽しそうにやっている人達を見ると、楽しそうにやっていない誰かさんのことを思って胸は少し痛むわけですが;。今週いっぱいくらいは、本の整理で忙しそう、ということで-;。