21年12月4日

 昨日は飯山へ出かけて神社巡りをしてきました。伏見稲荷、片山稲荷、奈良井神社、愛宕神社(琴平&大山祇)、葵神社、伊勢神社(琴平&天満)、布施田神社、常盤神社、小菅神社とがっつり回ってきました。小菅神社は、現在では主祭神は素戔嗚となっているそうで、他の「八所」の神々も歴史の流れの中で、ちょいちょい変えられた形跡があるらしい。でも三の鳥居の横に「国常立尊」の大きな碑があったので、蔵王権現って思うよね? 普通はね? と微妙に思うわけで。蔵王権現には弥勒菩薩も含まれるので、弥勒も摩多羅神も同じものー、と思うわけです。で、小菅神社では昔は祇園に特別な祭りをしていたそうなので、祇園を中心に考えれば

素戔嗚=牛頭天王=武塔天神=摩多羅神=弥勒菩薩=ムーダン=ミトラス

で、全然変じゃないでしょ、と思う。で、平城・嵯峨天皇の祈祷所であったそうで。摩多羅神は天台宗であがめられた神であって、平安時代末期から信仰が盛んになったそうです。でも、この一派は後に「邪教」とされて衰退している。斑尾の頂上に薬師如来が祀られているのは、医薬神である「牛頭天王」とか「武塔天神」に引っかけてるのだと思います。で、西欧(地中海周辺)では

ミトラス=モロク=プタハ=ハーデス・プルートー=ネルガル

となるので、記紀神話では、「素戔嗚が牛頭天王と同じもの」だなんて書いてないわけですが、歴史の流れの中で、祇園の八坂神社では、いつしか素戔嗚=牛頭天王と考えられるようになり、武塔天神に関する「蘇民将来符」とか配るようになっているわけで。素戔嗚が疫神であるとは、記紀神話には書いてないと思います。でも、祇園では疫神扱いだし、ネルガルまで辿っていくと、れっきとした疫神なんだよね、これがまた。となるわけで、これは、世界の「神話」を知っていて、その変遷も知っている者が、平安時代の300年くらいをかけて、つくりあげていった「牛頭の神」が素戔嗚に結実したものだし、最初からそうするつもりで素戔嗚を作ったのかも。三貴子は、天照大神、月読、素戔嗚の順だけれども、最初からギリシャ・ローマの、ゼウス、ポセイドン、ハーデス・プルートになぞらえて作ったのかも、とすら思う。だから、ハーデス・プルートー=ミトラスとすると、彼らはどちらかといえば「下位の神」であって、神に逆らう人々に「天罰を与える神」であって、疫病を流行らせるのも「天罰の一種」なのである。医者(薬師)との関連性からいえば、アスクレピオース(ギリシャの医薬神)の神話が全てを語っているといえる。

 アスクレピオースは優れた医者で、多くの人の命を救ったけれども、優れていすぎたので、死ぬ人がいなくなってしまい、神々が死すべきと定めた人まで生きるようになってしまった。だから、自分の役目を侵されたハーデスは怒ってアスクレピオースを殺してしまった。

という神話である。だから、医者(薬師)ってどんなもんなのか? と言われても困るわけですが、ハーデスに逆らって仕事したら、まず自分が死ななければならないのが医者である。今でも、世界中の医者がそうやって仕事してるんじゃん? と思う。だから、ハーデスは「医薬神」とはいえないのだけれども、医者の元締めというか、監督官みたいな位置にいるわけです。それも「まともな仕事をやり過ぎないように」監督する神なわけだ。

 でも、そうやって人々の生活に直接関わる(直接罰を与える)神であるので、庶民からすると、直接の信仰の対象になりやすいわけです。ハーデスに気に入られれば、自分だけ天罰を免れるかも、とかそういう意味で。

 でも、こうやって見ていくと、ハーデスは元々神々の中では下位の神なのだから、天照大神に逆らって狼藉を働き、天照大神を岩戸の中に追いやる方が間違っている、ってことになるよねえ? と思う。まあ、単純に言って、一般庶民はハーデスにもの申せる立場ではない。でも、天照大神はもの申せる立場である、とそういうことになるわけです。そして、もう一人「月読」である者も、もの申せるよねえ? 立場は「兄」だもんねえ?? と思う。

 嵯峨天皇は弥勒だの天台だのに入れ込んで、いったい何を願ったのかと思う。もし、自分が生まれ変わったとしても、また天皇になりたい、そうしても天罰を受けることのないように、と願ったのだろうか? と思う。(摩多羅神の信仰を始めたのは最澄の弟子の円仁と言われている。まあまあ平安初期の僧侶である。唐に留学してるから、世界的な神話を研究する機会が充分あった人だと思うわけですが。)で、その結果の

素戔嗚=牛頭天王=武塔天神=摩多羅神=弥勒菩薩=ムーダン=ミトラス

という「祇園信仰」を確立するのには、京都では代々の天皇、信濃国では信濃国造家が深く関わってきていた、ということになると思います。信濃国造家の目的は、イザナギに逆らう天照大神と月読を素戔嗚に片付けさせよう、とかそういう感じだよねえ? と思う-;。・・・だけど、嵯峨天皇がもし生まれ変わったとしても、平穏無事に天皇になれるのかねえ? 特に最近の皇室は、ジェットコースターメロドラマのように、次に何が起きるのか分からないドラマのような展開で、このままでは天皇制の将来そのものが「大丈夫かいな?」という感じである-;。

 で、それ以外では、飯山とは稲荷の多い町であるし、伏見との縁が強い感じがするわけで。私が思うに、狐は「天狗の乗り物」なので、どこにも資料もなくても、「摩多羅神」も隠れた天狗であって、その騎馬が伏見稲荷と小菅の「馬頭観音」ではないのか、と想像するわけですが。「天狗」というものが確立したのは中世であるので、もっと古くは「摩多羅神」は「狛天白」とか「天白」と呼ばれており、それが時代が下るにつれて「天狗」へと確立されたのではないのか、と思います。天白神とは、東日本に割と多くて、名古屋とか長野県に多くいる神な気がするわけですが、元々「尾張氏」が勢力を張っていた地域で信仰が盛んであったようなので。・・・饕餮のことだろ、それ、と単純な私は思う-;。というか、饕餮を雷神と天白に分けているのだと思う。でも「天で白いもの」って星ではなく、雷のことを指しているのだろうし、だからこそ治水とか護国豊穣に関する神であるのだと思う。

 で、本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、つくろいもののみ。

 テレビは、昼は「ニュースな会」の録画を見ました。昨夜は「少年倶楽部」とMステ。ともかく、やらなきゃならないことがありすぎて忙しいので、ゆっくりテレビを観ている暇すらない、と感じています。

 昨日はきょも君のお誕生日でした。おめでとうございます<(_ _)>。
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 1杯目。
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 2杯目。

21年12月2日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、つくろいもの。キュロットはゴム通しの穴の始末。ジャケットはまだまだ端糸の始末で、あと少し。ケープコート後ろ身頃で、後見頃の裏地を描いたところ。

 テレビは、昼はCDTVの録画を見て、夜はFNS歌謡祭を見る。ひいじいさんには、「君のせいで自分は嫉妬でボロボロ」と言われる気がするわけですが@@。・・・どうも、先月は芸能関係が物入りだったわけで。光ちゃんのDVDに2万円、P様の写真集に3000円ほどかかって。写真集の方はですねえ、セミヌードが惜しげもなく披露されていて、ベッドに寝ている裸のP様の脚とかがエロいというか「おー」という感じであったわけですが。「この脚を生で見てみたいでしょ。」って言われる気がしたら、普通は「いやーん」とかって言うよね、まあ社交辞令でもねえ? と思うわけですが-;。・・・というわけで、どうやらこの辺りがいけなかったらしい-;。ひいじいさんは、6番目の子から「おじさんの嫉妬は見苦しい」と言われたらしいー;。若い兄さん達は「ともかく、その人にあまり愚痴を言わせないように見張ってなきゃ。」って言うし-;。なんだか大変な気がするわけですがー;。愛情が必ずしもお金で測れるとは思いませんが、2万円の価値はどこへ? とは微妙に私も思ったのでした-;。
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 1杯目。

21年12月1日

 本日は残りもあとわずか、ということで挨拶回りの神社巡りをしてきまいた。まずは高速で坂城に移動して坂城御厨神社、村上神社、坂城神社、満泉寺(信濃村上氏の菩提寺)。次に高速で須坂に移動して、髙杜神社、椚原豊守神社、霧原大元神社に行ってきました。坂城は村上氏ゆかりの神社が多いですが、現代に村上氏姓の直接の後裔が残っていないせいか、神社もちょっと寂しい感じが・・・。だいたい回ってみるに、本来は村上氏は御厨(伊勢神宮の神領)の代官として信濃国に勢力を伸ばしたのか? と思われますが、その辺りは歴史的な資料が乏しくて良く分からないらしいです。というか、すでに信濃国では絶えている信濃村上氏そのものが「御霊扱い」? と思うわけで。どうも、特に諏訪系の神社でないところは、ちょっときつい気がする-;。でも、どうも信濃国の神社は、北へ行くほど「修験道」の空気が強くなる気がして。なんでだろうなー、と思うと、とある神社の社務所関連の人に「斑尾へ近づくほどそうなる」と言われる気がするわけで。そういう「声」はけっこう聞こえるようになったよねえ? と思うわけですが-;。

 で、須坂。髙杜神社は諏訪系で、延喜式にも載っている神社だけれども、山岳信仰の神社であって、記録とかそういうこと関係なしに、なんだか「修験道」の匂いがする気がしてならない-;。もっとも、諏訪大社上社も「神体山」をご神体にしているわけだから、修験道とは離れたところで、諏訪系の神社が縄文時代からの山岳信仰を受け継いだ信仰の場であってもおかしくはないと思うわけですが。ともかく、髙杜神社は「勝山」という山をご神体にしているし、須坂には「勝山さん」という名字がけっこうあるらしい。ので、「それを取ってくるように」と言われたから行ったわけですが。福島正則の怨霊でも取り憑いているんじゃ? とか、そういうことしか思わないわけで-;。椚原豊守神社は白山(でも、祭神の内容はむしろ熊野?)、霧原大元神社は津島改め諏訪、という感じでした。

 お裁縫は、つくろいもの。キュロットはゴム通しの穴の始末。ジャケットはまだまだ端糸の始末。ケープコートは後見頃の製図の途中で、後ろ見返しを描いたところです。

 テレビは、夜も「News Zero」の録画の続きを見て。

 で、部屋に戻ってYouTubeとか見たら、「ジャにのちゃんねる」で生配信していて。タイトルが「友達がいなくて一人でいるから誰かきてぇぇぇ」だった-;。で、どうやら12月なので、他のメンバーは忙しい、ということで二宮君が一人で生配信していて。ぼーっと流しながら見ていて。神社巡りもそろそろ「佳境」なわけですが、選択がまだちょっと足りないから、しっかり調べるように、と守達神に言われるので、検索する。で、「延喜式の神社は全て巡るように」と言われて、髙杜神社も発見して。「明日は坂城へ行って時間が余ったら、高速で須坂へ移動して、須坂の神社も回るように。」と言われるわけで。そうしたわけですが。

 で、小菅神社に「摩多羅神」で、そういえば北信濃には「斑尾」という山があったっけねえ? と思い出すわけで。で、家に帰ってきてちょっと調べてみました。斑尾は、ごく古い時代の修験道の山で、山頂には薬師如来が祀られており、古くは「薬師岳」と呼ばれていたらしい。薬師であるところの、摩多羅神であり、武塔天神であり、午頭天王ですか。そりゃそうだ、ミトラスとは、モロクという名前の変形であり、これは妻の名前を流用してそう呼ばれているけれども、古代エジプトでは「プタハ」といって、日の当たらない黄泉の国の底に住んでいる神であり、雄牛であり、ファラオに逆らう死人を食う雄牛で、紀元前4000年頃から信じられていた神なんじゃないの? 幼児供犠とか人の生贄を求める神であって、旧約ではごくごく評判の悪い神である。でも、印欧語族に取り込まれて、「太陽神」とか「契約神」としての性質も持つようになったから、生贄さえ求めなければ、まともに見えなくもない神ともいえる。それが「薬師」ということは、医者のミトラスなの? 祇園信仰じゃん、それ、と思う。というか、「摩多羅神」なんて、広隆寺と原始キリスト教とか、そういうオカルトっぽいところに興味がある人でないと知らないくらいマイナーな神だと思っていたら、北信濃では誰でも知ってる山の名前になってるし@@、と思う。斑尾って、信濃国で古くは「斑山」と呼ばれていたそうなので、由来になくても、もう状況的にバッチリといえる。「だいたい雄牛のプタハって、古代中国では牽牛のことでしょ。妻と遊ぶのに忙しくて仕事をさぼったので、罰を受けた神でしょ。」と言われる気がするわけで@@。で、妻の名前を勝手に名乗って、妻(太陽神)の仕事も勝手に名乗って、しかも自分で遊んでばかりで、そういうのをなんて言うの? 「ヒモ」って言うんじゃないの? と言われる気がするわけで@@。え? それでうちの床下にヒモばっかり埋まってるとか言わないよね? と思うわけですが-;。・・・で、ともかく、午頭天王ってスサノオのことでしょ。黄泉の国の闇(墨)の中に住んでいて、母であるイザナミのそばに住んで、薬師を名乗り、太陽のふりをして、死人を食らう「摩多羅神」であり「スサノオ」である者って誰のことか? と、なんだか眞子ちゃんと小室君に言われる気がするわけで-;。小室君は「摩多羅神」のフリを実践してるとか言わないよね? 弁護士も一応「契約神」といえるが、なりそこないでは神にはなれないでしょ、ヒモにはなれるかもだけども-;。と、そこはかとなく思うわけですが-;。

 ということは、修験道とは、薬師である午頭天皇&スサノオ&摩多羅神をあがめ奉るためのものなのですかね。そんなことを「救済のために人を終わらせる」というへりくつをつけて、1500年も前から準備してた?@@ と思うわけで。織り姫は、ヒモ旦那と遊びほうけてないで、織り姫のスキルをしっかり伸ばして、自分の作りたい服をきちんと正規のやり方で作れるようにならないといけない、ということらしいです。そうすることが、「神」としての力を強くすることらしい。ということで、あれこれ忙しくて市役所関連を構ってる暇がないわけですがー;。小菅神社って、もっと古くは諏訪系の山岳信仰の神社だったらしいので-;。なんでも、乗っ取って利用するのがお得意な人々と向き合わないといけないらしいです-;。