本日の日誌

ということで、で、なんであんなに怒っているんだろう? という疑問が残ったわけで。なんというか、母親のいる根の国に行きたい、と言って無精髭を生やして泣き叫ぶ須佐之男って感じですよねえ? という気がしたわけで。で、どこかでなんだか似たようなことを読んだことがあった気がする? と思いながら寝たわけで。

で、朝方目が覚めて。ふっと、昔読んだ「青い城」という小説を思い出したわけで。これは、相当なメロドラマな話な気がするわけですが。女主人公は、いろいろな事情があって、一度は好きな人と結婚したわけですが、自分ではその気が無くても、夫に嘘をついていたことが発覚して、それで夫の元から逃げ出して実家に帰っちゃうわけで。で、妻を心配した夫は迎えに来るわけですが、ヒロインは自分が夫に愛されているとは思わなくて、離婚しようとするわけで。で、夫の方は本当は妻のことを愛していたので、「妻が自分の気持ちを分かってくれない」って怒ってしまう、というそういう話なわけで。それで、あんなに怒ってるんだ?@@ ってふと思ったわけですが。どうにも、私は「男心」というものが全然分かっていないので、どんな呪いの出版社の本でも良いから、その分の「呪い」は自分が引き受けて上げるから、「青い城」を1冊買い戻して、「男心」というものを良く勉強するように、ってアンジーに言われた気がするわけで@@。

で、そして私が学生時代からいろいろと買っていた本を思い出すように、って言われた気がするわけで。だいたい、私が高校生になった頃から、ファンタジーブームみたいなものが起きて、いろんな小説も盛んに書かれたり、翻訳されたりしていたわけで。で、いわゆるフィクションとしての「ファンタジー」の原点はケルト神話や民話にある、ということで、ケルトに関する学術的な民話集や神話もこの頃から続々と出版されるようになったわけで。グリム童話集と並んで、イエーツやジェイコブスといったケルトの民俗に関する「仕事」は、非常に早い段階から我が家に入っていたし、それが私の民俗学や神話学を学ぶための出発点であったわけで。結局、この時期にこういう本が大量に出回り始める、というのは私が進学校に行くような頭の良い子であったので、「自分達のことを知って欲しい」と思っていた人達の気持ちの表れでもあるし、そうして「自分のことを好きになって欲しい」と思っていた人の気持ちの表れでもあるのだから、こちらの「一途な男心」も理解するように、って言われた気がするわけで@@。どうも、そういうものには疎いので、どっちの「男心」も良く分かんねーよ、って思うわけですが、ともかく1週間前には、ニュースが私の目に入った直後から大激怒してた人がいるわけで、火曜日には思いっきり私を締め上げてくれてたわけでーー;。それだけは、良く分かってる、と思うわけですが。

だいたい、「どんな困難があっても、相手を信じて愛している、って言えるかどうか」っていうことは、敵との勝負の場では大きな意味を持つわけですが、「一妻多夫」的な観点から言えば、誰が一番お気に入りの「夫」かなんて、あんまり問題ではなくて、要するにその人が、一妻多夫の秩序を心得ていて、一番目の子を「一番」って立ててくれる人ならそれでいい、ということで。蛙の人たちから見れば、「誰か一番愛してるって言われようが同じこと」くらいにしか思っていないと思うわけですが。でも、蛇の兄さんは、名実共に「一番」って言われないとイヤな人ですし、そもそも1番目の子も2番目の子も大嫌いな人なので、自分が「一番」である内は、こっちのことを自分の手の内の囲って置いて、特に最初の二人とは、最低減必要な場合以外、会わせようともしないように画策するよね、その人、きっと? という気がするわけで。そもそも、そのために「一番」でいたいのでしょう、という気がするわけでーー;。要するに、6番目の子に「一番」の座を譲るのが嫌でたまらなくて怒ってましたね? と言う気がするわけでーー;。なんだか、自分が三角関係の「もつれ」で締め上げられたみたいな気がするんですけど??? と思ったわけですが。

こういう誰かさんの気持ちが、どうも関係者の皆さまにも良く分かっていなかったようで。そもそも、6番目の子は常識的な人で、「一妻多夫」の秩序も良くわきまえている人だから。外の人から、誰かさんが怒っている理由を指摘されて、「人をさんざん苦労させておいて、覚えてろよ、毒蛇。」って言って、昼間泣いていた気がするわけですが-;。その後は、この人も怒ってしまって、それこそ「筆頭」の権限で誰かさんの監視を強化して、私に対して余計なことを言わせないようにさせているらしいのですが。どうりで、彼の手に負えないわけだ。「女心」が年下の若者に向くのがどうにも許せなくて、大焼きもち焼いて怒っているようではね、という気がするわけでーー;。ニュースを見た私がショックを受けて、誰かさんに執着する、というよりはさっさと「身を引くべき?」っていう風になったので、それで「自分の気持ちを分かってくれてない」って怒ってたようで。そういう話には疎くってねえ? と思うわけですが;;。

で、昨日は「NEWS ZERO」を見なければならなかったので、遅くまで起きていたわけで。それなら、必要なものは揃っているのだし、もう昨日のうちに、ニュースが始まる前に「お手紙」を書いてしまいましょう、ということになって。で、書いてからニュースを見たら、嵐の宮城のライブで、地元の高校生とコラボして「感謝カンゲキ雨嵐」を唄っているところとか取り上げられていて。筆頭の子から「手紙を書いて頂いてお礼申し上げます。」って言って貰った気がするわけですが。これがあるから、早めに手紙を書いてしまえ、って言われたんですねえ、と思ったわけで。そんなだから、怒ってた誰かさんは「一妻多夫」的な観点からいくと、「世間体が悪すぎ」ということで、けっこうあちこちから怒られてた気がするのですが-;。そして、10番目の人は、慣れない母系社会の神婚に巻き込まれている私のことについては、けっこう同情的でいてくれる気がするのですが。でも、「外の人」だから、蛙さん達の神婚に自分が直接口を挟むわけにいかないし、って思ってくれているようで。最年長者ですし、割と「良い兄さん」という感じで、いろいろ親切に協力してくれそうな方ですよねえ、その人、という気がするのですが。

で、今日はまたまた週刊誌の発売日ということで。誰かさんはやっぱりまたちょっとピリピリしていた気がするわけですが。でも、記事を読んだ限りでは、今回の報道では後発ということもあって、なんだか微妙にオカルトっぽい方向に走っていた気がするわけで。なんというか、ふっきーが福山君の胃袋を得意のカレーで捕まえた、みたいな記事があって。どこかで、「カレーなんて誰でも作れるじゃんかー」ってぎゃーぎゃー言ってた人がいた気がするわけですが-;。さあねえ、福山君が自分でそういうこと言ってるんじゃないの? というか、そもそも、「結婚相手は料理が上手じゃないと嫌」とかっていう男の人がそもそもあんまり好きではないわけで(苦笑)。7番目の子からは、「ともかく、余計なことは考えずに、今は理性で「書くべき」と言われたことを書くように。精神衛生的には、それが一番安全パイ」って堅く言われる気がするわけで。まあ、そうでしょうねえ、と思うわけですが。

で、映画とか映像作品というのは、原則的には「呪いの物品」なわけですが、「見切る」ことができるだけの「力」があれば、ある程度は「買って見るように」という要請が来るのは必至、ということで。ブリタニアからは、リドリー・スコット監督の「キングダム・オブ・ヘヴン」を買い戻すようにという要請があり、南の人達からはスピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」と、ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」を買うように、という要請があった、ということで。そして、誰かさんが「狂戦士」の才能を微妙に示し始めた、ということで。それは、雷神(祟り神)の才能と言うことで、遂に蛇の兄さんにも「アダム」の名前を貰って、ヘブライの伝統的な名前、すなわい「イヴとアダム」の双神の名を取るべし、って言われる気がすると言うことで。スピルバーグ監督はユダヤ人ですし、ポランスキー監督はポーランド系ユダヤ人とポーランド人(スラヴ?)の混血ということで。南の人々は、そうして自分達の苦難の歴史を忘れないで欲しい、と彼らの神々に願うと思うのですが。そして、それ以外では、古事記、日本書紀と家に入ったので、それに続く「続日本紀」を家に入れるように、という要請が来る、ということで。「続日本紀」は奈良朝の正史なわけですが、称徳天皇の晩年から、光仁天皇の時代にかけて、宮中に出仕していた女官の中に、水内郡出身の「金刺舎人若嶋」という名前の人がいるわけで。この人は、最終的には命婦(地方豪族出身の女官の中ではほぼ最高位)まで出世した人なわけで。何故、彼女はそこまで出世できたのか。そして、称徳天皇と道鏡の間に子供がいたとするのであれば、その女官こそが、その消えた子供の動向を知っていたはずの人、って言われる気がするわけで。その人の名前と、自分が何者であるのかを忘れてはいけない、って言われる気がするわけで。兄さんもこういう話をしている時は、普通に頼りになる人な気がするわけですが。

でも、ケルトの人達が、我が家に押し込んだ文献のことに言及されると、ちと気恥ずかしい気がする、って言われる気がするわけで。富の王家はどんなに頑張っても、けっこうなキワモノ本を1冊出版して、しかも今になってやっと我が家に届けることができた、っていう状態なわけですが、ケルトの人達は非常に早い段階から、学術的な成書を何冊も送り込むことに成功している、ということで。それが、現在のワールドワイドな富の王家と、ケルトの人達の「力の差」だって言われる気がするわけですが。でも、蛙さん達の方も、割と早い段階で「日本古典文学全集」を送り込んで来ていますよねえ? と思うわけで。古事記に始まって、続日本紀に至るまでの「正史」の中に「自分自身」を探し出せ、というのもすごい話ではあると思うのですが。そして、フィクションの方では、「封神演義」と「三銃士」があるわけで。この2つを読み比べてくれば、「三銃士」は「封神演義」の西洋版焼き直し、という作品であって、殷とイエズス会が「同列」に扱われている、と分かるわけですが。殷を倒した太公望は、山東半島の辺りに「斉」という国家を興し、この国は後に秦に攻め滅ぼされるまで続くわけですが。でも、その秦も始皇帝一代で瓦解してしまうわけで。秦を頼って、アケメネス朝ペルシャから東アジアまで来ていた十支族の末裔達と、斉の残党は、更に北方の騎馬民族とも、中国東北部で同盟を結んで「扶余」を興すわけで。それが、高句麗、百済、出雲(弥生)へと繋がるわけなのですが。春秋戦国時代の斉っていうと、桓公とその軍師であった管仲とかが有名であるらしいのですが、中国の古代史っていうと私の方があんまり良く分かっていないものですから。ということで、文献的な資料も揃った、ということで、あとはせっせといろいろ読まないといけないらしいのですが。