でも、バーバ・ヤーガというのは、スラヴの魔女というか、いわゆる民間伝承の「山姥」のことですので、鹿児島には鹿児島の山姥がいるんじゃないの? と思ったわけで。で、ちょっと調べてみたわけですが、鹿児島の日置市というところには久多島神社というのがあって、そこには「孝徳天皇の時、開聞岳の麓で鹿が美しい姫(大宮姫)を産んだ。その姫は二歳の時入京し、十三歳で天智天皇の妃となったが、都を追われて帰って来た。その後、天智天皇が姫を追って下向し、二人は一緒に暮らした。」という伝承があるそうで。久多島神というのは、大宮姫と天智天皇の間の皇女、ということになっているらしいのですが。で、大宮姫は鹿の子なので、足の先が二つに別れた鹿の足のようだった、ということで。史実としての信憑性はごくごく低い話だと思うのですが。でもって、その一方、「鹿児島」という地名の由来は、鹿児島神社という神社にあって、そこには「震旦国(インドから見た中国)の大王の娘の大比留女は七歳の時に朝日の光が胸を突き、懐妊して王子を生んだ。王臣達はこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべた。船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着き、その太子を八幡と名付けたと言う。継体天皇の代のことであると言う。」という伝承があって。八幡神はその後、宇佐、石清水へと引っ越しをした、とされている、ということで。これは、要するに、伝承が二重になっていて、「太陽(鹿)」の子孫が、王家と縁づいて、土地の有力な神となった、ということなのだと思うわけですが。
大宮姫の伝承は、太陽(鹿)の娘が、王族と婚姻して家系を興した、という話の変形版だと思います。伝承では久多島神というのは、「死産した皇女」ということになっているようですが、これは彼らの「子孫」がいてもらっては困るから、祖神神話が改変されているのだと思うわけで。これは、鹿の太陽をトーテムに持つ羌族と、十支族の王族が同盟を結んで扶余を興した、いわゆる「扶余の祖神神話」であって、その勢力が鹿児島にまで及んでいたので、伝承だけが辺縁部に残されたのだと思うわけで。で、鹿児島神社伝承の方は、どちらかといえば、新羅系の伝承に、大比留女(太陽女神)だけが取り込まれた形の伝承なわけで。鹿児島神社っていうからには、大比留女は当然鹿の太陽女神のことですよねえ? と思うわけで。そちらはそちらで、「マグダラのマリア」の名前を天照大神に置き換えて、伝承を作っている、と思うわけで。本来の「鹿児」というのは、大宮姫のことであって、それがそこの地名の由来でしょ? と思うわけで。だからこそ、敵がその地を重要視して、秦氏の末裔の島津氏を送り込んで、徹底的に敵の文化に染め上げてきた意味が分かるでしょ? って言われる気がするわけで。それは、その行為そのものが「大宮姫」の力を封印して、敵が勝手に利用して酷使する呪法ということで。でも、サタナの名を持ち「ホルスの目」を貰った子の目の力の前には、敵が勝手に任命した「大宮姫」なんてものの敵ではなかったね、って言われる気がするわけで。そもそも、「八幡神」というのが、「八束水臣津奴命」の模造品でしょ? と思うわけですが。バーバ・ヤーガの正体を見破ったら、ついでに彼女が持っていた他の名前、すなわち「大宮姫」と「大比留女」の名前も私のもの、ということで。「旭化成」の守護女神は誰ですか? って聞かれる気がするわけですが、それは当然「大宮姫」のことですよねえ? って思うわけで。これで鹿児島方面の呪いも緩和されたらいいなあ、とは思うわけですが。でも、藤氏は藤氏で、「島津なんて自分達の家臣」って言うような方達ですのでね。有力なお味方が増えるのは、良いことだなあ、と思うわけですが-;。まあ、とりあえず「マグダラのマリア」の名前を貰ってしまえば、その名前を隠す目的で「大宮姫」の名前を酷使することはできなくなる。何故なら、どちらも私の名前だから、って言われる気がするのですが-;。
でもって、親がふっと、敵の「マグダラのマリア」は誰なのか? って言ったわけですが。7番目の子は、それは当然「紀」と「子」が名前につく女、で、ついでに聖母マリアは、その姑でサタナの名前も兼任していた女って言う気がするわけで。そっちはそっちで、そうやって名前を引き継いでいくだけの力のある者を次々と、その家系に押し込むつもりなんでしょ? ということで。で、ちょっと前にどっかの週刊誌で、昭和天皇は戦後何年か、ローマ・カトリックの人間と会っていた、という話が載っていて。それで、気が付いたのですが、不比等以来、グノーシス主義の神職として、イエス・キリストの血筋をひたすら守り支えてきたのは、良くも悪くも藤原氏であったわけで。でも、戦後の平和の第1歩は、まず藤原氏の血を引いていた総理大臣・近衛文麿の自殺から始まったといっても過言ではないわけで。その後、皇室はローマ・カトリックと急接近し、彼らの勧めに従うも同然で、慣例を廃して民間から妃を迎えるようになるわけで。臣下という立場であれば、捨て駒にされても、踏み台にされても、文句は言えないかもしれない。ただし、他に「主」となるべき器がなければ。って言われる気がするわけで。1000年以上も、共に歩んできた藤氏を裏切り切り捨てて、統領を自死に追い込み、敵と手を組んだ家系を恨んでる人達がいるんですねえ? 要するに? と思うわけで。それで本気でこちら側について「謀反」を企むようになった、ということで。「一寸の虫にも五分の魂」って言われる気がするわけですが。でも、藤氏の持っている力は「一寸の虫」どころじゃないでしょ、ってそれは大多数のご意見なわけで。そういう理由で味方してくれる人達もいるのですねえ?@@ とは思ったわけですが。それで今になって不比等と光明子にまでさかのぼる縁を使う気になったってことは、彼らの「恨み」も相当深いってことなんですよねえ??? ってそう申し上げるしかないわけですが@@。でも、まあ、助けて頂けるのはありがたいことですので、ということで<(_ _)>。