ええと、アンジーのこの映画を買い戻すように、ということでDVDを買ったわけですが、何故か再生できません;。PCでもダメ、DVDプレイヤーでもダメ、ということで。結局家に入れるための「支払いは済ませた」ということで、某所にアップされていたものを見た気がするわけですがー;。これは、実際に実在の事件を元にした映画なわけですが、昔、ロスに住んでいたシングルマザーの母親の小さな息子が行方不明になって。数ヶ月後に警察が連れてきた子が、全然息子とは違う余所の子であったのに、警察は自分達の失態を認めたくなくて、その子を母親に押しつけた挙げ句に、異議を唱える母親を精神病院送りにしたりした、という話であって。「チェンジリング」というのは、アイルランドの伝承で「取り替え子」という意味であって、アイルランドの伝承では妖精が赤ん坊をさらって、別の子供(妖精であったり、単なる「石」であったりするもの)を置いていく、という話があって、それになぞらえたタイトルなわけで。で、母親が押しつけられた子供の事で手こずっているうちに、実の息子は犯罪者に殺されてしまった、とそういう話なわけで。で、母親は牧師や人権派の弁護士の助けを借りて、世論に訴えたりして警察の間違いを正させた、という話なわけですが。
で、非常に意味深なのが登場人物の名前であって。母親の名前がクリスティーン、行方不明になる息子の名前がウォルターというわけで。クリスティーンというのは、「クリスチャン」の女性形の名前であり、ウォルターというのは「水」という言葉に通じるので。登場人物の名前がそもそも非常に「キリスト教的」なのである。要するに、行方不明になった幼い子というのは、死んで死体が消えた「イエス・キリスト」になぞらえられているのであり、戻ってきた「偽物の子供」がローマのユーピテルとかケレースなんだよ、っていう意味なのだと思うわけですが。要するに、今「イエス・キリスト」のふりをしているのは実は「ユーピテル」とか「ケレース」ということで。
で、映画の中で、最後には正義の人権派弁護士が登場して、母親を助けてくれるわけですが。この弁護士の名前が「ハーン」っていうわけで。で、この映画が出回った頃には、裁判を起こそうかどうしようかという時期であって。裁判を起こしたことには、この映画の影響もあったのではないか、とそれは自分でも思うわけで。「ハーン」というのは、原則としては「敵の神サマの名前」なので、「敵に頼って裁判を起こせ」みたいな暗示的意味がこの映画にはあったんだな、と思うわけで。物語の前半部分が「世の仕組み」のヒントであれば、後半部分には「裁判を起こせ」っていう呪いがかかっていたんですねえ? と思うわけで。そして、映画を見ていると、「エポナ」って呼ばれるわけで。このケルトの馬の女神の子音は「KBN」ですから、これは「ホルン(角)」という言葉の語源でもあるし、「カーン」「ハーン」「キアン」という言葉の語源でもある、ということで。おそらく、これらの言葉の全ては「エポナ」という名前を省略したものだと思うのです。
で、うちの親なんかは、今になっても蛇の兄さんが、私に直接あれこれ言ってくることを「そうなんだ?」みたいなことを言っているわけでー;。別に兄さんに限らず、誰でも彼でも、程度の差こそあれそうなんだけれども? って思うわけで。私の場合も、なんとかちょっと聞こえることはできるようになったわけですが、動画とか写真の力を借りるとますますよく聞こえるようになる、ということで。なんで、我が家だけそういう「力」が弱いのかといえば、代々近親婚が続いて力が衰えている上に、そういう「力」が「無い」相手とばかり結婚を繰り返すように仕組まれている、ということで。親は脳天気に、自分達は恋愛結婚だと思っているかもしれないけれども、全部仕組まれていることなんだあ、と思うわけで。どちらもそういう「力」が弱い人達だから、弱い子供しか生まれないだろう、って思われてる結果なわけで。だから、私の「正規の夫」が「力が弱い人」なのも、それだからなんだと思うわけですが。そういう相手じゃないと敵が「婚約者」だって許してくれない、とそういうわけで。
だから、何かあると近所が総出でうろうろしたり、車が待ち構えていたかのようにじゃんじゃん出るのも、そうやってみんな「気の力」でお話したりして臨機応変に相談したりしてるから出来ることなわけで。そして、この家には、多くの人の「監視の目」が張り付いているので、誰が何を言ってるのかはみんな知ってるんだあ、と思うわけで。今になってもまだ「盗聴器」なんて言っている方がおかしい、ってそろそろ気が付いても良いくらいだと思うわけですが-;。
ということで、アンジーからは、私は「不具」も同然であって、その目の力はとても強いのに、きっと自分の「力」をちゃんと使いこなせる日は一生来ないだろう、って言われた気がするわけで。「それが惜しい」と言われた気がするわけですが、7番目の子が対応に出て「その目の力を共有して、使いこなせる夫がいれば、それで充分」って言っていた気がするわけで。
で、今日は「牛の臓物」も食べて、チェンジリングも見て。で、この映画の主役はアンジーですが、監督はクリント・イーストウッドなわけですが。この監督はアイルランド系ということで、ケルトの人なんだ、って今になって気が付いたわけで。だから、「裁判を起こせ」というような呪いもかけてくるけれども、真には敵ではなかったんだな、と思うわけで、ヒントもけっこう一杯くれていたわけです。
そして、結局、「一番愛されている夫」に決められた人には、そこから「1年」の期間しか与えられなくて、そしてルールとしては、最後に「裏切り」とか「別れ」みたいなものが待ち構えているわけで。で、だから「定められた人」は、その時に欲しい言葉が貰えるかどうか試されなければならない、ということになっているのだと思うわけで。で、もし貰えなかった時のために、次に「一番」になる人に引き継ぎをするまでの「ルール」が定められていたわけで。大学時代、2番目の子は欲しい言葉も貰えず、1番目の子に「引き継ぎ」をうまくすることもできなかったわけで。それで「ゲーム」は非常に久しく、長らく頓挫していたわけで。で、1番目の子が何故失敗したかといえば、それは声もうまく届かないし、表向き「彼女がいる」ということになっていたので、最初っから私が「そういう人は恋愛の対象としては見ない」ということで。私は、彼女がいるのに、他の人に乗り換えたりとか、妻がいるのに浮気するような男は「大嫌い」なんだあ、というところに誰かさんの最大の不安と恐怖がある気がするのですが。
でも、かくの如くな「ルール」がある以上、蛇の兄さんが失敗したら、次に「血祭り」に上げられる予定なのは、誰なのかもう分かっているでしょ、って言われる気がするわけで。それで、失敗した時のために「後釜要員」が二桁に達するほどいるし、蛙さん達が、彼らの「希望の星」の4番目の子を敢えて「一番」にしようとしないのは、彼の貞操を守るためだし、7番目の子が持てる力の割に「一番」を敢えて狙わないのは、自分の順番を遅らせようとしてるのですよねえ? と思うわけで。この人はこの人で、非常に私と性格が似ていて、冷静なところがある人で。「いくら私が鈍くて今『ルール』に気が付かなくても、もう2,3人犠牲者を出せば、その冷静さで気が付くでしょ?」って言われた気がするわけですがーー;。それって、人が良くて、愛情深い夫ほど、早くに犠牲になる可能性が高くなるってことですよねえ? と思うわけですが(苦笑)。まあ、でも、これだけの頭数が揃っていれば、こちらも時間を稼いでいる内に新しい家が建つって誰でも思ってるでしょ? と思うことで。
誰かさんもご多分に漏れず、6番目の子に後を引き継いで行こうとしたわけですが、そうして「ゲーム」が続いたら、自分が私の中での「一番」になる機会は永遠に失われてしまうことになるし、それには「我慢がならない」ということで。結果、1日と持たずに大激怒して、私を思いきり締め上げてくれた、と思うわけですが-;。そこまで分かれば、失敗した場合に、「次に誰が血祭りに上げられるのか分かってるでしょ?」って7番目の子に言われた気がするわけで。こちらは、情報を与える機会を逃さず、冷静至極。これが「牛のモツ」と「チェンジリング」を見切った報酬、ということで。私が誰を一番に好きになるかは、私が決めることで、女心はそんなモノみたいに、順番に誰かに渡されるものではないぞ? と思うわけですが。(でもまあ、次の予定は、どう見ても「若きアドーニス」って評判の人ですよねえ? と思うわけで。どこもかしこも予定調和な世界かい、って思うわけですが;。)
ということで、本日は「Talking FM」(福山君のラジオのレギュラー放送)で、ご当人から正式に結婚の報告がリスナーに向けてあった、ということで。そのニュースの記事を私が読んでいると、これで次の手紙を出す予定日までに、私が目にしそうな主な記事は「女性自信」くらい、って6番目の子と、7番目の子が指折り数えているのが分かるわけで。福山君もねー、先々週くらいまではテレビ出演の前とか、ラジオの放送の前にはご当人が公式Twitterに降臨して宣伝してたわけですが、入籍直前くらいから顔を出さなくなったよね、と思うわけで。別に、仕事くらい「通常営業」的でも良いのではないのか、と思ったわけですが。まあ、あの無精髭とやつれた感じはねえーー;、ということで。今夜は深夜帯まで起きていて、「ウタフクヤマ」を見ませんとね、と思うわけです。だって、トラキアのお使者からも「ちゃんと見ろ」って言われた気がするわけですし-;。