さて

いろいろな伏線を回収していくと、ちょっと前にアンジーから、「外の世界では例え夫婦同士であっても、互いに戦うのは当たり前のこと。」って言われた気がするわけで。それって、家庭の中で妻と夫のどちらが優位に立つのか、ってそういうこと? とか思ったわけですが。

で、おととい録画の整理をしていて、「SMAPxSMAP」を見ていたら、兄さん達からなんだか「早く気が付いて欲しい」みたいなことを目の力で言われた気がして。まだ何か気が付かないことがあるの? と思ったというか、それが家の設計に関わることだとイヤだなあ、とは思ったのですが、具体的には良く分からなくて。しかも、誰かさんは4番目の子の手に噛みついたりしてるような感じなわけですし-;。でもって、こうなったら「買え」と言われたものを纏めて買ってしまおうということで、注文したのが月曜日、ということで。

で、昨夜は香取君のドラマを見てから寝たわけで。なんというか、例によってヘンな話だと思ったわけで。で、話の内容を要約すると「余命いくばくもない青年が、不幸な家庭環境の少女を救おうとして、自分の命を賭けようとする話」というか、そんな感じであって。日本のドラマの演出って、伏線の回収の仕方が今一、とかそういう感想しかなかったわけですがー;。で、見終わってからそういえば、豚のキアンは食べたし、牛のユーピテルも食べたわけですが、「羊の神」とは誰だろう? とふと思ったわけで。キリスト教的には、それは「仔羊」と呼ばれるイエス・キリストのことなわけですが、それ以外では? とふと思ったわけで。で、それで一番有名なのは、ギリシャの牧羊神ヘルメースかも? と思ったわけで。そうえいば、この神の名も「KM」を子音に持つ「ハーン」とか「カーン」の部類ですねえ、と思ったわけで。で、ギリシャよりも更に北のトラキアには、頭が羊で体が蛇というグリコンという名前の神? がいるわけで、これも羊の神サマですし、「グリ」という言葉は例によって「great」という意味の形容詞ですから、グリコンって「偉大なるコン」という意味で、これもヘルメースと同じものですよねえ? と思うわけで。で、初期のキリスト教というのは、キリストを「良き牧人」に例えているわけで、割と有名な「100匹の羊よりも迷える1匹の仔羊が道に迷わないように探しに行く」の聖書のたとえ話の通り、「羊の神」と見なす傾向があって。それってキリストをギリシャ神話のヘルメースになぞらえて、布教したってことですよねえ? と思うわけで。で、ギリシャ神話のヘルメースというのは、ローマではメルクリウスという名前の神になるわけで、メルクリウスやヘルメースというのは、商売の神で有り、旅人の神で有り、水の神でもあるわけです。で、メルクリウスというのは、ティルスというフェニキアの都市で、主要三神の内の1つを占めるメルカルトと同じ神ですよねえ? と思うわけで。そのメルカルトというのは、北の人達が「神」とみなしていたアフラ・マズダの前身であって、いずれも「水の神」という性質が一致しているわけで。アフラ・マズダが八束水臣津奴命の前身ということは、この神の持つ「角」とは、「羊の角」のことなんだ? 古代の日本に羊はいないのに?? ということで。ローマの力が強力になると、これらの名を持つ神はローマに捕まって、イエス・キリストの名を押しつけられて酷使されてしまう、何故なら元はいずれも同じ「牧羊神」だから、ということで。ということで、グノーシス主義者と手を組んで、「仔羊」の名乗りを上げるのであれば、敵の定めたイエス・キリストの正体を見破らねばならないということのようで。そういえば、2014年の3月にMステに出た時に、ホルンの話とか、吹奏楽部の部長だった話とかしてましたよねえ? と思うわけで。しかも、2012年の4月に、この騒ぎが始まった時に、最初に心の中にやってきたのは「イエス・キリスト」を名乗る人物であって、「この世界のどこにも愛する妻がいなくて寂しい」って言ってきたわけで、その時に感じた孤独感も寂寥感も覚えているわけで。裁判所で裁判やっている時に、いろいろと言ってきてくれてましたよねえ? って今なら言えるわけで。もちろん、当時は誰がそういうことを言ってくるのか分からなかったわけで。今なら、誰が言ってくるのかよくよく分かっているわけですが。「例え夫婦でも、戦って勝負しなければならない。」っていうのは、そういうこと? ってやっと気が付いたわけですが。香取君のドラマも、「直に死にそうな人が、不幸な人を救済する」っていう、そういうキリスト教的な主旨のお話なんだ、それ? ってそれも気が付いたわけで。そこに巻き込まれないで勝てば、誰かさんの隠れた名前も分かるかもしれない、とそういうことだったようで。香取君も頑張ったねえ、と思うわけで。メルカルトってそもそもメヒトから出た名前なんじゃないの? と思うわけで;。

で、朝目が覚めてから、「サタナの名前を取りなさい」って言われた気がするわけで。6番目の子から、オセチアの神話に関する本をできるだけ入れられる限り、家に入れとくようにって言われた気がするわけで。「なんで?」って思ったわけですが。要するに、その名を取れば牧羊神ヘルメースよりも上位に立てるから、って言われた気がするわけで。でも、カフカスの神話に関する本は少ないですよ? ということで2冊くらい探してみたわけで。で、何故サタナ? と思うわけですが、サタナというのはカフカスの太母であって、かつサタン、サートゥルヌス、セツの女性形の生であって。しかもカフカスというのは、今でも「血に対しては血の報復を求める」というような土地柄であって、かつ大昔は神々に犠牲に捧げるために若い奴隷を育てていた所だって金枝篇になかったっけ?? と思うわけで。で、ギリシャ神話では、カフカスの女神はヘカテーであると言われているわけです。で、ギリシャ人のよろしくない癖は、「カフカスの太母は自分達のヘカテー女神と同じ性質である」って言えば良いものを、いかにもカフカスでも「ヘカテー」って呼ばれている、みたいに平気で書くところ。そして、ヘカテーとサタナが「同じ性質の神」であるかどうかもはっきりしなくても、自分達の都合で平気でそう書くところ、って言われる気がするわけで。でも、サタナとヘカテーってほぼ同じ子音の女神なので、呼び名の違いさえ分かっていれば、それで良いような気もするのですが。でも、カフカスの太母サタナは、死んだ母親から生まれた奇怪な出生を持つ女神であって。生と死の境界にあって、その双方を操れるような女神なわけです。彼女の養子に「鋼鉄のバドラス」という英雄がいて、この英雄は女神の加護を得て?、鋼鉄の体を持っているので普通のやり方では死なないわけです。こうやって、子供を「火に通して」強くするという思想は、「火あぶりの生贄」の暗示でもあるのですが、生贄として捧げられた子供の兄弟とかをその代わりに丈夫にする、みたいな思想でもあるわけで。ギリシャ神話のデーメーテル、竈の女神ヘスティアなんかもそういう系統の女神ですよねえ? と思うわけで。要するに、サタナから「サ」の字が取れたモノが、デーメーテルとか、「D」や「T」の子音が接頭に来る、ダキニ系の女神群なんだ、ということも気が付くわけで。こういう神々は受け取った犠牲の代わりに豊穣や反映を与える女神なのだと思うわけですが、ローマに行くとディアーヌという名になるわけで。ネミの森のディアーヌといえば、皇帝の王権と反映を保障する代わりに、戦士の命を犠牲に求める魔女だって金枝篇にあった気がするんですけれども? ということで。

で、聖書の「ヨハネ黙示録」には、仔羊に倒される「バビロンの大淫婦」というものが出てくるわけで。この書そのものは、グノーシス主義者の手によるものと思われますので、本来の意味は「バビロン」が「ローマ」であって、「大淫婦」とは、そのローマの権力維持のための女神「ディアーヌ」だって言われる気がするわけで。でも、言葉面だけの点から言うと、「バビロンの大淫婦」とはバビロンの主神マルドゥクに倒されたバビロニアの太母ティアマトのことなわけで。ティアマトもまたディアーヌとかと同じ子音の女神であるわけですが。要するに、ローマの述べる「慈愛の神イエス・キリスト」とは、ローマに逆らう者を粛正することを「救済」と述べる神のこと。ということで、「ディアーヌ」の名を持つ者、あるいはその可能性がある者で、ローマに協力しない者には情け容赦なし、とそういうことらしいのですが。1つの命を助けるために、1つの命を捧げなければならないのであれば、あの忌々しい大学病院から私を引き出すために、犠牲となったディアーヌがいるのを知っているはず、と言われる気がするわけで。ローマに協力せず、逆らって殺されたディアーヌは何故ローマに逆らったのですか? と思う。それは、結局生まれてきた子供が、ローマと相性の良いデーヴァの目を持たず、いずれローマと対立する地位に就かなければならないことが明白であったから、子供を守るために、と言われた気がするわけで。彼女が亡くなったのは19978月、私が大学を飛び出したのは1998年の3月。そういうことはみんな偶然じゃないんだ? とふと思うわけで。バイキングの血を引くブリタニアのおばあちゃんは、「どちらにしてもローマと戦い抜けるだけの目の力を持たない者に用はない。」って言いそうな気がするわけですが。その一方で、残された子供達は私にディアーヌの名前を引き継いで戦い抜いて貰いたい、と思うような気がするわけですが。そして、外の世界では、誰でもこうやって戦っているものって言われる気がするわけで。それで私にも「新幹線に触れ」って言ってきたわけなんだ? と思ったわけですが。

しかし、それだけのことができる「目の力」に対抗できるようになるためには、ディアーヌやヘカテーの名だけでは足りなくて、何故サタナの名前も必要なの? って思うわけで。で、いろいろと調べたわけですが、ヘルメースというのは、旅人の神でもある? ということから、「十字路の神」でもあるわけで。十字路のある所には、ヘルマーと呼ばれる神像が建てられていたらしくて。で、十字路というのは、いろんな世界に通じる道が交わるところ、ということで、いろんな世界に通じているヘルメスがその守護神とされたようなのですが、それは現実の道だけでなくて、冥界や天界への道にも通じるヘルメースの性質が重ねられているわけで。で、キリスト教時代になると、ヘルマーの神像の代わりに十字架が十字路に立てられるようになったらしくて。で、要するに、日本風に言うと、それらが道祖神ということで。で、一方のヘカテーというのは、「三叉路の女神」と言われていて、三叉路の守護神なわけです。彼女の方は、「冥界、地上世界、天界」を統べる女神ということで、「三叉路(トリウィア)の女神」とされているようなのですが、こちらの方は「travel(旅行)」とか「trable(トラブル)」の語源ということで、そしてギリシャ以外でもテラピムと呼ばれていたようで。要は十字路のヘルメース、三叉路のヘカテーという気がするのですが、必ずしもそう厳密ではなくて、十字路にヘカテーが祀られていたりもしたようで。何故、男女の神々がそれぞれに道祖神に充てられるのかというと、どうもヘルメースというのは、ギリシャ先住民の神であるらしくて。ギリシャ先住民というのは、古代エジプトに非常に近い神々を祀っていますから、要するにヘルメースというのは、羊頭のクヌム、ヘカテーというのはその妻の蛙のヘケトということで、二柱併せて、道祖神でもあり、そしてかつては夫婦併せての創造神であるということで。要するに、古代エジプトでも、ギリシャでもこの2神は夫婦神であって、「対等」な立場であるらしいのですが。でも、カフカスに行くと、ヘカテーとヘルメースは、サタナとヘミュツという兄と妹(異母兄妹)に変化するわけで。カフカスのヘミュツというのは、ケルトの豚のキアンのカフカス版なわけです。で、その子供が英雄バドラスで、その養母が異母妹のサタナということになるのですが、西欧の慣例としては「養子を育てる」ということは、養母の方が実の親よりも「格式が上」という暗黙の了解があるわけで。要するに、カフカスまで遡ると、サタナ>ヘミュツとなるので、私の方が誰かさんよりも「格上」になるので、オセチアの神話を取らなければいけない、って言われる気がするわけで。サタナって要するに西洋の「悪魔の太母」みたいな存在だと思うわけですが、その名前を敢えて重点的に取る意味は? ってお尋ねしましたら、「そのくらいにしておかないと、誰かさんに本気で囲い込まれて締め上げられるようなことになっても困るでしょ。」って言われる気がするわけで-;。誰でも、私が外へ出たら、筆頭の子と、蛙さん達の一押しの子である4番目の子と気軽に会えないような状況になるのは困る、と思っているようで、「これは関係者一同の総意です」って言われた気がするわけですが。もちろん、誰かさん以外の、ということで。まあ、私も蛙の子だけじゃなくて、本体まで締め上げられるような羽目になったら、絶対に体力的に勝てないのででですねえ-;。この点ばっかりは、6番目の子と組ませて頂きますよ、ということでー;。でも、実際その手の本を買うと、ちょっと誰かさんの圧力が少なくなる気がするわけで@@。名前を貰うって、そういう効果があるんだー、と思うわけですが。でも、ローマでもサートゥルヌスの名前がメルクリウスよりも上位に来るから、こき使われちゃうんですね? と思うわけで-;。で、ローマのサタナって誰? って思いましたら、「サートゥルヌスの配偶者」って言われた気がするわけで。「そっちですか?@@」って思ったわけですが。趣味の悪い名前だけど、貰えるものなら貰っとけば、という人が多いというか、「毒をもって毒を制す」の言葉のように誰かさんを制すべきって言われる気がするわけで-;。

でも、「三叉路の女神」で分かったことがあるわけですが。車のベンツの三叉路的マークとか、三菱の三角とか、そういうのはみんな「三叉路」すなわち「サタナ」の象徴であって、要するに「悪魔信仰の象徴」なんだ、それ? って思うわけで。ギリシャ神話の伝令神ヘルメースは、いろんな道に通じているということで、死者の魂を冥界に案内する神でもあるわけです。で、その気になれば逆もまた然り、ということで、「死と再生の秘密を知る神」ともされるわけで。妻神のヘカテーと並んで、そのような神であるのだと思われるわけで。それで、特に旅に出る人なんかは、三叉路とか十字路で、旅の安寧を願って、そこに立つ神像に犠牲を捧げたりしていたわけです。もちろん、それが人間だった場合もあるでしょうねえ? ということのようで。人の生き血を食らう三叉路の悪魔が「サタナ」系の神々である、ということのようで。グノーシス主義における「仔羊」の正統な後継者は、ローマが勝手に定めた「仔羊」に対して、「私の地位を返せ」と言わなければならないらしいのですが。たまには普通の手紙を書かせて貰えないんだ? というか、JUJU姐さんと6番目の子にそうしてくれって言われたら断れないじゃんーーー、と思うわけで;。そうやって、死と再生の秘密を知っていて、死者を蘇らせたり、永遠の命を与えたりできるって大嘘ついて広まったのが原始キリスト教なんだね? と思うわけで。文献の中に、やたらと「死者を生き返らせた」という話が出てくるのは、ヘルメースの神話や信仰になぞらえているんだーー、って思うわけで。当時の人なら、そういうことはすぐに分かったでしょうけれども、昨今ではいちいち勉強しないと分からない、ということで;。

かくして、「再生の祭祀」は進むわけですが。いろんな資料をさっと見た限りでは、インドに布教したとされるトマス行伝とか、トマス福音書とか、トマスの名に関するものがけっこう聖典から外されて外典扱いされているわけで。トマスとマグダラのマリアに関するもの、それからバアラト・ゲバルの新約名バルベロの名前が出てくるものは、ほぼ「外典」でしょ? ということで。聖典も外典も捕まえられる者は全部捕まえて、私の名前で封印しておくように、って言われる気がするわけで。そういう作業をしていくと、敵の力が弱まって「敵のイエス・キリスト」の正体が分かる、ということのようなのですが。流石に、今まで羊の肉をさんざん食べてきただけあって、改めて食べなくても貯金だけで何とかなったね、って言われる気がするわけで-;。で、ついでに「ローマ神話」の本も買って、封印しておけ、って言われた気がするわけで。注文したら、話も動きましたとさ、ということで。遂に目つきのあんまりよろしくない人からも、「私は悪魔崇拝者です」ってカミングアウトして助けて頂けるご身分になりましたとさ、ということで-;。

で、相変わらず、というか微妙な一日だったわけですが。だんだん、私の署名入りのキリスト教関連の書物が増えてきたぞ、ということで。ふっと、某所のtwitterを見たら、10番目の兄さんの写真がアップされていて、なんというかサングラスをかけているのですけれども、目の力を送ってくれているのが分かるわけで。なんで、お手紙1通で、そんな風に表情まで変わってしまうんだろう、ってそう思うわけですが。でも、こういうお仕事をしている人は、たいていこういうネットのツールも「お仕事の一環」で楽しく使っている人が多い気がするわけで。やりたいことをやって、そのお仕事を自分で発信して、ほぼ同時にファンからもいろいろと反応して貰えたら、やっぱり嬉しいし楽しいよねえ? って思うわけで。確かに、こういうことを楽しそうにやっている人達を見ると、楽しそうにやっていない誰かさんのことを思って胸は少し痛むわけですが;。今週いっぱいくらいは、本の整理で忙しそう、ということで-;。