なんだか、届いたような気がするわけですが

ええと、朝起きて、郵便の追跡サービスで調べましたら、夜の間に手紙は渋谷郵便局まで届いていたようで、
「だいたい、経験からいうと、昼頃には届くと思う。」
と言ったわけです。そうすると、誰かさんが
「じゃあ、届くまで事務所に行って張り付いていようかな。」
と呟いているわけで。

で、ですねえ、割と冷静な日記をアップしましたら、その冷静さを評価して下さった方もいたようで、謁見とやらのお約束がもう1件舞い込んで来たわけで。

で、昼近くの11:40頃にですねえ、唐突に誰かさんが、微妙に興奮して、ちょっと頭に血が上って、体は覚めている? みたいな感じになって、ピリピリしてる感じが伝わってくるわけで。「ん?」と思いましたら、唐突に「ものすごいでかい大蛇」に見つめられているような気がしだしたわけで。「もしかして、届いたんだ?」と思うわけですが、それですぐに今度は、3月のMステスペの時に、「暁を買え」って言って、こちらを見ていた福山君の顔に見られているような気がするわけで。(そして、微妙に、確かに服の下まで見られているような感じがちょっとするわけで)
「手紙で結縁する効果ってこういうものなんだ?」
と思ったわけですが、なんというか、それだけでなくて、誰かさんのスタッフが声も出ない感じで
「おっかないよう」
って言ってるのが聞こえてくるわけで@@。で、10分くらいしてから、誰かさんが
「こんなことしてないで、うちに帰らなきゃ。」
って言っているわけで。本気で朝から張り付いてたんですかね? と思うわけですが。で、さらにちょっとしましたら、あたくしが差し上げた情報で、他の二人の居場所も見つけたようで、そっちにも視線を飛ばすものですから、一番目の子とか仕事中なのに気分が悪くなっちゃってたようで、いろんな人に兄さんが「やり過ぎないように」止められてたみたいですがーー;。

 

私の方には、「視線が気持ち悪くないですか?」って聞いてくるものですから、「まあ、この程度なら大丈夫です。」って言いましたら、ずっと視線を感じるわけで。どうもね、
「これで独身貴族な生活ともおさらばだ。」
って呟いてた気もするのですが。ええと、おめでとうございます? というか?? みたいな(苦笑)。福山君の曲に込められている「気」も微妙に強くなったような。家の方では、「届いたよ」とでも言うように飛行機やヘリがたくさん出ましたし、誰かさんは今日は一日オフにして待っててくれたみたいですので。とりあえずは、一発でうまくいって良かったですね、ということで<(_ _)>。(いや、でも一般市民的生活をしていて、働いている人の邪魔しちゃ駄目ですよ。みんながみんな兄さんみたいな自由業なわけじゃないんだから? と思うわけですが@@。)

 

で、1時間くらいしてから、「本当に届いたのかな?」と思っていたら、「追跡サービスで確認してみたら。」って言われたわけで。先方には11:18に到着とありましたので、到着して20分後には、ご当人の手に渡ったんだ? と思ったわけですが。こんなに速攻で渡るとは思ってなかったので、それもちょっとびっくりですが。まあ、無事について良かったと思います。

 

 

それから、AKB48のお嬢様方からは、せめて「心のプラカード」だけでも兄さんに買って貰って欲しい、自分達の働きもちょっとは認めて欲しい、という要請が来たようですので、それもいずれは可ということで。(要するに「目のよろしくない人たち」が送ってくれるものというのは、「力が強すぎる」ものが多いから、家に入れるには兄さんの許可があった方がよろしいと、お味方の皆様はお考えのようで。)AKB48もメンバー二人が握手会で襲撃されたりしてたいへんだったと思いますけれども、それもやはり「応援し過ぎてくれたから」なのだと、やっと私も気が付いたのです。兄さんが忘れていたら、私から買って貰うようにしますので。本当に、頑張ってくれてありがとう、ということで。

朝から石井

ええと、昨夜はこの騒ぎが始まってから、要するに2012年3月からのMステに出演していた福山君の動画を見たくなって、なんとなく見ていたわけです。で、日記をアップした後、なんとなく9月26日の回の百田嬢のコメントを見たくなって、見たら、例の「あなたのくれたこの心は 優しい人を選びました」っていうところが流れるわけで、「あー、『兄さんを悲しませたくない』って言うだけで、そこまで言って貰えるんだ?」と思ったわけですが。

あとはですねえ、どうにも嬉しくなると自分の悪さを勝手にカミングアウトしたくなる兄さんも少しは腹をくくったようで、寝る前にそのあたりのことをちょこちょこおしゃべりしたり、起きる前に、「本筋とは関係なくても、普通のカップルがするようなデートもちょっとはしたい。」とかそんな話をしていたわけで。要するに何でも「力」の強い弱いで決まる世界だから、「力」の弱い一番目の子と二番目の子では私にしてくれることができないことでも、兄さんならできることがちょこちょことあるということで。要するに、どこかに遊びに出かけるにしても、お金の問題ではなくて、一番目の子と二番目の子には恐ろしくてできないことでも、兄さんならできることもあるようです。

で、朝起きて、いつも見にいくニュースサイトを見に行ったら、剛力彩芽ちゃんが「別れても好きな人」をカバーして、デュエットの相手が石井竜也だというニュースが載っているわけで。こういう局面で石井のニュースが載るというのも、けして偶然ではないと思うわけですが、「別れても好きな人」って、石井にとって「別れても好きな人」って誰それ? と思うわけで。私は、敵であろうが誰であろうが「妻帯者のくせにそういうこと言う男が一番嫌いなんだよ!」ということで(苦笑)。で、彩芽ちゃんはけして悪い子ではないと思うわけですが、石井と彼女が並んでいる写真も掲載されていて、で、やはり「気」という点では彩芽ちゃんの方が押されている気がするわけで。石井ってそんなにすごい「気」の持ち主なんだ? と改めて思ったわけです。

で、いろいろな動画を見ていると、石井は妻がイタリア系カナダ人ですし、私がファンをやっていた頃も割とよくイタリアに行っていましたし、「あの男はあなたが思っているよりもずっと敵の中でも地位が高いんですよ。」と教えてくれる人がいるわけで。印欧語系の冷酷な強さを持っている人たちですら、石井とは必要がない限り関わりたくないと思うくらい、彼は「気」の強い人であるらしいです。ううむ。
そして、彼らは兄さんについても、過去のことをいろいろとカミングアウトしても、それでも相手に受け入れて貰えてこそ、真に「力」があるということになるのに、と言うわけで。まあ、そういう考え方も分かりますけれども、というか私もどちらかというとそう思う人間なわけですが、兄さんの方がそういう点では私よりもよほど純粋で真面目な方だと思いますのでねえ? というころで。

ということで、多くのお味方はこの期に及んで、「石井」の力に惑わされない私であることは、それなりに喜んで下さっているようで。

で、私が昨日家に入れた福山君の歌の中で、「よろしくないお歌」はどれだと思うか、と聞かれるわけで。それはたぶん「Message」と「心color」だと思います。「Message」は「恋」って言葉がいっぱい出て来ますので。でも、だいたい兄さんの今の心情にはぴったりのラブソングだと思うので入れてしまったわけで(というか、ご当人が入れて欲しがったと思うわけですが。ほっとけば「HELLO」まで入れて欲しがる兄さんでしょうが、そちらはまあ却下するかわりに、こちらを入れたということで。)。それから「心color」というのはちょっと不思議な曲で、年末を意識して作られた曲なので、年末に歌わない場合のために歌詞が2パターンあるわけで。私が欲しかったのは、「年末じゃないバージョン」だったわけです。で、こちらも「競争」を煽るような曲でもあるので、原則的にはよろしくないお歌だと思うわけですが、でも、この曲って前向きな曲でもありますので、私が福山君の曲で、一番最初に心から「好き」って思ったのはこの曲なのですよねえ。まあ、そういう点では私にとっての「思い出の曲」ということで。しかも、福山君の曲にしては珍しく四季の移り変わりを歌った曲ですので、これで三人三様の「四季の歌」が揃ったのかな、ということで。
要するに、これは印欧語族との勝負に勝ったから、彼らが「贈られた曲だけではなくて、自分が欲しいと思った曲も取ればよい。」と言ってくれたから取ることができるようになった曲なわけです。全体としては、「求愛のお歌」というよりは「軍神気質の歌」が微妙に増えたかな、と思うわけですが。おかげで福山君のベスト版も買えましたし、今まで気がつけなかった「曲」にもいくつか気がつけたから、それで良かったかな、と思うのですが。

で、いろいろなニュースを見ていて気がついたのですが、ここのところあちこちで争乱が起きたりとか、人が大勢無くなるような事故的なことが起きるのは、要するにこれって、「話を進めるのをやめないとどんどん人を殺す」っていう敵からのメッセージなんだ? と気が付いたわけで。そっかー、それだから、お味方は自分達の目の力を全開にして、私が途中で気持ちがくじけて投げ出さないように力を送ってくれるわけだ。そういう光景は「見るに耐えない」ものでもあるから、ということに気が付いたわけです。
もし私が大人しくて、テレビもネットもやらないような純粋無垢な蛙さんであれば、そういう光景は知らぬ間に話は進んでしまったのかもしれないと思います。
情熱家である兄さんや蛇の人たちは、自分達の愛情と人間性を信じて欲しいと願って、その情熱でこの場を乗り切っていこうとしてるのだと思う。
しかし、印欧語族の人たちであれば、「そうやって命を失う人々は、そういう「力」しか持っていないのだから、それだけのこと」と言って、冷酷に切り捨てて、気にもとめないであろうと思う。

 

私自身は、そこまで冷酷に誰かを切り捨てることはしたくないけれども、しかし全体の総意を見て、最終的に多くの人が望む結末を得るためであれば、何があっても冷静に話を進めるべきであると、そう思います。というか、本当に本音を言えば、兄さんがこのまま話を進めるのを止めてしまえば、それはそれで「私は一生家に籠城できるだけしていてやる」って思うわけで、本当は自分の「愛情」というものを一途に信じて欲しいと思う兄さんは、こういうことですら私には書かれたくないらしいですが。私は私で、どんなときでもこういう冷静な計算で生きてきた人間なのでですねえ、そういうところは兄さんとは違う人間ですので、理解できなくても諦めて貰うしかないという点でもあると思うわけです。冷静な計算は、信じてる、信じていないとは別の問題であって、誰かさんみたいに「予想もできないことが起きた時」に固まっちゃうのがイヤな人間なのですよ、私は、ということで(苦笑)。
蛙さんたちの優しさ、蛇さん達の一途な情熱と愛情もすごいと思いますが、印欧語族の人たちが持っている「力ある人に持つ忠誠心」というものも本当にすごいものですし、やはりそれは苛烈ではあっても、蛙さんたちや蛇さんたちだけでは、与えてくれることができない力を与えてくれるもののように思うのです。まあ、私の「冷静」な気質も非常に古い時代に、印欧語族から受け継いだ遺伝子から出ているのかもしれませんが、まあ、でも私は「純血種」な印欧語族とは言いがたいですので、こんな感じの性格になっているのだと思います。

応援してくださる皆様はですねえ、ながのけんの広報に載っている阿部知事の目がすごいな、と思う。
あとは、綾瀬はるか嬢かな、と思います。

っていうか、「朝から石井」っていうところこそが、何もかもが夢ではない、と一番感じる瞬間なわけで。私という人間は、「うれしいこと」というのはどこか疑ってしまうところがあって、でも「不快に思ったこと」は、絶対に忘れないし、そういう目に合わされたことは「信じられる」わけで(苦笑)。そういう点では、復讐心が強いというか、そんな性格傾向が強いわけですーー;。

疲れました

ええと、結論から言うと手紙は出してきました。出さないと各方面から何を言われるか分かりませんし(苦笑)。いろんな人が、いろんなことを言ってくれますが、やはり一番目の子が「迷わないで」って言ってくれのが一番嬉しかったです。でも、たいていの方は私が出すことはあまり疑っていなくて、兄さんの方に「受け取る方がしっかりしなさい」と言ってた方が多かったような。兄さんは、嬉しくなると、「何のために箝口令を敷いたんだか?」と周りが思うようなことをしゃべってしまうらしいですのでねえ(苦笑)。ともかく、「出して貰って、誰かさんのスタッフが一番嬉しいと思っています。」って書いといて下さい、って言われてますので、書いておきますが(笑)。
昨夜は石巻のライブの動画を見て寝たのですが、「Around the world」で「主夫になる」って言って嬉しそうにしていた小蛇さんが可愛かったです。

で、こういう場合の我が家の常として、今日は朝から何だか家の中がヘンでした。でも、週刊誌を買うまで、いろいろとこなせたと思います。朝は9月26日のMステの動画を見ていて、JUJU姐さんの「やさしさで溢れるように」まで聞いて出かけたのでした。
で、さっさと郵便を出して、他にも寄るところがあって、寄ったのですが、あちこちで雑誌の表紙に嵐が載っているのを見かけたのですが、どの雑誌も他の雑誌の下になって、表紙が半分くらい隠れているのですが、何故か翔君だけは見えていて、「これにも意味があるのかな」と思ったりしていました。まあ、彼の「目」も回復してきたようで良かったな、と思います。それから、いつも行くお店で、例によってお酒のコーナーに福山君のスーパードライのポスターと、KIRINの嵐のポスターが並んで貼ってあったのですが、嵐の方を見ると小蛇な兄さんが「そっち見ちゃイヤ」と言うわけで、じゃあ、福山君の方をじっくり見させて頂きましょうかね? ということで、見させて頂いたわけですが。郵便の方は目立つように、ということででかい封筒で出しましたので、まあ、目立つのではないかと思うわけですが、どうなのでしょうか。

で、帰ってきて再び動画を見たのですが、最初に見たのがAKB48で、そういえば「RIVER」の歌い出しでは、まゆゆ嬢が顔に右手を当てて、しかも額に人差し指をあてる仕草をしていまして、「あー、あれってガリレオの湯川先生のポーズだ。」ってやっと気が付いたわけで。皆様にも喜んで頂けたようで嬉しいです。
で、次に見たのは嵐で、どうも松本君が「20年も気が付いて貰えなかったなんで馬鹿な奴」とかって言ってた気がするわけですが(苦笑)。もう、何て書いて出したのかも、出回っているのですねえ、ということで。

で、午後は注文していた福山君の「THE BEST BANG!」と「家族になろうよ ~東日本大震災チャリティシングル~」が届きましたので、「約束の丘」「Message」「少年」「家族になろうよ Wedding Ver.」「心color ~a song for the wonderful year~」をウォークマンに入れたのでした。「家族になろうよ Wedding Ver.」は、私としてはまだ気が早い気もしないでもないのですが、まあ兄さんからのリクエストということで。

あとは「陽動系」のネタとしては、梅宮アンナ嬢が俳優の西島秀俊氏にファンレターを出して、そこに「携帯番号や自宅住所などの個人情報を添えたというのだ」という記事が某所に載りまして。ええと、ファンレターに、こちらの住所を書いちゃいけないんだ? というか、普通の目的で手紙とかファンレターとか書いても、普通こちらの個人情報はある程度書くものじゃないの? 私は石井に限らず、好きな漫画家さんに渡したファンレターとかにも住所とかはちゃんと書いてましたし、どこの誰から貰ったかも分からない手紙なんて逆に失礼じゃないかと思うわけですが。まあ、別に「ファンレター」じゃないからいいんですけれどもね。小蛇な兄さんの言うところの「世紀のプロポーズ」は書いてある気がしますが、「私はファンです」なんて一言も書いてありませんのでね(苦笑)。

で、お味方な方達のネタ、としては柴咲コウちゃん、AKB48の小嶋陽菜ちゃんと乃木坂46の白石麻衣ちゃん、ざわちんさん、沢尻エリカさんのニュースなのだと思う。特にSMAP×SMAPの「一番好きな人」のネタは。それから、最近は松本君のことを褒め称えるニュースが良く目立つ気がします。

 

それからですねえ、今日買った週刊誌にモンゴメリの記事が載っていて、彼女が最後は自殺したと書いてあったわけです。で、モンゴメリの写真もけっこう大きく載っていたわけ。そういう記事を読むと、私は自分が捨ててしまったモンゴメリ全集のことを思い出してしまわずにはいられないし、悲しい気持ちにもなります。何故なら彼女の世界をとても愛していたから。
でも、新しいものの「見方」というものが身についた今となっては、今までとは別の見方をせずにはいられないという点もある。若い頃に「身分違い」の男性と恋におちて、結局それを貫き通すことができずにいたモンゴメリで、相手の男性はその後失恋の痛手なんかも相まって若くして死んでしまったわけで。そして、後に結婚した年上の牧師はやや「うつ」的な傾向のある人で、現実にはモンゴメリはそのために「苦労」したとある。だけど、お味方の皆様は、「モンゴメリの作品の女主人公達を知っているでしょ。みんな、頑固で、家の中のことは全部自分が仕切って、夫でさえも仕切らずにはいられないような気の強い女性ばかりである。それがモンゴメリの本性なんじゃないの?」というわけで。あー、それはそうですねえ、と思うわけで。しかも、彼女の作品の中には、現実の彼女の夫を投影していたと思われる「年上の男性」というものがよく登場するわけで、だいたい女主人公は、しまいにはその相手をむしろ嫌悪していることが多いわけで。それも、あの女の本性なんじゃないの? というわけで。要するに、印欧語族であるモンゴメリは、身分違いの若い頃の恋人は、他の女に渡したくなくて「食い殺した」し、夫には不満があるから夫の人生を「食い潰した」ような人で、それだけに気が強く、あれだけの「言霊」を操れる女性であっても、「敵」には勝てず、しまいに潰されてしまったってそういうことなんだ? と思うわけで。
だから、お味方からすれば、一応応援してくれている文章であっても、「なんで、ああいう女の書く物語が好きなんだろう?」となるようで。それでも、優しい兄さんは、私がモンゴメリの世界を愛しているなら、彼が妥当だと思う分については買い戻してくれるだろう、と思う。そして、きっと買い戻すに妥当でないと思う分については、何か他のことで私を甘やかして埋め合わせをしてくれるつもりなのだろうと思います。
しかし、印欧語族の人々は、「買い戻したければ、全て買い戻せばいい。それがあなたの権利だ。」と言うであろう、というか、そのための記事なんだよね? あれは、きっと、と思うわけで。兄さんが「青い城」しか買い戻したくないのは、他の子の物語まで買い戻してしまったら、結局モンゴメリの世界では、私の中で「自分だけが一番ではなくなってしまうから」ということなのだと思うのです。本が1冊いくら、とかってそういう問題ではないのですよね。でも、もし私が本気を出して、それを押し切って全部買い戻したいと言えば、兄さんは受け入れてくれるだろうと思います。でも、私は、そうしたら兄さんが悲しむと分かっていて、そこまではしたくないかな、と思う。そこまでやって、モンゴメリの作品の女主人公達のように、「家の中での自分の絶対的な地位」を誇示することはしたくないと思う。だから、どうしても彼女の作品が読みたくなれば、図書館で借りて読むとか、何か逃げ道を探して読むことになるのでしょうけれども、まあ、今となってはそこまでの執着心も無いというか。だから、あの記事は「挑戦」というほどのものでもないでしょうけれども、私を「試す」ものでもあったのだな、と思うのです。

さて

昨夜はですねえ、「青い城」が私と兄さんの話で、「赤毛のアン」が私と一番目の子との話であれば、2番目の子との話は何だろう? とか思っていたわけですが。要するに、それはモンゴメリの作品の中では「エミリー・シリーズ」だと思うのです。両親を早くに亡くしたエミリー・バード・スターという少女は、叔母の家に引き取られ、テディという男の子と仲良くなりますが、なんだかんだ言って、二人は順当に仲良くなるのではなくて、ゴールインするまでにかなり長い年月がかかるわけで、離れて暮らす時期も長かったわけです。で、大人になったエミリーは作家になって、子供の頃と同じく田舎の叔母の家で暮らしているわけで、そういう点が、晩婚でかつ作家であったモンゴメリ自身と似ているので、モンゴメリの自伝的要素が一番濃いと言われているのが、このエミリー・シリーズなわけです。で、主人公のエミリーは、それほど強くはないのですが、超能力的な才能を持っていて、ごくたまに「遠くにいる人を見ることができる」ようなことがあるわけです。で、大人になって、テディのことが好きだけれども、打ち明けることもできなかったエミリーは、遠くに離れている彼が「ある船」に乗ることを止めるような、白昼夢ともいうべき幻を見たわけです。で、自分でもその幻の意味を判じかねているところに、かの有名なタイタニック号が沈没した、というニュースが入ってきて、テディはその船に乗る予定だったけれども、エミリーのおかげで船に乗らずにすんだのに、助かった、ということになるわけで。「テディ」というのは「テディ・ベア」という言葉に繋がるので、あれが2番目の子との物語であったのかな、と思う。要するに「水難から人を救う」という点に、大洪水から人を救うというヴィシュヌ神的な要素も含まれていると言うことで。

で、寝る直前に、「ありのままで」の動画を見ましたら、私が「May.J嬢の『ありのままの』の方が好き。」と書いたことを喜んで貰えて、彼女は「それがあなたの本心でなくてもいいのです。あなたの言霊と、私の力で、私は欲しい結果を手に入れてみせます。」と言うわけで。要するに、ギブアンドテイクで、「欲しいもの」を手に入れるような生き方というのは、「よろしくない目」の方達にとっては、かなり当たり前のことなんだな、と思うわけで。ううむ、と思うわけですが。
今日になって、今年の紅白では「アナ雪コーナー」を設けることが確実で、May.J嬢も出演確実とのニュースを見ましたので、これも関係あるのかな? とか思ったりしたわけですが。

で、いろいろな動画を見ていて「fighting pose」等を見ていたのですが、この曲は「家族になろうよ」と両A面という扱いらしいので、要するに「beautiful life」と「GAME」の関係と同じで、「家族になろうよ」が兄さんの「光」の部分に相当するのであれば、「fighting pose」は「影」に相当する部分だと思うのです。だったら、この曲もウォークマンに入れねば、ということで入れたのですが、「勝ち抜くために捨ててきた部分もある」みたいな内容の歌詞があるわけで、別に「それって何のこと?」と思ったつもりもないのですが、どうにも誰かさんはこの曲に気が付いて貰ったことがうれしいあまり、「過去の悪さ」を微妙に思い出したようで、「ん?」と私が思うようなことを考えているわけです。でも、私が気が付けば、自分でも考えるのを止めようとするわけで、まあ、そのまま寝てしまったわけですが。

 

で、朝方、夢の中で誰かと話していたつもりもないのですが、「ともかく朝から石井のネタでいろいろと言われるのは嫌。」と言っている自分に対して、兄さんが笑っているのが分かって、それで目が覚めたわけで。そして、1番目の子と2番目の子と兄さんにはいろいろな物語があるけれども、4番目の子にはありませんねえ、と思うわけで。まあ、そういうものが「無い」方が、そこに被ってくる「呪い」みたいなものが少なくなるからそれも良いのかな? とも思うわけですが。
そうすると、兄さんが「三銃士」ってあるでしょ? と言うわけで。これは、歴史的事実を元にしたフィクションであって、物語の中では、ルイ十三世とその王妃アンヌ・ドートリッシュ(スペイン王女)、その子ルイ14世に仕えた「ダルタニャン」という銃士隊長の若かりし頃から、晩年までを書いた物語で、「三銃士」というのはダルタニャンの若かりし頃からの親友であった三人の銃士のことで。そういえば、4人いますね? 一番若いダルタニャンが4番目の子なんだ? と思うわけですが。でも、物語の中では、彼は生涯独身ですし? と思うわけで。
で、いろいろと考えた結果、「三銃士」というのは、アンヌ・ドートリッシュとその子だるルイ14世を支えた「四人の臣下」の話なわけで、ヒロインに相当するのはアンヌ王妃なわけだ。「力」あるものが、階級の上位を占めるのが当然の印欧語的文化では、男性の方が力が弱ければ、それは「夫」であっても「臣下」であっても、意味するところは似たようなもので、要するに「下位のものは上位のものに仕える」のが当然であるし、その力関係が逆転すれば、容易に謀反なんかが起こるのが彼らの社会であるわけで。
アンヌ王妃は、夫との仲が悪くて、若い頃はとても苦労しましたが、ルイ14世を生んで(ルイ14世は13世の実の子ではないのではないか、という噂もあるくらいなのですが)、夫が亡き後は、幼いルイ14世の摂政となり、有能なマザランを宰相に任命して幼王の政権を支えた人物であり、しかもマザランとは愛人関係にもあったわけで。そして、その結果ルイ14世は、ブルボン王家の最大の栄華を誇る王になるわけで。要するに、印欧語的な文化では、アンヌ・ドートリッシュのように生きても、人々の上に君臨して、国家を統率していける「能力」のある人であれば、その「能力」こそが尊重されるのであり、銃士隊の忠誠もその「能力」に捧げられるもののようです。なるほどねー、ということで。でも、ダルタニャンは知略に優れた有能な軍人という設定ですので、4番目の子というイメージであるよりは、松本君とかに相応しいイメージであるような気もするのですが、まあ、そこは一人を手に入れれば「全体を手に入れたも同じ」ということになるらしいので、誰が「ダルタニャン」に相当しても良いらしいのですが。デュマの書いた「ダルタニャン物語」(その内の第1巻が「三銃士」なのですが。)は、イエズス会の正体とかも詳しく教えてくれているわけで、貴重な作品ではあるのです。

 

で、その後、昔、行った石津太神社という神社のことを何となく思い出したので、ネットで改めて検索してみたわけです。大阪の南の方にあるこの神社は、特に有名な神社ということもないと思うのですが、この頃は、機会があれば各地の神社巡りがしたい、と思っていましたので、自分から「石井ネタ」を振るのも何ですが、石井のファンクラブイベントを大阪まで見に行って、飛行機で行って関空を利用したものだから、ついでにその辺りの神社仏閣もうろうろしたわけで、住吉大社とか四天王寺とかも行ったわけです。
で、地元で古そうな神社に行こうと思って、このあたりに石津太神社と石津神社というものがあって、良くは知らないけれども、古そうだと思って行ったわけです。で、行ったら、あのあたりの戎・事代主を祀った神社としては最古のものとなるようで。「あー、それって一番目の子のことですねえ?」と今になれば思うわけで。ここの神社は、よろしくない神様も祀っているわけで、社殿が二つあって、北殿に蛭子命・八重事代主命・天穂日命、南殿に建御名方富命・天照大神と祀られているわけで。行ったときには、何も知らなくて、堺市に諏訪神が祀られている神社があるとも思っていなかったので、まるで先祖の神に呼び寄せられたかのようだ、と思ったものなのですが。要するに、ここへ行けば非常に古い時代の「一番目の子」に結縁できる。しかも、建御名方富命と天照大神が同一社殿に祀られているって、呼んだのは先祖の霊ではなくて、兄さんでしたね? とやっと思ったわけですが。確かに、諏訪神と天照大神が同一社殿なんて、何かヘン? と思った記憶も無きにしもあらずですが。でも、何故「ここだけ事代主と諏訪神が並んで祀られているんだろう?」と思ったことは覚えています。そういう神社ってあまり見かけないものですから。
でも、それでは2番目の子がいませんねえ? と思うわけで。で、もう一つの石津神社の方を調べてみれば、そちらには大国主命が祀られているわけでーー;。要するに、結局みなさまに言わせれば、「呼ぶ力」は兄さんの方が格段に上なので、結局私が石津太神社の方にしか行かなかったこと、それも結局は兄さんと2番目の子との「力の差」ということになるようで。一番理想的であったのは、どうせ行くのであれば、石津太神社と石津神社の両方に行けたら良かったのだな、と思うのです。

で、この辺りの神社を回った後、イベントを見に行って、その日のゲストはギタリストのChar氏であって、この方はファンに布教はしないけれども「創価」ってことでは有名な方であって。で、私の席は二階席の前の方だったわけで、ステージの上から石井とChar氏が私のことを、一瞬ではあっても「見ていた」ことは知っているわけです。まあ、石井が私のことを知っているのは当然だと思っていましたので、そのつながりでChar氏も知っているのだろう、と当時は思っていたわけで。だから、「芸能人が私のことを知っている」という点では、当時からあまり違和感なく感じていたわけで。その理由が分かったのは最近で、理由の方がむしろ自分でも驚くようなものだったわけですが。

で、次の日は四天王寺に行ったわけで。そっか、四天王寺には仏舎利がありますし、名前の通り「四天王」を祀る寺といえます。だから、4人なんだー、「三銃士」における三人の銃士とダルタニャンというのは、「仏法を守る四天王」を鏡映しのように映したものなんだ? と初めて気が付いたわけで。そして、仏舎利といえば、善光寺にもタイから贈られた仏舎利があるわけで、お戒壇巡りをすれば、仏舎利と結縁できる、要するに「釈迦」の「次に来る者」が直接、先代の意志と結縁できる場となるわけで。だから、わざわざタイから仏舎利が贈られたんだ? 結縁させるために? と気が付いたわけで。あの日、四天王寺に行ったことにも意味があったんだ。おかげで、帰りの飛行機に乗る登場時間が過ぎてから関空について、係の人からは怒られたわけですが。
アンヌ王妃の名の、「アンヌ」とはやはり「イナンナ」と同系列の名なわけですから、イナンナという名の「神」を守る4人の銃士(要するに四天王)という意味で、あの作品は書かれているし、イエズス会の本性を強く警告している物語ですし、作者のアレクサンドル・デュマという人は、味方でもありますし、ものすごい「言霊」の使い手でもあったのだな、と思います。

で、今日はちょこちょこと動画を見ていたわけですが、そうすると「よろしくない目」の人の中にも2種類いて、一つは、最初は私の目に見られるのを嫌がっていても、しまいに「負けた」と感じれば、いろいろと思っていることを教えてくれる人たちがいるわけです。で、もう1種類は、いくら「見て」も何を考えているのかが分からないわけで。で、そういう人たちの歌を念入りに聴いていると、結局、彼らの心の奥底には「渇望」というものしかないわけで、私は医者だからこういう言い方になるのかもしれませんが、昔の糖尿病というのは原因が良く分かっていないから、罹患した人は、食べて食べて食べ続けたくなるけれども、摂取した糖を利用することができないからどんどん痩せていくわけで、異常な食欲だけが継続することになるわけで。要するに、そこには「他人は食べ物」という思想は見えるわけですが、その「渇望」が病的なまでにすごすぎて、「他人を食べる」ことにしか興味がないようにしか見えないわけです。だから、そういう人たちは、一見して良い歌を歌っても、よろしくない歌を歌っても、そこに込められている「言霊」は「餌を呼ぶためのもの」でしかないわけで、そうやって「来い、来い」と呼んで、呼び寄せたものを「食い物」にすることが彼らは好きだし、対象が自分よりも「強い」ものであるから、「負けて」しまうことはあるかもしれないけれども、そういうことすらも気にならないほど「呼び続ける」ことに執着しているから、ある意味では「負ける」ことも、目の力を使いすぎて「自分が潰れる」ことも気にしていないわけで。でも、彼らの中にも強弱はあって、支配する力が強いものの方が、弱い者を支配して、弱い者を食い物にしたり、「餌」となるものを呼び寄せることをさせたりするわけで。そして、そこまで獲物を「呼んで食べる」ことしか根本的に考えていないので、表面的には言葉も話すし、頭が良い人もいるかもしれないけれども、心の奥底では、人間らしさのかけらも無ければ、自分が死ぬことすらも何とも思っていないような「狂気」を抱えているように思えるのです。だから、こちらに対して思っていることを話してくれることもないし、ただ呼ぶだけ、ということになるわけで。
真の「敵」ではない印欧語的な文化の人たちは、いかに冷酷で苛烈であっても、彼らなりの生き方、信念みたいなものがありますが、「真の敵」である人たちというのは、そういうものすら「無い」人たちの集合体であって、力の強い者が、弱い者を使ったり、喰ったりしているだけだから、集団ではなくて、個々で動いていたとしても、「同じ事」しかしないように見えます。そして、「食べたい」だけだから、そのせいでバランスが崩れたりとか、環境が破壊されても全く「気にしない」わけで。これが「敵の本性」の「抱えている狂気」なんだ、と気が付いたわけですが。

そして、彼らにも力の強弱があるから、うかつに接触すれば、こちらが巻き込まれて使われてしまう可能性だってあるわけですが、普通に「良くない目」をお持ちの皆様にとっては、その「狂気の人々」であっても「食い物」であるわけで、その「狂気」ですら、利用できる力があれば利用すれば良い、というそういう力強さをも併せ持ってるのが、印欧語族なのだと思われます。

で、「fighting pose」を聴いていると、どうにも嬉しくなっちゃった誰かさんが、微妙に目を回して、昔のことを思い出しているのが分かるわけで。「どうでもいいのですけれども、なんで「悪さ」をしている時に服を着ているのですかねえ?」とつい聞きましたら、「嫌いな女とやる時には、できるだけ直接肌に触れられたくなくて、服を着ていた。」とか言われた気がするのですけれどもねえ? 潔癖症ですねえ??@@ というか、他に言葉が出てこないわけでーー;。

しかも、某ニュースサイトではですねえ、ASKA容疑者の愛人が、公判で赤裸々な性生活を語ったとかで、それによると部屋にベッドがあるのに、床にマットレスを敷いて、その上にバスタオルをかけて、いろいろといたしていたそうで。それが「まるで風俗店のようだ」とか、書いてあるわけで。へー、風俗店ってそういうものなんだ? っていうか、「風俗店通いを公言している云々」っていうネタも、そういえば、ありましたよねえ?? これも妨害の内の陽動ってやつですよねえ?? 敵の陽動もエグいですが、ご当人がしゃべることもなんかすごい気がするのは、私の気のせいですよねえ?? とか思うわけですがーー;。

それから、ニュースサイトに華原朋美ちゃんのニュースが載って、GLAYのTAKURO氏と東京駅で会って、彼女が「HOWEVER」をカバーしたので挨拶に行ったら、「お互いに生きていればいいことあるね。」と言われたとかで。これって、私が兄さんよりもTAKUROさんの方がミュージシャンとしては上だと思う、って言ったことと関係があるのかな、とか思ったわけですが。朋ちゃんもNHKホール等でコンサートツアーを行っている最中と言うことで、オレンジ色の衣装を着て、楽しそうに歌っている写真も見れてうれしかったですし、だいたいその程度の規模のツアーから始めるのが、今の朋ちゃんにとっても丁度良いのかな、と思うのです。なんだか大きな箱でライブをやるほど、ステージの上の人にかかる負担も大きそうですのでね。

あとは、サウジアラビアの聖地メッカ(Mecca)で、イスラム教の大巡礼「ハッジ(Hajj)」の最後を飾る「犠牲祭(イード・アル・アドハ、Eid al-Adha)」を迎えた、という記事が目立つわけで。カアバ神殿の写真と、「ハッジ3日目の犠牲祭では、悪魔に見立てた柱に向けて巡礼者らが石を投げるが、これは悪魔に抵抗するとの意志を示すものだ。」という記事が載っていたわけで。こういう記事がニュースサイトに載る年というのも珍しいように思います。きっと誰もが、「真の悪魔」の本性が見抜けるように、そして手紙も出せるように祈ってくれているのだと思う。「あなた方の上にも、平安がありますように。」と、今の私にはそうお返しすることしかできないのです。

手紙はまあ、出すでしょう。でないと、兄さんの周囲にいる方々に「平安」があるのかどうかが、確信が持てませんものでね(苦笑)。(しかも、こういう時には「WALK」がかかる時に、すごい強い気が込められているのが分かるわけで。あの裁判の記事を申し訳なく思って下さっている関係者の皆様も、きっと多いことなのだと思うのです。そういう方々のお気遣いも本当に有り難いことだと思うのです。)

告げ口三昧

朝の4時頃、起こされて
「だいたい、あなたあの時、東京地裁の建物が崩壊して、中に居る人がどうにかなればいいとも思ったでしょ?」
と誰かに言われたわけで。
「あー、裁判を抱えてましたし、そういうことも思わないではなかったような気がしますけどねえ? でも、そこまで露骨なことを書いたかどうかまで記憶にないのですけれども?」
と思ったわけです。要するに「言霊」の力と言っても、言ったこと、思ったことが全て実現するわけではなくて、それを望む人と、与える人の気持ちが互いに真剣で、ぴったり一致している時に、最大に効果が発揮できるということで、そうでなければ必ずしも実現するわけでもないようで。例えば、兄さんが私を呪うような歌を「代償」として、作って歌っても、本当はそんなことしたくないから、そもそも歌うご当人は悲しそうな顔をしているわけですし、私の方もそういうことには耐性が強いので、気にもとめなかったりするので、そういう場合には「呪いの効果」なんて無いも同然なわけで。
だけど、逆に、兄さんが一番目の子と二番目の子を「呪う歌」を歌うときは、本気で怒って呪ってるし、力の差があり過ぎるので、要するにそういう歌が「溜まりすぎてて」一番目の子と二番目の子は、「身動きが取れなくなってる」状態であって、自分から私に会おうとすることができないようで。だから、兄さんとしては、その「呪い」を解くためには、事態が自分の思うとおりになるまで、自分に協力するように、と求めていたわけで、なんとかして「神婚」の話を進めたい蛙さん達は兄さんの要求をのまざるを得なかったわけだ。

で、結局兄さんとしては、可能であれば自分の子供を産んで貰いたいし、蛙さんたちは蛙さんたちで、ちゃんとした「蛙の子孫」も残して欲しいわけだから、そこで4人目の子が選ばれて、どうも兄さんの子供を無事産んだ場合には、次は4番目の子の子供を産んで欲しいと思ってらっしゃるようで。そうして、「家を残す」ために「強い遺伝子」を持つ者の子供を優先的に産んで欲しいと思ってるらしいです。なるほどね、「結婚と出産」とは、まるっきり「家」のための「妥協と打算」の産物なんだ? と思うわけですが。でも、兄さんの本音としては、結局彼は彼で「被爆2世」という背景を持っていて、自分自身は健康でも、残す遺伝子についてはどこか不安を持っているわけで、家のために「ちゃんとした健康な蛙の遺伝子も残した方がいい」と思っているわけだ。で、それについては、一番目の子も二番目の子もすぐには認める気はないわけで、ともかくあまり力のない彼らには、昔何もできなかった分、まず「夫」としての義務を果たせ、でなきゃ呪いは解いてやらん、と思っているようでーー;。
まあ、でも私も閉鎖的な社会で長年にわたって培われた遺伝子異常をあからさまに持ってる身なんで、遺伝子的なことでいろいろ言う気は全くないわけですが、要するにこれが誰も彼もの「総意」ということなわけだ。(蛙さんたちは、4番目の子となら「いい子」が生まれるであろうけれども、兄さんとの間だと、毒々しい言霊を吐く大蛇が生まれるんじゃないかと、思っているようで。なんか、自分が化け物みたいな蛇女みたいに思えるんですけど? と思うわけですがーー;。)

それから、どうも兄さんには手紙だけではなくて、「ハンカチ」を送って欲しい、と言われるわけで、そんなこと言われましても手紙を書くのも急に言われて、突貫工事で書いているのに、プレゼントに相応しいようなハンカチなんかあったっけ? と思うわけで。そうしましたら、下ろしたまま使ったことのない「青い花柄のタオルのハンカチを送れ」と言われるわけで。あー、そういえばそういうハンカチがありましたね。あれでいいんだ? と思ったのですが、要するに
「他の二人にはクッションがあるんだから、兄さんにはあれを送れ。」とか
「あんた、石井にはさんざん細々としたプレゼントを贈ったのに、こっちにはハンカチの1枚もなしかい!?」とか
「あれは元々2枚組のハンカチだから、1枚を贈って、もう1枚は手元に置いておいて、離ればなれになった二人がまた一つになれるように、とおまじないをかけなさい。」
とか
「彼が石巻中学校に贈ってくれたタオルのお返しに、あのハンカチをあなたから贈ってあげて。」
とか、いろいろと言われるわけで。朝の4時から、また石井のネタを引きずるんだ? と思うわけですが、まあ、事実だから何も言えないわけですし、別に贈って欲しいのなら、なんでも贈りますけれどもね? ということで。むき出しのまま送るのもいやですし、確かどこかにラッピングペーパーもとっておいたような? と思って探してみましたら、意外とあっさり見つかりまして。それを見て、白鳥兄さんがチョコボみたいな声で、「ヤッター」って言ってましたので、まあ、これで正解なのかな、と思うわけですが。

あとは、「赤毛のアン」の作者モンゴメリには、「青い城」という作品がありましたよね? と言われるわけです。そう、「赤毛のアン」はシリーズものになっていて、全部で10冊近くあったと思うのですが、「青い城」は、1冊だけの本で、内容は、そこそこ能力があっても、友達もいないし、家族にもあまり理解されていなかった孤独な中年女性が、ふとしたきっかけで家を出て、出た先で知り合った誠実だけれども、正体不明の男性を好きになって、相手のことをよく知らないけれども、その男性と結婚して、一緒に暮らして生活しながら互いを知り合って、本当の夫婦になっていく物語で、二人が暮らした森の中の小さな小屋を、ヒロインが「青い城」と呼んでいたからそれがタイトルになっているわけで。モンゴメリらしい、ロマンチックな作品で、私はけっこう好きで、あちこち引っ越しを繰り返す内に、持っていたモンゴメリ全集を実家にしまいこむようになっても、この1冊だけは持ち歩いていたわけで。
ヒロインの夫の職業は何ですか? 作家だったでしょ? 「言霊」を使うのが仕事の人です。あなたと同じように「言霊」を使うのが得意な男が一人いるでしょ? よく知り合ってもいない二人。だけど、これから結婚生活を始めようとしてる二人って誰のことですか? って聞かれるわけで。
要するに、モンゴメリの作品は「良いもの」ではないわけですが、「赤毛のアン」シリーズが私と一番目の子の物語なのであれば、「青い城」は私と兄さんの物語なんだ?@@ って気が付いたわけで。で、更にあの、ヒロインの名前はなんていうか思い出せますか? と言われるわけで。ええとですねえ? ヴァランシー・スターリングっていうんじゃなかったでしたっけ? と思い出したわけで。ヴァランシーって子音に直すと「B-N-(K)S」ってことですよねえ? あー、それって「フェニックス」のことですねえ? と思うわけで。スターリングというのは、「スター」のことでもありますから、子音に直せば「(K)S-T」ということで、「蛙」ということだから、あのヒロインの名前は「蛙のフェニックス」と意味になるんだ? ということで。

そうすると、「アンネの日記」のことを思い出して、と言われるわけです。この日記を書いた少女の名は「アンネ・フランク」です。アンネというのは、アン女神あるいはイナンナ女神と同系統の名前です。「フランク」というのは、f音がbから派生したものであるとすれば、「(B)F-N-K」となるわけで、ああ、彼女の名は「イナンナ・フェニックス」というのと同じ事だと気が付いたわけで。

 

そういえば、昨日手紙を書き上げた時に、兄さんが「狩の神オヌリスの名にかけて、必ず狩り出してやる。」と燃えていたわけで、オヌリスというのは獅子頭のメヒト女神の夫でもありますが、その子音は「(B)O-N-(K)S」だから、これも「フェニックス」ということで、これは男性ですからMステでのMCの通り、福山君のことということで。

 

こうやって、「獅子」という名、「フェニックス」という名、「誰でもない」という意味の「アメン」と「アン」という名、どうしても「同じ名」を選んでしまう二人。その二人のために、「青い城」の呪いを私たちが解いて上げましょう。あの本をいつか兄さんに買い戻してもらいなさい。こうして、かけられた呪いを解けるだけ、一つ一つ解いていって、真の意味での「自由」になりなさい。その力のあるものだけがそれを成し遂げることができる。それが私たちの言う「自由」という言葉の真の意味です。と「よろしくない目」の人たちは言うわけで。そうはいっても、あなた達の言う「自由」とは、弱者を徹底して「食い物」扱いする「自由」でもあると思いますので、私としては額面通りのその言葉を受け取る気にはならないわけですが。でも、自分が動きたい範囲で、動ける程度の「自由」は欲しいわけですから、その程度にはその言葉を受け取っても良いのかな、とそれだけのことなのだと思います。

(っていうか、メヒト女神の夫であるオヌリスが「フェニックス」ということは、3月の時点から、「私はあなたの夫です」って言ってたんだ? と思うわけで。すみませんねえ、気が付くのが今になって?? と思うわけですが 苦笑。)

そして、これらの情報をくれたお返しにMay.J嬢は、「ありのままに」について、松たかこさんのバージョンと自分の歌うのと、どちらが好きかと、私にお尋ねになるわけで。松さんのバージョンは、松さんはこちらのお味方だと思いますので、声だけ聴いていると、彼女の方が温かみのある歌声だと思うのです。ただし、彼女の歌はあくまでも「劇中歌」なわけで、それこそ魂が入っていないのに、目だけが狂気の目をしている人形が歌い狂っている場面とセットなものですから、全体をみれば気持ちの良いものではないわけで。
で、エンディングテーマとしてのMay.J嬢の「ありのままに」は見ていませんが、少なくともテレビで歌っているお姿を見る限りでは、いくら「よろしくない目」であっても、生きている人が歌っている魂のこもったお歌である分だけ、あなたの方がましです、と思うわけで。しかも、今となっては、この動画を見ると、May.J嬢がいろいろと言ってくれるわけで、そういう才能とか、兄さんが熱くなっちゃって他の人がみな追い出されているような状況でも、私の中にあっさりと入ってくれるその才能とか、おかげで助けて貰ってとても助かったということがありますので、他の人の言い分はともかく、私は松さんの「ありのままで」よりは、あなたの「ありのままで」の方が好きです、と思うわけです。その言い分の全てに賛成できなくても、それこそ、ありのままの気持ちを率直に語って下さることは、やはり私にとってはありがたいことなのだとも思います。

 

それにしても、「よろしくない目」の方々にずいぶんと懐かれてしまった気がするのですが、基本的に長い間の「一神教」に慣れている皆様は、この私しか認めない、というような気持ちがお強いようで。おかげで、兄さんと蛙さんたちが、私に隠れて裏でどんな取引をしようが、「そんなこと自分達には関係ない」ということで、私に教えに来てくれるつもりもおありのようで。まあ、個人的にはそのくらいの方が、本当に有り難い、とか思うわけですが<(_ _)>。

 

それから、石巻でのライブは、私があの地震で行ったことに対して、みな報酬を支払いたいと思ったけれども、私の方は「気」でお礼を貰っても、良く分からないし、使い方も知らないということで、みんな私の代わりに、兄さんを応援することで、「報酬を支払って」くれたということでもあるようです。いろんな人たちの思いに支えられて、ここまで来たのだな、と思います。