というかですねえ、私がですねえ、「HWHY」の神の名と力を兄さんに委ねて、その代わりに「兄さんに対する苦情は笑って受け流すだけで、受け付けない」って書いたって、いろんなところから非難されるわけで(苦笑)。そんなことで「冷酷非道だ。」とかって言われたりとかですねえ、「彼のことを愛して信じているから委ねる。」という感じで、もっと可愛げのある表現ができないのかって言われましてもですねえ、私の「力」にもいろいろと限界があるものでしてねえ(笑)。
で、その後にいろんな動画を見ていたわけですが、どういうわけかアナ雪関連の動画が見たくなったわけで。で、May.J嬢の「Let It Go」を見て見たわけです。
それからですねえ、動画というものはですねえ、本来であれば「見てはいけない」ものなわけで、「ルール」によれば「私は見てはいけないものを見ている」から「負け」になるわけで、でも、私はそういうこと気にしない人ですし、「目の力」を鍛えることが最優先な兄さんは平気でそういうことをさせるし、ということで。要するに、私が「負け」た分については、誰か「動画を見せた人」が報酬を貰えることになるわけで、味方が貰える場合には誰かが、こちらに有利な情報を持ってきて教えてくれるということが続いていたわけですが。
そこで、こうやって貪欲に動画を見続けて、意図的に「負け続けた結果」の「報酬」と、それからもう一つ。私に「目の力」を見抜いて貰って感謝している人からの返礼、ということで、こちらに必要な情報が貰えるだけの、要するに「功徳」がたまったということで。
確か、以前May.J嬢が、「ありのままで」を歌うことについて、テレビの視聴者から反発を食らったことは、「怒れ」という気を強く出していすぎるからで、それが視聴者の怒りになって、彼女に跳ね返っているのであろう、と書いたことがあるわけですが。それで、彼女は、自分の歌に対する努力が何故評価されないのか気がつけたということに感謝する気持ちを個人的に持ってくれたようで。そして、彼女の努力に対して全く巻き込まれなかった私の「力」に彼女自身が魅せられているということで、「敵の人」であるにもかかわらず、私に情報をくれる気になったらしいです。
要するに、兄さんが「HWHY」の名を実質的に行使し、「KB」という名の神と婚姻契約を結べば、それは現実の世界では敵に対して、キリスト教とムスリムの大同盟ということになるわけで、しかも私は私で「戦う」ことは明言しているわけですし。ただ、この世界には「三大宗教」という言葉が示す通りに「仏教」というものが存在するわけで。
「仏教」というものの秘密は、その開祖に由来する。要するに釈迦という人は、一国の王子であり、軍事的な才能も期待されており、王となるべき人であったけれども、その運命の全てを捨てて、出家して、ただひたすら己と向き合い、己を鍛えて、その「力」で人々を救おうとした人であると。要するに、その「孤高」と「孤独」の衣を纏い、更にそれに加えて、人々を一途に救おうとするだけの器量があるものでなければ、仏教徒は「認めない」と言うであろう、と。
だから、May.J嬢は言う。目も見えず、耳も聞こえず、自分の「力」がわずかに理解できるだけの状態で、「孤独」と「孤高」を抱えながら、それでも全ての力を投げ打ってあの原発に水をかけた、そういう人には、「釈迦」を名乗る資格がある、と。それこそが「仏教の力」であると。
だから、同じ事だ。自分一人でその力を使いこなせないのであれば、その権利を誰に委譲するのか。あなたの次に「孤独」と「孤高」を名乗るに一番相応しいと思うものを、ありのままのあなたのままで、自由に選べ、と。そうすれば、敵に対して「三大宗教」の大同盟が成立する。それこそが、敵が一番恐れることである、と。そう言って、彼女は「ありのままで」を私に送ってそそのかすわけですが。
要するに、それは平ったく言うと、私の白鳥兄さんに、「仏教の力」も委ねろということなのだと思うのですが。別に全然構いませんので、それは兄さんが自由にしてくれれば良いことだと思う。どうせ私は、敵との直接的なかけひきとか戦い方とかは良く分かっていないので、そういうことを一番分かっている人が、その「力」を行使することが現実的に非常に妥当だと思いますのでね。
っていうか、さすがに兄さんですら、「あの女の『Let It Go ~ありのままで~』を聞きながらこんな情報をもぎ取れるなんて、悪趣味すぎる。」って笑っているわけですが(苦笑)。でも、こうやって敵からですら「情報を差し出させることができる」というのが「力」ってものなんですよねえ? ということで。
「HWHY」の委譲をする時に聞いていたのは福山君の「GAME」、で、三大宗教の大同盟を決める「言霊」を書くときに聞いていたのは「Let It Go ~ありのままで~」ということで。May.J嬢は「これでいいの」って唄ってくれるわけですし。これでこの曲も、私が使える曲、という余録もついたことですし。まさに、こういう性格なのが、どんなに悪趣味であっても「ありのままの」私なのだということで<(_ _)>。