要するに、ムスリムの人たちにとっては、「KBの神」とは、彼らの寛容な宗教の象徴であって、例え力などなくても、「豊穣と寛容さの象徴としてのKBの神」であってさえくれれば、神や信仰とは、彼ら自身が「戦って守っていかなければならないもの」であって、それが彼らにとっての「聖戦」という概念なのだと思います。だから、神自身が先頭に立って戦うことを、そもそも想定していない穏やかな宗教といえます。
その一方、仏教とは、軍神であることが求められるけれども、その全てを投げ捨てて、尚且つ自分を律して、人々を救う「力」を神というよりは「釈迦」という存在に求めているわけで。でも、その姿は、仏教の前身といえる、バラモン教の神ヴィシュヌの姿(ヴィシュヌとは大洪水から人類を救ったとされる神です。要するにこの場合の「大洪水」とは地震後の「大津波」も含まれるわけで。)をも投影しています。ヴィシュヌは、様々な姿をとって人間の世界に生まれてくる神と言われており、ヒンドゥー教では釈迦もまたヴィシュヌの化身の一つと考えられています。そして、釈迦の次の時代に化生してくるのはカルキ(Kalki、時間、救世主)という名を持つ存在で、世界の秩序が完全に失われた時代に現れて悪から世界を救い、新しい時代を始めるといわれているらしいです。「時間」という名を持つから、時計の正しい管理が必要なわけで、電池の交換はしっかりやった方がよろしいようです。しかも「KK」という子音を持つその名は「蛙」を意味しますので、その点からも、純粋な蛇の人である兄さんには「対象外」な存在になってしまうようで。
そして、最期にキリスト教。この宗教は、それまでの時代の「残虐な行為を好む神々」に対する信仰の集大成みたいな宗教であり、根本に「残虐な破壊的行為を好む」という狂気を含んでいます。そしてその信者の大部分は蛇の人たちですが、彼らの中には、兄さんや麻衣ちゃんのように、ちゃんと自分を律していける「人間」になりたいと願っていている人たちも大勢いるわけで、でもその「キリスト教」という枠の中にいるだけでは、自分達のどこがどう狂っているのかも分からないから、正すこともできず、その秘密を私に見抜いて欲しいと思っているわけです。
そして、本質的に「力」を好む「蛇」の人たちである以上、自分達と戦って勝てる相手しか「認めない」わけで。要するにアナ雪のMay.J嬢は、よろしくない映画の、よろしくない主題歌を唄う、よろしくない歌姫と何拍子も揃っている人であるので、彼女に打ち勝って、彼女を従わせ、心酔させることのできる人でなければ「認めない」ということのようです。
でも、私は彼女の歌に巻き込まれず、逆にその目の力を見抜いたので、それで私の勝ちということになったようです。要するに、私は彼女と戦って勝ち、真に人として救われたいと考えている人たちの「キリスト教」というものを手にいれたわけで、要するに、ここに「三大宗教」というものの権利が全て、手に入ったということになるようで。
で、キリスト教徒の人たちは言う。「赤毛のアン」の主人公で、幼なじみの医者と結婚したアン・シャーリーとはあなたのことです。あの小説はよろしくないものですが、作者のモンゴメリーは次に人として生まれ変わってくる時には、キリスト教の狂気から逃れて、普通に人として生きて、普通に恋愛して、普通に愛する人と共に生きたいと願っていました。どうか、彼女の夢を忘れないで、私たちにそのような生き方を与えて下さい、と。
ということで、今度は「ファンじゃないけどファンレター作戦」ということで。
稲葉さんは、「誰よりも一番愛してる」って書いて欲しがっているのなら、そのくらいは甘やかしてやっても良いんじゃないかとおっしゃる。
そして、AKB48の「プリンス&プリンセスバージョン」の演出は、最初に出て来た男装の女の子達は、外で兄さんと戦っている時には、私も紫色の服を着た戦士であって欲しいという兄さんの気持ちを示していて、で、家にいる時は太陽の色の服を着た太陽の女神でいて欲しいという、これも兄さんの気持ちの現れである、と、まゆゆ嬢だけでは伝えきれなかったことを教えて下さるわけで。(しかも「ultra soul」の歌詞の中に出てくる「底なしのpain」っていうのは、「底なしにイタイ男」のことですよ、っておっしゃるわけですが。こういう状況で、そういう駄洒落ですか? っていうか、重要な局面を「楽しむ」ためのエッジの効いた洒落がすごすぎる、と思うわけですが。@@)
蛙の人たちは、「ラブレターなんだから、少しは可愛げのあることを書きなさい。」って言う。思わず
「そんなに『可愛げ』って言われても、私ってそんなに福山君のことを愛してるんでしたっけ?」
って呟くと、
「あんた、愛してもいない相手に大事な神様の力を丸投げするんですか? いい加減過ぎる!」
って怒られるーー;。
嵐の人たちは、2番目の子へのお手紙は便せん3枚だったんだから、あの男には5枚程度で充分、だって言う。
1番目の子と2番目の子は、「可愛げのあることを書くよりは、ののしった方があの男は喜ぶんじゃないの?」って言う。
こういう人たちをバランスとって調整していくのが「神サマ」ってものなんだ? と思うわけですが。なんか確かに、「神サマ」って思っていたのと全然違う、とは思うわけですが(しかも、どさくさに紛れて「救世主」の称号まで貰ったような??@@)。兄さんは兄さんで、私が福山君の曲を聴いているのに、微妙にせつない気持ちになっているらしくて。それはいいのですけれども、表の仕事があるのだったら、そちらもちゃんとやってくれないと、私のところに直接苦情が来るのですけれども?? と思うわけでーー;。(そして、兄さんのことが好きでない人たちは、「とっとと手紙を書いて、話を進めて、あの男を早く引き取って下さい。手紙が届かないと、怒ったあの男がこちらに八つ当たりしてくるんで。」って言うわけでしてねえ?)
兄さんが、ここに来て「目」の訓練を始めて1ヶ月。やっと、私の「目」と「耳」もここまで「開いた」ということで。どうも「乙女座のシャカ」って呟く兄さんがいるわけで。なんだかんだ言って、兄さんも「聖闘士星矢」って好きだったんじゃないですかねえ? だいたい、龍星座の紫龍と春麗ですし? って思わずマニアックなことを呟いてしまう私がいるわけですが(苦笑)。(原作者の車田正美氏は、「いつか笑って読める日が来たら、続編を読んでやって下さい」っておっしゃっているような? たかが漫画、されど漫画ということで、兄さんと私を繋いでくれた貴重な作品ではありますのでね、機会があればいずれまた、ということで。<(_ _)>)
<追伸>兄さんはですねえ、小蛇の姿で、「絶対にお手紙ちょうだいねえ」って泣きついたりとかですねえ。「石井にだってさんざんいろんな手紙を書いたんだから自分にだけ書けないとは言わせねえ。」って言って、熱くなっているわけですが?? そういや、石井にもいろんな手紙を書き散らしましたねえ? って思い出したくないことまで思い出したわけで。まあ、あのノリを思い出せば、たいていの人にたいていな内容の手紙は書けそうな気は確かにするわけですが(苦笑)。