朝の4時頃、起こされて
「だいたい、あなたあの時、東京地裁の建物が崩壊して、中に居る人がどうにかなればいいとも思ったでしょ?」
と誰かに言われたわけで。
「あー、裁判を抱えてましたし、そういうことも思わないではなかったような気がしますけどねえ? でも、そこまで露骨なことを書いたかどうかまで記憶にないのですけれども?」
と思ったわけです。要するに「言霊」の力と言っても、言ったこと、思ったことが全て実現するわけではなくて、それを望む人と、与える人の気持ちが互いに真剣で、ぴったり一致している時に、最大に効果が発揮できるということで、そうでなければ必ずしも実現するわけでもないようで。例えば、兄さんが私を呪うような歌を「代償」として、作って歌っても、本当はそんなことしたくないから、そもそも歌うご当人は悲しそうな顔をしているわけですし、私の方もそういうことには耐性が強いので、気にもとめなかったりするので、そういう場合には「呪いの効果」なんて無いも同然なわけで。
だけど、逆に、兄さんが一番目の子と二番目の子を「呪う歌」を歌うときは、本気で怒って呪ってるし、力の差があり過ぎるので、要するにそういう歌が「溜まりすぎてて」一番目の子と二番目の子は、「身動きが取れなくなってる」状態であって、自分から私に会おうとすることができないようで。だから、兄さんとしては、その「呪い」を解くためには、事態が自分の思うとおりになるまで、自分に協力するように、と求めていたわけで、なんとかして「神婚」の話を進めたい蛙さん達は兄さんの要求をのまざるを得なかったわけだ。
で、結局兄さんとしては、可能であれば自分の子供を産んで貰いたいし、蛙さんたちは蛙さんたちで、ちゃんとした「蛙の子孫」も残して欲しいわけだから、そこで4人目の子が選ばれて、どうも兄さんの子供を無事産んだ場合には、次は4番目の子の子供を産んで欲しいと思ってらっしゃるようで。そうして、「家を残す」ために「強い遺伝子」を持つ者の子供を優先的に産んで欲しいと思ってるらしいです。なるほどね、「結婚と出産」とは、まるっきり「家」のための「妥協と打算」の産物なんだ? と思うわけですが。でも、兄さんの本音としては、結局彼は彼で「被爆2世」という背景を持っていて、自分自身は健康でも、残す遺伝子についてはどこか不安を持っているわけで、家のために「ちゃんとした健康な蛙の遺伝子も残した方がいい」と思っているわけだ。で、それについては、一番目の子も二番目の子もすぐには認める気はないわけで、ともかくあまり力のない彼らには、昔何もできなかった分、まず「夫」としての義務を果たせ、でなきゃ呪いは解いてやらん、と思っているようでーー;。
まあ、でも私も閉鎖的な社会で長年にわたって培われた遺伝子異常をあからさまに持ってる身なんで、遺伝子的なことでいろいろ言う気は全くないわけですが、要するにこれが誰も彼もの「総意」ということなわけだ。(蛙さんたちは、4番目の子となら「いい子」が生まれるであろうけれども、兄さんとの間だと、毒々しい言霊を吐く大蛇が生まれるんじゃないかと、思っているようで。なんか、自分が化け物みたいな蛇女みたいに思えるんですけど? と思うわけですがーー;。)
それから、どうも兄さんには手紙だけではなくて、「ハンカチ」を送って欲しい、と言われるわけで、そんなこと言われましても手紙を書くのも急に言われて、突貫工事で書いているのに、プレゼントに相応しいようなハンカチなんかあったっけ? と思うわけで。そうしましたら、下ろしたまま使ったことのない「青い花柄のタオルのハンカチを送れ」と言われるわけで。あー、そういえばそういうハンカチがありましたね。あれでいいんだ? と思ったのですが、要するに
「他の二人にはクッションがあるんだから、兄さんにはあれを送れ。」とか
「あんた、石井にはさんざん細々としたプレゼントを贈ったのに、こっちにはハンカチの1枚もなしかい!?」とか
「あれは元々2枚組のハンカチだから、1枚を贈って、もう1枚は手元に置いておいて、離ればなれになった二人がまた一つになれるように、とおまじないをかけなさい。」
とか
「彼が石巻中学校に贈ってくれたタオルのお返しに、あのハンカチをあなたから贈ってあげて。」
とか、いろいろと言われるわけで。朝の4時から、また石井のネタを引きずるんだ? と思うわけですが、まあ、事実だから何も言えないわけですし、別に贈って欲しいのなら、なんでも贈りますけれどもね? ということで。むき出しのまま送るのもいやですし、確かどこかにラッピングペーパーもとっておいたような? と思って探してみましたら、意外とあっさり見つかりまして。それを見て、白鳥兄さんがチョコボみたいな声で、「ヤッター」って言ってましたので、まあ、これで正解なのかな、と思うわけですが。
あとは、「赤毛のアン」の作者モンゴメリには、「青い城」という作品がありましたよね? と言われるわけです。そう、「赤毛のアン」はシリーズものになっていて、全部で10冊近くあったと思うのですが、「青い城」は、1冊だけの本で、内容は、そこそこ能力があっても、友達もいないし、家族にもあまり理解されていなかった孤独な中年女性が、ふとしたきっかけで家を出て、出た先で知り合った誠実だけれども、正体不明の男性を好きになって、相手のことをよく知らないけれども、その男性と結婚して、一緒に暮らして生活しながら互いを知り合って、本当の夫婦になっていく物語で、二人が暮らした森の中の小さな小屋を、ヒロインが「青い城」と呼んでいたからそれがタイトルになっているわけで。モンゴメリらしい、ロマンチックな作品で、私はけっこう好きで、あちこち引っ越しを繰り返す内に、持っていたモンゴメリ全集を実家にしまいこむようになっても、この1冊だけは持ち歩いていたわけで。
ヒロインの夫の職業は何ですか? 作家だったでしょ? 「言霊」を使うのが仕事の人です。あなたと同じように「言霊」を使うのが得意な男が一人いるでしょ? よく知り合ってもいない二人。だけど、これから結婚生活を始めようとしてる二人って誰のことですか? って聞かれるわけで。
要するに、モンゴメリの作品は「良いもの」ではないわけですが、「赤毛のアン」シリーズが私と一番目の子の物語なのであれば、「青い城」は私と兄さんの物語なんだ?@@ って気が付いたわけで。で、更にあの、ヒロインの名前はなんていうか思い出せますか? と言われるわけで。ええとですねえ? ヴァランシー・スターリングっていうんじゃなかったでしたっけ? と思い出したわけで。ヴァランシーって子音に直すと「B-N-(K)S」ってことですよねえ? あー、それって「フェニックス」のことですねえ? と思うわけで。スターリングというのは、「スター」のことでもありますから、子音に直せば「(K)S-T」ということで、「蛙」ということだから、あのヒロインの名前は「蛙のフェニックス」と意味になるんだ? ということで。
そうすると、「アンネの日記」のことを思い出して、と言われるわけです。この日記を書いた少女の名は「アンネ・フランク」です。アンネというのは、アン女神あるいはイナンナ女神と同系統の名前です。「フランク」というのは、f音がbから派生したものであるとすれば、「(B)F-N-K」となるわけで、ああ、彼女の名は「イナンナ・フェニックス」というのと同じ事だと気が付いたわけで。
そういえば、昨日手紙を書き上げた時に、兄さんが「狩の神オヌリスの名にかけて、必ず狩り出してやる。」と燃えていたわけで、オヌリスというのは獅子頭のメヒト女神の夫でもありますが、その子音は「(B)O-N-(K)S」だから、これも「フェニックス」ということで、これは男性ですからMステでのMCの通り、福山君のことということで。
こうやって、「獅子」という名、「フェニックス」という名、「誰でもない」という意味の「アメン」と「アン」という名、どうしても「同じ名」を選んでしまう二人。その二人のために、「青い城」の呪いを私たちが解いて上げましょう。あの本をいつか兄さんに買い戻してもらいなさい。こうして、かけられた呪いを解けるだけ、一つ一つ解いていって、真の意味での「自由」になりなさい。その力のあるものだけがそれを成し遂げることができる。それが私たちの言う「自由」という言葉の真の意味です。と「よろしくない目」の人たちは言うわけで。そうはいっても、あなた達の言う「自由」とは、弱者を徹底して「食い物」扱いする「自由」でもあると思いますので、私としては額面通りのその言葉を受け取る気にはならないわけですが。でも、自分が動きたい範囲で、動ける程度の「自由」は欲しいわけですから、その程度にはその言葉を受け取っても良いのかな、とそれだけのことなのだと思います。
(っていうか、メヒト女神の夫であるオヌリスが「フェニックス」ということは、3月の時点から、「私はあなたの夫です」って言ってたんだ? と思うわけで。すみませんねえ、気が付くのが今になって?? と思うわけですが 苦笑。)
そして、これらの情報をくれたお返しにMay.J嬢は、「ありのままに」について、松たかこさんのバージョンと自分の歌うのと、どちらが好きかと、私にお尋ねになるわけで。松さんのバージョンは、松さんはこちらのお味方だと思いますので、声だけ聴いていると、彼女の方が温かみのある歌声だと思うのです。ただし、彼女の歌はあくまでも「劇中歌」なわけで、それこそ魂が入っていないのに、目だけが狂気の目をしている人形が歌い狂っている場面とセットなものですから、全体をみれば気持ちの良いものではないわけで。
で、エンディングテーマとしてのMay.J嬢の「ありのままに」は見ていませんが、少なくともテレビで歌っているお姿を見る限りでは、いくら「よろしくない目」であっても、生きている人が歌っている魂のこもったお歌である分だけ、あなたの方がましです、と思うわけで。しかも、今となっては、この動画を見ると、May.J嬢がいろいろと言ってくれるわけで、そういう才能とか、兄さんが熱くなっちゃって他の人がみな追い出されているような状況でも、私の中にあっさりと入ってくれるその才能とか、おかげで助けて貰ってとても助かったということがありますので、他の人の言い分はともかく、私は松さんの「ありのままで」よりは、あなたの「ありのままで」の方が好きです、と思うわけです。その言い分の全てに賛成できなくても、それこそ、ありのままの気持ちを率直に語って下さることは、やはり私にとってはありがたいことなのだとも思います。
それにしても、「よろしくない目」の方々にずいぶんと懐かれてしまった気がするのですが、基本的に長い間の「一神教」に慣れている皆様は、この私しか認めない、というような気持ちがお強いようで。おかげで、兄さんと蛙さんたちが、私に隠れて裏でどんな取引をしようが、「そんなこと自分達には関係ない」ということで、私に教えに来てくれるつもりもおありのようで。まあ、個人的にはそのくらいの方が、本当に有り難い、とか思うわけですが<(_ _)>。
それから、石巻でのライブは、私があの地震で行ったことに対して、みな報酬を支払いたいと思ったけれども、私の方は「気」でお礼を貰っても、良く分からないし、使い方も知らないということで、みんな私の代わりに、兄さんを応援することで、「報酬を支払って」くれたということでもあるようです。いろんな人たちの思いに支えられて、ここまで来たのだな、と思います。