きたこれ

というかですねえ、例によって福山君のライブの宣伝動画がお昼頃にアップされたので、見て見たわけで、なんというか「母親」というお題で、福山君が「母親じゃないね、これ」と言いながら、ヘンな着物を着て、髪の毛を頂上で縛った人物を描いていて。

 

で、「力士だね、これは。」とか言っているわけで、スタッフからも「何処かでみたような」って突っ込まれているわけで。しかも「部屋に入りたてだね。」とか言って、実にうれしそうに福山君がゲラゲラ笑っているわけで。

 

部屋に入りたて、で、髪の毛を頭の上で縛って、ヘンな着物みたいなのを着ている人形って、それって、私の部屋に入りたてのそれなんじゃん? と、9時間たってやっと気が付いたわけで。兄さん、ナイス過ぎます! ということで。こういうノリは嫌いじゃないんですよ。っていうか、よっぽどうれしかったんですね? ということで。

 

だって、これ先週からアップされているシリーズものだから、10/25くらいには撮影されていたはずのもので、例の「それ」が部屋に入ったのは10/28で、撮って送った写真は10/30にならなければ届かなかったはずなわけで。すごいですね、って思うわけですが。

 

そして、部屋に入れば、「力士」とか「横綱」になる、とは、「建御名方命が国譲りに反対し、武甕槌命に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れた。」という故事にちなんで、「部屋に入れば、武甕槌命に勝てる横綱になれる。」ということなのだと思うわけですが。それは確かに、笑いが止まらないでしょう、と思うわけですが。

ええとですねえ

お昼を食べていた頃とか、なんとなく兄さんが泣いている図を送ってくる人が居て。髪型からいくと「残響」の頃かなと思うわけですが、要するに「呪いの歌」には反応するのに、肝心の「送った歌」は一顧だにして貰えないし、兄さんも切なくて悲しくて泣いてた時期もあったんだな、と思うわけで。気が付かなくて、悪かったな、と思うわけで。

それでですねえ、来し方をもう一度振り返って整理して欲しいという要請が来てですねえ。おそらく、三沢さんとかさだまさしさんから、だと思うわけですが。(長崎出身のさださんはお味方だと思うわけで。良い目をされてますし、お名前も「雅志」さんということで。しかも諏訪にお住まいなので、それもヒントの内なのだと思うわけですが。)

ということで、気合いを入れて思い出してみますと、私が大学に入ったのは1989年で、福山君がデビューしたのが1990年ですから、私が大学2年の時のことだったわけで。で、1990年11月7日に発売されたセカンドシングルでMステにも初出演していますので、その頃に目にする機会はあったはずなのですが、当時はあまり歌番組に興味がなくて、そもそもMステを見た記憶も定かではないので、見てなかったかもしれないと思うわけで。ドラマもそれほど見る子ではなかったですし、割と学校生活だけでいっぱいいっぱいだったと思うわけで。でも、この年に一番目の子と二番目の子も大学に入学したわけですから、一応三人とも出発点は同じだったんだ? と思うわけで。二番目の子のことは知っていたわけです。高校の時に見かけてますし、1989年の入試の時にも見かけてましたので。

で、歌番組とかそういうものに興味を持ったのは、学1になってから、要するに1992年になって、兄さん以外の3人がめでたく同じ学年になった頃からで、この頃はCDがものすごく売れて、ミリオンヒットが連発されるような時代であって、ドラマの主題歌なんかは大ヒットしていまして、1991年にはCHAGE and ASKAさんの「SAY YES」が大ヒットしていましたし、1992年の春に放送された「素顔のままで」の主題歌の「君がいるだけで」が最終的には300万枚を売り上げるような空前のヒットを記録して、これにまんまと引っかかったという形にはなるわけですが。でも、これは一応「こちらの取り分」にはなるわけですので、学1になって、私が急にいろんな音楽を聴きたくなったのは、他の2人と同じ学年になって、彼らの声が届きやすくなったこととも関係があると思うわけです。彼らは彼らで、「送った曲」を聴いて欲しかったわけで。で、「君がいるだけで」が発売された当時は、米米CLUBは、なかなかこの曲をテレビで唄わなかったわけで、私はずっと唄うところを見て見たいと思っていたわけです。で、シオノギ製薬のミュージックフェアで唄うということで、今だったら、よろしくない番組と言うことで、見ないか、見ても注意していたと思うのですが、当時、見ましたら石井が歌い出す直前に思いっきりカメラ目線になってこちらを「見た」わけで、今から思うとこの「目」に巻き込まれてしまったのだと思うわけです。で、ファンクラブに入ったりしていたわけで。

1993年、学2になった直後の春に「ひとつ屋根の下」というドラマが始まって、このドラマを見て始めて「福山雅治」という人の存在を知ったわけで、最初の頃は役者さんだと思っていたわけです。で、どうにも思うわけですが、このドラマで、福山君の演じた医学生は、血の繋がっていない姉妹と良い雰囲気というか、そういう展開になるわけで、で、だいたい福山君の出てるドラマというのは、現在に至るまで「女優さんとの絡みのシーン」が出る頃になると、何故か私の方に「見る気が失せる」という現象が続いているわけで(苦笑)。で、このドラマの終盤の頃に、福山君の「MELODY」という曲が発売されているわけで、この頃はいろいろな歌番組を見ていましたので、Mステで見た記憶がうっすらとあるわけです。で、どう思ったかというと、当時というか今でも役者さんが、趣味的にバンドとかやることがたまにありますので、そういうたぐいのものかな、と思っていましたし、正直「この人、歌で長続きするのかしら?」と思った記憶があるわけで、石井との落差が自分でも、すげーっと思うというか、兄さん可哀想すぎ、と思うわけで。であとは、1994年の「IT’S ONLY LOVE」も見た記憶はあるわけで、1995年の「MESSAGE」も見たはずだとは思うのですが、あまり印象には残っていないわけで。で、1996年には大学を卒業して、全くめでたくなく、某医局に入局ということで。私が医局に入ってからの2年間は、福山君の音楽活動は停止、翌1997年の始めには米米CLUBが解散、ということになるわけで。で、数ヶ月後の1997年9月25日には石井竜也のソロでのファーストシングルが発売され、石井のソロ活動が本格的になったわけで、私は自動的にそちらに流れたわけで。(ちなみに宮崎監督の「もののけ姫」が公開されたのは1997年の7月なわけで。)で、秋には石井の最初のライブツアーもあって、この時はライブハウスでのツアーだったので、チケットが取れるかどうか分からなくて、日程的にも行けるのは大阪でのライブだけだったわけで。結局チケットはファンクラブの誰かから譲って貰って見に行ったわけですが、でも、そのことは職場の誰にも言っていなかったわけで。で、その当日に大阪で甲状腺病理学会の勉強会みたいなのがあって、上司から「そこに行ってくれば」みたいに言われていて、たぶんこの時に、「え? 誰にも言っていないのに、ライブのことをこの人は知っていて言っているのかしら?」って思ったのが、仕事と芸能界との関係性についての最初の違和感というか、疑問だった気がします。(余談ですが、石井は米米の解散からソロ活動に至る当時の状況について、「自殺寸前」だったとか最近言っているらしいですが。いったい何の冗談なの、それ? って当時を知っている私は思うわけですが(苦笑)。)

で、その後は石井の本格的なライブツアーも見に行ったりしたわけですが、どうにも職場で保たなくなって、めでたく辞めたのが1998年の4月30日付だったわけで、この日にめでたく音楽活動を再開した福山君が出した曲が「Heart」であった、と。この曲を買ったのは去年ですよ、届くまでに15年もかかっちゃいましたね、と思うわけですが。しかし、何というか、当時の福山君のライブの映像とか見ますと、どう見ても「ヤンキー」なわけでですねえ、正直言って、今でも、「この青年と石井を比べるんだ? どうにも勘弁して下さい。」とか、思ってしまうわけででしてねえ。兄さん、本当に可哀想、とか思うわけですがーー;。
しかし、音楽活動を休止していた、この頃の兄さんの気持ちというのは、何とか、あそこから私を引き出すことに心血注いでいたのだと思うわけですが。ともかく、外から見てたら、歌なんて送ってるような場合でも状況でも無かった、と思うわけで。

で、一方1998年12月の石井のライブの「ART NUDE」の動画を見てみますと、「抱いて」という曲とかですねえ、ライブも禍々しいわけですが、どうにも明確に「私を標的にして呼んでいる」のが分かるわけで。で、1998年の夏に、石井は「サアカス少年團」というライブをお台場でやっていて、この頃までは、ファンクラブもそれほど居心地は悪くなかったわけです。で、この頃、石井に宛てて「医者は辞めてしまったし、戻る気もない」というメールを書いて出した覚えがあるわけで、私に対する石井の態度も、ファンクラブの仲間の態度もはっきりと「変わった」と感じたのはこの時点からで、これにもかなりの違和感を感じてはいたわけです。いったい、私の仕事と、石井にどういう関係が? と思うわけで。で、ファンクラブの知り合いの中にも「大学の教授は偉い人」みたいなことを言う人が現れて、どうにも私のことを「大学に戻したい」みたいな空気を感じるわけで、なんで? とは思っていたわけです。私のことはあなたには関係ないでしょうが? ということで。

で、1999年には、たぶん関係者のほとんどにはめでたくないことに、東京での私の仕事がなんとか見つかり、石井のファンは続行、誰かさんの私生活は暴走、GLAYは「HOWEVER」を唄いながら泣いてるし、という状況に陥ったようで。あそこの職場には明確にカトリックの人がいましたので、そこを実行支配していたのは社長夫妻では無く彼だったのだと思います。そして、その彼は「宅地建物取引主任者」の資格を持ってそこで威張っていたので、職場の人たちの本音としては、私がその資格を取って、彼に対抗してあそこで勝ち残って欲しかったのだと思いますし、今だったらそうしてあそこで頑張ったと思うし、実際資格も取ろうと思っていたわけですが、結局それを阻止するべく敵は「病院での仕事」を餌にして、そこから私を引き離してしまいましたので。そっから先が誰にとっても本当にいやな状況だったのだな、と思うわけですが。でも、この最初の職場でも、大学のこととかけっこう当てこすられましたし、それも何かヘン、とは思っていたわけで。私の学歴が気に入らなければ、採用しなければ良かったじゃん? ということで。この頃の福山君の曲で記憶にあるのは1999年11月17日に発売された「HEAVEN」と、2000年の「桜坂」くらいなわけで。それ以外は全く「記憶にございません、申し訳ありません<(_ _)>」ということで。「HEAVEN」と「桜坂」はMステで見た記憶があるわけですよ。「HEAVEN」は「HEAVEN」で強烈な曲なので、「あー、この人ってこういう人なんだ。」と思って、それっきり、という。おかげさまで、その後福山君のスキャンダルめいた記事とか見ても、全然動じないというか、気にしたこともなかったですよ、正直言って、と思うわけで。でも、この辺りは流石に私が謝る必要ないですよねえ? と思うわけで(苦笑)。

でも、石井のファンクラブでの言動もどんどんヘンになっていきますし、ファンクラブの仲間との関係も何だかヘンでしたので、遂に嫌気が指して、ファンクラブを辞めたのが2004年の前半だったと思うわけで。2003年の年末までは、石井のライブを見に行った記憶があるわけです。でも、最後に行った時に、「石井のライブを見るのはこれで最後になるだろうな。」と思っていましたし、何故か実際にその通りになったわけで。で、辞めた時に、「芸能人のファンになるとか、そういうこととはもうこれで卒業だ。」と思ったわけで、まあ、幸いにもそれは現在まで続いているわけですが、でも、音楽そのものは嫌いではなかったので、Mステは見続けていたわけで。
で、石井のファンを辞めちゃいましたら、職場の人に「芸能人の誰のファンなのか?」と執拗に聞かれて、どうでもよいので適当に「イ・ビョンホン」って答えたら(当時、この人が主演のドラマをNHKで放送してましたので)、その年の紅白にイ・ビョンホンがゲストに出て、目が点になったということがあったわけで。

 

で、この時期の最大の違和感は2006年7月に、石井が米米CLUBを再開したことで、それまで「米米はもうやらない」みたいなことしか言っていませんでしたので、これを餌に私を呼び戻すつもりなのではないか、と思ったわけですが、別になびきもしなかったわけで。で、2006年5月のに福山君の「milk tea」が出たわけで、これはMステで見た記憶があるわけですが、確かに「どう思うか?」ってなんとはなしに思うというか、誰かに言われた気がしないでもないわけで、「どうも私にはしっくり来ない」って言った記憶があるわけですが。Mステでは「福山雅治最大のラブソング」とかって紹介されて、なんだかずいぶん持ち上げてるな、と思った記憶があるわけで。ごめんなさいね、別に「背の高いとこ」は嫌いじゃないですよ? と今なら思うわけですが。

で、新しい職場では露骨に「大学に戻れ」ってやられたわけで。で、この頃には「この状態で戻ったら殺される」って、誰が言っているとは思いませんでしたけれども、自分では明確に自覚していたわけで。で、しかもしまいには職場でも殺意を感じるようになるし、身の周りをヘンな人たちがうろつくということで、最後には「なんで私はこんなに有名人なの?」と思うに至ったわけで。最初の職場が、この現象と関係しているであろうことは想像がついていたわけですが、しかし、こんな大勢の人を動かして、私を呼び戻したところでどういうメリットがあるの? とはずっと思っていたわけで。で、このヘンな職場をクビになって、裁判とか起こしていたわけで、その間、2008年6月25日にまず出たのが嵐の「One Love」であって、当時から良いラブソングではあるとは思っていましたけれども、でも、私もそろそろいい年ですし、ラブソングともほど遠い年になったな、と思っていたわけで。で、2008年10月1日に出たのがKOH+の「最愛」、10月22日に出たのが福山君の「想」というわけで、「最愛」をMステで演った時のことは、動画を見たら思いだしたわけで、たぶんこの時、親も一緒に見ていて、柴咲コウちゃんのことを「大酒飲みなんだ」って言っていた記憶があるわけですが。どうにもこの曲はGLAYの「HOWEVER」と対になる「呪いの迷曲」なのでですねえ。聴いていて、福山君のことを「この人、私のこと知ってるのかしら?」くらいには思った記憶があるわけですが。でも、この頃にはいろんな人が私のことを「知っている」という自覚がありましたので、別に福山君のことを「悪い人」だとは思いませんでしたけれども、報酬目当てに敵の手先のような曲を作ってるのかしら? くらいには思っていましたし、まあ「手先」だったのは事実だよね? と思うわけですから、今見ると福山君は暗い顔をしているし、コウちゃんは兄さんに押さえつけられて「目の力」を発揮できないでいるし、タモリさんは悲しそうにため息をついているし、タモリさんに一番申し訳なかったな、と思うわけです。で、「想」の方はどこかで見たことがある気はするわけですが、どうにもこれも「しっくりこない」って言った記憶があるわけで。本気でお気の毒な兄さんだったと思うわけですが。

で、2009年5月20日発売の「化身」は「HEAVEN」系の曲、2009年12月16日に発売された「はつ恋」は「呪いの迷曲」ということで、どうにもね、「よろしくない歌」の内でも、単純によろしくないものはあまり印象に残っていないわけですが、あからさまに「呪ってる曲」はよく覚えているわけで(苦笑)。でも、この頃はこんな感じの曲が多かったので、みんな敵からの報酬目当てに、当てこすりみたいな歌を作らずに、自分の唄いたい歌を唄えばいいのに、って単純にそう思っていたわけで。「化身」の方もうっすらと見た記憶はあります。でも、それっきり、みたいな。

で、2010年5月19日には嵐の「MONSTER」が発売され、2010年8月11日には福山君の「蛍」が発売されたわけで、これはどちらもよろしくないお歌なわけで、「蛍」の方はさっぱり印象には残っておらず。年末のFNS歌謡祭で福山君が唄った「心color」が、前向きで良い曲だな、と思った程度であって。でも、この年の年末に、嵐の曲でどの曲が好きか、と聞かれて「MONSTER」と答えたら、紅白でこれをめいいっぱい唄ってくれたわけで、この時にはっきりと確信を持ったわけです。嵐とSMAPは「私のことを知っている」と。なんで、とかどうして、ということはとりあえずおいておいて。

で、時は無情に流れて、2011年。3月11日にあった「東日本大震災」。福山君のライブで、「誰もが立ち止まってしまった1週間だった」ってあって思い出したわけですが、少なくとも私は立ち止まっていなかったし、あの時ほど私が走り抜けていた1週間はなかったな、と思うわけで。で、ライブでは「それでも福山雅治は歌い続けることを選んだ」ってありまして、それで出たのが2011年8月31日発売の「家族になろうよ」ですか。しかも「Beautiful life」もこの頃にはできてたんだよね? と思うわけで。「家族になろうよ」は微妙に引っかかる部分もありましたが、「自分には全然関係のない曲」だと思ってむしろ安心していたわけですが。まさか、こういう展開になって、福山君の動画を見ると、「この顔と一緒に暮らすことになりますんで、宜しく」って言われるようになるとはですねえ? 今でもびっくりしすぎで言葉が出ないわけですが。まあ、こんな感じであったということで。いろんなことがうまくいけば良いな、とは思うわけですが<(_ _)>。

そして

桑田ってそんなすごい人なの? と思うわけで、そうすると皆様が、青学のことを調べてごらん、というわけで調べてみたわけです。そうすると、青学を創設したのは、メソジスト監督教会ということなわけで。メソジストって、プロテスタントの中でも、新興的なもので、保守的なプロテスタントであったモンゴメリなんかは、メソジストよりもローマ・カトリックの方に親近感を持つような小説が目立って、あまり評判のよろしくない集団なんでないの? と思うわけで。一応教義なんかも調べてみたわけですが、あまり意味が良く分からないわけで、要するに「人はただキリストの贖いによって救われる」という教義らしいです。ということは、「キリストが死ねば人は救われる」っていう集団なんだ? と思うわけで。要するに、某桑田という人はメソジスト監督教会を実行支配している人で、うちの回りにもヘンな連中がいっぱいいますが、兄さんの回りにもヘンなのがいっぱいいるということでーー;。

それから、昨日書き忘れたのですが、陸奥総社宮の主祭神である八塩道老翁神とは、私の大学時代の同級生で、東北出身であったKさんだと思うわけですが。彼の先祖は、前九年・後三年の役の原因を作って、東北を源氏の草刈り場にした最大の要因であると思うわけで。どやら、お味方も頑張ってくれてはいましたが、誰も彼もが敵に取り囲まれて生きてきたように思うわけです。

神婚の結納品

ちょっと前から、何がいい? って聞かれていた気がするのですが。別に、そんなたいそうなプレゼントなんていらないし、来るなら来るで、着のみ着るままで来てくれて良いと思うわけで。

世界にはいろんな問題が山積しているわけで、たいへんな世の中だとは思うわけですが、今の私が欲しいものは、ただただコバニという街の安寧であり、そこに住む人々の平安なのだと思うのです。だから、「何が欲しい?」と問われれば、それが欲しい、と思うわけで。

私が某桑田を左目で威圧したら、ニュースサイトには、イラクのクルド自治組織から派遣された援軍がコバニ入りしたというニュースが載りましたし、トルコはトルコで、国内で庇護しているシリア反体制派の兵士がコバニ入りするのを認めた、ということで、コバニの攻防戦は事実上トルコの支援を受けられることになったわけで、空爆だけではなく、準正規の地上軍も投入されることになったわけで。こういうことがあるから、毎日の妙な生活も頑張れるのだと思います。ただ、それだけのことなんだと思う。

調整その他

ええと、道路に張り付いているマンホールの蓋に書かれている羊の写真を撮って、左目が何とか使えるようになったのが金曜日で、で、なんとなく使い方に慣れなくて、土曜日の朝方は若干悪夢っぽいものを見たわけです。

で、土曜日の空いた時間に、動画を漁っていましたら、福山君の「冬の大感謝祭其十三」の年越しライブのWOWWOW版の動画が丸ごとみつかりまして。「それを見て欲しい」と言われましたので、「いいのかしら?」と思いながら見て見たわけです。で、最大の感想は、年越しライブって、23:00から開演して、3時間以上ぶっ通しでやるんだ? ということで、見に行くお客さんもタフだけど、やる方はもっとタフだよ@@ ということになるわけで。選曲自体は、割と兄さんの好みで、呪いの曲はそれほど多くなかったと思うわけですが。で、途中からいったいこれ何のために見ているんだろう? とは思っていたわけですが、どうやらこれは兄さんのサポートメンバーの三沢またろう氏からの、挑戦状であったらしくて。三沢さんというのは、パーカッショニスト(打楽器専門のミュージシャン)の第一人者であって、特定のバンドで活動するのではなくて、いろんなアーティストのサポートメンバーとして活躍されている方で、お名前からいえば敵ではないのですけれども、そうやって芸能界で独自の地位を築いて活動されている方なので、力はものすごく強くて、独自の価値判断基準をお持ちで動いていられる方だから、彼に「認められる」ということは一種のステイタスとなることのようで。要するに「表舞台」に出る目立つ立場の方ではないので、一般での認知度はそれほど高い方ではないのですが、業界内では有名人な方なわけで。

 

で、何故わたしが「またろう師匠」のことを知っているかというと、彼は米米のサポートメンバーであって、米米や石井のライブ会場で何度もお見かけしているから知っているわけで、米米関連では「またろう師匠」って呼び方の方がしっくりくるのですよ。で、彼は福山君のサポートメンバーでもあって、福山君は「またちゃん」って呼んでいるわけで。で、「冬の大感謝祭其十三」を見ればまたろうさんに私も気が付くわけで、彼が米米のサポートメンバーをしていて、福山君のサポートメンバーもしているのは偶然?と思ったわけですが、それはけっしてそうではないらしくて。要するに三沢さんは三沢さんで、私のことをずっと見守ってきたし、米米に巻き込まれてファンになってしまった私のことは「弱くて駄目」だと思ってらっしゃったようで。だから、ことがここに至って、私が福山君のライブを見て、またその世界が好きになって、はまっちゃったりしたら、私の負け、そうならなかったら私の勝ちということで、三沢さんも私のことを認めて下さる、ということになったようで。そっかー、良く考えてみたら、またろうさんは石井関連のライブでしょっちゅうお見かけしてましたので、ある意味私と兄さんよりも、強く私と「結縁」してる方の内のお一人なんだな、と思うわけで。それだけに、私のことを認めて下されば、強いお味方になって下さるわけだ。ライブそのものは面白かったですし、福山君もかっこいいと思いましたけれども、どうにも私ってば、思わず兄さんがのけぞってゲラゲラ笑っちゃうくらい、「福山雅治というアーティスト」に興味がなくてですねえーー;。ライブ見ても、正直嵐の方が格好いいと思うのですよ(苦笑)。私は私で、「気が強い」男の人が好きなようでですねえ、福山君は負けず嫌いなのは分かるわけですが、あまり攻撃的な目はライブでも使いませんものね? と思うわけで。ライブの中では、福山君の2013年の活動とかも紹介されて、あんなことやこんなすごいことをやったアーティスト、みたいに紹介されていたわけですが、私にとって一番印象深いのは、やはりカンヌでしょ? あの時、一番目の子が必死で隠していた左手の薬指を確認しろって意地悪なことさせておいて、新聞に「満面の笑み」で載ってましたよねえ? 確か? と思うわけで。あとの仕事はどれだけすごいことしてても、代償行為か私に対する呪いなんじゃないの? と思うわけで。もう、昨今ではそんな感想しか出てこないわけです(苦笑)。
だいたい、福山君が「年越しライブ」を始めた理由は大晦日にNHKホールに行きたくないから、なのだと思うのですけれどもね。嵐はそこで、ちゃんとステージもこなすし、司会もやるわけですから、まあ、そちらの方が「気が強い」って言われても仕方がないわけで。なにせ「SONGS」とか見てても、あの局の兄さんに対する敵意ってすごいですからね、とは思うわけですが。

で、今朝、スタッフの皆様から、福山君のスケジュールを確認して欲しい、という連絡が来まして、ツアーの日程を見ましたら、月末から始まる予定と言うことで、兄さんが長野に行けるのは今週が限度、とおっしゃるわけでして。私としてはそれは寂しいですけれども、お仕事なら、という気持ちもあったのですが、誰かさんの方が、ツアー期間中でも日程が空けば一日でも二日でもいいから行く、ってごねるわけでして。で、いろんな方達と調整した結果、サポートメンバーの方々の強力な協力も得られると言うことで、空けられる日は全部空けるということになりそうなようで。三沢さんをお味方につける、というのはこういうことなんだな、と思うわけですが。で、兄さんも今日までお仕事の予定でしたが、遅くとも今夜の最終便でまたこちらに来ると言っているわけで。

で、階下に朝ご飯を取りに行きましたら、某桑田という人が紫綬褒章を貰ったそうで、テレビに出ていましたので、映像が出てるなら、左目で見ておこうかということで見ておいたわけですが。そうしたら、直後に「おかげで、そっちの方からの圧力が減りましたので、来週もスケジュールを空けられます。」って言われたわけででしてねえ。なんとなく、微妙に、某アミューズにとってポルノやサザンの立ち位置って何なんですか? という気もしないではないわけですが。年が明ければ明けたでいろんな力関係が変わってきますので、兄さんは何とか年内にケリをつけたいし、誰もがそれを応援してくれてる状態なのだとは思うのですが。私は私でやれることを粛々としてやっていくしかないわけですので、まあ、そんな感じなわけです。

 

で、昨夜思わず、黒蛇な兄さんのことを「うなぎ」って書いてしまったら、「言うに事かいて『うなぎ』かい」っていう突っ込みが、来るんじゃないかとは思いましたが、中居君あたりから来るわけでーー;。すみませんねえ、こんな性格で<(_ _)>。ということで。でも、兄さんは兄さんで、こういう「気が強い」タイプがお好きなようですが? と思うわけで。なんだか不思議な気がするわけです。