本日の日誌

昨夜は、なんというか、敵から逃げ出したら、翔君に助けて貰って、匿って貰って、一緒に暮らした、という感じの夢を見て、で、目が覚めたら嵐の曲がかかっていたわけで。久しぶりにいろんな曲を聴いて寝たら、嵐とかゆずの曲がものすごく耳に響いた気がしたわけで。でも、朝方目が覚めたら「Dear」がかかっていて。

で、原始キリスト教の内、いわゆる「グノーシス主義」と言われるものが、女神信仰に基づくものだとすると、地中海周辺地域の「女神」の性質には、大きく分けて「母なる女神」と「妻なる女神」というものがある気がして。その辺りは、男系の文化と母系の文化が割と入り交じっていますので、純粋な母系社会に近づくほど、女神の役割は「母なる女神」に近くなるのだと思うのですが、男系と母系の思想が入り交じると、現実にも、割と普通に現代的な一夫一妻的な家族が増える気がするわけで、そうなってくると神々の「家族構成」もそういう感じのものが増えて、「夫と妻とその子供」みたいな構成が増える気がするわけで。そうすると、女神の役割に「妻」としての側面も出てくる気がするわけです。で、原始キリスト教と古代のユダヤ教を語る上では、思想が男系であろうと女系であろうと、神聖四字で表される「HWHY」という神の存在が問題となるわけで。で、この四文字は、ヘブライ語以外のアルファベットで現される時には最後のYが頭にきて「YHWH」と解釈されるらしいのですが。でも、この子音の「Y」というものは「T」が起源になっているわけですから、地中海東岸地域では、そもそも女神の名前の最後に「T」をつける傾向があるので、頭に持ってくるのはヘンと思うわけで。で、子音的にはやっぱり、アプロディーテとか、ヘバトと同語源の言葉ですよねえ? と思うわけで。で、この名前が「HW」と「HY」に分解されるものだとすれば、「HYHW」と2文字を前後入れ替えることは可能だ、と思うのですが。でも、そうすると古代エジプトのハトホル女神と同じ子音になってしまいますよねえ? とふと気が付いたわけで。で、古代エジプトの雌牛の女神ハトホルは、シリアのビブロスという都市では主神であって、バアラト・ゲバルという名前らしくて。前半のバアラトはバアルの女性形という説明があったわけですが、後半のゲバルというのも、Gは「great」という意味ですから、「偉大なるバール」という意味なわけで。地中海東岸地域で高名な「バール」という神の名を2つ重ねたものが、「バアラト・ゲバル」であって。で、これはシリアではアスタルテという女神と同一視されるわけで。で、「バアラト・ゲバル」という名前であれば、ハトホル女神とほぼ同一の子音構成であって、で、逆に「ゲバル・バアラト」とつなぎ替えれば「アプロディーテ」と同じ名前ですよねえ? と思うわけで。ということで、キプロスのアプロディーテ、フェニキアのバアラト・ゲバル、古代エジプトのハトホルは、ほとんど同じ子音構成の女神である、ということが分かるわけで。で、一方、シリアのアスタルテ、パレスチナのアーシラト(アシェラ)、古代エジプトのイシス、メソポタミアのイシュタルというのは「イシス系」の名を持つ女神群であって。古代エジプトでは、母神としての性質の強いイシスと、妻神としての性質が強いハトホルは別々の女神として見なされていても、エジプト外、特に地中海東岸地域では「同じ女神」として見なされる傾向が非常に強い、ということで。要するに、海の泡から生まれたとされるアプロディーテも、「海の貴婦人」と呼ばれるアーシラトも「同じ女神」と見なされるのだ、ということにふいに気が付いて。

で、旧約聖書の神聖四字「HWHY」は、本来的にはハトホルであり、アプロディーテでもあり、アーシラトとも呼ばれた「女神」のことを指すのだと思うわけですが、男系の文化が優位になるにつれて、男神に置き換えられたのだと思うわけで。そして、紀元前9世紀くらいの古代イスラエルの遺跡からは、「HWHY」とアシェラ(アーシラト)を1対の夫婦神として扱う資料なんかが出土している、ということらしくて。で、紀元前9世紀というとダビデ王よりもちょっとだけ時代が下った頃、ということで。たぶん旧約とか文書に残っている「男性の単独神」の神話は、男系の思想を優先していた王族とか神官階級の人々の「理想の神話」であって、もっと庶民的、一般的にはエールとアーシラトの1対を主神と仰ぐという信仰が広まっていたと思われるわけで。だから、後の時代にアッシリアの東の方に移動させられた北の人達からは、ゾロアスター教が起きるわけで、ゾロアスターのアフラ・マズダというのは、アフラ(アシェラ)・メルカルトのことだよね? それ? とふいに気が付くわけで。メルカルトというのは、フェニキアのティルスという町の主神の1つであって、アスタルテ(アシェラ)の息子神にして夫神という、そのあたりではありがちな神話を持つ神々のうちの1つであって。ティルスという町はフェニキア(レバノン)に属する街ではあるわけですが、レバノンのごくごく南西部にあって、古代の北イスラエルのすぐ北にある街、ということで。フェニキアの神々を流用してゾロアスターを興したんだ? とふいに気が付くわけで。北の人達は、バアル・メルカルトをアシェラの「夫神」、すなわち旧約における「神聖四字」の名の神と同じ神として扱ってたんだー、って思うわけで。バアルというのは、ペルシャ・インド的にはヴァルナ、ということで。これで、いろいろな名前が連続して繋がってきましたねえ? と思うわけで。北の人達のバアル・メルカルトが八坂大神に、アシェラが八坂刀売にと変化したのだと思うわけですが。

ということで、北の人達の「地中海東岸的信仰」は、やがてゾロアスター教へと変化するのだと思うわけですが、その一方、南の人達の信仰は、司祭階級などの人達の手による旧約の成立の過程とは別に、庶民レベルでずっと続けられており、一部は初期の原始キリスト教へと受け継がれていくわけで。原始キリスト教では、概念としては「ソピアー」が「救済の女神」として解かれたりする
わけですが、具体的には聖母マリアが「母なる女神」、マグダラのマリアが「妻なる女神」、イエス・キリストが「夫神であり、かつ子神」という位置づけをされていると思われるわけで。で、聖母マリアが概念的な女神であるソピアーと同一視される、ということになると思うのですが。この形式は、一人の女神が、母神と妻神を兼ねるという地中海東岸的な形式というよりも、むしろ古代エジプトのイシス・ハトホル的な形式なのか、と思うわけですが。ともかく、原始キリスト教のうち、特に母系を重視する一群は、「聖母マリア、イエス・キリストとその妻マグダラのマリア」という形式で、各地の母子神信仰を取り込み、吸収していったのだと思われるわけで。おそらく、その流れの中心的人物はマグダラのマリアだったと思うのですが。その一方、男系中心の思想を持つ一群は、同様の思想を持つローマに展開し、イエス・キリストを「単独の男性神」として扱うようになるわけで、そちらの中心的人物は聖ペテロであったと思われるわけで。だから、イエスが死んだ直後から、原始キリスト教会はマグダラのマリアを中心とする母系信仰群と、男系信仰を取り込もうとする「イエスの一番弟子」と自称した聖ペテロとの男系信仰群にほぼ2分されたと思われるわけで。ペテロが男系思想の強いローマに布教し、マグダラのマリアが母系思想の強いトルコのエフェソスに拠点を構えたのは、それぞれに理由のあることだという気がするのですが。でも、少し時代が下ると、ローマではむしろキリスト教が弾圧されるようになり、ネロ帝が大火の原因を原始キリスト教徒のせいにするという事件もあり、ローマにいたペテロもパウロもしまいには「殉教」してしまうわけですが。そういう「事件」の裏で糸を引いていたのは、どうにもエフェソスのマグダラのマリアだったのではないのか、という気がするわけで。この人はこの人で、同じ教団内でも、思想の異なる人々には情け容赦しなかったでしょ? という気がしてならないわけですが。しかし、そういう「内ゲバが常習」的な体質は、後のキリスト教にもしっかり受け継がれるわけで、時代が下ってローマ教会が優位になってくると、今度はローマが「異端」と認定した各派は弾圧の対象にされるようになるわけで。「改宗か死か」というような選択を迫られるようになるわけで、「改宗しないものは殺すことが救済である」っていう恐ろしい論理の元にどんどん人は殺されていったわけで。で、その結果、母系的な思想の原始キリスト教、いわゆる「グノーシス派」と呼ばれる思想は西洋では駆逐されてしまったわけですが。

でも、一方、ごくごく初期に東洋に布教された群の神話で、日本人が一番よく知っているものには、神宮皇后、応神天皇、仲皇后(応神の皇后)の3神の神話があるわけで。この場合、神功皇后が母神、応神天皇がイエス・キリスト、仲皇后がマグダラのマリア、に比定することができるわけで、その神話構成は原始キリスト教団の内でも「母系神話」の部類に入るものなわけです。要するに、この国に入ってきた「原始キリスト教」とは「グノーシス派」のものだった、ということで、そもそもローマの原始キリスト教ではなかった、ということをこの神話は示しているらしいのですが。で、神宮皇后を祀る「住吉大社」が何故海岸端にあるのか? と聞かれる気がするわけで。だいたい、そもそもこの神社は「海神」を祀っていた神社であって、そこに最後にやってきたのが神功皇后を擁する神社であって。要するに、神宮皇后というのは、原始キリスト教的には、聖母マリアに比定すべき存在だけれども、更にその前身といえる南の人達の信仰の中では、「海の貴婦人」と呼ばれたアーシラトに比定すべき女神だから、「海の女神」として、住吉大社に祀られているんだよ、って言われる気がするわけで。では、神功皇后とは、ヘブライのアーシラト、キプロスのアプロディーテと「同じ神」なんだ? ということで。母系であろうが、父系であろうが、原始キリスト教なんてろくでもない集団、と多くの同祖同族は言うかもしれませんが、しかし、ごく当初期にこの国にやってきた藤氏の先祖は、「自分達はグノーシス派の神官であり、イエス・キリストとマグダラのマリアの血筋を守ることこそが我らの真の使命」と思っていたらしくてですねえ?? ローマに対抗できるだけの「目」を持つ者が生まれてくれば、対抗する気満々ってことですよねえ? それ? と思うわけで。だから、同じく「八幡神」を祀っていても、宇佐はグノーシス主義の思想を支持していて、こちらに好意的、石清水はローマ主義の思想を擁していて敵意に満ちている、とそのようなことな気がするわけで。で、藤氏の祖神に相当する天児屋命とは、誰のことなのか見抜いて欲しい、と言われる気がするわけで。児屋というのは「小さい建物」という意味ですから、それは要するに小室という人、近頃めっきり老けちゃったTKのことかー、って思ったわけで。だから、その人の曲は限定付きで家に入れていいってことなんだ?? と思ったわけで。

それ以外はもう俗っぽいネタばっかりで、YOSHIKIという人は、東京ファッションウィークで、自分がデザインした着物のファッションショーをされたそうで。まあ、前衛的なお召し物ばっかりな気がしたわけですが、そういうことが海外のメディアでも紹介されるし、すごいと思ったのは、この人は自分が活動している国の言葉をけっこう真面目に勉強しているらしくて、どうも操れるのは英語だけではなさそう、ということで。やっぱり、努力家だし勉強家でもあるんだー、と思ったわけですが。でも、なんていうか、気性も凄く激しいところのある人でもある気がするわけで。割と、いろんな人から「なんで10人目の人と結婚する気になったのか?」って聞かれる気がするわけで-;。自分でも「さあ?」というか、割と一番実感がない気もするわけですが-;。でも、紳士で良い人ではあるのですよ、私の分身の蛙の子は、「その人が酒飲んで暴れたら逃げる」って言ってる気もするわけですが、ということでーー;。

で、もう一人の人については、いろんな人から「毒蛇の生き霊に取り憑かれてる」って言われる気がするわけで。そうでしょうとも? って、こちらは実感も自覚も「ある」わけですがー;。でもなー、福山君のところは、丁度「冬の大感謝歳」(年末のライブ)の、ファンクラブの優先販売の当確とかが出回る時期らしくて。わりと、いろんな影響を鑑みて、なんというか、スタッフの皆さまもすごい気を遣ってる最中な気がするわけで。ほぼ「他人事」で見ている私でも、一晩でtwitterのフォロワー数が1万人減ってるところとか見ると、さすがにギクッとするわけですがー;。でも、どこかで、こっそり「後は表の仕事をどうやって波風立てずに縮小していくか。」って呟いている人がいるような気がして。別に、そういう気持ちなら反対もしないけど、というか、私はいったい誰の言葉を聞いているのだろうか、と思うというか、兄さんは本当にそれでいいの? とはふと思うわけですが。(最も7番目の子なんかは、「男が自分で決めてやってることなんだから別に反対する理由もないでしょ?」っていう気がするわけですが。)まあ、誰もが自分がやるべきことをしていくしかない、ということで。