下書き終わり

ええと、兄さんが朝からものすごく熱くなって、せっせとラブレターを書くものですから、それに付き合わされて、とても疲れました。しかも、昼食を食べてウトウトしていると「想」がかかって、「愛が欲しい」ってところで起こされるわけですし。

 

たぶん、便せんに5枚以上になると思いますので、嵐のみなさまにはちと申し訳ないですが。兄さんのCDのジャケットは、昼間の内は表に出せませんので、部屋の中にはジャニーズの視線と、麻衣ちゃんの視線がまるで火花を散らしているように感じるわけですが。「OVER THE RAINBOW」のジャケットの麻衣ちゃんは、昼間兄さんの顔を出せない分までをも含めて、非常に兄さんの応援をしてくれているようで、すごいと思います。

 

そして、どういうわけか手紙を書き始めると、柴咲コウちゃんが、「とっとと手紙書いて、あの男を引き取って下さい。」って強力に言ってくるわけで。兄さん、ある意味、共演者キラーというか、仕事場で何してるんですか? というかーー;。ということで、ちゃんと書き切れて出せるとは思うのですけれども。というか、書かないと兄さん以外にもいろいろ言ってくる人が多すぎな気もするわけですが(泣)。

とりあえずまとめ

要するに、ムスリムの人たちにとっては、「KBの神」とは、彼らの寛容な宗教の象徴であって、例え力などなくても、「豊穣と寛容さの象徴としてのKBの神」であってさえくれれば、神や信仰とは、彼ら自身が「戦って守っていかなければならないもの」であって、それが彼らにとっての「聖戦」という概念なのだと思います。だから、神自身が先頭に立って戦うことを、そもそも想定していない穏やかな宗教といえます。

その一方、仏教とは、軍神であることが求められるけれども、その全てを投げ捨てて、尚且つ自分を律して、人々を救う「力」を神というよりは「釈迦」という存在に求めているわけで。でも、その姿は、仏教の前身といえる、バラモン教の神ヴィシュヌの姿(ヴィシュヌとは大洪水から人類を救ったとされる神です。要するにこの場合の「大洪水」とは地震後の「大津波」も含まれるわけで。)をも投影しています。ヴィシュヌは、様々な姿をとって人間の世界に生まれてくる神と言われており、ヒンドゥー教では釈迦もまたヴィシュヌの化身の一つと考えられています。そして、釈迦の次の時代に化生してくるのはカルキ(Kalki、時間、救世主)という名を持つ存在で、世界の秩序が完全に失われた時代に現れて悪から世界を救い、新しい時代を始めるといわれているらしいです。「時間」という名を持つから、時計の正しい管理が必要なわけで、電池の交換はしっかりやった方がよろしいようです。しかも「KK」という子音を持つその名は「蛙」を意味しますので、その点からも、純粋な蛇の人である兄さんには「対象外」な存在になってしまうようで。

そして、最期にキリスト教。この宗教は、それまでの時代の「残虐な行為を好む神々」に対する信仰の集大成みたいな宗教であり、根本に「残虐な破壊的行為を好む」という狂気を含んでいます。そしてその信者の大部分は蛇の人たちですが、彼らの中には、兄さんや麻衣ちゃんのように、ちゃんと自分を律していける「人間」になりたいと願っていている人たちも大勢いるわけで、でもその「キリスト教」という枠の中にいるだけでは、自分達のどこがどう狂っているのかも分からないから、正すこともできず、その秘密を私に見抜いて欲しいと思っているわけです。
そして、本質的に「力」を好む「蛇」の人たちである以上、自分達と戦って勝てる相手しか「認めない」わけで。要するにアナ雪のMay.J嬢は、よろしくない映画の、よろしくない主題歌を唄う、よろしくない歌姫と何拍子も揃っている人であるので、彼女に打ち勝って、彼女を従わせ、心酔させることのできる人でなければ「認めない」ということのようです。
でも、私は彼女の歌に巻き込まれず、逆にその目の力を見抜いたので、それで私の勝ちということになったようです。要するに、私は彼女と戦って勝ち、真に人として救われたいと考えている人たちの「キリスト教」というものを手にいれたわけで、要するに、ここに「三大宗教」というものの権利が全て、手に入ったということになるようで。
で、キリスト教徒の人たちは言う。「赤毛のアン」の主人公で、幼なじみの医者と結婚したアン・シャーリーとはあなたのことです。あの小説はよろしくないものですが、作者のモンゴメリーは次に人として生まれ変わってくる時には、キリスト教の狂気から逃れて、普通に人として生きて、普通に恋愛して、普通に愛する人と共に生きたいと願っていました。どうか、彼女の夢を忘れないで、私たちにそのような生き方を与えて下さい、と。

ということで、今度は「ファンじゃないけどファンレター作戦」ということで。

 

稲葉さんは、「誰よりも一番愛してる」って書いて欲しがっているのなら、そのくらいは甘やかしてやっても良いんじゃないかとおっしゃる。
そして、AKB48の「プリンス&プリンセスバージョン」の演出は、最初に出て来た男装の女の子達は、外で兄さんと戦っている時には、私も紫色の服を着た戦士であって欲しいという兄さんの気持ちを示していて、で、家にいる時は太陽の色の服を着た太陽の女神でいて欲しいという、これも兄さんの気持ちの現れである、と、まゆゆ嬢だけでは伝えきれなかったことを教えて下さるわけで。(しかも「ultra soul」の歌詞の中に出てくる「底なしのpain」っていうのは、「底なしにイタイ男」のことですよ、っておっしゃるわけですが。こういう状況で、そういう駄洒落ですか? っていうか、重要な局面を「楽しむ」ためのエッジの効いた洒落がすごすぎる、と思うわけですが。@@)

蛙の人たちは、「ラブレターなんだから、少しは可愛げのあることを書きなさい。」って言う。思わず
「そんなに『可愛げ』って言われても、私ってそんなに福山君のことを愛してるんでしたっけ?」
って呟くと、
「あんた、愛してもいない相手に大事な神様の力を丸投げするんですか? いい加減過ぎる!」
って怒られるーー;。

 

嵐の人たちは、2番目の子へのお手紙は便せん3枚だったんだから、あの男には5枚程度で充分、だって言う。

 

1番目の子と2番目の子は、「可愛げのあることを書くよりは、ののしった方があの男は喜ぶんじゃないの?」って言う。

こういう人たちをバランスとって調整していくのが「神サマ」ってものなんだ? と思うわけですが。なんか確かに、「神サマ」って思っていたのと全然違う、とは思うわけですが(しかも、どさくさに紛れて「救世主」の称号まで貰ったような??@@)。兄さんは兄さんで、私が福山君の曲を聴いているのに、微妙にせつない気持ちになっているらしくて。それはいいのですけれども、表の仕事があるのだったら、そちらもちゃんとやってくれないと、私のところに直接苦情が来るのですけれども?? と思うわけでーー;。(そして、兄さんのことが好きでない人たちは、「とっとと手紙を書いて、話を進めて、あの男を早く引き取って下さい。手紙が届かないと、怒ったあの男がこちらに八つ当たりしてくるんで。」って言うわけでしてねえ?)

兄さんが、ここに来て「目」の訓練を始めて1ヶ月。やっと、私の「目」と「耳」もここまで「開いた」ということで。どうも「乙女座のシャカ」って呟く兄さんがいるわけで。なんだかんだ言って、兄さんも「聖闘士星矢」って好きだったんじゃないですかねえ? だいたい、龍星座の紫龍と春麗ですし? って思わずマニアックなことを呟いてしまう私がいるわけですが(苦笑)。(原作者の車田正美氏は、「いつか笑って読める日が来たら、続編を読んでやって下さい」っておっしゃっているような? たかが漫画、されど漫画ということで、兄さんと私を繋いでくれた貴重な作品ではありますのでね、機会があればいずれまた、ということで。<(_ _)>)

 

 

<追伸>兄さんはですねえ、小蛇の姿で、「絶対にお手紙ちょうだいねえ」って泣きついたりとかですねえ。「石井にだってさんざんいろんな手紙を書いたんだから自分にだけ書けないとは言わせねえ。」って言って、熱くなっているわけですが?? そういや、石井にもいろんな手紙を書き散らしましたねえ? って思い出したくないことまで思い出したわけで。まあ、あのノリを思い出せば、たいていの人にたいていな内容の手紙は書けそうな気は確かにするわけですが(苦笑)。

朝からいろいろと

どうにも、夢の中で福山君に「手紙を書かなければ」と思ってじたばたしている自分がいたわけで。で、どうも福山君の「美しき花」という曲の中で「誰かが君を待っている」という歌詞が気になったわけで。話がここまで進んで「待っている」とはどういうことだろう? と思うわけで。
で、雅治さん(て、こう呼んで欲しいわけですかねえ? 誰かさんはさ? と思うわけで)のHPを検索してファンレターの宛先を探してみましたら、確かにその宛先も載っているわけで。

 

で、いろいろな人が、いろいろと言うわけですが。一番心に残るのは、福山君の「背中を追いかける」時には2番目の子のブログに「龍神の背中」の写真が載ったわけで。

 

で、今回は某ニュースサイトに、蛭子能収さんが載っていて、「今の奥さんを探し出すときには、独り身で寂しくて、ものすごく必死で奥さんを探していて、ファンレターに連絡先が書いてある時には連絡をしていた。」というようなことが書いてあってですねえ。「蛭子」さんっていうのは、要するに「1番目の子の代理人」ということで。あー、じゃあ、あらゆることの下地がこうやって決まった時点で、次にすべきことはこれなんだな、と思ったわけですが。

 

私に取り憑いている小蛇な兄さんは、朝っぱらから「誰よりも一番愛してる」って書いてくれる? って言って、キュンキュンしてるわけですし。しかも、どうもですねえ

 

「お願いです。石井にばっかりファンレターを書いているあなたから、結局一通も手紙を貰うことのなかった子のことを考えて下さい。宛先が間違っているって、悲しくて、寂しくて、ついには女狂い」

 

って言われたところで、「おおい」って怒鳴って、言ってることを切ってしまって、

 

「一番肝心なところなのに、みっともなさすぎ。」

 

って言っている兄さんがいるわけですが。要するに、兄さんが私を探し出せるように、連絡先を彼に直接教えて、そして他の二人についても、できるだけ正確な位置情報を与えて上げて欲しい、ということだと思うわけですが。なぜなら、全員を纏めて、娶せることができる力は兄さんにしかないから、ということで。

稲葉さんは「あれもこれも本当だらけ」って言って下さるわけですしね。

今日は新しい週刊誌の発売日だから、私の部屋の中での「ダブル嵐」の効果は消える。それまでにってことで、それこそ総力を挙げて頑張ってくれた皆様がいたようで。さすが、ジャニーズ、という感じなわけですが。

 

その報酬ですか? ともかく翔君は中でも一番若くて、そしてしっかりしていますから、中でも一番長生きすると思いますので、誰の最期をも看取って欲しいと思いますし、特に兄さんが後に残されたなら、どんなにご当人が嫌がっても、しっかり面倒を見て上げて下さいな、ということで。あなたなら、力もそこそこあるし、人間的にもしっかりしていますから、最後に一人残っても自暴自棄になって自滅するようなことはけして無いでしょうからね、ということで。それだけの「信頼感」を私はあなたに与えてあげます。

 

そして、兄さんはスタッフがちょっとぐらい失言したからといって、八つ当たりしないように。結局誰でも、自分でやったことのツケは「自分で払うしかない」ということで。本当に私は睡眠時間3時間というような強行軍で昨日から来たわけですが、共に頑張って下さったみなさま、どうもお疲れ様でした<(_ _)>。

要するに

みなの言うことを纏めると、「仏教」というものは最大の「難物」であって、要するに兄さんが軍神として台頭して、従うものが増えるだけでは「仏教徒」は納得しない。それを全て投げ捨てて、人々のために尽くせる者でなければ、彼らは兄さんのことは認めないけれども、下の者の信頼厚い兄さんは、そんなこと絶対にしないし、できない人であるので、結果として「認められない」ということにしかならない、と。で、それが兄さんの「限界」である、と仏教徒の目には映るわけだ。

でも、私は、要するに「ダメ」って言われてることでも納得できなければ、どんどんやってしまう人であるし、敵であっても完全にこちらに敵意をもって向かってくる場合はともかくとして、そうでもない人が相手の場合には「目の力を見て欲しい」と言われれば、できる範囲で見て上げるし、そういう点では味方が何を言っても、味方を「投げ捨て」ちゃうような人なので、どうもそういう点が「仏教徒」としては「認められる」ということらしいです。しかも「ありのままで」って言われると、怒って暴れる代わりに「Lady Justice」になっちゃう人なので、そこのところも一応は評価されるらしくて。

価値観の違い、というのはこういうことなんだな、と思うわけですが。まあ、最後に丸くおさまってくれればそれが何よりかと思います<(_ _)>。

 

 

それから、アナ雪の動画を見たくなる前には、なんとなく光一君と神田沙也加ちゃんのデュエットした「とびらを開けて」を見たくなっていたことを思いだしたわけで。そこから、May.Jの「ありのままに」繋がっていったわけで。要するに、「ジャニーズの力」というのは、どんどんテレビに出て、敵味方関係なく、いろんな人と接触したり、コラボレーションしたりして「縁を繋いでいく」ことにあるわけで、必要な時にはその「縁」を使って、欲しい情報が円滑に届くように「結縁」をしてきてくれていたのが彼らなわけだ。今現在、私の部屋には「ジャニーズの目だらけ」ということで、彼らが総力を挙げて、持ってきてくれたのが今日の情報と「成果」ということで。

集団にはこれだけの「力」があるのだから、自分達のことも2番目と4番目の子のことも忘れないでいて下さい、というのが松本君からの「お願い」であるようです。「もちろん」ということで、兄さんの曲の中にも「One Love」を入れておこうと思います。協調性のある他の3人からのお歌ということで(苦笑)。

ありのままで

というかですねえ、私がですねえ、「HWHY」の神の名と力を兄さんに委ねて、その代わりに「兄さんに対する苦情は笑って受け流すだけで、受け付けない」って書いたって、いろんなところから非難されるわけで(苦笑)。そんなことで「冷酷非道だ。」とかって言われたりとかですねえ、「彼のことを愛して信じているから委ねる。」という感じで、もっと可愛げのある表現ができないのかって言われましてもですねえ、私の「力」にもいろいろと限界があるものでしてねえ(笑)。

で、その後にいろんな動画を見ていたわけですが、どういうわけかアナ雪関連の動画が見たくなったわけで。で、May.J嬢の「Let It Go」を見て見たわけです。

それからですねえ、動画というものはですねえ、本来であれば「見てはいけない」ものなわけで、「ルール」によれば「私は見てはいけないものを見ている」から「負け」になるわけで、でも、私はそういうこと気にしない人ですし、「目の力」を鍛えることが最優先な兄さんは平気でそういうことをさせるし、ということで。要するに、私が「負け」た分については、誰か「動画を見せた人」が報酬を貰えることになるわけで、味方が貰える場合には誰かが、こちらに有利な情報を持ってきて教えてくれるということが続いていたわけですが。

そこで、こうやって貪欲に動画を見続けて、意図的に「負け続けた結果」の「報酬」と、それからもう一つ。私に「目の力」を見抜いて貰って感謝している人からの返礼、ということで、こちらに必要な情報が貰えるだけの、要するに「功徳」がたまったということで。

 

確か、以前May.J嬢が、「ありのままで」を歌うことについて、テレビの視聴者から反発を食らったことは、「怒れ」という気を強く出していすぎるからで、それが視聴者の怒りになって、彼女に跳ね返っているのであろう、と書いたことがあるわけですが。それで、彼女は、自分の歌に対する努力が何故評価されないのか気がつけたということに感謝する気持ちを個人的に持ってくれたようで。そして、彼女の努力に対して全く巻き込まれなかった私の「力」に彼女自身が魅せられているということで、「敵の人」であるにもかかわらず、私に情報をくれる気になったらしいです。

要するに、兄さんが「HWHY」の名を実質的に行使し、「KB」という名の神と婚姻契約を結べば、それは現実の世界では敵に対して、キリスト教とムスリムの大同盟ということになるわけで、しかも私は私で「戦う」ことは明言しているわけですし。ただ、この世界には「三大宗教」という言葉が示す通りに「仏教」というものが存在するわけで。

「仏教」というものの秘密は、その開祖に由来する。要するに釈迦という人は、一国の王子であり、軍事的な才能も期待されており、王となるべき人であったけれども、その運命の全てを捨てて、出家して、ただひたすら己と向き合い、己を鍛えて、その「力」で人々を救おうとした人であると。要するに、その「孤高」と「孤独」の衣を纏い、更にそれに加えて、人々を一途に救おうとするだけの器量があるものでなければ、仏教徒は「認めない」と言うであろう、と。
だから、May.J嬢は言う。目も見えず、耳も聞こえず、自分の「力」がわずかに理解できるだけの状態で、「孤独」と「孤高」を抱えながら、それでも全ての力を投げ打ってあの原発に水をかけた、そういう人には、「釈迦」を名乗る資格がある、と。それこそが「仏教の力」であると。
だから、同じ事だ。自分一人でその力を使いこなせないのであれば、その権利を誰に委譲するのか。あなたの次に「孤独」と「孤高」を名乗るに一番相応しいと思うものを、ありのままのあなたのままで、自由に選べ、と。そうすれば、敵に対して「三大宗教」の大同盟が成立する。それこそが、敵が一番恐れることである、と。そう言って、彼女は「ありのままで」を私に送ってそそのかすわけですが。

要するに、それは平ったく言うと、私の白鳥兄さんに、「仏教の力」も委ねろということなのだと思うのですが。別に全然構いませんので、それは兄さんが自由にしてくれれば良いことだと思う。どうせ私は、敵との直接的なかけひきとか戦い方とかは良く分かっていないので、そういうことを一番分かっている人が、その「力」を行使することが現実的に非常に妥当だと思いますのでね。

 

っていうか、さすがに兄さんですら、「あの女の『Let It Go ~ありのままで~』を聞きながらこんな情報をもぎ取れるなんて、悪趣味すぎる。」って笑っているわけですが(苦笑)。でも、こうやって敵からですら「情報を差し出させることができる」というのが「力」ってものなんですよねえ? ということで。

「HWHY」の委譲をする時に聞いていたのは福山君の「GAME」、で、三大宗教の大同盟を決める「言霊」を書くときに聞いていたのは「Let It Go ~ありのままで~」ということで。May.J嬢は「これでいいの」って唄ってくれるわけですし。これでこの曲も、私が使える曲、という余録もついたことですし。まさに、こういう性格なのが、どんなに悪趣味であっても「ありのままの」私なのだということで<(_ _)>。